24日の土曜日は、上野の文化会館でKバレエの『ジゼル』を観た後、ミューザ川崎シンフォニーホールで東響の定期演奏会を聴いた。
一曲目ウェーバー『オベロン』はぎりぎりでホールに入れず外で聴く。夏至は過ぎたが、この日は蟹座の新月で、妖精王オベロンの曲にぴったりの初夏の気配に包まれていた。ドアの隙間から薫るようないい音が聴こえてきて、体調は今一つだったがミューザまで来てよかったと思った。
『オベロン』の後は、ホルン協奏曲が二つ。ソリストのフェリックス・クリーザーがハイドンとモーツァルトの『ホルン協奏曲第2番』を演奏した。颯爽とした歩き方で登場したクリーザーは両手がなく、台の上にホルンを置いて足の指で楽器を操った。
会場の目が足先に集まる中、クリーザーが出した一音は驚くほど純粋で屈託がなく、自然の崇高美そのもののような響きだった。音程を取るのがあれほど難しい楽器で、あんな自由な音を聴いたことがない。
ハイドンとモーツァルトはひとつながりの典雅な曲にも感じられたが、解説によるとハイドンのほうは偽作で、ハイドン自身が実際に書いた第一番の前にどこかの誰かが書いたものらしい。モーツァルトはやはり東響らしい洗練されたエスプリが加わり、より繊細で複雑なハーモニーが広がっていったが、偽物にしてはハイドンは良すぎた。楽想は単純だが、ホルン奏者にとっては技巧的な苦労がいる箇所も多い。贋作と本物の二枚の絵画が、ユーモラスに並んでいるような2曲だった。
クリーザーはごく日常の振舞いとして足の指で演奏したのだが、その姿にはどうしたって勇気をもらわないわけにはいかない。他人と自分が違うからといって、無気力になったり怠惰になったりせず、内側からの真実を突き詰めていく態度は、芸術の理想にも思えた。
太陽のように明るく、初夏の青空のように爽やかなホルンで、その音色に演奏家の人生がそのまま息づいていた。モーツァルトではユーモアや洒落たセンスを忍ばせていて、オーケストラとの相性もよかった。
色々な想いがうごめく中で聴いた後半のブラームス『交響曲第1番』は、導入部からはっとするようなドラマティックなサウンドで、どういうバランスでこの音が鳴っているのか謎だった。音量はとても大きい。闇から立ち上がる巨大な龍のようなサウンドに心を惹き付けられた。
弦楽器のフレージングにはたくさんのアクセントがあり、それはドイツ語のディクションを強調しているようでもあり、ブラ1のあの暗いはじまりが、夏の嵐の前触れに感じられた。
いぶし銀のようなブラームス…などとよく言われるが、いぶし銀なんてものではない。ギラギラと派手で饒舌で、身体を突き抜けて飛び出してくる作曲家の「念」が放射状に噴き出していた。
作曲家を理解するということはどういうことなのか、ずっと頭で考えてきたが、ここには否応なくブラームスが「いた」のだ。
交響曲1番は、本当に息苦しくなるほどの創造性に溢れていて、その裏側には「このまま何も言えずに、世の中に対して無力であったらどうしたらいいのだ」という作曲家の不安と焦燥が渦巻いていた。
まず、ブラームス特有の厭世観というものがある。世俗を敵に回してでも、芸術家として価値のあるものを作り、自分でも収まりようもない反骨精神に落とし前をつけたいという野心のようなものがある。
厭世観とはなんと素晴らしいものか…ショパンもシューベルトもマーラーもチャイコフスキーも、これなしでは存在しなかった。
作品が長い時を経て残っている、ということ自体、作曲家の時間軸が普通ではなかったということで
炭素的な生き方を否定して、凝縮された鉱物的な生の証を五線譜の中に遺そうとしたのが「名作」と呼ばれるものの正体なのだと思う。
「世俗を否定する!」という明快な意識が、なぜか強力に湧いたのは、ただの直観だったのかも知れない。前半のクリーザーの演奏に、自分を邪魔したり脅かしたりする「邪な他者」がいなかったことが、ブラームスを深く聴くことのヒントになったのだと思う。
ブラ1という曲の中に詰め込まれたアイデアがあまりに膨大で、「書けすぎている」と思ったのも初めてのことだった。チャイコフスキーは自分の5番について「よく書けすぎた嘘くさい作り物」と自虐的なことを言っていたが、ブラームスも苦渋の中で、人為の限りを尽くしてよいものを書こうと試みた。
そこには反自然的な衝動がある。穏健な人間として生きることを否定して、英雄的なものを掴もうとする野心が隠れているのだ。
穏やかで優しい秋山先生が、そういうブラームスを聴かせてくれたことは衝撃だった。どのようにして、指揮者は作曲家を「読む」ことが出来るのか…。
急に思い出したのは、まだ招待券もいただけない駆け出しのクラシックライターだった頃、当日券で聴いたアマチュア合唱団のドイツ・レクイエムで、指揮者が秋山先生だった。そのブラームスは今でも忘れられない。アマチュアとは思えない真剣でプロフェッショナルな演奏で、終わってからしばらく放心状態だった。客席は出演者のご家族がほとんど…という演奏会だったが、合唱の男性に、片足のない方がおられた。長い「ドイツ・レクイエム」の間中、一度も座らず、曲が進むにつれ、表情が素晴らしく生き生きとし、神の世界へと導かれていくような光彩に包まれていった。それを見て「これがブラームスなのか」と思った。
厭世観とは、奇妙なようだが人間への爆発的な愛とイコールで、自分の魂の性向にならって芸術家は厭世的になるのだが、目的はひとつである。人間全体を高揚させ、もっと先に進化させるために、孤独で偏屈な生き方を選ぶのである。
ブラームスとチャイコフスキーの厭世観がよく似ているということも、エキセントリックなピツィカート使いがそっくりなことも、改めて気づいた。チャイコフスキーはブラームスを嫌っていたが、初対面で意見を覆して「いいやつだ」「崇拝されているのもわかる」などと弟への手紙に書いている。ブラームスのほうは遠慮なく、チャイコフスキーの4番の「最終楽章はあまりよくない」と本人に伝えている。するとチャイコフスキーも「実は私も好きではないのだ」と自分の曲を否定する。人間を超えようとした人たちもまた人間で、厭世観とはかくも人間臭いものなのだ。
ミューザは遠いが、東響はさりげなく奇跡のようなコンサートを毎回行うので聞き逃せない。この夏は川崎に通うことになりそう。
一曲目ウェーバー『オベロン』はぎりぎりでホールに入れず外で聴く。夏至は過ぎたが、この日は蟹座の新月で、妖精王オベロンの曲にぴったりの初夏の気配に包まれていた。ドアの隙間から薫るようないい音が聴こえてきて、体調は今一つだったがミューザまで来てよかったと思った。
『オベロン』の後は、ホルン協奏曲が二つ。ソリストのフェリックス・クリーザーがハイドンとモーツァルトの『ホルン協奏曲第2番』を演奏した。颯爽とした歩き方で登場したクリーザーは両手がなく、台の上にホルンを置いて足の指で楽器を操った。
会場の目が足先に集まる中、クリーザーが出した一音は驚くほど純粋で屈託がなく、自然の崇高美そのもののような響きだった。音程を取るのがあれほど難しい楽器で、あんな自由な音を聴いたことがない。
ハイドンとモーツァルトはひとつながりの典雅な曲にも感じられたが、解説によるとハイドンのほうは偽作で、ハイドン自身が実際に書いた第一番の前にどこかの誰かが書いたものらしい。モーツァルトはやはり東響らしい洗練されたエスプリが加わり、より繊細で複雑なハーモニーが広がっていったが、偽物にしてはハイドンは良すぎた。楽想は単純だが、ホルン奏者にとっては技巧的な苦労がいる箇所も多い。贋作と本物の二枚の絵画が、ユーモラスに並んでいるような2曲だった。
クリーザーはごく日常の振舞いとして足の指で演奏したのだが、その姿にはどうしたって勇気をもらわないわけにはいかない。他人と自分が違うからといって、無気力になったり怠惰になったりせず、内側からの真実を突き詰めていく態度は、芸術の理想にも思えた。
太陽のように明るく、初夏の青空のように爽やかなホルンで、その音色に演奏家の人生がそのまま息づいていた。モーツァルトではユーモアや洒落たセンスを忍ばせていて、オーケストラとの相性もよかった。
色々な想いがうごめく中で聴いた後半のブラームス『交響曲第1番』は、導入部からはっとするようなドラマティックなサウンドで、どういうバランスでこの音が鳴っているのか謎だった。音量はとても大きい。闇から立ち上がる巨大な龍のようなサウンドに心を惹き付けられた。
弦楽器のフレージングにはたくさんのアクセントがあり、それはドイツ語のディクションを強調しているようでもあり、ブラ1のあの暗いはじまりが、夏の嵐の前触れに感じられた。
いぶし銀のようなブラームス…などとよく言われるが、いぶし銀なんてものではない。ギラギラと派手で饒舌で、身体を突き抜けて飛び出してくる作曲家の「念」が放射状に噴き出していた。
作曲家を理解するということはどういうことなのか、ずっと頭で考えてきたが、ここには否応なくブラームスが「いた」のだ。
交響曲1番は、本当に息苦しくなるほどの創造性に溢れていて、その裏側には「このまま何も言えずに、世の中に対して無力であったらどうしたらいいのだ」という作曲家の不安と焦燥が渦巻いていた。
まず、ブラームス特有の厭世観というものがある。世俗を敵に回してでも、芸術家として価値のあるものを作り、自分でも収まりようもない反骨精神に落とし前をつけたいという野心のようなものがある。
厭世観とはなんと素晴らしいものか…ショパンもシューベルトもマーラーもチャイコフスキーも、これなしでは存在しなかった。
作品が長い時を経て残っている、ということ自体、作曲家の時間軸が普通ではなかったということで
炭素的な生き方を否定して、凝縮された鉱物的な生の証を五線譜の中に遺そうとしたのが「名作」と呼ばれるものの正体なのだと思う。
「世俗を否定する!」という明快な意識が、なぜか強力に湧いたのは、ただの直観だったのかも知れない。前半のクリーザーの演奏に、自分を邪魔したり脅かしたりする「邪な他者」がいなかったことが、ブラームスを深く聴くことのヒントになったのだと思う。
ブラ1という曲の中に詰め込まれたアイデアがあまりに膨大で、「書けすぎている」と思ったのも初めてのことだった。チャイコフスキーは自分の5番について「よく書けすぎた嘘くさい作り物」と自虐的なことを言っていたが、ブラームスも苦渋の中で、人為の限りを尽くしてよいものを書こうと試みた。
そこには反自然的な衝動がある。穏健な人間として生きることを否定して、英雄的なものを掴もうとする野心が隠れているのだ。
穏やかで優しい秋山先生が、そういうブラームスを聴かせてくれたことは衝撃だった。どのようにして、指揮者は作曲家を「読む」ことが出来るのか…。
急に思い出したのは、まだ招待券もいただけない駆け出しのクラシックライターだった頃、当日券で聴いたアマチュア合唱団のドイツ・レクイエムで、指揮者が秋山先生だった。そのブラームスは今でも忘れられない。アマチュアとは思えない真剣でプロフェッショナルな演奏で、終わってからしばらく放心状態だった。客席は出演者のご家族がほとんど…という演奏会だったが、合唱の男性に、片足のない方がおられた。長い「ドイツ・レクイエム」の間中、一度も座らず、曲が進むにつれ、表情が素晴らしく生き生きとし、神の世界へと導かれていくような光彩に包まれていった。それを見て「これがブラームスなのか」と思った。
厭世観とは、奇妙なようだが人間への爆発的な愛とイコールで、自分の魂の性向にならって芸術家は厭世的になるのだが、目的はひとつである。人間全体を高揚させ、もっと先に進化させるために、孤独で偏屈な生き方を選ぶのである。
ブラームスとチャイコフスキーの厭世観がよく似ているということも、エキセントリックなピツィカート使いがそっくりなことも、改めて気づいた。チャイコフスキーはブラームスを嫌っていたが、初対面で意見を覆して「いいやつだ」「崇拝されているのもわかる」などと弟への手紙に書いている。ブラームスのほうは遠慮なく、チャイコフスキーの4番の「最終楽章はあまりよくない」と本人に伝えている。するとチャイコフスキーも「実は私も好きではないのだ」と自分の曲を否定する。人間を超えようとした人たちもまた人間で、厭世観とはかくも人間臭いものなのだ。
ミューザは遠いが、東響はさりげなく奇跡のようなコンサートを毎回行うので聞き逃せない。この夏は川崎に通うことになりそう。