連休の最終日(7月17日)、文京シビックホールでスラットキン指揮デトロイト交響楽団のコンサートを聴いた。その前日と前々日に東響と都響のマーラーを堪能した後だったので、デトロイト響のオール・アメリカン・プログラムは何かと新鮮だった。文京シビックでクラシックを聴くのも久々なのだが、ステージにずらりと並んだグランド・オーケストラが鳴らす『キャンディード』序曲は豪速&爆音の演奏で、その「物量」というか、音の塊のでかさに思わず吹っ飛んでしまった。映像で見るバーンスタイン自身の指揮だともっとテンポは抑えめのはずだが、実のところ私もこの曲は速めの演奏が好きなのだ。
バーバーの『弦楽のためのアダージョ』は一転してスタティックな曲だが、音の重ね方が日本のオケともヨーロッパのオケとも違っていて、弱音にも内側から張り出してくるような肉厚な弾力が感じられる。
繊細なシルク織りのような弦楽アダージョとは違う、水をはじくような弦のテクスチャーがユニークで、厳密な好みはとにかくとして、キャラクターが非常に明快なので引き込まれずにはいられない。
ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』では小曽根真さんが登場。これが最高のガーシュウィンで、アドリブいっぱいでいたずら心と冒険心いっぱい、オケのパートも書き換えてあるんじゃないかと思うほど個性的な演奏だった。小曽根さんのソロは2014年にアラン・ギルバート&NYフィルと共演したときのガーシュウィンよりさらに遊びの要素が増えていて、次に何が起こるのか全く予測がつかない。インプロビゼーションがインプロビゼーションを呼び、オケも食いつくようにピアノのほうを見つめていた。スリリングで幻想的な旋律が次々と立ち現れ、思わずソロの最中に拍手をしそうになってしまったほど。オーケストラのリアクションも面白い。音符がアニメーションのように動き出して、おどけたように踊っているのが見えた。スラットキンは始終楽しそうで、スウィングしまくる小曽根さんと共謀するようにオケから楽観的なハーモニーを引き出していた。まさに「プレイ」という言葉が相応しい。
一流の「遊び」が、曲のアウトラインぎりぎりまではみ出していて、本当にドキドキして楽しかった。
音響のせいか演奏のせいか、デトロイト響のサウンドはセクションごとに分割して出来栄えを観察しようという気にはまったくならず、デラックスでゴージャスでユーモアに溢れた全体の印象をひたすら浴びるという感触だった。この日のプログラムは張り出すような楽しさがあって、内省的な気分になるというより、もっと具体的なエネルギーをサプライしてもらう感じだったのだ。
共同体におけるオケの在り方が、明快なのだろう。彼らは何よりも、オーディエンスを楽しませるためにステージにいた。
それからいうと、東京には優秀なオケが多すぎるせいで、聴衆のほうがクリティックになりすぎているのではないか…と思うことがある。クラシックは聴き比べが醍醐味なのだから「あっちのマーラーとくらべてやっぱりこっちは…」というような批評は出てきて当然といえば当然なのだが、それぞれの良さを胸にしまっておけばいいのにと正直思うこともある。
ロサンゼルス・フィルの人気は、競合オケがいないからだと聞いたことがあるが、デトロイトはどうなのか。直感的に、地元の聴衆と相思相愛のオーケストラなんじゃないかと思った。家族といるような温かさがサウンドにある。
ふだん、自分が音楽を聴くために抱え込んできた余計なものが、本当に無駄に感じられた。
日本のクラシックは男性社会か女性社会かといえば、歴然たる男性社会で、そこで男装するつもりもない自分は、ことあるごとに無防備な感覚に陥るのだが…もはやそんな繰り言もどうでもよいくらい、心が温まり高揚したのだ。
後半のコープランド「交響曲第3番」はスラットキンの名指揮者としての威厳に襟元を正したくなる演奏で、見たところベテランの多いこのオーケストラが並外れた体力で、立て続けに高度なアンサンブルを持続させているのに驚いた。サウンドは一貫して明快で、野生動物のように美しい毛並みとワイルドな生命力を横溢させていた。金管楽器のショーケースのような交響曲で、勇ましいファンファーレがホールを埋め尽くしていく。
ノットのマーラーはミューザのために綿密に吟味されていたが、ツアーでやってきたデトロイト響は文京シビックに最も相応しい響きを瞬時に選んで鳴らしていった。スラットキンは次から次へとコープランドのシンフォニーに書き記された音の景色、グランドキャニオンやアーリーアメリカンな風物をカラフルに浮き彫りにする。
そこにとても「聖なる力」を感じた。「我々は何者なのか、何をやっているのかわかっているのです」とオーケストラが語っているようで、そのストレートさに人間としての崇高さを感じずにはいられなかったのだ。
全4楽章のコープランドの大曲をフルパワーで演奏したあと、アンコールがニ曲。日本の聴衆のためにフルヴァージョンでオーケストレーションされた「花」では涙を拭く聴衆もいた。最後には父フェリックス・スラットキンの短い「超アメリカン」な曲が家族的な団欒のフィーリングをもたらし、レナードの愛情に溢れた少年時代に思いを馳せた。誰もが幸せな気分になった休日のコンサートだった。
スラットキン指揮デトロイト交響楽団は7/19にもオペラシティでコンサートを行う。
バーバーの『弦楽のためのアダージョ』は一転してスタティックな曲だが、音の重ね方が日本のオケともヨーロッパのオケとも違っていて、弱音にも内側から張り出してくるような肉厚な弾力が感じられる。
繊細なシルク織りのような弦楽アダージョとは違う、水をはじくような弦のテクスチャーがユニークで、厳密な好みはとにかくとして、キャラクターが非常に明快なので引き込まれずにはいられない。
ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』では小曽根真さんが登場。これが最高のガーシュウィンで、アドリブいっぱいでいたずら心と冒険心いっぱい、オケのパートも書き換えてあるんじゃないかと思うほど個性的な演奏だった。小曽根さんのソロは2014年にアラン・ギルバート&NYフィルと共演したときのガーシュウィンよりさらに遊びの要素が増えていて、次に何が起こるのか全く予測がつかない。インプロビゼーションがインプロビゼーションを呼び、オケも食いつくようにピアノのほうを見つめていた。スリリングで幻想的な旋律が次々と立ち現れ、思わずソロの最中に拍手をしそうになってしまったほど。オーケストラのリアクションも面白い。音符がアニメーションのように動き出して、おどけたように踊っているのが見えた。スラットキンは始終楽しそうで、スウィングしまくる小曽根さんと共謀するようにオケから楽観的なハーモニーを引き出していた。まさに「プレイ」という言葉が相応しい。
一流の「遊び」が、曲のアウトラインぎりぎりまではみ出していて、本当にドキドキして楽しかった。
音響のせいか演奏のせいか、デトロイト響のサウンドはセクションごとに分割して出来栄えを観察しようという気にはまったくならず、デラックスでゴージャスでユーモアに溢れた全体の印象をひたすら浴びるという感触だった。この日のプログラムは張り出すような楽しさがあって、内省的な気分になるというより、もっと具体的なエネルギーをサプライしてもらう感じだったのだ。
共同体におけるオケの在り方が、明快なのだろう。彼らは何よりも、オーディエンスを楽しませるためにステージにいた。
それからいうと、東京には優秀なオケが多すぎるせいで、聴衆のほうがクリティックになりすぎているのではないか…と思うことがある。クラシックは聴き比べが醍醐味なのだから「あっちのマーラーとくらべてやっぱりこっちは…」というような批評は出てきて当然といえば当然なのだが、それぞれの良さを胸にしまっておけばいいのにと正直思うこともある。
ロサンゼルス・フィルの人気は、競合オケがいないからだと聞いたことがあるが、デトロイトはどうなのか。直感的に、地元の聴衆と相思相愛のオーケストラなんじゃないかと思った。家族といるような温かさがサウンドにある。
ふだん、自分が音楽を聴くために抱え込んできた余計なものが、本当に無駄に感じられた。
日本のクラシックは男性社会か女性社会かといえば、歴然たる男性社会で、そこで男装するつもりもない自分は、ことあるごとに無防備な感覚に陥るのだが…もはやそんな繰り言もどうでもよいくらい、心が温まり高揚したのだ。
後半のコープランド「交響曲第3番」はスラットキンの名指揮者としての威厳に襟元を正したくなる演奏で、見たところベテランの多いこのオーケストラが並外れた体力で、立て続けに高度なアンサンブルを持続させているのに驚いた。サウンドは一貫して明快で、野生動物のように美しい毛並みとワイルドな生命力を横溢させていた。金管楽器のショーケースのような交響曲で、勇ましいファンファーレがホールを埋め尽くしていく。
ノットのマーラーはミューザのために綿密に吟味されていたが、ツアーでやってきたデトロイト響は文京シビックに最も相応しい響きを瞬時に選んで鳴らしていった。スラットキンは次から次へとコープランドのシンフォニーに書き記された音の景色、グランドキャニオンやアーリーアメリカンな風物をカラフルに浮き彫りにする。
そこにとても「聖なる力」を感じた。「我々は何者なのか、何をやっているのかわかっているのです」とオーケストラが語っているようで、そのストレートさに人間としての崇高さを感じずにはいられなかったのだ。
全4楽章のコープランドの大曲をフルパワーで演奏したあと、アンコールがニ曲。日本の聴衆のためにフルヴァージョンでオーケストレーションされた「花」では涙を拭く聴衆もいた。最後には父フェリックス・スラットキンの短い「超アメリカン」な曲が家族的な団欒のフィーリングをもたらし、レナードの愛情に溢れた少年時代に思いを馳せた。誰もが幸せな気分になった休日のコンサートだった。
スラットキン指揮デトロイト交響楽団は7/19にもオペラシティでコンサートを行う。