小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

ジョナサン・ノットの国家論 東京交響楽団7/25

2020-07-26 10:37:57 | クラシック音楽

サントリーホールで一日2公演開催された東京交響楽団の定期演奏会の夜公演(19:00スタート)を聴く。二日前にフェスタサマーミューザで聴いた内容とほぼ同じだが、サントリーは今回の東響の革新的な試みの「成就」を確認できた貴重な回だった。

コロナウィルス感染防止による渡航制限で、外国人指揮者と外国籍の日本人指揮者が「全く」来日できなくなった状況下で、東響は前半指揮者なしのストラヴィンスキーを、後半は映像による音楽監督の指揮でベートーヴェンを演奏。映像の指揮者によるコンサートは既に先週行っており、さらなる改善が重ねられたと聞く。モニター画面に映るノットの写真に、何やら揶揄のようなコメントをする海外ジャーナリストのSNSも見つけた。現場にいなければ、また指揮者とオーケストラの積み上げてきた歴史を知らなければ、奇矯な図に見えてしまうのかも知れない。

前半のストラヴィンスキー『ハ調の交響曲』は決然と鮮やかに始まった。コンサートマスター、グレブ・ニキティン氏のリードで、ストラヴィンスキーの奇抜で崇高な名曲がエキサイティングに展開された。「これはハイドンのパロディなのかも知れない」と思った。オーケストラには軍隊並みの規律が求められるが、その裏側には狂気が脈打っている。神々のグロテスクな晩餐会のための合奏にも聴こえ、牛や羊や山羊などの生贄が次々と運ばれてくるのを喜び、放埓な古代の神々は大酒を飲みながら底なしの胃袋を満たしている。トランペットの信号音のようなフレーズは拷問のようだ。すべてのパートが「オーケストラの罰ゲーム」のようだが、集中度の高い演奏からはハイテンションな「楽しさ」も伝わってきた。拍をとるのは大変だろう。天才振付家バランシンはビゼーの「ハ長調」には振り付けたが、さすがにストラヴィンスキーのこの曲には手が出せなかったのかも知れない。

ベートーヴェン『交響曲第3番』では件のモニターが指揮台の位置に四面に向かって配置され、客席からは「正面を向いて指揮をするノット」が見える。リモート共演では時差が生じるため、あらかじめ指揮だけ録画されていた。楽譜にはノットからの細かい指定が蟻のように細かく書き込まれ、本番では楽員はほとんどモニターを見る余裕がなかったと聞いた。しかし不思議なことに、三回目の本番となったサントリー夜の回では、映像のノットが「ライヴで振っている」ように見えた。これはミューザでは感じられなかったことだ。

1楽章から勇壮で伸びやかで、何より東響らしい優雅さと高貴なハーモニーが溢れ出し、オーケストラの美意識の高さに感心した。日本のオケの覚悟というか、個を超えた献身の崇高さも感じられた。我が国のオーケストラの理想の高さが嬉しかった。ノットが指揮者としての貴重な10年間をともにしようとした理由が納得でき、オーケストラもまたリーダーとしてのノットに迷いなき忠誠を誓っていることが伺える。

2楽章の葬送行進曲は、ミューザでは空けない夜を暗示するかのような音楽だった。「最も暗い時代」の最中を生きている我々の心象を代弁しているのだ、と思った。サントリーではそれが、苦悩の中の歓喜に昇華され、試練の中にある人生の本質、好機、覚醒のチャンスを示しているようであった。低弦の唸り、メランコリックな木管と沈痛な打楽器の合奏は密度が濃く、二回ともこの楽章から受ける印象が最も強かった。

3-4楽章はとても展開が早く、一気呵成に聴いたという印象。東響の上品な木管、余裕すら感じさせる金管の歌い回しに、明るい光が差し込んでくる心地がした。ベートーヴェンの性急な精神、頂上へ向かって行く一途な冒険心、遊び心さえある創造力が音楽からあふれ出した。最終楽章では映像でもかなり思い切った、オケに信頼を預けた指揮をしていたと思う。本番では予想外のことも頻繁に行うノットが、安全な道を選ぶはずがなかった。

なるほど。4楽章は前半のストラヴィンスキーの相似形でもあった。様々な変奏、様々なリズムが神々のテーブルに運ばれてくる。ベートーヴェンの楽観、絶望の中で生き延びるサバイバルパワーがラストに向かって炸裂した。ノットの「作戦」は見事に勝利した。それきまさに、軍隊の戦略の勝利、国家戦略の勝利であった。東響というエリートを導いて、「物理的ディスタンス」をものともせず演奏会を成功させたノットは、まさに理想のプレジデントであった。

ベートーヴェン・イヤーがこのような年になったということも、ある意味ベートーヴェンの凄さだ。死してなお、作曲家が潜り抜けた逆境を思い出させる。巨大な創造のミステリーを説くのは、偉大な知性だ。ノットはとうの昔に、自分が何者であり、何が自分の使命なのかを知っていた。どんな苛酷さも、先の見えない状況も受け入れ、解決を試みる者として、音楽家となった。「運命」を引き受けることに迷いなく、「最も暗い時代」にナチスを打ち負かしたチャーチルの「良き危機を無駄にするな」という名言を取り出す。この演奏会は、ノットと東響による見事な国家論であった。