小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

キット・アームストロング ピアノ・リサイタル

2017-08-31 13:21:14 | クラシック音楽
残暑が続く8月下旬の夜、キット・アームストロングのピアノ・リサイタルを聴きに出かけた。
すみだトリフォニーホールのゴルトベルク・シリーズは休憩なしで少し遅れて始まることが多いのでぎりぎりに着いたところ、リサイタルはオンタイムでスタートしており、前半にバッハ以外の作曲家の曲が用意されていたと知り慌てる。
バードの「ヒュー・アシュトンのグラウンド」は扉ごしに聴いたが、胸に響く清澄なタッチで、浜離宮で初めてこのピアニストの演奏を聴いたときの感動が蘇ってきた。
スウェーリンクの「我が青春は過ぎ去りし」からホールの中で聴くことができ、前半はジョン・ブルの「ウォルシンガム変奏曲」も含めてエリザベス朝の音楽が3つ続いた。
モダン・ピアノで聴く「ウォルシンガム…」は譬えようもない世界で、自由に溢れ出す音の連なりが無限の世界へと心を誘い、そのあまりの果てしなさに迷子になってしまいそうになった。

現代に生きていて、キット・アームストロングのようなピアニストの演奏を聴くことは不思議な体験だ。
そこでどうしても「魂」ということを考えてしまう。20代半ばの、まだ少年にも見えるピアニストがなぜ16世紀の曲を素晴らしく演奏するのか。シンプルに言うなら彼がこの時代の音楽が「好き」だからだろう。なぜ好きなのか? と言われたら、明晰なキット君は穏やかな表情でたくさん答えてくれると思うが、演奏を聴いている側は別のことも想像する。
前世の記憶が彼を、これらの作品に出合わせたのではないか…というと、またしても全く評論的ではないことになってしまうが、何物にも縛られない自在なピアニストの表現は、私の心をも自由にするのだ。
「好き」は「透き」で「数奇」なのだ、と語っていたのは松岡正剛さんだったが、好きなものに対して人が傾ける情熱には奇妙で不可解なものがある。「理屈ではないが惹かれる…」といったものに対して、人間の心は抗えない。ある土地が好きで何度も出かけてしまい、ついにはそこに住み着いてしまう人もいる。あらゆる好み、愛着には、理性だけでは説明のつかないミステリーがあり、それが生きることを豊かにしている。

キットが弾くエリザベス朝の音楽を聴いて、惹かれてやまないと同時に見ないようにしていたあることも心に迫ってきた。
それは「死」だ。死によってひとつの意識は完全に終わる…という考えが人間を刹那的にし、無責任にしているが、死とはもっと別のことではないか…16-17世紀の音楽が、今ここで生き生きと呼吸していることがそう思わせた。命は親から子へ鎖のように連鎖していくが、個別の命を全部ひっくるめた「人間性」というものが「在る」のではないか。
例えば、コンサートで素晴らしいマーラーの9番を聴いて、人々は自然にそのような「連続性」を直観で受け取ると思う。
しかし、それを必死で忘れようとする。あまりに大きすぎて曖昧模糊としていて、現実の役に立たないどころか有害である感覚とさえ思われているのかも知れない。それでも、人間はこれからもっといよいよ「死」のことを考えなければならないし、「魂」のことも考えなければならない。

キット・アームストロングの巨大な才能にアルフレッド・ブレンデルは賛辞を寄せているが、確かに彼はこの若さで「完成されている人」だと思った。ピアノ一台で、驚くようなことを次々と明らかにしてくれる。
リサイタルという場が、演奏家にとってこれほど親しく、安心感に満ちた場所になるということが嬉しかった。
後半の『ゴルトベルク変奏曲』は、意外なほど軽やかに遊ぶように始まった。アリアには刺繍のような装飾音がほどこされ、可愛らしささえ感じられた。研ぎ澄まされた技術で変奏は進み、あるときはジャズの即興のようにピアニストの気分によってテンポが揺れていく。四角四面に弾くのではなく、ある変奏は次の変奏と団子のようにくっついていたり、餅のように同化していたりする。ペダルは小粋で、思わず鼻歌が漏れそうで、「バッハ様様」な感じはどこにもないが、完璧に聖なる音楽で、ところどころ小鳥のさえずりが感じられた。聖書の中の聖人たちは小鳥や魚にも説教をする。キット・アームストロングも過去の人生でそのようなことをしていたのかも知れない。
第16変奏のOuvertureでは鮮やかな評帷子を着た音楽家が、小鳥の楽隊を連れてお辞儀をする姿が見えるようだった。
メランコリックな第22変奏ではチャイコフスキーの憂愁も見え、とてもゆっくりゆっくりと演奏された。
私が「天国への階段」と勝手に呼んでいる第27変奏では、無駄な昂揚もエクスタシーもなく、やがて回帰するアリアの冷静さが既に暗示されているように感じられた。
今までに聴いた「ゴルトベルクらしさ」から完全に自由な、産まれたての無垢なゴルトベルクだった。
すみだトリフォニーホールが、そういう奇跡のような素敵な演奏を引き出す器になっているのだろう。
いつぞやは、アコーディオンによるゴルトベルク変奏曲というのもここで聴いたのだ…もはや何が起こってもおかしくない。

ピアノ・リサイタルで聴衆があれほどまで好奇心旺盛に、ひとつひとつの音をスポンジのように吸い取っていた光景も初めて見た。気を散らす余計なノイズが最後まで起こらなかったのだ。哲学的であると同時にシンプルで、明晰かつ愛情深い演奏会で、たくさんの勇気をもらった。「ねばならない」という高圧的なものがひとつもない音楽で、芸術家をめぐる環境が予想以上に進化していることも伺えた。「その人らしさ」が全く傷つけられていない音楽は同時に、巨大な普遍性をももつ。
帰宅してテレビをつけたら、散骨についてのドキュメンタリー番組をやっていて、地方自治体でも処理しきれなくなった遺骨が工場で圧縮され、砂利石のように加工されている映像が映し出されていてショックを受けた。「人間」は炭素にすぎないのか…。
「存在」とは「愛」であり「誇り」であり、肉体の塵の儚さの裏側にはもうひとつの意味があるはず…と思わずにはいられなかった。






















新国立劇場『ミカド』

2017-08-27 10:08:45 | オペラ
新国立劇場の地域招聘オペラ A・サリヴァン作曲『ミカド』を中劇場で観た(8/26)。
本作はびわ湖ホールによるプロダクションで、キャストはびわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバー、
指揮は園田隆一郎さん、演出は中村敬一さん、オーケストラは日本センチュリー交響楽団(コンサートマスター松浦奈々さん)。
日本を舞台にしたエキゾティック・オペラといえば『蝶々夫人』に『イリス』に『ミカド』と3つ並べて語られることが多いが、圧倒的人気は『蝶々夫人』で、最近ぽつぽつ演奏機会が増えた『イリス』に比べても、『ミカド』はかなり陽のあたらないオペラだという気がする。
プッチーニ、マスカーニのイタリア・オペラに対して、音楽的にも折衷的で、ストーリーも荒唐無稽でキッチュ、日本に対する誤解が大きすぎるというのも、舞台となった日本で上演回数が少ない理由だろう。
それを逆手にとって、ぎりぎりまではじけ切った演出をした中村敬一さんは、最高に冴えていた。

ミカドとは「帝」のことではあるが、トゥーランドットのような紫禁城が現れるでもなく、どの時代かも厳密に特定できず、ヒロインの名前はヤムヤム、恋人はナンキプー、横恋慕する最高執政官はココ、ヤムヤムの女友達はピープボーにピッティシングという、ベトナム料理のようなネーミング。当時ロンドンで人気を博した「日本村」の人気にあやかって作られたファンシーショップのようなオペラなのだから、女性歌手たちの装束もきゃりーぱみゅぱみゅのようなファッションモンスターで、美術はニューオータニのギフトショップで売っているガイドブックのような世界になる。
日本語での上演で、歌も台詞も日本語。舞台の左右に日本語字幕(芝居のときは字幕なし)で、舞台上には英語の歌詞と台詞が投影される。英語もかなりハチャメチャなのだが、日本語はさらにその上をいく。議員の失言や時事ネタなどもたくさん盛り込まれていたが、あと三か月もすると鮮度を失ってしまうようなネタを使うやり方がかっこいいと思った。
優しい声でプレトークをしてくださった中村敬一さんは、演劇的には振り切った決断をされる方で、最後の最後までその姿勢には妥協がなかった。訳詞も中村さんがやられている。

物語は、しがない歌手(吟遊詩人)に扮したミカドの息子ナンキプーが美しい町娘ヤムヤムと相思相愛になり、ヤムヤムと結婚したいミカドの臣下ココと、ナンキプーと結婚したい年増の醜女カティーシャがあの手この手を使って二人を引き裂こうとするラブストーリー。そこにミカドが加わって、権力者の残酷さ、官僚主義の愚かさ、適当さが次々と描かれる。
「いつともどことも知れぬ作り物の物語」なのであるが、これが妙に今の日本にはまった。
台詞は暴れ出し、ギャグの嵐となりながら、永劫不変の人間のいい加減さを浮き彫りにしていく。

びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーが大活躍で、ナンキプー二塚直紀さんとヤムヤム飯嶋幸子さんのカップルは歌唱もお芝居もハイセンスで「決して真面目になってはいけない」ことの成り行きを、うまく演じていた。音程も台詞の活舌も見事だった。膨大な早口言葉を何度も語らなければならないブーバー(政府の重鎮を兼任しまくる人物)を演じた竹内直紀さんも大健闘だった。はげかつらをかぶったブーバーは、髪型を罵倒されたりポコポコ殴られたり、最も怪我をしやすい役だったのではないかと思う。個性的なコスチュームで歌う合唱も少人数とは思えない賑やかさで、コミカルな作品で演じ手が客席に向かって放つエネルギーの大きさに感心した。
喜劇は悲劇の何倍も難しいと思う。中村演出では、ギャグもその日のコンディションで打率が変わるような作り方をしていて、ちょっとしたタイミングで笑いが少なかったり大きくなったり全く起こらなかったりで、「もっと笑ってあげたかった」と思う箇所も含めると、膨大な弾が用意してあった。
カラフルな浮世絵のパノラマを背景に、英語字幕と日本語字幕をはべらせて、きゃりーぱみゅぱみゅが大暴れする舞台を見ている自分を客観視する瞬間があり「はっ」とした。
これはなんというか…最高のシチュエーションで、作ったサリヴァンとギルバートにも見てほしいし、人間の面白さ、文化の誤解への寛大さを表しているアートだと思った。
オペラは猥雑なアートだが、猥雑の限りを尽くすと逆に神聖なものになる。
嘘から出た真のような話だが、『ミカド』はオラトリオのようなオペラでもある。
愚かさの中に真実があり、誤解の中に和解の種があり、どうでもいいようなギャグに人間性の最もおいしい部分がある。
心の中の、最も敏感でエモーショナルな部分をかき乱されて、『ミカド』のことが頭から離れなくなった。

タイトルロール(!)のミカドを演じたのは松森治さん。白塗りでエリザベス女王と志村けんのバカ殿をミックスしたような装束で、素晴らしい美声の低音で歌われた。決然とした歌唱は、最高権力者にして「登場人物全員の運命を握る」生殺与奪の神にふさわしい。ミカドの最後のコスチュームには会場も湧いた。イギリス人が見てもわからないかも知れないが、『ミカド』が日本人の手にわたった瞬間だったと思う。
横恋慕する年増カティーシャはこのオペラの中でも異質な存在で、重くシリアスな旋律で、『ドン・ジョヴァンニ』の不幸なドンナ・エルヴィーラを思い出させる。エルヴィーラもあのオペラの中で、一人だけ四角張ったバロック的なメロディを歌っていた。正論ではどうにもならないのに、どうにかしようとする。悲劇的な存在だが、彼女にもハッピーエンドが用意されている。吉川秋穂さんが卓越した演技だった(豪華なかぶりものもとても重かったと思う)。

音楽的には、ドニゼッティをまず思い出し(「愛の妙薬」そっくりの部分がある)、次にロッシーニを思い出し、さらにモーツァルトも思い出したが、ヴェルディの破片もあり、「恋は優し野辺の花・・・」的なフロトウのオペレッタが隠されている部分もあった。さらには、バロックオペラ、ヘンデルのオラトリオもオペラの骨格部分にあり、『ミカド』明らかにインテリ(!)が書いた作品なのだとわかる。サリヴァンという作曲家が何を考えていたのか、知りたくなった。
ベルカントオペラの良質な部分を感じられたのは、園田隆一郎さんの指揮のせいもあるだろう。園田さんは日本の未来のルイージかパッパーノになる指揮者で、アルベルト・ゼッダさんを心から尊敬し修練を積んでこられた方だ。
音楽がふんわりと優美で、いたるところにソット・ヴォーチェの繊細さがあり、歌手たちの自然な呼吸を作り上げていた。日本センチュリー交響楽団のサウンドは、オペラへの共感を惜しむことなく、一度も集中力を途切らせずに観客の耳を楽しませた。
『ミカド』の東京公演は2回切り。8/27にも新国立劇場中劇場で上演される。












ルグリ・ガラ(8/23 Bプログラム) 

2017-08-25 10:07:13 | バレエ
マニュエル・ルグリがウィーン国立バレエ団の若手ダンサーと、ロイヤル、ボリショイのスター・ダンサーと踊るルグリ・ガラのBプログラムを観た。
このガラ公演、本当に観てよかった。私がルグリという芸術家に対して抱いていた印象が、誤った方向で完結するのを止めてくれた。
オペラ座現役時代、ルグリは完璧なバレエの美の具現者で、誰からも賞賛される大スターで、それゆえに個人的な思い入れを抱きづらかった。ルグリと同世代にはローラン・イレールがいて、同じ美男エトワールでもイレールのおっとりとした雰囲気に癒された。しばらくすると、ルグリより20歳年下のマチュー・ガニオが現れた。ガニオの初々しさに対して、相手役のオレリー・デュポンは「何よ、あんたみたいな若僧」といったクールな表情を見せ、ルグリと踊るときのオレリーは尊敬100%といった感じになるのだったが、そんな可哀そうなガニオがますます気に入り、ルグリは雲の上の人のままだった。

文句なしのエリートに対して怖気づいてしまうのは私の癖で、アートの第一線の世界で活躍しているのは皆エリートなのだから矛盾しているとも言えるが、ルグリに対しては一貫して畏れ多さを感じていた。2000年のバレエ・フェスティバルのときに一度だけインタビューしたが、そのときの超クールな印象も大きかった。
人の印象というのは山と同じで、見る方向によって形が変わる。ルグリは同じ人であり、その一方で大きく変わったのだと思う。今回のガラ公演で、彼の顔が以前とは別人に見えた。こんなに優しくて温かい表情をする人だったのか…冷淡な『オネーギン』そのものだったルグリのイメージが覆った。
この公演では、ルグリが往年のオペラ座のエトワール、イザベル・ゲランと踊ることも大きな話題だった。ゲランの名前を再び聞くこと自体が奇跡のようにも思える。今よりダンサーの引退の年齢が早かった時代で、40歳でオペラ座を去っていた。引退から12年後の2014年、ルグリの誘いによって復帰したという。
Bプロで二人はプティの『ランデヴー』とパトリック・ド・バナが振り付けた『フェアウェル・ワルツ』を踊った。プティのある時代の作品の「香り」を再現するのに、ゲランでなければ醸し出せないものがあった。『フェアウェル…』はルグリとゲランの実人生の延長にあるものを暗示しているようで、形ではない見えない何かを、厳選された動きで表現しているようだった。深い詩情があり、表面的なものを越えた踊り手の真髄を見せられた気分だった。二人とも完璧に美しく、その美しさの源泉にあるものは無限の豊かさだった。

ダンサーは普通の人の何倍もの客観性を求められる職業で、「もう自分を見せられない」と思ったときに観衆の前から姿を消す。その「踊る人と見る人との境界」が変化しているとはっきり感じる。そうでなければ、ルグリより一歳年上のアレッサンドラ・フェリは10年のブランクを経て復帰しなかっただろう。ただ「踊りたい」という情熱だけではない、確実にこの世界に必要とされている表現がまだ存在する。
ラストで見たルグリのソロ『Moment』は、ダンサーの凄味と存在意義を伝える、新しい次元のダンスだった。ウィーン国立バレエ団の専属ピアニスト、滝澤志野さんが弾くバッハとともに、ルグリが見せる動きは無垢で純粋で、ダンサーの長い歴史を感じさせると同時に、生まれたばかりの魂の喜びに溢れていた。時間とは重力なのではない…人間の内側にある無限の自由が、ルグリのダンスから伝わってきた。彼のことをダンサーとして心から好きになった瞬間だった。

ロイヤル、ボリショイのカップルは輝かしい演技だった。マリアネラ・ヌニェスはライブビューイング映画で頻繁に見るが、生の舞台では久しぶりのような気がする。ムンタギロフも美しさを増していて、『ジゼル』と『ドン・キホーテ』では陰陽の魅力を見せた。花火のような鮮烈さだった。
ボリショイ組は、6月の来日公演でもベストな演技を見せたスミルノワとチュージンがラコットの『ファラオの娘』とバランシンの『ダイヤモンド(ジュエルズ)』を踊った。スミルノワは若くしてベテランの境地に達していて、ストイックな美しさを湛えた身体のラインと、深い静寂を感じさせる存在感が圧巻だった。チュージンはダンス―ル・ノーブル路線をますます究め、見た目もルグリとそっくりになってきた。素朴なイメージが強かったが、ここ数年で驚くほど垢ぬけて、スミルノワとのパートナーシップには最早クラシックの「極致」を感じさせる。ムンタギロフにしてもチュージンにしても、どこか中性的な透明感があるのは、人類の「進化」のようにも思えてしまう。

ウィーン国立バレエ団のダンサーたちは個性豊かで、最新のコンテンポラリーではバレエ団のいい日常が伝わってきた。ルグリのリーダーシップも良いのだろう。抑えつけるような感じがなく、個性と自発性を重んじているように思えた。20歳の若手デニス・チェリェヴィチコの伸び伸びとしたジークフリートが印象に残ったが、やんちゃで型破りなダンサーも、ルグリは「オペラ座ではそんなふうには踊らない」などとは指導しないのだろう。親心とか父性とか、そういうものも育っているのかも知れない。
パトリック・ド・バナとエレナ・マルティンのベテラン組の気迫も素晴らしかった。

このガラ公演、休憩は一回のみで約3時間半というボリュームで、これだけ充実したプログラムを4日連続で踊るダンサーには感謝と尊敬しかない。8/25の最終日はAプログラムが上演される。卓越したダンサーのパフォーマンスと、いよいよ深まっているルグリの生き方を受け取った二日目の公演だった。

ピーター・ゼルキン ピアノ・リサイタル

2017-08-04 00:48:36 | クラシック音楽



夏の嵐の夜、すみだトリフォニーホールでピーター・ゼルキンのピアノ・リサイタルを聴いた(8/1)。先月、ネルソン・フレイレを2階席で聴いて号泣してしまった同じ会場なので、ここに来るたびに「音無しの構えで泣く」ことが上手くなっている自分に気づく。ノイズは一切出さず、鼻もすすらず嗚咽ももらさずに目の幅の涙を垂らして泣くことが出来るのは私の特技だ。特にセンチメンタルな人間ではないが、すみだは私の涙腺をいとも簡単に決壊させる演奏会をよく行う。
ピーター・ゼルキンは、前回のトッパンホールでの公演(2015)の時にとても気になる演奏をした。持ち込みのスタインウェイは1910年代のセミ・ヒストリカル・ピアノで、可憐で慎ましい音を出し、ゼルキンの音楽も演奏中の表情も繊細そのものだった。バードやダウランド、スウェーリンクやブルといったマイナー作曲家と、ベートーヴェンとモーツァルトを組み合わせたプログラムだったのだが、深い内観を感じさせる演奏に大きな感銘を受けた。クラシックの招待席はだいたい隣が男性であることが多いのだが、「ゼルキンは体調が悪いのではないか?」「親父はもっと立派だった」といった、微妙な感想ばかりが耳に入ってきた。ベートーヴェンなのに堂々としていない、というのが先輩方の意見だったが、私はむしろそのことに感動していた。
何かを完璧に捨て去ったところから始めようとしている勇敢な音楽で、そこには不思議と「男性性=マスキュリニティ」というものが感じられなかった。同じタイミングで都響とブラームスのピアノコンチェルト2番を弾いたときは、今度は「ピアノの音が小さすぎる」という苦情があがった。「海の底から響くような美しいブラームス」とブログに書いた記憶がある。私の感想というのは、多くの聴き手とはずれているのかも知れない。

二年ぶりのリサイタルは、持ち込みではなくホールのピアノで、いつものようにゼルキンのオーダーメイドの特殊な調律によって準備されていた。
ステージに現れたゼルキンを見て、こんな上品な男性がこの世にいるものかと改めて思った。背が高く、細身の身体に三つ揃えのスーツを着て、シルバーの髪の毛はふさふさしていて70歳になったばかりだがもっと若く見える。
モーツァルトの「アダージョ ロ短調K.540」はゆっくりと弾き始められ、ゼルキンの横顔が苦吟するような表情になるのに胸が締め付けられた。悲劇的だが音が少なく、ともすれば子供っぽくなりそうなこの曲を、心の力を振り絞るようにして深い音色で訥々と歌わせていた。ワイルドの「ばらとナイチンゲール」という童話を思い出す。ゼルキンは胸に薔薇の棘を指し、モーツァルトの音符にただひとつの色彩を与えていた。何かにさよならを告げるような、惜別の曲にも聴こえ、少しでも終わるのが遅くなるように、あらゆる瞬間に愛情をこめて弾いていた。数分ほどで弾き終えるピアニストもいるが、10分近くかけていたようだった。
前半の2曲目もモーツァルトで「ピアノ・ソナタ第17(16)番 変ロ短調 K.570」はひらりとあどけなくはじまり、ゼルキンのゆっくりとしたテンポで、快活さとは別の内容が次々と繰り広げられた。小さきものを愛するような、足元の虫を一匹も踏みつけずに歩くような優しさに溢れ、ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画に描かれたさまざまな草花を思い出した。バラやユリではない、駒草やたんぽぽやシロツメクサのような花々の絵巻物を見ているようで、二楽章のアダージョは古い日記に書かれた秘められた在りし日の想いのようなノスタルジーを振り撒いた。ペダルはほとんど使っていない。
直観的に、とても古い、電気も水道もない貧しい時代のことをイメージした。昔、西洋では赤ん坊は生まれると包帯でぐるぐる巻きにされ、壁にぶら下げられていたという。そんな時代には、当然今よりも死が身近にあった。そういう時代の愛とか優しさはどういうものであったのかな…と、素朴の極みにあるゼルキンのピアノを聴きながら思った。

後半のバッハ『ゴルトベルク変奏曲』が始まる前に、少しばかり空いていた席がほぼ満席になった。ゴルトベルクでデビュー録音し、これまでに3回もこの曲をレコーディングしているゼルキンの久々のライヴ演奏となる。後半目当ての人たちもいたのだろう。聴衆の期待も最高に高まっていた。
途轍もない緊張感の中、清潔で清浄なアリアがはじまり、吟味され反省された先にある音楽の、呆気ないほどのシンプルさに驚かされた。第一変奏から、内気な少年がおじいさんと踊るようなダンスが聴こえた。ゼルキンの足音なのか、ピアノの他にリズムを切るような不思議な音がして、バロック音楽が歩行と舞踊の音楽であることを思い出した。第二変奏は、おどけるような滑稽さを含み、一家だんらんのお喋りのようで、普通の人の、普通の日常の中にある幸福を絵解きしているようだった。変奏が進むにつれ、ゼルキンが一期一会の演奏会で表そうとしているものの貴重さがせまってきて胸が詰まった。
ゼルキンの演奏は、完璧な技術のもと確固とした解釈が貫かれていた。あの気高い朴訥さは「技術の衰え」なんかではない。とんでもない誤解だ。あの一番簡単な第13変奏のあとの技巧的な第14変奏がまったくひとつらなりの音楽に聴こえたのは、技術の難しさとか平易さが、表現力の大きさによって完全に包み込まれているからだ。
ゴルトベルク変奏曲は、善良な人の人生の朝・昼・夜の繰り返し、祈りによって区切られる一日の積み重ねの音楽なのだと感じた。机の上で日記をしたためるようにゼルキンはピアノに向かい、晴れの日と雨の日、春夏秋冬の景色の移り変わりを忠実に記した。そこに軽薄なものはひとつもなかったのだ。芸術家をひな壇に祭り上げるような派手さも超絶技巧による威嚇もなく、芸術という労働に身を捧げるピアニストの真摯な生き方だけがあった。
雨の日も晴れの日もこつこつと働いた人生に、唐突なご褒美が現れるのは第23変奏で、温かい光が天から指して急に景色が変わったように聴こえたのだ。
思いがけない人生の実りの瞬間が感じられ、「なるほど、このように『終わる』のか」とひどく納得した。第30変奏クォドリベットは、じっくりゆっくり弾くピアニストが多い中で、ゼルキンは驚くほど速く弾いた。その理由はわからないが、「もう天使たち全員が迎えにきているのですから、早く一緒に雲に乗って行きましょう」と背中を押されているような気持ちになったのだ。

回帰のアリアの後、長い長い沈黙。塑像となったゼルキンは永遠に溶けださない時間の中に凍り付いてしまったように見えた。曲が拍手によって完結してしまうことが、こんなに名残惜しく感じられたリサイタルはなかったのだ。
嵐の中集まった聴衆にとって、かけがえのない思い出となる演奏会になった。