かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『ピカソ展 ルートヴィヒ・コレクション』 宮城県美術館

2015年12月16日 | 展覧会

(2015年12月15日)

 エドワール・マネは「現代絵画の歴史を開いた」画家だと、ミシェル・フーコーは評価し、時代の最初に位置付けたが、マイケル・フリードは、逆に、「エピステーメー」の最後に位置していると評している [1]。いずれにしても、マネは絵画の変革のはざまを生きたわけだが、ピカソはどうなのだろう。
 若いころ、ピカソのキュビズムの革新性にとても驚いた記憶がある。絵画の革新性に加え、《ゲルニカ》によってピカソは絵画に歴史(政治の現代性)を付け加えたように思っていた。どこか時代を画した芸術家だという印象を抱いていたが、ピカソの時代はまたシュールレアリスムや抽象絵画などの多様な現代アートが展開した時代でもあって、時間軸で区切って「ピカソの前後」というイメージは私の中ではなかなか成立しにくい。主催者挨拶にあるように「既存の美術の概念を打ち破り、大きな転換をもたらした20世紀最大の芸術家の一人」という評がわかりやすいし、無難ともいえるだろう(無難というのは、そこに強い主張があるわけではないという不満が残るけれども、私にも言いたい何かがあるわけでもない)。


《貧しい食卓》1904年、エッチング・紙、46.4×37.8cm、
宮城県美術館 (図録 [2]、p. 29)。

 二つの彫刻作品の後に展示されていた最初の絵(版画作品)が《貧しい食卓》で、ピカソのキュビズムばかりを念頭に置いて会場に足を踏み入れた身にはちょっとばかり驚きだった。
 ピカソは、社会的な弱者に共感のまなざしを向けていたといわれているが、《貧しい食卓》でも、マニエリスムを思わせる細長い身体がことさら貧しい暮らしの悲哀を際立たせているようだ。とくに、女性の肩にかけられた男性の長い左手指、女性の右ひじを支える長い右手指は、女性の悲しみを包み込み、癒すためには、あたかもそれほどの長さが必要なのだと主張しているように見える。
 それほどに二人が共有する悲哀は深いのだと感じ入っていたのだが、図録解説には、「顔を背け、交わることのない視線が、愛の複雑さと孤独を感じさせる」(p. 28) とあって、もう少し事情は複雑なようである。


《手を組んだアルルカン》1923年、油彩・カンヴァス、130×97cm、
右下に署名・年記、ルートヴィヒ美術館 (図録、p. 37)。

 1923年(42歳)は、キュビズムに取り組み始めてから15年以上も経っている。その時期に《手を組んだアルルカン》のような「端正な」作品が描かれたていたのである。
 影や色彩の配置にキュビズムらしい雰囲気が残るが、線描も淡い色彩も、端正な人物像をいっそう際立たせていて、いかにも「新古典主義の時代」の作品らしい。


『ヴォラールのための連作集』97《夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス》1934年、
アクアチント・紙、24.7×34.7cm、右下に署名、
北九州市立美術館 (図録、pp. 48)。

 『ヴォラールのための連作集』は、画商であるアンブロワーズ・ヴォラールのために作成した銅版画集で、エッチングやアクアチントの作品のほかに原版も展示されている。
 線描のエッチング作品が多い中で、アクアチントの《夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス》に目を惹かれたのは、黒の濃淡のみで描かれたミノタウロスの肉体の質感である。全体は、線描と濃淡の陰影の混在で描かれているだけに、主題のミノタウロスが印象深く描かれている。


《ノートルダムの眺望―シテ島》1945年、油彩・カンヴァス、80×120cm、
右下に献辞・署名、裏面に年記、ルートヴィヒ美術館 (図録、p. 57)。

 《ノートルダムの眺望―シテ島》は、キュビズムの風景画である。建築物にキュビズムはとても親和性がある、そう感じさせる作品だ。川もアーチ状の橋脚も背景の空も、すべて調和するように配されているピカソ・キュビズムの描写力に驚く。
 色彩が暗鬱なのは、1945年という第2次世界大戦の最後の年を反映しているのではないかという。


《長い顔の長方形皿》1948年、ファイアンス、浮彫文様、
化粧土による下絵付、58×37cm、ルートヴィヒ美術館
 (図録、p. 63)。

 たくさんの陶芸作品も展示されていたが、壁に掛けられて展示されていた《長い顔の長方形皿》を、皿としてではなく壁掛け陶板だと思い込んで眺めていた。
 ほかの作品と比べて、あまり絵付けが施されていないこの作品が私の好みである。右を向く横顔の優し気な表情や、正面を向く好奇心旺盛な感じの顔だとか、とてもシンプルな構成なのに見飽きないのである。


【左】《窓辺の女》1952年、アクアチント・紙、90×63.5cm、ルートヴィヒ美術館 (図録、p. 67)。
【右】《読書する女の東部》1953年、油彩・合板、45.8×38cm、右下に署名、裏面に年記、
ルートヴィヒ美術館 (図録、p. 71)。


 《窓辺の女》と《読書する女の東部》は、私が想像していた典型的なキュビズム作品と比べれば、とても表現が温和である。
 《窓辺の女》では、女性の表情の柔らかさ、ふくよかさがとても率直に表現されているし、《読書する女の東部》に描かれる女性の知性的な顔立ちが際立って表現さていると思う。そこには、間違いようのない二人の女性の魅力が描かれている。


【左】マン・レイ《パブロ・ピカソ、1955年》1955年、ゼラチン・シルバー・プリント、22.8×13.7cm、
ルートヴィヒ美術館 (図録、p. 110)。

【右】アンドレ・ヴィレール《パブロ・ピカソ、カンヌ、1955年》1955年、ゼラチン・シルバー・プリント、
37.3×27.3cm、ルートヴィヒ美術館 (図録、p. 125)。

 展示の後半は、「被写体 ピカソ」と名付けられたコーナーでピカソを写した写真が多数展示されていた。ピカソの作品ではなく、作品となったピカソである。
 中から、2枚の写真を選んでみた。偶然のことだったが、どちらも1955年、ピカソ74歳の写真である。二つの作品とも、私の中のピカソという天才のイメージに近いのだ思う。とくに、ピカソの目、まなざしはとても印象深い。40枚を超える写真作品が展示されていたが、そのどれをもピカソの目の表情を追いかけるようにして眺めたのである。

 

[1] ミシェル・フーコー『マネの絵画』 (阿部崇訳) (筑摩書房、2006年) p. 92。
[2] 『ピカソ―ルートヴィヒ・コレクション』(以下、図録)(ホワイトインターナショナル、2015年)。

 


 

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