かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (10)

2024年08月30日 | 脱原発

2014年11月14日

 元鍛治町公園でフリースピーチが始まった。川内原発に続く各地の原発再稼働への電力会社の動向や、その動きにたいする批判などのスピーチの後に、ある本の紹介を兼ねるスピーチがあった。
 矢部宏治さんの『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年)という本である。
 スピーチは、大飯原発で運転差し止め判決が出たにもかかわらず、関西電力は最高裁で逆転判決が出るだろうと楽観しているという話から始まった。その理由として、まずは1957年の砂川事件に対する最高裁判決が挙げられた。
 米軍砂川基地の拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして起訴された事件で、一審は「基地そのものが憲法九条違反」として無罪としたものの、最高裁は「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」という統治行為論をもって差し戻し、結局有罪とされた事件である。憲法より日米安保条約が上位の法であるかのような、いわば超法規的な判決を下したのである。
 一方、原発に関しては、原子力基本法に「わが国の安全保障に資することを目的として行うものとする」という文言が加えられたことが問題となる。東電福島第1原発事故後に、「原子力安全保安院」を経産省から分離して「原子力規制委員会」で安全行政を一元的に行なうという法律を民主党政権が作った際に、自民党の提言を入れてこの文言を盛り込んでしまったのである。
 「国家の安全保障に資する」原発は、おなじく国家の安全保障に資する「日米安全保障条約」と同じく、「高度な政治性を持つ」イッシュウとして超法規的(つまり権力にとっては恣意的に)に扱われる怖れが生じてしまったということなのだ。
 福井裁判にもかかわらず、裁判を通しての原発廃棄への道は必ずしも容易ではないということである。しかし、逆に考えてみよう。たとえ困難であっても、脱原発を国民の意思として民主的に実現させることは、政府の超法規的な判断の可能性を否定することである。集団的自衛権の問題と同じく、「安全保障」を目的とした憲法無視の政治を否定することなのだ。つまり、憲法が最上位の法規であることを認めさせることである。そういった意味において、集団的自衛権容認や特定秘密保護法などの解釈改憲で憲法を否定しようとしている自民党ネオ・ファシズム政権との闘いと、脱原発の運動は同等、同質の意義を持っているのだ。

 

2014年11月30日

 ネットは総選挙の話題一辺倒になりつつあるが、脱原発はそのまま政治思想の問題である。経済のためには福島の犠牲に眼をつぶる思想と、どんな命も等しく大事に思う思想とのバトルである。FBに目を惹く標語があった。

原発は アベもろともに さようなら

 大賀実恵子さんの投稿である。大賀さんの投稿したポスターの標語もいい。

原発 危険
アベが危険
棄権も危険

 フクシマ以降、どんな政治家も「脱原発依存」だとか「2030年には」だとか、ごまかしとはいえ積極的な原発推進は言えない状況が生まれたのに、安倍自民党政権はあっさりと積極的な原発再稼働にひっくり返してしまった。
 他の政治イッシュウもそうだろうが、今や、原発問題における最大の危険因子は安倍的政治思想であることは、疑いようがない。
 一番町から広瀬通りに曲ると、イチョウの並木もだいぶ葉を振るい落としている。デモの列が歩く車道の端には吹きだまりのようにイチョウの葉が重なっている。
 デモの翌日の朝日歌壇に次のような投稿短歌が選ばれていた。

銀杏(ぎんなん)の熟れて落ちたる実を踏みて金曜デモへ茱萸坂(ぐみざか)を上がる
   (東京都)白倉眞弓(永田和宏選)

 「茱萸坂」とはどこだろうとググったら、日比谷公園から国会議事堂前を通って首相官邸前に上って行く坂のことだった。東京でもこの仙台でも、銀杏の実、黄落の葉を踏みながらデモ人は行くのである。
 季節は違うけれども、私も何度か茱萸坂を上がって行ったことがある。
 1ヶ月前の日曜昼デモも良覚院丁公園からのデモだった。まったく同じコースを歩いて、晩翠通りから青葉通りに曲ったとき、ほとんど同じ構図で写真を撮ったのだが、欅の落葉はほとんど見られなかった。なのに、今日は枝に葉を残す木の方が少なくなっている。季節の移ろいは容赦がないのだ。
 デモが大通りにかかる頃、小雨が降り出してきた。傘を取り出して、前を歩く人に差し掛けてあげるご婦人もいたが、たいていはそのまま歩き続けた。

しぐるるや道は一すぢ 種田山頭火 [1]

 雨が降っても降らなくても、デモ人はまっすぐ歩いて行くしかないのである。

[1] 『定本 種田山頭火句集』(彌生書房 昭和46年)p.189。


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【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(7)

2024年08月28日 | 脱原発

2015年9月4日

 夢を見た。しだいに不愉快になり、憤りのような感情が湧きあがって、そして目が覚めた。
 こんな夢だ。瀬戸内寂聴さんの写真の横に若い男性(たぶん、SEALDsの奥田さん)の写真が並んでいる。お二人は対談したらしいのだ。そこで、その内容を知ろうと探し始める(おそらくネットで)のだが、何も見つからない。
 安保法案のことや闘いのことだろうと予想はつくが、何も見つからない。また、二人の写真の場面から始まって、情報検索、何も見つからない、そんなふうに同じ夢を繰り返す。
 何度かの繰り返しの後に、「いったい俺は何をしてるんだ」と目覚めて(夢の中で)、それからどんどん腹が立ってきて、何か声を上げた瞬間に目覚めた(今度は、ほんとうに)。
 目覚めて、考えた。この夢には少なくとも二つの問題がある。
 反自公政権という立場からは、お二人の言動はたいへん注目されている。とりわけSNSで取り上げられることがきわめて多い。それはそれでたいへん素晴らしいことだと思うし、私もまたお二人を尊敬している。
 ただ、私は自分の中にヒーローを作ってはいけないとずっと考えてきた。だから、どこか心弱くなって、お二人のことを頼りにしているのではないかと夢の中で心配したのだと思う。 ヒーローを待望するようになると、人は自分でものを考えなくなる。泣くにせよ、笑うにせよ、闘うにせよ、逃げるにせよ、自分の精神だけを頼りにしたいのだ。
 自らの精神の活動を閉ざしてしまうのは、自分の力だけで考えることを放棄するためだ。私をつまらない場所に閉じ込めるのは、他ならない私自身の心と肉体なのだ。 

ぼくたちを閉じこめている格子は
鉄でもなければ、木でもなく
なまの筋肉で出来ている、
この動く格子のなかから
ぼくはどうしても逃れることができない。
      鮎川信夫「夜の終わり」より [1]

 もう一つ気になったのは、なぜ何度もお二人の対談内容を探し出そうとしたのかということである。あの執拗さは、どうも単なる知的興味だけとは思えない。何かに役立つと思っていたに違いない。
 たとえば、それをブログネタにしようと考えたというなら最悪である。自発的な行動、行為、経験の後にブログを書くのであって、ブログのために何かの行為が求められるのは私にとっては本末転倒である。ブログを書くために何かをやるくらいなら、ブログなんてやらない。
 いずれにせよ、そんな夢を見る自分に腹を立てているのである。
 寝覚めの悪い1日が始まり、それでも夕べともなれば金デモに出かけるのである(気晴らしに、ということではない、けっして)。

[1] 『鮎川信夫全詩集 1945~1965』(荒地出版社、1965年) p. 86。



2015年9月27日

 9月19日未明に参議院で戦争法案が強行採決されるまで、脱原発金デモに加えて、仙台ばかりでなく東京にも出かけて法案反対のデモや抗議行動に加わった。
 東京のホテルで強行採決のニュースを聞いて、ふっと「この辺で息継ぎをしないと」と思ったのだった。終わりの始まりというより、国会前に集まった無数の人びとを見ていると、何かが始まったように思えた。みんなと一緒に始める前に、深く息継ぎをしておく必要があると思ったのである。
 なのに、息継ぎどころか、熱を出して寝込んでしまった。いや、一仕事終えると熱を出して寝込むことが現職のときの習いのようだった私にとって、これが息継ぎなのかもしれない。
 寝込んでいるあいだ、アーレントの『過去と未来の間』という本を読んだ。国会前に出かけるときもザックに放り込んで読み継いでいたのだが、読み残しているところも読み返さなければならないところもたくさんあった。収められている8編の論考は、プラトンから現代までの政治哲学を縦横に駆使しているので、熱っぽい頭にはなかなか手に負えないのである。
 人間の自然に対する態度を「制作」と「行為」から考察した後に、アーレントはこう書いている。

 人間の行為とは人間を起点とする諸過程を伴うものであるが、こうした人間の行為はわれわれの時代を迎えるまで、人間の世界のうちにとどまり、また、人間が自然に抱く主要な関心は、自然を制作の素材として用い、それをもって人工のものを建設し、この人工のものを自然のエレメントの圧倒的な諸力から守ることに尽きていた。ところが、人間自身の手になる自然過程を開始させた――核分裂はまさに人間が作る一つの自然過程にほかならない――とき、われわれは、自然に対する自らの力を増大させ、地球に与えられた諸力を扱ううえでいっそう攻撃的になっただけではない。われわれはその瞬間に、自然を初めて人間の世界そのもののなかに導き入れ、これまでのあらゆる文明を拘束してきた自然のエレメントと人工のものの間にある防衛戦を取り除いてしまったのである。
 先に言及した人間の行為の諸特徴が人間の条件の核心をなすと考えれば、自然のなかへと介入する行為がいかに危険であるかは明々白々である.予言不可能性は見通しの欠如ではない。人間の事例をいかに工学的に操作しようと、この予言不可能性をけっして除き去ることはけっしてできない。それはちょうど、いかに実践的な思慮(プルーデンス)を訓練しても、為すべき事柄を知りうる知恵(ウィズダム)に達しえないのと同じである。予言不可能性をうまく処理する望みが出てくるとしたら、それは、行為を全面的に条件づける場合、すなわち行為を全面的に廃棄する場合だけだろう。 [1]

 これは1958年に発表された論文の一節である。政府や東京電力が言う「想定外」などという話ではない。核分裂という自然過程を人間の行為として始めることで人間社会に持ち込んだ予言不可能性を処理する方法は、その行為を廃棄するしかないと断言しているのである。
 原発のどこそこが危険で、どれどれは安全、などという細々した話ではない。ギリシャ哲学から現代思想まで動員して考え抜いた「人間の行為の諸特徴」から、原発を廃棄するしかないのだ、というのがアーレントの結論だ。
 そのアーレントの言葉を抱えて、今日も脱原発デモに出かける。まだ熱っぽいのだが、寝ていることに十二分に飽き飽きしていた。

[1] ハンナ・アーレント(引田隆也、齋藤純一訳)『過去と未来の間』(みすず書房、1994年) pp. 78-79。


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〈読書メモ〉 『現代詩文庫87 阿部岩夫詩集』(思潮社、1987年)

2024年08月26日 | 読書

 20年近く前から、読んだ本のなかのフレーズや文章を抜き書きするようになった(抜き書きといってもハンドスキャナーとOCRソフトで取り込むだけである)。抜き書きを始めたそもそものきっかけは、定年退職直後にこれから読む本をそこそこまとめて購入したとき、そのうちの2冊は以前に読んだことがあって、きちんと本棚にならんでいるのを発見した時である。
 興味があって、つまりは読みたくて読んだ本のことをすっかり忘れていたということで、かなりがっかりしてしまった。その時、忘れないためには、読んだ本のメモを取ればいいと思いついたのである。それまでも気に入った詩や短歌などはときどき抜き書きしていたので、それをもう少し広げて丁寧にすればいいと考えた。
 とはいえ、どんな本でも抜き書きをすることにはならない。数ページで閉じてしまう本もあるし、読み終えてもどんな言葉も残らない本もある。読んだことが記憶に残らなくてもいいような本ももちろんある。結局、抜き書きは自分が気に入った本のなかでの気に入った文章やフレーズということになる(もちろん、思想書の類では思想の構成上重要な部分の抜き書きということもあるけれど)。
 抜き書きした言葉は、私の人生の折々のシーンで私の心情をうまく表現してくれるのではないか、という期待もある。あるいは、そういうシーンがこれからの暮らしの中であってほしいという想いもある。ときどきは自分の文章や私信の中で引用もする。
 だから、私の抜き書きのほとんどは「ありうべき情景」、「ありうべき情感」を表現するものに傾いている。そんな抜き書きをしていると、感動したにもかかわらず、一行も抜き書きができなかった本にも出合うことになる。
 その一冊が表題の『阿部岩夫詩集』だった。詩を読む限り、1934年山形に生まれた詩人は、辛い生い立ち、悲劇的な民話のような故郷山形の物語、そして自らの病と獄舎の暮らしを苦しんでいる(私はそう読みこんでいる)。
 例えば「生い立ち」についてはこんなフレーズがある。

顔とかさなって
見えかくれする
向こう側に立っている
父よ
やさしい呪文をとなえながら
巫女がいった
海と陸と出合うあの波のなかに
赤い夜をまとった哨兵の姿が
風景になったまま
自分のなかに還れないでいる
父と母は小さな声で呼びあっている

なにをきているのかえ
赤い夜じゃて
どうして父さんに見えないのかえ
顏をなくしだでなぁ
帰っておくれでないかぇ
死んだ仲間が帰してくれねぇんだ
どうしてかぇ

帰れなくなった
父の表情は凍りつき
唇だけが重く泳いでいる
巫女よ
向こう側の風景に
できるだけ父をかさねて下さい
父が殺した男もかさねて下さい
父を殺した男もかさねて下さい
 「わらの魂」(詩集〈朝の伝説〉)部分 (p. 13)

 例えば、獄舎暮らしはこんなふうに。

十時の点検のあと
金網のなかで運動がはじまる
見知らぬ隣人が
アイヌ語でうたを唄っている
看守たちがどなっている
アイヌの唄をうたってはいけないと
男は不意に
白刃をかまえたように
たちまち狂憤に陷り
衰弱した軀が
まるで弾丸のごとく
破壞力をもって看守のなかに
走りだしたのだ
 「不羈者」(詩集〈不羈者〉)部分 (p. 31)

 例えば、故郷山形の記憶(物語)はこんなふうに。

かき落とされてゆく
反撃の夢の手を
身体のなかで泳がせると
一つひとつの田畑の粒が
暗い七五三掛の地形になって
目じりからこぼれる
身体のなかに
出口の明かりがみえ
形も色も定まらないまま
村の座敷牢が
大きな口をあけて軋る
あれは一九五四年の冬
汚物が布に凍りつき
母の身体はひどく重くなって
病巣のなかで方位を失い
死のなかを浮遊する
 「死の山」(詩集〈月の山〉)部分 (pp. 42-43)

 そして、自分の詩業についてもこう記している。

すべては破片で
文字のない「かたち」に身体は
かさなりあわさって病み
詩が最後まで書きためらっている領域
完全な幽霊 <天皇〉の
片足を引き抜こうとすると
一方の足が吸い込まれてしまうのだ

(中略)

藤井貞和よ
殺傷力のある
日本の織り詩はどこにあるのか
おれは夢に耐えきれずに
失神を繰り返しながら完全な死体に近づく
夜(25日)を渡る身体の言葉に
『月の山』のミイラを再び殺し
夢遊病者のように疾走する
 「かたちもなく、暦に」(詩集〈織詩・十月十日、少女が〉)部分 (pp. 108-109)

 引用もしないで読み終えた後、この詩集を一週間ほど手元から離すことができずにうろたえていた。結局、詩集のなかから上の詩句を選び出して、この一文を書くことで蹴りをつけることにした。
 そんな本もある。



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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(12)

2024年08月24日 | 脱原発

2014年3月16日

 日本という国において、東北はどのような位置を占めているのか。例えば、小熊英二さんは、太平洋戦争以前の「植民地と勢力圏を中心としたアウタルキー(自給自足)経済」が敗戦によって破綻した後、国内でアウタルキー経済を目指した時代に東北が「米どころ」になった、と指摘する [1] 。文字通り、戦後の東北は旧植民地の代替機能を負わされたのである。
 あるいは、山内明美さんは、東北の置かれた歴史的状況について、天皇制における大嘗祭を取りあげて次のように述べている。

天皇の代替わりの最も重要な儀式である大嘗祭の悠紀に、はじめて東北が登場したのは、1990(平成2)年の秋田県である。それ以前には、東北が大嘗祭に伴う斎国に選定されたことはなかった。あえて天皇儀礼という観点から言ってみるならば、天皇の身体の一部へ東北が摂取され、東北が名実共に天皇の領土としての食国になったのは、20年そこそこの歴史なのである。 [2]

 つまり、太平洋戦争後、食料生産の植民地に過ぎなかった東北は、平成に入って始めて天皇制における日本国の一部になり得たということである。だから、昭和が終る頃、大阪人のサントリーの社長が「東北は熊襲の産地、文化程度も極めて低い」と発言したのは日本国(国民)のありようから考えて当然と言えば言えるのである(熊襲と蝦夷を間違える佐治恵三の低い文化程度はさておいて)。
 だとすれば、原発事故後、それをなかったことにしたい政府は、福島を日本に含めない(含めたくない)という思想をベースに動いていると想定することは容易で、しかるがゆえに、福島の人々よりも東京電力が大切だという政治行動に繋がっていると言える。
 3月17日(デモ翌日、この文を書いている日)に、朝日新聞に次の投稿句が掲載されていた。

ふくしまの棄民に積る涅槃雪
  (福島市)池田義弘(金子兜太選)

[1] 赤坂憲雄、小熊英二(編著)『辺境から始まる 東京/東北論』(明石書店、2012年)p. 315。
[2] 山内明美「〈飢餓〉をめぐる東京/東北」、同上、p. 256

 

2014年4月5日

 フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスを読みたい(というよりも、読まなければ)と思ったのは、ジュディス・バトラーの『生のあやうさ』で引用されていたためである。その本は、グアンタナモ基地に拘束されている囚人(厳密には裁判を受ける権利がないので法律上の囚人ではない。また、国際法の適用も受けないため「捕虜」でもない)や、アフガニスタンやパレスチナで殺害される人々の「生のあやうさ」を取り上げてアメリカ合衆国の国際戦略を批判しているもので、人間における倫理を問うかたちでレヴィナスを引用している。
 エマニュエル・レヴィナスの考えによれば、倫理とは生の脆さ(プレカリアスネス)に対する危惧に依存している。それは他者の脆弱な生のあり方の認知から始まる。レヴィナスは「顔」に注目し、それが生の脆さと暴力の禁止をともに伝える形象であるとする。攻撃性は非暴力の倫理では根絶できない。レヴィナスはこのことを私たちに理解させようとする。倫理的闘争にとって人間の攻撃性こそが絶えざる主題なのだ。攻撃が押さえ込もうとする恐怖と不安、これらを考察することで、レヴィナスは倫理とはまさに恐怖や不安が殺人的行為にいたらないように抑えておく闘いにほかならないと言う。レヴィナスの議論は神学的で、神を源泉とする倫理的要求をたがいに突きつける人間の対面を引きだそうとする。 [1]
 
この「顔」は何を意味するのか、なにか根源的な倫理というものをレヴィナスは論じているのではないかと思ったのだ。というわけで読み始めたものの、2冊目が終わったあたりで諦めかけていた。レヴィナスの思想は、フッサール、ハイデッガー、メルロ・ポンティと続く現象学はさておき、もう一つの根幹にユダヤ教があって、私には容易にアプローチできないのだ。
 もちろん。ことごとく理解できないというわけでもない。扱う主題によっては、私にも理解できることがある。3日間の強制読書期間中には、次のような一文にも出会うのである。

悪しき平和といえども、もちろん、善き戦争よりも善きものではある!ただし、それは抽象的な平和であって、国家の諸権力のうちに、力によって法への服従を確たるものたらしめるような政治のうちに安定を探ろうとする。かくして、正義は政治に、その策略と計略に訴えることになる。(……)そして場合によっては、全体主義国家のなかで、人間は抑圧され、人間の諸権利は愚弄され、人間の諸権利への最終的な回帰は期限なしで延期されてしまうのである。 [2]

 まるで、日本の現状そのままではないか。「日本人は平和ボケしている」と力説するナショナリストたちは、中国や韓国、北朝鮮の脅威を声高に吹聴しながら、それらの国々を挑発することに余念がないし、彼らをあからさまな別働隊とする政府・自民党といえば、対外的には「集団的自衛権」を行使できるように、国内的には「秘密保護法」によって反戦活動を押さえ込もうと「策略と計略に訴え」て、戦争準備に勤しんでいるような「悪しき平和」に日本はある。
 そんな平和であってもいかなる「正義の戦争」よりも正しい「善きもの」だ、という私たちの声を圧殺して、このまま進めば日本は「全体主義国家のなかで、人間は抑圧され、人間の諸権利は愚弄され、人間の諸権利への最終的な回帰は期限なしで延期されてしまう」ようになりかねないのである。
 レヴィナスは、平和の実現を国家論や政治論という形ではなく、人間の倫理の問題として語り進めるのだ。

しかも、平和は単なる非-攻撃性ではなく、こう言ってよければ、それ固有の肯定性・積極性をそなえた平和である。そこにはらまれた善良さの観念はまさに、愛から生じた没-利害を示唆している。それゆえに初めて、唯一者ならびに絶対的に他なる者はその意味を、愛される者ならびに自己自身のなかで表現できるのだ。 [3]

 レヴィナスの語り口は、しだいに神学的になってくる。このあたりからレヴィナスをレヴィナスとして理解すべき領域が始まる(らしい)。上述のように進んできた理路は、まことにレヴィナスらしい次のような文章で受け止められるのだ。そして、私の脳は茫漠としだすというわけだ。

《無-関心-ならざること》、根源的な社会性-善良さ、平和ないし平和への願い、「シャローム」〔平安あれ〕という祝福、出会いという最初の出来事。差異――《無-差異-ならざること》――、そこでは、他なるもの――それも絶対的に他なるもの——、こう言ってよければ、「同じ類」――自我はそこからすでに解き放たれた――に属する諸個人相互の他者性より「以上に他なるものであるような」他なるものが私を見つめている。私を「知覚する」ためではない。そうではなく、他なるものは「私と係わり」、「私が責任を負うべき誰かとして私にとって重きをなす」のだ。この意味・方向において 、他なるものは私を「見つめる」、それは顔なのである。 [4]

 「それは顔なのである」と言われても納得できているわけではない。ここでも「顔」とはなにか、と同じ問いを発するしかない。ぼんやりとは理解できているように感じ、でもやはり分かってはいないと思い直すのだ。
 「顔」について言及した文章には次のようなものもある。

顔は意味を有している。それも、諸関係によってではなく、自分自身を起点として。そしてそれこそが表出なのだ。顔、それは存在者が存在者として呈示され、存在者が人格として呈示されることである。顔は存在者をあらわにするのでも、存在者を覆い隠すのでもない。数々の形式の特徴たる暴露と隠蔽を超えて、顔は表出であり、一個の実体、一個の物自体、自体的(カト・ハウト)な物の実在なのである。 [5]

私を見つめる顔は私を肯定する。顔と顔を突き合わせている以上、私もまた同様に他者を否定することはできない。逆に、本体としての他者の威光のみが対面を可能にするのだ。このように対面は、否定することの不可能性であり、否定の否定である。具体的には、かかる表現の二重構造は次のことを意味している。つまり、「汝、殺すなかれ」が顔に刻み込まれ、それが顔の他者性をなしているのである。それゆえ発語は、相互に制限し合ったり相互に否定し合ったりする自由ではなく、相互に肯定し合う自由同士の関係なのだ。自由は自由に対して超越的である。 [6]

 仏教の本地垂迹説に「垂迹」とか「権現」という考えがある。仏や菩薩が衆生を救うため、日本の神に姿を変えて顕われることである。全ての人間のことを顕わしながらただ「一者」の顔として顕現してくるもの、それがレヴィナスの「顔」ではないか、そう思ったとき「権現」という言葉を思い出した。そして、「顔」の先に(あるいは見えざるものとしてであっても)神が登場してくるのではないかと期待したのだが、どこまでも「顔」なのである。私が想像するようには、レヴィナスは簡単にはいかないのである。ユダヤ教を根幹とする哲学を語っても、ユダヤ教信者として語っているわけではない(らしい)。

[1] ジュディス・バトラー(本橋哲也訳)『生のあやうさ ――哀悼と暴力の政治学』(以文社、2007年)p. 13。
[2] エマニュエル・レヴィナス「人間の諸権利と他者の諸権利」(合田正人訳)『外の主体』(みすず書房、1997年) p. 201。
[3] 同上、p. 202-3。
[4] 同上、p. 203-4。
[5] エマニュエル・レヴィナス「自由と命令」(合田正人編訳)『レヴィナス・コレクション』(ちくま学芸文庫、1999年) p. 378。
[6]エマニュエル・レヴィナス「自我と全体性」同上、 p. 427。


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〈読書メモ〉 細見和之『現代思想の冒険者たち15 「アドルノ――非同一性の哲学」』(講談社、1996年)

2024年08月23日 | 読書

 そんなに新しい本ではないが『現代思想の源流』(講談社、2003年)というマルクス、ニーチェ、フロイト、フッサールの4人の思想を解説している本を見つけて読んだ。『現代思想の源流』は、30巻に及ぶ「現代思想の冒険者たち」というシリーズを導く第0巻となっていて、結局、シリーズ30巻のうち12巻を読むことになった。
 そのうちの一冊が第15巻の『アドルノ』だった。読み終えた12巻のなかには読み進むのがむずかしかったり、なかなか理解しにくかったりする本もあったが、細見和幸著のこの本は、圧倒的に読みやすく、快適に読み終えることができた。文章のリズムが、私にはとても受け入れやすかったのである。論理の展開の間合い、喚起される情感の時間発展が心地いいのである。
 「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」という言葉が様々な人、場所で引用されていて、アドルノという名前はずっと見知っていたが、アドルノの本を読んだ記憶がない(フランクフルト学派の本はあまり読んでいない)。当然ながら、私の興味は「アドルノとアウシュヴィッツ」ということになる。
 そういう私の興味に応えるように「プロローグ」で語られるのは、半世紀以上も前のフォークソング全盛時に流行り、小学校での音楽でも取り上げられてきた「ドナドナ」という歌に関する著者自身の若いときのエピソードである。

あの陰鬱(いんうつ)な印象深い旋律がユダヤ人の歌で、惹(ひ)かれてゆく「仔牛」がユダヤのひとびとの宿命の暗喩であると知ったときの衝撃――。だからいまアドルノをはじめユダヤ系の思想に興味をもっているのだと言えばできすぎた話になるが、あのときの衝搫がぼくのなかにいまなおくっきりと刻みつけられているのはたしかである。(p. 13)

ぼくらが意味不明の囃しことばのように口ずさんでいた「ドナドナ、ドーナ、ドーナ……」の部分は、ドイツ語訳によれば「わたしの神よ、わたしの神よ」という神への呼びかけだったのである。そしてこの歌に付されている短い解説によると、作者はイツハク・カツェネルソン。かれは一八八六年に生まれ、ポーランドのウッジのユダヤ人学校の教師を務めるとともに、多くの歌や戯曲を書き、ユダヤ人の闘争団体とも密接な関係にあった。一九四二年に妻とふたりの息子がアゥシュヴィッツへ「強制移住」させられ、かれはその印象をこの歌に託した。その後カツェネルソン自身も「強制移住」させられ、妻子と同様に四四年にアゥシュヴィッツで死亡した、とある。(p. 16)

だが、決定的に重要なのは、あの「ドナドナ」というわれわれにとってとても馴染み深い歌が、まぎれもなくユダヤ人にたいするポグロム(民族虐待)を歌ったユダヤ人の歌にほかならない、という点である。そして、アドルノもまたユダヤ系の哲学者であるといった問題を遥かに越えて、この歌とわれわれの関係のうちには、きわめてアドルノ的なテーマがぐっと凝縮された姿で存在していると、ぼくにはおもえるのだ。(pp. 16-17)

 そして、プロローグで「ドナドナ」のエピソードで始まったこの本の最終章は、次のような文章で終わるのである。見事である、としか言いようがない。

 最後に「ドナドナ」の旋律をもう一度思い起こそう。あのとき幼いぼくたちは、ぼくたちの耳と身体にあの旋律のもつ痛みの「分有」をすでに刻印されていたのではないだろうか。おそらくアドルノが考える「経験」も、本来そのような場面でこそ生じるのだ。
 ぼくらは他者の痛みから単純に切り離されているのではない。ぼくらの五感は常にすでに、むしろ否応なく他者の痛みの「分有」へと開かれている、と言うべきなのだ。ぼくらの身体とその記憶には、すでに多くの他者がすまわっている。その意味で、ぼくら自身がすでに無数の「他者」なのだ。ぼくが「非同一的な主体」と呼んだものも、最終的にはそのようなイメージに帰着するようだ。この「他者」の記憶を、ぼくらの五感と思考のすべてをあげて解き放ってゆくこと、それこそが、ぼくらがぼくら自身の新たな思考と経験にむけて踏み出してゆくための、第1歩であるにちがいない。 (pp. 286-287)

 アドルノには『啓蒙の弁証法』(ホルクハイマーとの共著)と『否定弁証法』という大部の著作もあって、これから読むべき本と思いなして、その古本を見つけて積み上げてある(つまり未読である)だけなので、このメモは「アドルノとアウシュヴィッツ」という関心だけにとどめておきたい。
 「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」というアドルノの言葉は当然のように詩人の反撃を受ける。

 人間の外部から人間に襲いかかってくる自然の猛威なら何とか対策をたて、できるかぎりの防御を試みることができる。だが、そういう人間の知それ自体が、その内部から「現実の地獄」を作り出してしまったあとでは、文字どおりわれわれはなすすべもなく立ち尽くしてしまうほかないのだ。
 あの出来事を「理解」しょうと試みること自体、そこに何らかの「意味」を見いだす企てとして、「死者」にたいする冒濱の嫌疑をまぬがれない。収容所における「死」は生き残った者の生にも途方もない「罪科」を負わせるのである。先に触れたようにエンツエンスベルガーは、われわれが生き延びようと欲するならアドルノの命題は反駁されねばならない、と果敢に説いたのだが、アドルノはそれにたいしてここではこう応答している。

永遠につづく苦悩には、拷問にあっている者に泣き叫ぶ権利があるのと同じだけの表現への権利はある。そこからすれば、アウシュヴィッツのあとではもはや詩を書くことはできない、というのは誤りかもしれない。だがもっと非文化的な問い、すなわち、アウシュヴィッツのあとで生きてゆくことができるのか、ましてや偶然生き延びはしたが殺されていてもおかしくなかったにちがいない人間がアウシュヴィッツのあとで生きてゆくことが許されるのか、という問いは誤りではない。そういった人間が何とか生き延びてゆくためには、冷酷さが、すなわちそれなくしてはそもそもアウシュヴィッツがありえなかったかもしれない市民的主観性の根本原理が、必要とされるのだ。これは殺戮をまぬがれた者につきまとう激烈な罪科である。その報いとして彼はさまざまな悪夢に襲われる。自分はもう生きているのではなく一九四四年にガス室で殺されたのではないか、それ以降の自分の生活はすべて想像のなかで、つまり二十年前に殺戮された者の狂った願望から流れ出たもののなかで営まれたにすぎなかったのではないか、と。(「アウシュヴィッツのあとで」)

 このくだりはさながら、自らアウシュヴィッツの「生き残り」として声なき死者たちの証言のみを自身の創作上の使命としてきた作家、エリ・ヴィーゼルの小説の一節を髣髴とさせる。ヴィーゼルの小説『昼』の主人公「ぼく」は語っている。「ぼくは自分が死者だと思い込んでいた。ぼくは食べ、飲み、涙を流すことができなかった。――自分を死者として見ていたからである。ぼくは自分が死者だと思いなしていた。――死んでから見る夢のなかで、自分が生者だと想像している死者だ、と」(村上光彦訳)。(pp. 181-182)

 「アウシュヴィッツのあと」について、アドルノの思考はきわめて厳しいのだが、著者は、ある一文を見つけ出し、アドルノの別の一面を評価していて、読んでいる私にとっても少しならずほっとする箇所だった。

確かにアドルノのように、近代的な市民社会のある種必然的な帰結として「アウシュヴィッツ」を位置づけるかの発想には、極端なものがある。もしもいっさいが「アウシュヴィッツ」に収斂してしまうのなら、およそそれについて語ること、考えることすら無意味なこととおもえてくる。だがアドルノのことばには、「アウシュヴィッツ」にかかわってほとんど暗黒のテーゼを紡ぎながらも、それを絶えず反転させるイメージも差し挟まれている。たとえばアドルノは、同じ「形而上学についての省察」の「ニヒリズム」と題された節でこう語っている。

強制収容所におかれている人間にとっては生まれてこなかった方がよかったのではないか、うまく脱出することができた人間が何かの拍子にそう判断することがあるかもしれない。だがにもかかわらず、きらきら輝く瞳を前にすれば、あるいは犬がかすかにしつぼを振っているのを前にしただけでも――その犬はついさっきごちそうを与えられたのだが、もうそれを忘れているのだ――無の理想は消え失せる。

 ぼくは何よりもこういう一節に示されている、アドルノの思想のもつ大きな振り幅に惹かれる。「アウシュヴィッツ」という徹底した非日常の時空によって、日常的な感覚のすべてを決して塗りこめてしまわないこと。かといって、日常性に居直ることによって「アウシュヴィッツ」という非日常を自分とは無縁なものとして視野の外へと消し去ってしまわないこと。むしろ、この日常と非日常の振幅のなかに、自分の思想を絶えずおこうと試みること。それはまた、深刻きわまりない思索に耽りながらも、そういう思索それ自体に冷や水を浴びせ相対化する契機を、つねに意識的に持ち込むことでもある。そういう態度こそは、たとえばフッサールやハイデガーの求心的で黙想的な思考スタイルにいちばん欠けているものではないだろうか。 (pp. 185-186)

 ドイツ思想が専攻の研究者である著者の、研究対象であるアドルノに対する愛情のような感覚をそこかしこに感じられた、というのが読後感の一つである。
 この本によって、『啓蒙の弁証法』と『否定弁証法』を読むことにしたが、著者が詩人であることが分かって(詩が好きなのに恥ずかしながら細見和之という詩人を知らなかったのである)、その詩集を三冊見つけてこれも積んである。それから著者の編著で出版されている『金時鍾コレクション』(藤原書店)全12巻のうち。これは第5巻まで読み終えた。
 この本一冊を読むことで、読むべき本が一気に見つかり、当分は読書には困らない。



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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(7)

2024年08月21日 | 脱原発

2014912

 学生、院生の頃、私は原子力工学を勉強していた。その後、原子力工学を捨てて物理学に移ったのだが、所属した物理の研究室は、何の因果か「放射線金属物理学講座」だった。
 「第一種放射線取扱主任者」の国家資格も持っていて、一時期は職場の放射線取扱主任者として安全管理業務に携わったこともある。放射線作業従事者の被爆防護に神経を使ったことなど、フクシマ原発事故の放射能汚染や被爆と比べれば、笑ってしまうほど瑣末なことに過ぎないものになってしまった。フクシマの現状から言えば、私たちの職場の放射線作業従事者は現在の一般人よりはるかに安全な作業をしていたことになる。
 放射線作業を行なう職場においては、法によって「放射線取扱主任者」が安全管理を行なうことが義務づけられているうえ、作業従事者(教官も学生も)は放射線取り扱いについて一定の教育訓練を受けなければならない。しかも、一年を超えない期間に再教育を行なうことすら定められている。
 しかるに、福島では「福島エートス」と称して、住民一人ひとりに放射線被曝を管理させようとしている。住民を避難させることなく、「住民が主体となって地域に密着した生活と環境を回復させていく実用的放射線防護文化の構築を目指す」という屁理屈で、被害者である住民の「自己責任論」的なごまかしを行なおうとしている偽善団体があるのだ。
 大量殺人者がそこにいるのに、「自己責任で殺されないようにしましょう」と主張するばかりで、殺人鬼の存在は放置したままのような欺瞞なのである。
 欺瞞と言えば、とうとう910日に原子力規制委員会は川内原発1、2号機が新規制基準を満たすと正式に決めた。もともと政府の雇われ委員会なのだから、学識者の良心など期待すべくもない。残念ながら、予想通りと言うしかない。
 あるマスコミが、規制委員会の決定を発表する田中俊一委員長の表情がこわばっていたと評していたが、それは当然だろう。私よりも一年早く東北大学工学部原子核工学科で原子力工学を学び、日本原子力研究所で研究者、学者として積み上げてきたキャリアはそのままでも、学者としてのアイデンティティを断念した瞬間なのだと、私は思う。
 7月に審査書案を提示した時には、で「安全だということは、私は申し上げません」とか「ゼロリスクだとは申し上げられない」と発言することで、かろうじて学者のアイデンティティを繫ぎ止めていたように思う。
 どんなに腐っても、人間の工学的技術で作った「工作物」が決して壊れないなどと考える工学者はいない。壊れた原発がフクシマという悲惨を生み出した事実を知らない日本人もいない。東電福島第一原発の故吉田昌郎所長が「われわれのイメージは東日本壊滅。本当に死んだと思った」と語ったということは当然だ。壊れた原発がどのような結果をもたらすか想像できない原子力工学者はいないはずだ。
 しかし、自民党政府が規制委員会の決定をもって安全だとすると主張していることは誰でも知っている。そのような情況での規制委員会の決定は、原子力工学者のアイデンティティを放棄することでしか可能ではない。自民党政府の評価は高くなるだろうが、学者、研究者としては無惨である。
 将来、すべての原発事故の責任は田中委員長をはじめとする委員会の全面的責任として問われることになる。そのような簡単な政治的トリックに易々と捕捉される学者の見識は憐れと言うしかないが、同情はしない。
 私たちは、憐れな学者たちのエセ政治的判断の犠牲にはならない。なりたくない。それが、私たちのデモである。

 
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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(6)

2024年08月18日 | 脱原発

20131018

寸断された戦線がみえてくる。そして
核爆発がテレビのむこうがわでつづいている。
われわれは一瞬のさけめから認識へおちる。
われわれはなんども死んだり、詩人みたいに
またもや生きてゆく。
神話をつめたくしているのだ。

   堀川正美「われら365」部分 [1]

 これは1970年出版の詩集のなかのフレーズである。読むべき本、読みたい本が途絶えてしまって、やむなく納戸の奥から引っ張り出してきた43年前の本のなかにあった。ここには、予言された「フクシマ」が見える。そんなふうに思えた。
 原爆や水爆へのイメージには違いない。しかし、大地震でメルトダウンした核燃料が今も地中のどこかで緩やかな核爆発を続けている、というイメージに繋がる。制御できない核分裂反応は、反応の遅速や反応の密度の問題はあっても、本質的に核爆発となんの相違があろう。
 原子炉が爆発してしまってから、愚かといえども日本人は現実の悲惨な裂け目から否定しようのない「認識」へ落ち込んだはずだ。そう考えるのが詩人のイメージというものだ。いまだに、原発を続けたい、外国にも売りつけたいという意図をあからさまにする人間が存在しうるなどと思いもしないだろう。
 原爆、水爆、原発の爆発、この一連の事象こそ、人類が地球上に生まれてから語り継いできた「神話」ですら凍りつくような悲惨だったはずだ。
  
 堀川正美の詩集には、もうひとつ凄いイメージの詩があった。

武器はかぞえるだろう、ほぼ同数の兵士たちを。
製品はかぞえるだろう、ほぼ同数の労働者の時間を。
ヴィタミン剤は、トランジスタラジオは、映画館の入場券はわれわれの
青春を。オレンジジュースはこいびとたちを。
操縦装置のちっちゃなボタンにふれる指のふるえは
一〇〇年きみが生きてもとりかえしがつかない一瞬を――
一〇〇万人の三万フィートも上で。
戦争の死者たちをかぞえることができぬ。ひとりの
兄弟ぐらいは生きのびたもののうちにいるかもしれぬ。

        堀川正美「書物の教訓」部分 [2]

 人間の手によって作られた物は、作られたその瞬間において、そのものが未来に関与するであろう人間と人間の出来事を用意している、という逆説のイメージだ。原発と爆撃機が作られたとき、100万人の広島市民の上空で「ちっちゃなボタン」が押される瞬間が準備されていた、という恐ろしいイメージだ。
 福島県大熊町に東京電力福島第一原子力発電所の建設が始まったとき、15万人を超える人びとの故郷が失われることが定っていた。詩人の逆説のイメージはそう教えている。だとしたら、たとえば大間で、たとえば女川で、たとえば美浜で、たとえば上関で未来に準備されているのは何か。
 その恐ろしいイメージに対抗するには、すべての原発を廃炉にするという現実的手段しかないのだ。

[1]『堀川正美詩集(現代詩文庫29)』(思潮社、1970年)p. 69
[2]
同上、p. 81



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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(11)

2024年08月13日 | 脱原発

2014年2月23日

 私の講演はキャンセルされた。私がインドに帰ってから数日間、福島からの放射能が風に乗って東京に降り注いだ。放射能の広がりは六〇〇平方キロに及ぶ。それはチェルノブイリのそれに匹敵すると公表された。それでも原子力業界は結託して悪いニュースを知らせまいと、原子力エネルギーが唯一の未来だと信じ込ませようとしている。
 こうしてこの小さな島国は苦しみの円環を完成したのだ、戦争中も平和なときも、私たちの想像力が核によって摩滅してしまったために。人間の愚かさ、それが異なるデザインの海に囲まれた島で、ふたたび演じられている。  
                              アルンダティ・ロイ [1]

 あれからもう3年経とうとしている。そのころ、アルンダティ・ロイは、講演のために招待された初めての東京にいて、〈3・11〉を経験した。講演は中止になり、アルンダティ・ロイは、東アジアの小さな島国が辿った《苦しみの円環》に思いを寄せていた。当時、煽動罪の嫌疑でデリーの裁判所に召還されていた彼女は、ふたたびインドのネオリベラリズムとの闘いの場に戻っていったのだ。
 そのような闘う作家としてのアルンダティ・ロイの在り様は、「核による《苦しみの円環》の克服は「小さな島国」に住む私たち自身に課せられた闘いだ」ということを自ずと私たちに語っているようだ。
 アルンダティ・ロイは、その積極的な政治的言論活動の一つとしてインドのナルマダ・ダム建設反対運動に関わったが、その闘争の敗北のプロセスに関して、「一人の指導者に頼りすぎたことは運動をひ弱なものにしてしまった」と言い、「それは真の民主主義を運動のなかに作りだすことができ」ない理由だと語っている [2]
 ある意味で大衆運動の一般的なありふれた本質を述べたに過ぎないような彼女の言葉が印象に残ったのは、想田和弘さんが『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』で描いて見せた橋下徹と彼らの支持者の関係を想い起こさせたからである。
 インドにおけるネオリベラリズムとネオナショナリズムに支えられたインド政権への抵抗運動に参加する人々と橋本支持者の政治的立場は反対称と言っていいほど真逆に近いのだが、指導者(ヒーロー)に依存する心性にいくぶん似通ったところがあるのではないかと思ったのである。

 同事件〔毎日放送記者の糾弾事件〕では、その一部始終を記録した動画がユーチューブで広まり、橋下氏の尻馬に乗って記者を侮辱する言葉がネット上に溢れ返りましたが、彼らが多用したのは、「とんちんかん」「勉強不足」「新喜劇」といった言葉でした。動画を実際にご覧になった方なら分かると思いますが、これらはすべて、橋下氏自身が動画のなかで発した言葉です。彼らは、「他人を罵る」という極めて個人的な作業にも、自ら言葉を紡ぐことなく、橋下氏の言葉をそっくりそのまま借用したのです。 [3]

 想田さんは、政治状況のなかで流行語のように力を持つ〈言葉〉について議論を進めているのだが、私が気になったのは橋下支持者たちの心性である。彼らは、「民意」としての「選挙で選ばれた代表」が「既得権益」者としての「身分保障の公務員」や「税金で飯を食う官僚」と闘う政治家・橋下を支持することで、自分もそのような社会的不正(?)と闘っているという思い込み(自己欺瞞)に陥っており、橋下徹をその闘いの指導者として見なしているのだろう。
 これはもちろん、想田さんが喝破しているように、「民主主義制度における国民のコンセンサスは、論理や科学的正しさではなく、感情によって成し遂げられるのだ」と公言してはばからない橋下徹によって妬みや憎しみなどの下劣な感情を掬い取られてしまった人々のことである。
 「論理や科学的正しさ」に依拠していない「感情」に基づくために、当然のように、論理そのものである言葉をどんな形でも自らの脳からは発しようがない。それで、指導者(ヒーロー)と見なす橋下徹の言葉をオウムのように真似ることで、なにか発言していると自己を誤魔化すしかないことになる(いや、おそらくは、それが自分の言葉だと信じ込んでいるのだろうが)。
 一人一人の考えを集約することに民主主義の本義があることからみれば、ある指導者とその指導者の言葉をオウム返しにする人々は、明らかに反民主主義的な社会関係を形成していることになる。橋下徹をしてプチ・ヒットラーとかファシストとか謗る言説がネット上に溢れ返るのも、このような現象に由来していると考えられる。
 アロンダティ・ロイの言葉が引っかかったのは、同じようなことが脱原発・反原発運動に加わる人々の心性のなかにないのだろうか、ふとそう思ったためだ。
 私たちは、山本太郎や三宅洋平、宇都宮健児や細川護熙をヒーロー扱いしてはいないか、彼らの言葉をオウム返しに喋ってはいないか。そんなことを思ってみたのだ。
 前の参議院選挙や今度の東京都知事選挙では、いつもより少しばかり熱心にネット言説を観察していたのだが、いくぶんそのような傾向がなかったわけではない、というのが実感だった。もちろん、選挙である以上、支持する候補者の言葉を広く伝えたいという事情もあっただろう。ただ、その傾向が強まったのは、相手候補者を批判する(罵る、disる)ときである。まったく同じ言葉で罵る一群の人達がいたのだ。選挙陣営内で批判の方法を打ち合わせたので同じ言葉遣いになったということかもしれないが、少なくとも現象的には橋下支持者たちの言動とよく似ていて、気持ちいいことではなかった。
 さて、私のことだが、それぞれの政治的意味合いは違うにしても、上記の山本、三宅、宇都宮、細川の四人には(この四人だけではないが)相応の敬意を抱いている。敬意は抱いているが、誰も私のヒーローになることはない。
 それは信念というようなことではない。素直ではない私の性格によるのだ。私には、誰かを尊敬のあまり崇め奉るという心根は子供の時から全くないのである。小学校で読むように勧められる偉人伝のたぐいは虫酸が走るほど嫌いだった。プロ野球も映画も好きだったが、野球選手や映画スターのブロマイドなどというものに興味がわいたことはない。
 『ヒーローを待っていても世界は変わらない』というのは湯浅誠さんの著書 [4] だが、私にはいままでもたぶんこれからもずっとヒーローはいないのである。ヒーローを待っていたことはなかったのだ。だからといって、世界が変わったわけでもないけれども。

[1] アルンダティ・ロイ(本橋哲也訳)『民主主義のあとに生き残るものは』 (岩波書店、2012年) p. viii。
[2] 同上、p. 120。
[3] 想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波書店、2013年) p. 11。
[4] 湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版、2012年)。


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〈読書メモ〉 『現代詩文庫17 安西均詩集』(思潮社、1969年)

2024年08月12日 | 読書

 入院中のベッドの中でハナ・アーレントの『全体主義の起源』(全3巻)を読み始めた。ずっと以前に読んだときには図書館からの借用本だったが、今回は古本を購入して読んでいる。再読である。
 入院治療中というのは読書暮らしには最適で(それ以外にはあまりやることがない)、順調に読書が進み、まもなく第2巻の半分くらいのところになったころ、無性に詩が読みたくなった。その病院には入院患者が使えるWiFiがあり、許可をもらえばパソコンも使えるので、さっそくネットで古本を探した。思潮社の『現代詩文庫』というシリーズから7冊ほどの詩集を注文した(現代詩文庫シリーズは値段が手ごろでたくさんの詩人の詩が読めるので、若いころ、ずいぶんと助けられた)。
 ネットで注文した古本のなかに「安西均詩集」も含まれていた。「安西均」の名前はよく知っている。その詩を若いころには絶対に読んでいるはずだ、という確信があるのだけれど、どんな詩を書いていた詩人なのか、まったく記憶がない。記憶がない以上、安西均は未知の詩人で、新しい詩人とその詩に出合えることになると、喜んで読み始めたのである。

 ページを開いた最初の詩は、「ぼくはふと町の片ほとりで逢ふた/雨の中を洋傘(傘)もささずに立ちつくしてゐる/ポウル・マリイ・ヴェルレエヌ」とういう「ヴェルレエヌと雨」の詩。つぎは「フランソワ・ヴィヨンと雪」、その次の詩は「ヒマワリとヴアァン・ゴッホ」、次は「西行と田舎(プロヴァンス)」、次は「人麿と月」というふうに続くのである。
 一読して「安西均は〈知〉の詩人なのだ」という思いに駆られる。まず、ある〈知〉があり、そこからイメージされる語句を美しく配置する、そういう詩のイメージである。
 幼いころから詩が好きで、児童詩も含めてたくさんの詩を読んできた(つもりである)。そうして詩人という人々は〈知〉に恵まれた人たちだと漠然と思いこみ、憧れと敬愛の念を抱き続けてきた。
 とはいえ、私は抒情の詩が好きなのである。〈知〉と〈論理〉に裏打ちされた抒情、強いて語れば、そんな詩を待ち望んでいる。ただ、かつて若い人たちが詩を「ポエム」と呼んでいわば軽蔑すべきもののように話すのを聞いて驚いたことがある。たしかに、抒情詩と呼ばれるもののなかには情緒だけが漂っているような詩がたくさんあって、そういう詩が「ポエム」などとくくられるのは仕方がないという気もする。かつて、小野十三郎が「日本の戦中の精神主義(大和魂!)と詠嘆的抒情のおぞましい結託ぶりへの批判」(細見和之)を行ったのは理のあることであった。

 さて、この安西均詩集には〈知〉が、〈知〉の詩が満ちているが、「ひかりの塩」という詩には目を見張った。

木の葉を洩れる月の光を潜り抜けると
ぼくは飛白(かすり)の着物をきた少年だった

患っている弟のために隣り村の医者へ行き
薬瓶のなかにも月光色の水を詰めてもらう

古い街道の杉並木にさしかかると思わず足がうわずって
海を渡るキリストみたいに「勇気」をよびよせるのだった

………

いまでもぼくは薬瓶をさげて月光の中を急ぐ夢を見る
どこへ誰のもとへ――弟は戦争で死んでしまったのに 

夢の中でぼくはいつも眩く「夜がこんなに明るいのは
あの夏の光のように烈しい命が地の底で塩になっている
 からだ」と。p. 32)

 子供時代、弟のための薬を求めて隣村まで出かける少年(詩人)が描かれ、どのような大きな抒情が紡がれるのかと、どきどきしながら読み進んだのだが、最後の2行は、隠れもなき〈知〉が溢れてしまったようだ。


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【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (9)

2024年08月09日 | 脱原発

2014年10月26日

 「原子力の日」というのが定められている。1956年10月26日、茨城県東海村の日本原子力研究所の動力試験炉が日本で初めて原子力発電に成功した。その記念日なのだ。原発を推進する政府お勧めの記念日だが、皮肉なことに、いまや全国津々浦々で開かれる原発再稼働反対の統一行動日に変容してしまっている。
 日曜デモだが参加者は多くない。反原発の様々なイベントがあって、みんなの体が足りないのだ。

 今日のデモは40人ほどだった。最近ではもっとも少ない人数だろう。脱原発、反原発のイベントばかりではなく、イベント日和の季節なのでみんな忙しいのだ。
 今日の集会では「鹿児島県・薩摩川内原発の再稼働に私たちは強く反対します!」というアピール文が読み上げられた。毎週のデモだが、再稼働に反対する全国統一行動に心を合わせる意思表示だ。
 原子力規制委員会も自民党政府も鹿児島県知事も川内市長も責任を押し付け合いながら、川内原発の再稼働を画策している。
 規制委員会は「基準をクリアしても安全とは言えない」と言い、政府は「規制委員会の審査を経ているから安全だ」と言い、知事と市長は「国が安全だと言っている」という。つまり、川内原発が安全だとは誰も言っていないのである。
 それなのに、再稼働に動き出すこの支離滅裂さは、「反知性」(自民党は「知性」が嫌い)、「非知性」(自民党に「知性」は期待できない)の政治を選挙で許してしまった日本の悲劇的政治状況そのものだ。

 

2014年11月7日

 金デモの翌日、犬と早朝のドライブ散歩から帰ってきたら、突然熱が出てきて寝込んでしまった。丸一日寝ていたが、日曜日の朝(今朝)になっても熱が下がらない。

 ぼーっとしているまま、届いた朝日新聞の1面を横目で眺めたら、『制度外ホームで「拘束介護」』という大きな見出しが眼についた。また自民党政府は「介護拘束」ができるような制度を導入して要介護の高齢弱者を社会から隔離しようとしているのだなと思ってしまった。ナショナル・マイノリティばかりではなく、社会的弱者もまた排除、選別の対象にするのは新自由主義を標榜する右翼政権の本質であるからだ。
 ところが、新聞記事はそのような違法な介護をしている高齢者マンションがあるという告発記事だった。自民党政府のやること、ことごとくに不信を抱いてしまっている私は、こんな誤読をしてしまうのである。

 鹿児島県知事は川内原発の再稼働をなぜか「やむをえず」という形容を使って容認した。「やむをえず」というのは「ほんとうは避けたいのだが」という含意が前提のはずだが、いそいそと容認に踏み切った行動はそんな気持ちはさらさらないことを明らかにしている。
 川内原発再稼働をめぐる政治的言説から、事実とか真実とかを見いだすことはほとんど不可能に近い。「ほんと」がまったくないのだ。原子力規制委員会の田中委員長は川内原発が規制基準をクリアしたとしながらも「安全とは言わない」旨の発言をし、安倍首相は「世界一厳しい安全基準」だと何の根拠もないことを言い、あげくは「100%安全でなければ再稼働しない」と言いながら規制委員会の承認を根拠に川内原発の再稼働を推し進め、鹿児島県に再稼働容認を要請する宮沢経産相は「100%安全とは言えない」などと口走る。責任大臣であるその経産相は川内原発を「カワウチ原発」と呼び、もともと原発の安全性どころか原発そのものに知識も関心も持っていないことを自ら暴露して見せた。科学者の責任をハナから捨てている田中規制委員長が、川内原発再稼働の危険を指摘する火山学会に八つ当たりをして科学者としての責任を云々するに至っては、逆に科学者の笑い者になってしまっている。
 例を挙げればキリがないのだが、原発をめぐる政治的(政治家の)言説は、事実に基づかないし、科学的根拠もない。論理的に組み立てられてはいないし、ましてや人間的な(心情的な)真実すらないのである。言説の責任など考えようがない。どこをみても言葉に関する規範というのがない。準拠枠や言語ルールが破壊されている。まったくアナーキーなのである。
 「自民党政府の政治的言説はアナーキーである」というのが、今日の面白くもない結論である。熱がぶり返してきた。
 さて、日付を11月7日に戻して、金デモの話である。
 久しぶりの勾当台公園だ。私の防寒対策は不十分らしく、じっとしていると少しならず寒い。フリースピーチは、やはり川内原発再稼働のこと、それを容認した鹿児島県知事への批判になる。
 みんなは、再稼働容認に怒ってはいるものの、一方では予想外の展開だったわけではないことも知っている。金に縛られた原発地元がどう動くかについては嫌と言うほど知っているのだ。100%安全なはずなのに、真剣に避難訓練をしている。そういう矛盾と不可能を生きているのだ。

原発が来りて富めるわが町に心貧しくなりたる多し  
         佐藤禎祐 [1]

 アナーキーな政治言説に対抗するにはどうしたらいいのだろう。アナーキーにアナーきーな対応では混乱するばかりだろう。「革命がもたらす混乱は美しい」などとおさまってはいられない。

デモンストレーションとデモクラシーの結びつきは有益な言語学的偶然である。

 4日ほど前に読んだニコラス・ルーマン(社会システム論のルーマンはあまり好きではないのだが)の言葉 [2] である。
 アナーキーに対抗するには、デモンストレーションがいい。正しい理路と人間の倫理を規範とするデモンストレーションで対抗する。それがデモクラシーへの道だ。ルーマンはそんなことを主張してはいないのだが、デモンストレーションとデモクラシーの言語学的偶然の結びつきは、私にそう教えているように思う。

[1] 佐藤禎祐歌集『青白き光』(いりの舎、平成23年)p. 38。
[2] ニコラス・ルーマン(カイ-ウーヴェ・ヘルマン編、徳安彰訳)『プロテスト――システム理論と社会運動』(新泉社、2013年)p. 241。


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