かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (24)

2025年01月20日 | 脱原発

2016年12月4日

 今日のデモ集会での主催者挨拶は高速増殖炉のことだった。今や世界の原発推進国のほとんどが高速増殖炉の開発を断念している中で、文科省や経産省はまだ諦めきれないでいる。日本政府は核兵器材料としてのプルトニウムの生産を目論んでいるのではないか、そんなふうに世界から思われているだろう。唯一の被爆国としての取るべき道ではないと話された。
 「もんじゅ」が計画され、建設に着手された時代には、今よりはるかに多くの人たちが原子力の未来を信じていた。それゆえ多くの有能な人材が原子力工学を学び、当時の日本原子力研究所や核燃料・動力炉事業団に集まっていた。例えば、私が在籍していた時代の工学部では、原子核工学科は建築学科、電子工学科と並ぶ人気学科だった(当時は1年次の成績で志望学科に進めるかどうかが決まった)。
 その後、原子力船「むつ」は破たんし、大企業から独立した原子力企業も元の企業に吸収され、原子力工学の魅力は薄れていった。それとともに原子力を学ぼうとする学生も減っていき、有望な人材が集まらなくなった(これは、原子力工学科の大学院担当教授だった私の後輩から直接聞いた話だ)。
 政府は「もんじゅ」に替わる新高速増殖炉の工程表をまとめると意気込んでいるらしいが、それを実行する優秀な技術陣がいるのだろうか。優秀な人材が集まっていた時代に計画し、設計し、建設した「もんじゅ」は失敗した。その時代より人材不足であることは明らかで、金だけ出してフランスに泣きつく「行程」でも計画するのだろうか。
 そのフランスが計画する高速炉ASTRIDは地震国の日本にはまったくの不向きだと言われている。安倍政権お得意の金のばらまき損で終わるのではないか。結論から言えば、私は、85%かた日本製高速増殖炉はできないと思っている。仮に遠い将来できる可能性があっても、それまでには全原発廃炉を断行する政権が成立している可能性の方がはるかに高いと思っている。


2016年12月16日

 先週の集会で回された色紙をもって脱原発犬「チョモランマ」さんのお見舞いに伺ったとき、飼い主さんからいただいてきたお礼の手紙が紹介された。チョモさんは、今月の9日ころからはほとんど目を開けなくなったという。
 「チョモは金デモで歩くことが好きでした。雷や花火ではガタガタ震えるビビりさんなのに、デモの大きな太鼓の音は平気でした。……もう一緒に歩くことはできませんが、きっと気持ちは一緒でしょう。」
 できるだけ苦しまないように家族で看病しています、ということだった。

 チョモさんの話が出たとき、司会者が福島に残された動物のことにも触れた。「人も動物も安心して自然からの恵みを授かる日をいつか取り戻したいですね」と飼い主さんも書かれていた。

ある日 突然
町から人が消えた。
残された犬や猫や豚や鶏たち
牛や馬。
その他の動物たちは
何を思ったであろう。
言葉を話すことの出来ない
動物たちは
人っ子人いない町を
餌を求めて
あるいは人間を求めて
さまよい続けたに違いない。
いったい何がおきたのだろうと。
不思議に思ったに違いない。
そしておびえるように
鳴き声を上げたであろう。
やがて動物たちは
眼に涙を浮べて死んでいったのだ
ある日突然いなくなった
人間たちを恨みながら。
死んだ町は 今も
死んだままだ。
いつまでたっても死んだ町。
いつかは消えて行く町。
幻の町。
  根本昌幸「死んだ町」[1] から抜粋

[1] 根本昌幸『詩集 荒野に立ちて――わが浪江町』(コールサック社、2014年) pp60-62。

 


街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(42)

2025年01月18日 | 脱原発

2016年11月18日

 原発事故を想定した防災(避難)訓練が相次いで行われている。11月11日には東北電力女川原発の重大事故を想定した原子力防災訓練が県庁や近隣7市町で実施された。14日に中国電力島根原発では重周辺30キロ圏の3市などで県の原子力防災訓練が、8月に再稼働した四国電力伊方原子力発電所では事故で孤立する恐れがある佐田岬半島の住民を中心とした訓練が11日に、新潟県見附市では3日に東京電力柏崎刈羽原発の重大事故を想定した訓練がそれぞれ行われている。
 さらに、東北電力東通原発(東通村)の重大事故に備えた防災訓練では海上自衛隊の艦船も参加した訓練、東京電力福島第2原発では福島県と楢葉、広野両町が広域の住民避難訓練を実施しているし、関西電力大飯原発でも県と高島市が放射性物質の付着を調べるスクリーニング検査などを含む訓練を行っている。

 国が行う2016年度の原子力総合防災訓練は13、14日の2日間、北海道電力泊発電所3号機の炉心損傷事故を想定して政府、自治体、北海道電力など約400の関係機関が参加して、実際の避難行動や観光客の退避訓練なども行われた。
 この国が北海道で行う原子力総合防災訓練を前に、北海道反原発連合(@HCANjp)がツィッターに投稿した1枚の写真がネットで静かな話題になっている。どこかの集会(たぶん北海道庁北門前の抗議行動)で細いロープに吊るされたらしいシャツ型のピンクの折り紙に短い一文が書かれている写真である。

原発の避難計画とは
故郷を捨てる練習である

 これが、原発事故を想定する避難訓練の悲しい現実である。東電福島第一原発の事故ではじっさいに「故郷を捨てる」しかなかった人々が10万人の単位で発生した。
 原発を廃炉とすれば「故郷を捨てる練習」など必要がないのは誰にでもわかることだ。だが、そこに現に原発があれば、休止中でもそこに核燃料があれば、私たちは避難訓練をせざるを得ない。故郷を捨てても生き延びなければならないからだ。
 いったいいつまでこんな悲しい避難訓練を続けなければならないのだ。原発立地自治体は、原発交付金と故郷喪失を天秤にかける政治をいつまで続けるつもりなのか。それが、じっさいに故郷を失ってしまうまでというのではあまりにも愚かではないか。

 

2017年1月8日

 暮れも押し詰まった12月27日に8000Bq/kg以下の放射能汚染廃棄物を一般ゴミとして焼却する問題を議論した宮城県市町村長会では全首長の合意が得られず、半年ほど結論が先延ばしにされた、という報告があった。脱原発仙台市民会議では、半年後の全県合意を目指す宮城県の動きに対応するため、1月15日には県内諸団体との活動経験学習交流会、1月27日の松森焼却場見学会などを計画している。
 放射性ゴミの一般焼却は一旦延期されたものの、焼却に反対した栗原市などは放射能汚染ゴミの堆肥化、農地へのすき込みを計画しているという別の問題も明らかになった。集会でも、放射能ゴミを農地にすき込むことで私たちが毎日口にする野菜類が危険になることはないのかと心配する声もあがった。
 これは汚染されたもの、これは汚染されていないものと区別されている限り、私たちは自分で注意して自分たちの身の安全を守ることができる。それが、焼却で大気中に広くばらまかれたり、堆肥として農地に薄くすき込まれたり、建設用土として全国で使用されてしまえば、私たちには放射能から身を守る方法がなくなる。空気も土地も、私たちの生きる環境はべったりと放射性物質で汚染されてしまうことになる。
 低線量被ばくの影響に関する医学的知識はまだまだ十分ではない。十分ではないうえに、原発で金儲けしたいと考える政府と大企業とマスコミによって次第に明らかになる健康被害の情報は封じ込められている。将来、新たな低線量長期被爆の影響が隠しおおせなくなるほどはっきりと問題になった時、広く薄く拡散された放射性物質を回収することは不可能になってしまうのである。
 そのため、従来の放射施物質管理の原則は、汚染を広げないこと、できるだけ集めて管理することであったが、この原則は福島事故以降政府や行政、御用科学者によって捻じ曲げられてしまったのである。

 二つほど目に留まるニュースがあった。一つは、暮れのどん詰まりの28日、東芝株がストップ安で市場が始まったというニュースである。前日、東芝は、この12月に原発建設等を行うCB&I社の子会社CB&Iストーン・アンド・ウエブスター社(S&W社)を買収したばかりだが、その資産価値は当初の予想よりはるかに低く、損失が数千億円(たぶん5000億円程度)に上ることを発表している。子会社のウェスチングハウスの損失分を含めると東芝は一兆円以上の損失を抱えることになる。
 もう一つのニュースは、さらにもうひとつの日本の原子力企業・三菱のものである。三菱は、経営危機に陥ったフランスの原子力大手、アレバに500億円の融資を行うことを決定した。問題は、この融資がフランス政府の要請で、けっしてアレバの将来を見込んだ経営的判断だったとは言えないことである。これは アメリカでは資産価値がないとみなされている原発関連企業を東芝が次々買収して膨大な不良資産を抱え込んだ道を、三菱もまた歩み始めたのではないかと思わせるニュースである。
 世界的レベルで言えば、原発産業はすでに斜陽である。原発大国のフランスの最大手、アレバですら例外ではなかった。原発先進国アメリカでも原発関連企業は売却される運命にあるほど原発産業は不況である。とうの昔に世界は脱原発に踏み出しているのである。そして今、世界の原発企業をめぐる負債は、東アジアの後進国の愚かな企業に押し付けられている構図になっている。周回遅れの先進国(つまりは後進国)では、国も企業も原発があれば経済が回るという妄想を脱却できないでいる。そして、この国の政官民一体となってもっと周回遅れの国々へ原発を強引に売り込んで生き延びようとあがいている。
 エコノミストの中には日本の原発企業の抜本的見直しを期待する向きもあるが、企業ばかりでなく後押ししてきた政府も自分たちにとって好ましくない政治的判断を強いられる「抜本的な」見直しなんてできるのか、私は疑っている。
 いずれにせよ、国民を道連れにしないでほしい。かれらと心中なんてごめんこうむりたい!

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(14)

2025年01月16日 | 脱原発

2017年1月27日

 ベンヤミンはかつて言ったことがある。世界について子供が持つ最初の経験は、「大人たちのほうが強い」ではなく、「自分には魔術の能力がない」ということである、と。
         ジョルジョ・アガンベン『瀆神』[1]

 「自分には魔術の能力がない」ことに気づくことから人間は大人に近づく。それに気づくことのない未熟な精神はどうなるのだろう。発達しそびれた精神は、自分には魔術の能力がないと信じることができないのではないか。十分に年老いた政治家なのに、手に入れた政治権力を「魔術の能力」だと思い込み、行使しようとしている。この国にはそうとしか思えない例がある。
 時あたかも、俳優の窪塚洋介さんが、ご自身が出演した映画『沈黙』の舞台あいさつで「東北大震災でたくさんの弱者が生まれました。他の国に何兆円もばらまき倒しているのに、自分の国の弱者に目もくれない。福島の原発は人災。あれだけのことがあっても再稼働なんて、危ねーっつうの。悪魔のような連中たちが、この国を切り売りしている」と政府の対応を批判したという。
 もちろん、魔術の能力は悪魔が使うから魔術なのである。つまりは、「訂正でんでん」などと意味不明な呪文を唱える悪魔のような連中が政治権力を魔術として行使するのだ。かつて「言語明瞭なれど意味不明」という政治家への評言があったが、いまは「言語不明瞭で悪意鮮明」の評言がふさわしい。
 間違った国語が話される「美しい国」などあるだろうか。

 不調の胃がゲフゲフとなるように、政治家の悪い日本語に当たって気持ちがゲフゲフとなる。心の調子を整えようと、この数日で少しばかり冬の歌を集めてみた。「訂正でんでん」を聞いて死にそうになった心へのささやかな薬である。

噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々(りり)たりきらめける冬の浪費よ
             葛原妙子[2]

生きていれば意志は後から従きくると思いぬ冬の橋渡りつつ
             道浦母都子[3] 

冬一日(ひとひ)暮れむとしつつ束の間のやさしさが空にただよふを見ぬ
             安立スハル [4]

病む心はついに判らぬものだからただ置きて去る冬の花束
             岡井隆[5]

 好きな短歌を抜き書きしているのだが、どういうわけか女性の歌が多い。上の三種を選んだらすべて女性の歌だったので、岡井隆の歌も加えてみた。言い訳めくが、女性歌人だけが好きなわけではない。挙げればきりがないが、岡井隆も寺山修司も塚本邦雄も福島泰樹も好きである。
 政治家の言葉などではなく、そんな歌や詩を読みふけるはずだった老後はどこへ行ってしまったのだ。原発とうす汚れた政治言葉への〈私怨〉が私の老後のすべてになりそうで困惑している。
 「はじめに言葉ありき」。ロゴスとは言葉である。つまり、言葉は論理である。論理が論理であるためには、人々の間で言葉は共有されねばならない。明治以降の日本の教育が「読み書き」を重要視したことには大いなる意味がある。今ふうに言えば、コミュニケーションに言葉は不可欠である。健全な社会の成り立ちには言葉は不可欠のはずだ。
 しかし、「訂正でんでん(訂正云々)」、「がいち(画一)」は総理大臣である。「みぞうゆう(未曾有)」、「ふしゅう(踏襲)」は副総理大臣である。体から力が抜けてしまう。日本の義務教育制度は完全な失敗だったのだ。基礎的な読み書き能力を小、中学校で学習しなくても政治権力のトップの座を得ることができるのだ。しかし、勉強しない子どもたちが誰でもそうなれるわけではない。世襲政治家が多いということは、貴族政治または封建政治における世襲制に似たシステムが現代日本には存在していることを示している。その社会ステムは、教師や親や子供たちの頑張りを貶めている。
 学校の勉強を頑張らなかった人間が世襲で政治権力の座についている。そんな政治家が「頑張れば成功する」などといいながら「一億総活躍」などという白々しいスローガンを口にする。彼らが私たち国民の頑張りを無意味なものにしているというのに……。
 いや、少なくとも私たちの頑張りをこのような社会を変えることに向ければいいのだ。頑張った人間がほんとうに報われる社会、頑張ることが困難な人間でも大切にされる社会にするための頑張りには意味がある。そういう頑張りでは、けっして自民党の政治家にはなれないが……。
 ろくに日本語を使えない政治家に、脱原発を訴えるデモ人の言葉は届くのか、ほんとうに心配になる。今話題になっている政治家にはたぶん届かないだろう。「彼ら」の言葉が日本語なら、私たちの言葉は日本語ではない。私たちの言葉が日本語なら、「彼ら」の言葉は日本語ではない。
 しかし、「彼ら」ではない政治家もいるはずだ。そういう政治家には必ず届く。なによりも、私たちと同じ日本語を話す無数の日本人には届くはずだ。そう信じる。

[1] ジョルジュ・アガンベン(上村忠男、堤康徳訳)『瀆神』(月曜社、2005年)24。
[2] 葛原妙子『現代短歌全集 第十四巻』(筑摩書房、1981年)p.44。
[3] 『道浦母都子全歌集』(河出書房新社、2005年)p. 116。
[4] 安立スハル『現代短歌全集 第十五巻』(筑摩書房、1981年)p. 131。
[5] 岡井隆『現代短歌全集 第十三巻』(筑摩書房、1980年)p. 203。

 


街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(41)

2025年01月14日 | 脱原発

2016115

 衆議院の特別委員会でTPP関連法案を強行採決したというニュースをネットで知って、それから家を出たのだが、自公政権ならやるだろうと思っていたので特に気分が昂ったりはしない。安倍政権になってからこの類の憤りは日常的なバックグラウンドになってしまっている。国会で極右政権に絶対多数を与えるということの意味を痛切に感じる日々なのだ。
 集団的自衛権も原発も秘密保護法もTPPも国民アンケートでは政府方針への反対が多数を占めることが多い。しかし、強行採決があっても国民の多数派は沸騰しない。そればかりか、公共施設でそのような問題についての集まりを開こうとすると「中立性」が保てないという自治体の判断で施設の使用が拒否されるケースが多くなった。政治的中立性に名を借りた「政治的判断」が押し付けられるのだ。
 安倍極右政権の意に添うように忖度する自治体役人の振舞い(判断)は、それ自体ですでに中立性を大胆に踏み破って、政治的にははっきりと右翼であることを自ら明かしているのだ。たぶん、彼らは無自覚のまま「中立幻想」に陥っているのである。

 今、ジョルジョ・アガンベンの『スタシス――政治的パラダイムとしての内戦』という恐ろしげなタイトルの本を読み始めたのだが、そこに古代ギリシア民主制においては「中立」は存在しえないという意味のことが書かれていた。
 ある都市国家において内戦(二派にわかれた政治闘争と考えればよいかもしれない)が起きたとき、どちらにも属さず「中立」を保った市民はギリシア法によってどう扱われるか。プルタルコスやキケロなどが論じ、さらにはアリストテレスが次のように述べたという〈処分〉は、(私には)驚くべきことだった。

「都市が内戦状態[stasiazousēs tēs poleōs]にあるときに、両派のいずれのためにも武器を取らない[thētai ta hopla、文字通りには「盾を置かない」]者は汚名を着せられ[atimonn einai〔アティミアを課され〕]、政治から排除される。」[1]

 つまり、中立を保った者はポリス(都市国家)の民主制の根幹である市民から排除される(市民権を奪われる)というのである。政治的意思をはっきりと示さない者は「汚名」に値する恥ずべき者であって、政治に関与する資格がないと考えられていたのだ。ポリス政治から排除された者の運命については記されていなかったが、奴隷か追放のいずれかだろう。
 現代の日本に置き換えたら、選挙で政治的意思表示をしなかった者は選挙権を永遠に失うということでもあろうか。そうなったら昨今の投票率では成人のマジョリティはあっという間に選挙権を失ってしまうだろう。
 政治的判断や政治的意思表示をしないマジョリティの動向が今の日本の政治的状況を生み出しているとも考えられる現状に対して、ギリシア民主制における「中立」の政治的意味付けは恐ろしげでもあるが、きわめて示唆的でもある。
 アガンベンの比較的短い論考だが、もう少し時間をかけて考えてみたい。

[1] ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『スタシス――政治的パラダイムとしての内戦』(青土社、2016年)pp. 36-7

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(13)

2025年01月12日 | 脱原発

2016年12月23日

 先週の金デモの日(12月16日)に、司会者から脱原発犬チョモランマさんへの病気見舞いの報告があって、目を開けられないほどに重篤だったことを知った。その翌日、チョモさんが亡くなったとの知らせがあった。
 飼い主さんへ届ける言葉も見つからないまま、チョモさんのメモリアルアルバムを作ろうと思い立った。亡くなった直後にチョモさんの写真を見るのは飼い主さんには辛いことかもしれないという躊躇もあったが、なにか手作業のようなことに没頭したかったということもある。
 2012年夏から始まった金デモは200回を超え、私が参加した192回分の写真からチョモさんが写っている71枚を選び出し、RAWファイルがあるものはそのまま画像調整し、JPEGしかないものはPhotoShopで調整した。その作業に半日ほど費やし、「脱原発犬・チョモランマ〉メモリアルアルバム」をフェィスブックに載せた。

 人生を一緒に生きた動物たちの死はほんとうに辛い。兄や姉が家を出て行って母と二人きりの生活になった小学2年の頃、母が子猫を貰って来た。「ニコ」と名付けられた子猫は半年後に家に戻らなくなり、原っぱで野球をしていた私が見失ったボールを探していたとき草叢のなかに横たわる死骸を見つけた。
 中学2年のとき、姉の嫁ぎ先から黒い犬を貰って来た。そのまんま「クロ」と名付けられた牡犬は、私が結婚した翌年に亡くなった。
 息子が小学5年、娘が3年のときから17年間「ホシ」という雑種犬と暮らした。腰骨にがんができたホシは最後の4年間は完全介護が必要だった。一週間、毎日のように病院に通ってからブラジルでの国際会議に旅立った翌々日にホシは息を引きとった。リオデジャネイロの一泊目の夜、ホシの夢を見たが怖くて電話などできなかった。
 いま、16歳になった「イオ」という老犬と暮らしている。いずれ、別れがやってくることの覚悟を迫られている日々である。
 どこかで読んだ小学1年生の詩に「犬は悪い目はしない」というのがあった。たしかに、一緒に暮らしたどの犬も私を非難するような眼をしたことはなかった。ただ、こんなことは何度もあった。

犬は迷っている。お前には
持続のにおいがしない。
  ヒルデ・ドミーン「軽い荷を持って」から[1]

 犬は、迷ったり悲しんだりすることで私を批判して(そして、励ましてくれて)いたのかもしれない。

夕空見たら 教会の窓の
ステンドグラスが 真っ赤に燃えてた
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
こどもの頃を 憶いだした

 これはデモ集会でサトロさんがうたった「小さな空」の2番の歌詞である。この歌をユーチューブで聴きながらこの文章を書いているのだが、この辺りで急に涙が止まらなくなった。「いたずらが過ぎて叱られて泣いたこどもの頃」からこの年になるまで、私はずっと泣き虫のままだったのだ。

人が死ぬのに
空は あんなに美しくてもよかったのだろうか

燃えてゐた 雲までが 炎あげて
あんな大きな夕焼け みたことはなかった
   吉原幸子「幼年連禱三 VII呪ひ」から[2] 

 こんな年になったのだから、私を叱った人間たちとの別れもあった。4歳ころのとき祖母と別れた。母親に追いすがって泣く私を抱き上げる祖母、というのが唯一の祖母の記憶である。
 結婚する一か月前に父が亡くなった。それから34年後に母が102歳で逝った。母の死の翌年に15歳上の次兄が、4年後に17歳上の長兄が、8年後に9歳上の次姉が亡くなった。
 次姉は大阪で亡くなったが、残った長姉も三兄も老い過ぎて私だけが葬儀に参列した。6人兄弟の年の離れた末っ子としてみんなを送る覚悟はしていたが、次姉の葬儀の時にはその覚悟が揺らいでしまった。そんな運命を恨めしく思ったのである。
 不思議なことに、犬が死んだ時より肉親が死んだときの方が悲しみは激しくはなかった。人間には生きた証としての雑多なものが付随するが、犬は純粋に犬の死を死ぬだけなのだ。
 16歳になった犬のイオのことばかりではない。一緒に暮らしている112歳の義母も今年は救急入院が3回もあった。年齢が年齢だけに何が起きてもおかしくはないと医者が大事をとるせいもあるが、毎日が緊張する日々である。
 「死」はいつも私たちの身近にあるのだ(私の死もまた)。

いつの日も生まれるに良き日であり、いつの日も死に逝くに良き日である。
           アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリ[3]

 [1] 「ヒルデ・ドミーン詩集」(高橋勝義・高山尚久訳)(土曜美術社出版販売、1998年)p.125。
[2] 「現代詩文庫56 吉原幸子詩集」(思潮社 1973年)p.37。
[3] ハンナ・アレントによる引用(アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリはローマ教皇ヨハネス二三世である)。ハンナ・アレント(阿部齊訳)「暗い時代の人々」(筑摩書房 2005年)p.113 (原典:Jean XXIII, “Discorsi, Messagi, Colloqui, vol. V, (Rome, 1964) p.310)。


 


街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(40)

2025年01月10日 | 脱原発

2016925

 ギュンター・アンダースは、ヒロシマ・ナガサキからスリーマイル島、チェルノブイリにいたる核の時代に発言を続けた反核の哲学者である。今年になってアンダースの論集の翻訳本『核の脅威』 [1] が新刊として出版された。
 アンダースは、原水爆が使用され所有される時代をアポカリプス、世界の終末へ向かう時代だと断言する。

――抽象的な言い方をすれば、一九四五年まではわれわれは、不朽と思われる種属、少なくとも「絶滅するか永続するか」と問うたことのない種属に属する死すべき一員にすぎなかった。それがいまやわれわれが所属しているのは、それ自体が絶滅を危惧される種属である。(この違いは勘違いされることはないだろうが)死を免れぬという意味でなくて、絶滅する可能性があるという意味で、死に定められているのだ。われわれは「死を免れぬ種族=人類(genus mortalium)」という状態から、「絶滅危惧種(genusmortale)」の状態へと移ってしまったのである。 (p. 224)

 「どんな人間でもいずれ死ぬのだ」という人類の時代から、「どんな人間でもいずれ殺されるのだ」という人類の時代を私たちは生きているということだ。次の文章の「核実験」を「原発」に置き換えて読むと、私たちが置かれている核時代の状況をよく説明している。

 わたしたちが立ち向かう相手、わたしたちが行為によって「取り組む」相手は個人ではなくてあらゆるものの総体になっています。今日極めて重大な意味で行為しなければならない人が出遭う状況は、個人に影響を与え得るような状況ではありません。そういう人が行為する場合、数十万、数百万の人々に関わることになります。しかもその数百万の人々は至るところにいて、それも現代の人々だけではありません。わたしたちの相手は人類にほかならないのです。実際の核攻撃は言うまでもありませんが、たとえば核実験によっても、地球上のあらゆる生物を襲いかねない以上、どういう核実験をやっても、それはわたしたちに襲いかかります。地球は村になったのです。こことあそこという区別は消えています。次世代の人々も同時代人なのです。――空間について言えることは、時間についても言えます。核実験や核戦争は同時代の人々だけでなく、未来の世代にも襲いかかるからです。 (p. 101)

 例えば、チェルノブイリ事故による死者数は98万5千人になるだろうとニューヨーク科学会は見積もっている [2]。たしかに福島の事故での死者数はチェルノブイリ事故と比べれば多くはないが、未来の死者はまだ数えられていない。チェルノブイリとは違って、福島はまだ5年しかたっていないのだ。
 『核の脅威』の最終章のアンダースの言葉は、私たちのデモの足取りをもっと強くと要求しているようである。

 しかし唯一確実なのは、終末の時代と時の終わりとの闘いに勝利することが、今日のわれわれに、そしてわれわれの後に登場する人々に課されている課題であり、われわれにはこの課題を先送りにする時間はなく、後世の人々にとっても時間はないということである。 (p. 286)

[1] ギュンター・アンダース(青木隆嘉訳)『核の脅威――原子力時代についての徹底的考察』(法政大学出版会、2016年)。
[2]
佐藤嘉幸、田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)p. 34



2016年1028

 ここ一週間ほど、『通販生活』の記事がネットで話題になっている。2016年夏号で「自民党支持の皆さん、今回ばかりは野党に一票、考えていただけませんか」という大胆な記事で、山口二郎法政大教授、ジャーナリストの三上智恵さん、元自衛隊員の泥憲和さん、弁護士の太田啓子さん、SEALDs(当時)の奥田愛基さんの呼びかけを掲載した。
 その記事に対して寄せられた批判に答える2016年冬号の記事が多くの耳目を集めているのである。わが家での24日のことだが、ネット記事でそれを知って本を探したが見つからない。まだ届いていないと言った妻が、すぐに発行元のカタログハウスに電話を掛けた。
「うちは今日からの発送分だそうだから、明日には届くわよ」という妻に、「今日からの発送は、今日の発送を意味しない」などと茶々を入れたが、ほんとうに翌日には届いたのだった。ざっぱな日本語理解でもそれほど間違わず人生は送れるのである。

 冗談はさておき、問題の記事(『通販生活』2016冬号、p. 194)はこうである。読者からの批判の中から16通をそのまま掲載したうえで、批判に答える文章は次のように始まる。

 172人の読者のご批判は、おおむね次の3つに集中していました。
(1)
買い物雑誌は商品の情報だけで、政治的な主張はのせるべきではない。
(2)
政治的記事をのせるのなら両論併記型でのせるべきだ。
(3)
通販生活は左翼雑誌になったのか。

 (1)には「音楽に政治を持ち込むな」という類の論だとし、(2)には憲法学者の9割が違憲とするような「集団的自衛権の行使容認」などは両論併記以前の問題だと答えたうえで、(3)には次のように述べている。

 (3)についてお答えします。
戦争、まっぴら御免。
原発、まっぴら御免。
言論圧力、まっぴら御免。
沖縄差別、まっぴら御免。

 通販生活の政治的主張は、ざっとこんなところですが、こんな「まっぴら」を左翼だとおっしゃるのなら、左翼でけっこうです。

 「良質の商品を買いたいだけなのに、政治信条の違いで買えなくなるのが残念」と今後の購読を中止された方には、心からおわびいたします。永年のお買い物、本当にありがとうございました。

 見事である。こんな小気味のいい日本語をしばらくぶりで読んだような気がする。

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(12)

2025年01月08日 | 脱原発

2016年10月8日

 仙台の脱原発運動についての河北新報の記事を見たという知人・友人から連絡がいくつかあった。ブログを読んだ遠方の知人から内容の問い合わせもあった。短い文章なので転載しておくことにする。
 9月23日の夕刊一面、『河北抄』というコラム記事である。

 東京電力福島第1原発事故の教訓はいずこへ、とばかりに再稼働される原発。一方、事故を踏まえて仙台で市民グループが地道に活動を続けている。
 原発や放射能を学び、話し合う「ぶんぶんカフェ」。2011年2月に始めて以来2~3カ月に1度の割合で開き、今月で32回を数えた。スタッフは30~50代の女性5人。その一人の斎藤春美さんは「関心を持つ人の輪を広げ、緩やかにつながりたい」と願い、切り盛りする。
 12年7月開始の「脱原発みやぎ金曜デモ」。来月下旬に200回を迎える。追っ掛けカメラマンがいる。小野寺秀也さん(70)。デモの模様を撮影し、自身のブログで発信する。元東北大大学院教授。同大学院で原子力工学を学んだ。「原子炉の危険性を学んだ者として責任を感じ、個人としてできることで手伝っている」とシャッターを切る。
 南米の先住民に伝わる昔話「ハチドリのひとしずく」の主人公の一言を思い出す。「私にできることをしているだけ」。原発避難者からは苦悩が伝わってくるが、無力感が漂わないのが救いだ。 (2016・9・23)



2016年10月14日


 次回(10月23日)の「脱原発みやぎ金曜デモ」は、200回の節目の記念デモになる。その時のパフォーマンスの一つとして、司会者と私で原発・放射線についてのクイズショーのコーナーをやることになった。いま、司会を担当する人とクイズ問題を作っているが、これが意外と難しいのである。
 金デモが立ち上がってから、多くの人のスピーチを聞く機会があって、原発をめぐる多種多様なことをみんながよく知っていることに驚いていた。危機感や強い関心が様々な知識を身に付ける契機になっているのだろうと感心するばかりだったのだ。大学で原子力工学を学んだ私が口を出して何かを話す必要はまったくないとずっと思いこんでいたのだが、つい最近、放射線や原子核の物理の基礎的なことを話してほしいと頼まれることがあった。
 原発は、原子核物理学や原子力工学ばかりではなく、生物学や医学の知識も必要とするし、何よりも政治や経済の話でもある。マスコミや書籍を通じてその広範な知識に接触しても、放射線や原子・原子核の基礎的なことに触れるチャンスはそんなに多くはないだろう。私のキャリアの方が特殊で少数なのだ。
 つまり、私が考えるクイズがデモ参加者のみんなにとって難しいのか簡単なのか自分でよくわからないことに気づいたのである。「私に問題を出してみたら?」と妻が助け舟を出してくれたが、妻の顔を眺めていてそれも諦めるしかなかった。全問不正解だったらどんなふうに慰めていいかわからないし、なによりもそれでは私の参考にはならない。その可能性がとても高いような気がするのだ。モゴモゴとごまかして立ち上がり、今日の集会場、元鍛冶丁公園に向かうのである。

  原発・放射線のクイズ問題を考えているとき、8月末にあった学習会で出された「放射能は小さな子どもに大きな影響を与えるが、老人には影響ないように思われているが、老人も危ないのでは?」という質問のことを思い出した。
 細胞分裂が活発な若年層ほど放射能感受性が高いのはたしかだが、老人と言えども生きている限り細胞分裂を繰り返しているので、ことさら安全というのは明らかにまちがいである。晩発性障害である多くの癌のリスクは成人以上の年齢では急激に減少するが、呼吸器の癌は中年の年齢域では増加するというデータもあるので注意を要する。
 一般的に言えば、晩発性障害のリスクは年齢とともに減少するのはたしかで、50歳の放射線感受性は10歳の1%以下だとする説もある。しかし、それを50歳に比べれば10歳の放射線感受性は100倍以上だと表現することもできる。同じことを言うのでも、前者は老人は安全と強調するのに、後者は子供は危険と強調することになる。どちらの表現をするかで、その人物の人間観や人間性が分かろうというものである。
 さて、年齢とともに放射線被ばくのリスクは減少するのだが、わが家の112歳の放射能感受性はどのくらいなのだろう。さすがにそんなデータは見つけることができない(そんな人間は統計にのるほど生きてはいない)が、少なくともこれから浴びる放射線で死ぬ確率は宮城県で一番低いのは確からしい(現在、宮城県で最高齢である)。


 


街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(39)

2025年01月06日 | 脱原発

2016年9月2日

 今日のデモ集会での主催者挨拶もそれに続くスピーチも、原子力規制委員会の放射性廃棄物に関する決定のニュースについてであった。委員会決定は、「原子炉の制御棒など放射能レベルが比較的高い廃棄物(L1)の処分の基本方針は、地震や火山の影響を受けにくい場所で70メートルより深い地中に埋め、電力会社に300~400年間管理させる。その後は国が引きつぎ、10万年間、掘削を制限する」というものである。
 突っ込みどころ満載のニュースである。そもそも「地震や火山の影響を受けにくい場所」が日本にあるのかどうかすら疑わしい。そのうえ、電力会社が400年も存続することができるのか。400年もたてば、エネルギー事情が大きく変わって電力会社は存在理由を失っているのではないか。もうすでに今年から電力自由化が始まって、原発を持つ電力会社以外が供給する電力へのシフトが始まっているのである。
 それにもまして、「10万年間、掘削を制限する」という権限を持つ日本という国家が10万年後まで存続しているのだろうか。未来の10万年後は想像しにくいが、10万年前のことはわかる。私たち現生人類、ホモサピエンスは10万年ほど前にアフリカで生まれた。その時代には、35万年前くらいに生まれたネアンデルタール人も生存していたが、その後ネアンデルタール人は絶滅し、ホモサピエンスだけが残った。
 つまり、10万年というのは、ある人類が生まれたり絶滅したりする事象が起きる時間スケールなのである。生まれて10万年のホモサピエンスがもう10万年生き残る可能性はそれほど高くはないのである。ましてや、このホモサピエンスは原水爆や原発という人類殲滅の科学技術を手放せない人類なのである。
 10万年も管理し続けなければならない放射性廃棄物を大量に生み出す原発にしがみつくことしか考えていない愚かな国家のもとで、誰の子孫が10万年後まで生き残れると考えているのか。
 少なくとも私たちは、私たちと私たちの子孫の未来(10万年などではなく近未来のことだ)を確かなものにするために、原発(と原水爆)に反対し、これ以上放射性廃棄物を増やすことがないようにデモで意思表示をしているのである。

 これはデモが終わって帰宅してから見つけたのだが、とても気になるニュースがあった。日本の原発13基の圧力容器に強度不足の疑いがあって調査に入ったというニュースである。

 フランスの原発で強度不足の疑いがある原子炉圧力容器などを製造したメーカーが、稼働中の川内原発1、2号機など国内8原発13基の圧力容器を製造していたことを原子力規制委員会に報告したことが発端となった。
 ニュースには詳しく描かれていないが、ほかの情報を合わせると。圧力容器に使用している鍛造鋼に含まれる炭素量にムラがあって強度不足のおそれがあるということらしい。鉄鋼はその強度を増すために炭素を混ぜるのだが、その炭素が結晶粒界などに偏析すると脆くなって、脆性破壊の原因になる。
 これは、8月27日の「風の会」主催の公開学習会「原子力のい・ろ・は」でも話題になったことだが、原子炉の圧力容器は繰り返しの熱履歴や圧力変化によるクリープ、さらには放射線損傷によって炭素の偏析が進んで脆性が増すことはよく知られていて、圧力容器の脆性破壊は冷却水の一挙の喪失によって核燃料溶融に至る重大な原子炉事故をもたらす。東京大学名誉教授(金属学)の井野博満先生は、つとにその危険性を指摘されていて、とくに日本でもっとも古い原発の一つである玄海原発1号機は最も危険だと主張されている。
 その圧力容器のもともとの材料の炭素分布にムラがあるということは原子炉の安全性にとってきわめて重大な問題である。ところが別のニュースによれば、原子力規制委員会は「製造当時の記録や試験結果で健全性を証明することが可能だ」として、あらかじめ「健全性が証明される」ことを予見している。残念ながら、ここでもまた、規制委員会が原発推進の口実のために設けられた形式的な機関にすぎないことが明らかになっている。

 

2016年9月17日

 今日のデモ集会スピーチの最大のトピックは、「政府が高速増殖炉もんじゅの廃炉に向けて最終調整に入った」というニュースで、数人の人がその話題に触れた。危険な原発が廃炉に向かうというのは、もちろん喜ぶべきニュースだし、これが核燃料サイクル政策の破綻の始まりなら言うことなしである。
 ところが、実際には、もんじゅを廃炉にしても原発を推進する通産省(ひいては自公政権)にとってはなにも困らないのではないかと思えるのだ。「燃やせば燃やすほど核燃料が増える夢のような原発」という歌い文句で始められた高速増殖炉計画は、新しい科学技術を推進することが使命である文科省が、大洗の実験炉「常陽」、敦賀の実証炉「もんじゅ」と進めてきたものだ。
 しかし、世界の趨勢は高速増殖炉を捨てる方向で進んでいる。何よりも、日本では、原発が生み出す大量のプルトニウムを処理するはずの六ヶ所村の核燃料処理施設の稼働のめどがまったくたっていない。通産省的な立場からすれば、このような状況下で高速増殖炉によって大量のプルトニウムを生産することは合理的ではないということだろう。現有するプルトニウムはMOX燃料として使用し、原発再稼働でできるプルトニウムを核燃料サイクルにまわせば将来的にも十分と考えているのではないか。もんじゅ廃炉の支障となるのは、文科省の面子ぐらいだろう。
 濃縮ウランを使用するように設計された既存の原発でMOX燃料を使用するのは、原発の危険度を格段に上げることになる。一基の高速増殖炉もとても危険には違いないが、MOX燃料によって全国のウラン炉へその危険が分散、分配されるというのが、通産省が目論んでいる核燃料サイクル政策の本質であろう。

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (23)

2025年01月04日 | 脱原発

20161111

 ネットもテレビも新聞もドナルド・トランプの話題で賑わっている。ジャーナリズムの予想に反したのか、期待を裏切ったのか、それともその両方なのかもしれないが、言い訳じみた解説にうんざりする。
 選挙は「よりましな選択」とはいえ、選択肢がヒラリーとトランプなのだから、どちらが勝っても負けても世界にもたらされる不幸の質と量に差があるとは思えない。それに、不満のある大衆に(仮想)敵を作ってみせてヘイトで煽るという選挙の質と結果は、大阪府知事選挙で橋下徹が勝った時に見ている。
 騒々しい解説の嵐のなかを、一つのツイートが駆け巡った。そのツイートが私にとってのアメリカ大統領選挙についてのアルファでありオメガとなった。119日の「稲葉歩@inabawataru」という人の短いツイートである。

アメリカ大統領がトランプだからって何ビビってんだよ。
日本なんて安倍だぞ。

 彼我の国民の不幸にほとんど差がないのである。私は、私のやることをやるだけである。
 選挙後に西海岸の若者たちが反トランプのデモを始めたというニュースに、選挙結果を認めないのは民主主義ではないという陳腐な批判を加えるマスコミもあったが、海のこちら側では国会前に時には10万人を越える反安部の抗議集会が続いている。デモや抗議集会は、不十分な民主主義制度の欠かせない必須の補完物なのだ。

 鹿児島県の三反園知事が川内原発の検査状況を視察したという話から脱原発デモの主催者挨拶は始まった。その視察に同行した二人の専門家が原発を推進する立場の原子力工学者だったことから、再稼働容認への地ならしではないかと疑問を呈している人々もいる。検討委員会設置後の議論を待ってからの判断と知事は言っているが、再稼働を認めないよう遠い仙台からも声を届けたいと話された。
 また、ベトナム政府は日本が建設する予定の原発建設計画を白紙に戻す方向で検討を始めたというニュースにも触れた。福島事故を受けて安全性を見直したことや建設費の膨張などによる原発による発電コストの高騰などがその要因ということだ。福島事故を起こしたうえに、その原因を解明もできず、事故を終息させることもできない国が外国に原発を売ることの非倫理性を問う必要がある。日本国民ばかりではなく、どんな国の人も放射能を浴びることのない環境で生きていく権利があるのだ。
 金デモに参加されている書道家が反原発と護憲の考えを書として出品している「東北書道秀抜展」が1118日~23日に仙台メディアテークギャラリーで開催されるという告知をされた後、東北文化学園大学の震災復興と原発問題をテーマとする特別講座の案内があった。1110日から開講し、原発や環境に関する話題ごとの講師を招いての講義で、毎週木曜日午後3時〜4時半に同大学1号館1257教室で行われる。因みに、来週と再来週の講師は福島原発告訴団の武藤類子さんということだ。
 また、インドのモディ首相が来日して今日にも締結される日印原子力協定を批判する『世界』12月号掲載の福永正明さんの記事の紹介もあった。インドは核不拡散条約に加盟していない核兵器所有国であり核実験も行っている。そんな国に原発を輸出することは許されるのか、核実験を行った場合には協力を停止することができるのか、インドは使用済み核燃料の再処理を認めてほしいと主張していることなどきわめて重要な問題が指摘されている。
 宮城県の市町村長会議で村井知事が8,000Bq/kg以下の放射能汚染廃棄物を焼却する方針を打ち出したことを受けて、奥山仙台市長がそれを受け入れる意思を表明したことから、脱原発仙台市民会議が仙台市に反対の申し入れを行った。 (1)焼却する理由がないこと、(2)焼却工程での安全性が担保されていない、(3)輸送工程での安全性が担保されていない、(4)富谷市との協定や松森工場建設の際の住民協定に違反するのではないか、(5)特措法に抵触するのではないか、(6)発生者責任を問うべきである、などの9項目にわたって申入れをしたところ、今月末に話し合いがもたれることになったという(脱原発仙台市民会議の人と申入れに同席されたふなやま由美市議の報告)。
 女川原発の建設計画段階の時代からの反原発運動に取り組んでこられ、宮城県の反原発運動のリーダー役だった篠原弘典さんが第28回多田謡子反権力人権賞を受賞されたという紹介があった。
 篠原弘典さんは1966年東北大学に入学して原子核工学科に進学したが、原子力の危険性を知って反原発の歩みを始め、女川原発差止訴訟原告団をはじめとする運動の牽引役となり、「みやぎ脱原発・風の会」を主導され、脱原発東北電力株主の会代表、女川原発の再稼働を許さない!みやぎアクション世話人、放射能問題支援対策室「いずみ」顧問などとして活動されたことが授賞理由となった。
 最後に、一昨日野党4党の幹事長会議が開かれ、原発反対も協定の俎上に上って、民進党も否定的ではないよという話題があった。原発立地県の新潟では70%以上が原発反対で、そのことが知事選挙の結果に現れている。野党共闘では原発も極めて重要なイッシュウだという意見が述べられた。

 今日は朝から雨が降っていて、集会が始まるころには止んだように思えたが、また小雨が降り始めた。 冷たい雨である。合羽を着ている人、傘をさす人、防水加工の服なのか雨を避けるふうでもなく頑張っている人などさまざまな参加者は一番町に入るころには40人になっていた。
 一番町に入っても広瀬通りまでは濡れて歩くしかない。

街の灯によごれたる虹立たしめてストロンチウム九〇の
                    篠 弘 [1]

[1] 篠弘「歌集 昨日の絵」『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年)p. 229

 


街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫