かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(25)

2024年10月30日 | 脱原発

2015年7月3日

 安倍政権は、この15日くらいに衆議院で戦争法案の強行採決を図るだろうというニュースが流れている。いつものように、朝4時くらいに目をさました私は、少しの間ネットを眺める。そこからは、多くの人の緊張感が伝わってくる。
 まだ薄暗い朝の4時、読むべき本の手持ちがなくなって、アガンベンの『開かれ』を引っ張り出した。アガンベンは、ナチスを生み出した現代政治を批判的に考察している哲学者だが、『開かれ』は少し趣が変わっていて、「人間とは何か」、「人間と動物を分ける境界はあるか」という主題の本である。
 あまりにも現実的な生臭さ(腐臭)がまとわりつく戦争法案や安倍政権をめぐるもろもろとは対極的な主題でその安倍的生臭さを消そうと思ったというわけでもないが、いくぶん距離を置いた本を読みたいとは思ったのだった。
 しかし、何度読み返してもアガンベンは厳しいのである。

人文主義による人間の発見とは、人間そのものの不在の発見であり、人間の尊厳=序列(ディグニタース)の取り返しようのない欠如の発見である。 [1]

 ここで言う「人文主義」とはヒューマニズムと呼ばれる人間中心主義のことで、アガンベンは「人文主義のマニフェスト」と呼ばれるピコ・デッラ・ミランドラの次のような言葉を引用したうえでそう断言するのである。

 汝自身のいわば自由意志を具えた誉れ高き造形者にして形成者として、汝は、汝が望むような姿で汝自身を模(かたど)ることができる。汝は、下位の存在にある獣へと頽落することもできるだろうし、また心がけしだいでは、上位に存する神的なものへと転生することもできるだろう。 [2] 

 政治権力を得て独善的にその権力を振り回す安倍政権は、あたかも自分たちを「上位に存する神的なもの」と信じ込み、思い上がっているようだ。
 しかし、あたかもフクシマは存在しなかったかのごとく原発再稼働を推し進めて、日本の地に住む人々の未来の生命、健康を危うくしているばかりではなく、戦争法案によって世界中に戦争の危機をばらまき国民にその命を差し出せと言わんばかりの政策に邁進しているその姿は、人間の歴史や積み重ねてきた人間の思慮というものが完全に欠落していると言うしかない。「獣へと頽落」した姿そのものである。
 私たちは今、自民党や公明党に「人間そのものの不在」を発見している。何のためにアガンベンを読んだのか、思いはふたたび元へ戻ってしまった。

[1] ジョルジュ・アガンベン(岡田温司、多賀健太郎訳)『開かれーー人間と動物』(平凡社、2011年)p. 58。
[2] 同上、p. 57(原典:ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ(大出哲、阿部包、伊藤博明訳)『人間の尊厳について』(国文社、1985年))。

 

2015年7月10日

 デモはいつものように賑やかで元気だ。しかし、正直に言えば、集会中もデモのときも、あまり人と話す気分ではないのだった。もともと社交的ではないのだが、こういう精神状態の時はことさら話すのが辛い。
 長い人生でこんなことを何度も繰り返せば、何事もないように挨拶する術は身につけたが、まったく楽しくはないのだ。目の前のことどもから逃げ出さずに対処することができれば問題ないはずなので、さしあたって逃げ出さないで耐え抜くというのが経験的な知恵である。その程度で何とかなってきたので、病気までは進んでいなくて気質の問題なのだと自分では思っている。
 そんな気分の時によりによって辺見庸さんの文章を読んだりするのである。エマニュエル・レヴィナスとかプリモ・レーヴィ、そして辺見庸などなど、その文章を読むと自分の精神がいかにフワフワと軽いものだということを思い知らされる思想家がいるのだ。

 底知れないほど低級な、ドブからわいたような、およそ深みなどまったくない力に、げんざいがやすやすと支配されていること。 [1]

 私たちが置かれている政治的情況をみごとに切り取って見せた一節である。辺見さんの文章は、いつでも現実をひたすら見据えたすえの深い絶望を経たうえで、いっそう勁い精神で言葉を紡ぐのである。
 誤解のないように書いておくが、私の心の不調はけっして現在の政治的情況のせいではない。単なる個人的な情緒の問題に過ぎない。「ドブからわいたような」政治家のために私の心が左右されるなどあり得るはずがない。ちっぽけなプライドとはいえ、そんなことを自分に許すことはけっしてない(はずだ)。

[1] 辺見庸「1★9★3★7 『時間』はなぜ消されたのか ㉑」『週間 金曜日 1045号』(株式会社金曜日、2015年6月26日)p. 34。

 

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【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (17)

2024年10月28日 | 脱原発

2015年11月13日

 1昨年だったか昨年だったか、記憶は定かではないが、「国会議事堂前」で地下鉄を降りたつもりが、国会議事堂の裏手、たぶん衆議院議員会館近くの地上に出て、国会正門前までだいぶ歩いた記憶がある。
 この夏に二度、安保法案反対で国会正門前に行ったが、「霞ヶ関」で地上に出て坂道を上るコースでなんなく辿りついたので、今日も安全を図って「霞ヶ関」で降りたのだが、夜の桜田通りで方角を失った。Google mapを開いて、何歩か歩いて、位置と方角を確かめた。
 何度も方向を変えて地上に出ると、たいてい方角を失う。昼であればどうにかなるように思うが、周囲にネオン広告も看板もない同じようなビルが並ぶ夜間の官公庁街では四方が全く同じに見えるのだ。年に4、5回、やって来るだけではどうにもならない。アーバン・ライフなどどこの世界の話だろう。
 前回(5月22日)の官邸前抗議には大幅に遅刻したのだが、今日は何とか間に合った。まずは、コールをしている先頭までいって、そこから写真を撮りながら下って来た。
 最後列まで下ってから引き返し、二番目のグループの後方に入ってコールに加わった。このグループの先頭近くでカメラを構えている目良誠二郎さんを見かけたので、列を抜け出して挨拶をした。
 そこには何度かお会いした顔が並んでいた。挨拶をする間もなく、むとうちずるさんに「No 9 NO WAR」と「NO NUKES FRAGILE TAG」のステッカーを頂いた。前回の時は、「No 9 NO WAR」タグを頂いたし、ずっと前には「NO NUKES FRAGILE TAG」タグを頂いた。お会いするたびに何か頂き物がある。NNML TAG Projectというグループで、どんどん新しいアイテムを創り出しているのである。
 頂いたステッカーをまずカメラに貼り付けた。私にとってカメラは必須のデモ・アイテムなのである。スマホにも貼ったが、これはデモ・アイテムとは言い難い。
 第2グループの先頭に入らせてもらって、抗議のコールに参加した。首相官邸に向けてのコールなので、とても直截で感情が乗りやすい。それでも30分も過ぎると喉が痛くなる。
 仙台で毎週の脱原発デモに参加しているといっても、コールで声を上げるデモの時間は30分くらいである。しかも、私は写真を撮るのにその半分ほどの時間はデモの周囲をうろうろしているだけだ。
 途中でスピーチが入るとはいっても、さらに1時間のコールが続くのかと多少不安になったが、とても元気にコールしているまわりに合わせていると、あっという間に時間が過ぎていく。
 コールの合間に首相官邸方向の写真を撮っていたとき、官邸の背後のビル群の風景に見覚えがあるような気分がした。そうだ。これは田渕俊夫の絵 [1] だ。渋谷の松濤美術館で見た田淵俊夫の日本画の中に、ビル街の絵があってとても印象的だった。その絵を思い出したのだ。
 ぴったり20:00に抗議行動は終わった。みなさんに挨拶をして引き上げる。途中に地下鉄入口があるが、私はきたときに降りた「霞ヶ関」へと歩くのである。地下のラビリンスは避けて、距離があっても来た道を辿るのが私には安全なのだ。
 抗議の列からずっと離れたところで反原発ソングを歌っているグループがいた。18:30前から歌っていて、20:00を過ぎても帰り足の人たちに歌いかけている。
 さて、今度はいつになるだろうか。来年3月に東京に出る予定があるが、その前に一度くらいチャンスはあるかもしれない。官邸前では、少しばかり気持ちがしゃきっと入り直すような気持ちがする。

 [1] 『いのちの煌めき 田渕俊夫展』(図録)(中日新聞社、2012年)p. 79。

 

2015年11月29日

 今日の午後2時からザイトク(在日特権を許さない市民の会)のヘイト街宣があるという。同じ時間に月1回の脱原発日曜昼デモの集会が始まる。昨年の1月末にも日曜昼デモに重なる時間帯にザイトクの講演会があって、カウンターとデモ参加の両方をこなそうとして市内を駆け回った記憶がある。
 2時から少しだけカウンターをして、それから幾分の遅刻で金デモに向かうことにした。
 ザイトクの考えを典型的に示すのが「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」という言葉である。この言葉をプラカードに掲げてデモをするばかりではなく、そういう演説もする。
 ナチスのユダヤ人ならすべて絶滅対象とする最悪の人種殲滅の考えとまったく同じである。反対するしかないではないか。
 仙台の街宣のメッカと呼べるのは、中央通りと東二番丁通りの交差点、平和ビル前である。時間通りに平和ビル前に行ってみたらザイトクはいない。拉致被害者を取り戻そうという署名活動のグループとYMCAの慈善活動への協力呼びかけのグループが中央通りを挟んで陣取っている。
 どうしたものかと思案していたら、公安らしい3,4人が急いで東二番丁通りを渡っていくので慌てて追っかけた。平和ビルの斜め向かいにザイトク関係者と思われ15人ほどが「移民(難民)受け入れ絶対反対!」という横断幕を掲げて何か演説をしている。移民(難民)と一般化して、一見、政治スローガン風だが、彼らが反対するのは中国人や韓国(朝鮮)人であって、アメリカ人やヨーロッパ人ではない。ナチスにおけるユダヤ人のように、民族差別の矛先はいつも同じなのだ。
 一方で、同じ15人ほどの人たちが思い思いにレイシズムや差別扇動街宣に反対するプラカードを挙げて対峙している。その間を割るように30人ほどの公安がガード(どちらを?)しているという構図だ。ザイトクのグループに近寄って抗議しようとする数人を公安が押し返している。
 写真を撮ったり、カウンターの列に並んでいたりしたが、間の抜けたことに私はプラカードを用意していなかった。物見高い年寄りが突っ立っているという図である。
 しかし、人間が人間を差別するというのは、人間に避けがたく刻み付けられた精神の病弊であろうか。ジュルジョ・アガンベンが追求してきたように歴史的には「ホモ・サケル」[1] から「ムーゼルマン」[2] に至るまで、人間が「人間ならざるもの」へと貶められた悲惨な例は少なくない。
 しかし、少なくとも、ナチスのユダヤ人大虐殺に衝撃を受けたヨーロッパ社会は人種差別やヘイト言説を法的処罰対象とする人道的犯罪として政治制度化した。一方、日本ではザイトクときわめて心情的親近性の高い極右政権が成立していることもあって、彼らは野放しのままである。日本は、世界の歴史に追いついていない極東の後進国と言うしかない(少なくとも政治思想的には)。
 人間が人間を差別するのは、きわめて低劣で悪質な倫理上の犯罪である。私たちが日常的に疑いをさしはさまない「人倫」というものは、歴史的・思想的には人間中心主義(ヒューマニズム)によって形成されてきた。そのヒューマニズムこそ「人間ならざるもの」を差別してきたとして、アガンベンは「人間ならざるもの」としての動物と人間の差異は何かと問う仕事もしている [3]
 アガンベンばかりではない。ジャック・デリダの死後、遺稿のように出版された『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』[4] では、アリストテレスからデカルト、カント、ハイデガー、レヴィナス、ラカンという西欧哲学・思想の主脈において人間中心主義が主体概念から排除してきた動物(たち)の問題に踏み込んでいたのだ。
 なぜか私はいま、アガンベンからデリダへと、動物を差異化している人間そのものの意味を問う本に出合ってしまい、読み続けている。哲学や思想の世界では、いまや動物を差別する人間の思想にまで踏み込んで問うているのに、現在を生きる私は、在日外国人という政治的弱者を口汚くののしりつつ差別しようとする人々に抗議のために向き合わなければならない。その思想的落差に愕然としてしまう(彼らの考えを思想と呼べるならばだが)。 

[1] ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『ホモ・サケル――主権権力と剥き出しの生』(以文社、1995/2003)。
[2] ジョルジョ・アガンベン(上村忠男、廣石正和訳)『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社、2001年)。
[3]ジョルジョ・アガンベン(岡田温司、多賀健太郎訳)『開かれ――人間と動物』(平凡社、2011年)。
[4] ジャック・デリダ(マリ=ルイーズ・マレ編、鵜飼哲訳)『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(筑摩書房、2014年)。




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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(24)

2024年10月26日 | 脱原発

2015612

 カメラをザックに放り込んで家を出るのだが、そのザックにはずっと「No Nukes」のタグがぶら下げられている。その脇に先月から「No War」のタグが並んでいる。闘う敵の根っこは一緒だから「No Nukes」のシングルイッシューで十分だと嘯いていたが、自公政権の戦争立法攻勢にそうばかりも言っていられなくなった。憲法審査会での3人の憲法学者が揃って戦争法案は憲法違反だと断言したことで状況はいくぶん流動的になって、政権は国会会期内の成立を断念した。「潮目が変わった」という言う向きもあるが、会期を延長して成立させようという意志はまったく衰えていないようだ。
 どの閣僚も国会審議の中で話すことは支離滅裂で、最低限の立法趣旨すら説明できていないのだが、ほとんどの憲法学者が憲法違反だと主張していることも意に介する風はない。最後は多数で押し切れるという「奢り」が背広を着て歩いているようなのである。
 今の状況は戦前だと多くの人が指摘している。今日の状況は、敗戦後に日本人がかつての戦争をどう捉え、どう責任を取ったかということに起因しているのだと思う。戦後をどう生き抜いたかという点に関して、必ず引き合いに出されるのがドイツである。そのことで平川克己さんが興味深い文章を書いている。

 〔すべての戦争責任はナチスにあるとしたドイツの〕歴代の指導者たちは、〔……〕何度でもあの時代の光景を思い出させるような演説を繰り返した。国内に博物館をつくり、収容所を歴史の証拠として残し、学校ではワイマール憲法のもとでどのようにしてナチスが台頭してきたのかという政治プロセスを、中学校ぐらいのときに学ばせた。そして、「忌まわしき自分たちの過去を克服する」ことを国民的な課題としてきたのである。[1]

 一方の日本では、誰一人として日本人の責任を問うことはなかったし、戦勝国から戦争犯罪人と断罪された日本人を靖国神社に祀ることで、彼らの責任すら否定してしまった。つまりは、日本人はすべて戦争の被害者だという認識の欺瞞を生きてきたのである。
 だからこそ、戦争遂行政府の高級官僚であった吉田茂や岸信介、帝国陸軍将校で慰安婦施設を作ったことを自慢するような中曽根康弘が戦後の首相になることができたのである。

 もし、戦後民主主義というものが軽薄な理想主義に映るとすれば、それはおそらくそこに加害者としての国民という意識がほとんど無く、災害から立ち上がる被害者たちという立ち位置を多くの日本人が選択してしまったというところにあるのだろう[2]

 これは、まったく福島の原発事故後と同じことなのだ。あれほどの被害が生じた事故を起こしながら、原発を推進してきた政府・自民党も事故を起こした東京電力の誰一人として責任を取ろうとしていない。責任を問うべき立場にある法にたずさわる人間たちも口を濁したままである。「風評被害」とか「食べて応援」などという、すべからく「被害者同士助け合いましょう」的な感情・意識に席巻されてしまっている。戦争責任と同じく、誰も責任をとらないことを暗黙の内に認めて往き過ぎようとしている。
 戦争責任を自らにも他者にも問うことなく戦後を生き延びた日本人は、結局ふたたび同じような過程で戦争に踏み込もうとしているというのが、今の戦争立法の歴史的意味であろう。責任もとらず反省もしなかった者は、ふたたび同じ過ちを犯すのである。
 戦争と同じように、いま、真剣に原発事故の責任の所在を明らかにしなければ、またふたたび原発事故に見舞われるに違いないのである。そして、原発事故は非可逆的な事象であって、私たちの国土の上で日本人として暮らすことが不可能になる怖れがある。戦争に負けた国土は生き残った者が復興させることができるが、放射能にまみれた土地では誰も生き残れないのである。
 日本人の敗戦処理が間違っていた、日本人は誰も戦争責任をとらなかった、という話ではどうしても「日本人」として括ってしまうのだが、これは注意を要する話法だ。日本人はみんな悪いという言い方は、日本人はみんな正しいということと大差ないのである。「1億総懺悔」が「1億総無責任」と同じ意味だったことと同じである。
 責任を重く受け止めた日本人はいる(いた)。責任の所在をはっきりと自覚する人はいる(いた)。しかし、それが社会に反映されなかった、マジョリティにならなかったというに過ぎない。私たちの反原発の意思表示、戦争立法への反対の行動は、一方でそのような人々の発見の過程でもあると私は考えている。今はマイノリティでも、いつかマジョリティの意志として社会を形成すると信じるしかない。
  先ほどの平川克美さんと同じ本に、鷲田清一さんが社会構成と社会の安定性について論評されている文章が、抗議行動や反対運動との関係でとても意味が深いのではないかと思った。
 鷲田さんは、「ある社会を構成する複数文化のその《共存》のありようがきわめて重要になるのです」と言い、TS・エリオットの言葉を引用しながら、次のように述べている。

 エリオットはこの《共存》の可能性を、なにかある「信仰」やイデオロギーの共有にではなく、あくまで社会の諸構成部分のあいだの「摩擦」のなかに見ようとしました。あえて「摩擦」を維持するとは、これもまたなかなか容易いことではありませんが、エリオットはこう言っています(傍点は引用者)――

〔一つの社会のなかに階層や地域などの相違が〕多ければ多いほど、あらゆる人間が何等かの点において他のあらゆる人間の同盟者となり、他の何等かの点においては敵対者となり、かくしてはじめて単に一種の闘争、嫉視、恐怖のみが他のすべてを支配するという危険から脱却することが可能となるのであります。(「文化の定義のための覚書」『エリオット全集5』深瀬基寛訳、中央公論新社、290)

 一つの社会の「重大な生命」はこの「摩擦」によって育まれるというのです。社会のそれぞれの階層やセクターはかならず「余分の附加物と補うべき欠陥」とを併せもっているのであって、それゆえに生じる恒常的な「摩擦」によって「刺戟が絶えず偏在しているということが何よりも確実な平和の保障なのであります」とまで、エリオットは言います。というのも、「互いに交錯する分割線が多ければ多いだけ、敵対心を分散させ混乱させることによって一国民の内部の平和というものに有利にはたらく結果を生ずる」からです。[3]

 戦前の日本社会もドイツのナチズムも、社会とその構成員である国民を唯一の価値に染め上げて「摩擦」を無くそうとして多くの非人道的な弑虐を行ったのは確かなことだ。共産主義の名のもとに国民意志の斉一化を図ろうとしたソ連もまたアーレントの言う全体主義国家であった。
 反原発の運動は原発の廃棄をめざすことに間違いないが、そのような意思表示をすること自体がすでに多様な存在の一つ、「摩擦」の一つとなって社会の安定に寄与している(はずだ)。正しくプロテストすることこそ、「国民の内部の平和というものに有利にはたらく」ことになるのだと思う。
 雨は降り続いているが、青葉通りに出るとすっかり弱くなっていた。「みやぎ金曜デモ」は必ず晴れると豪語していたのだが、最近は雨に降られることが多いとデモの出発前に発言したのは主催者代表に西さんだった。 

[1] 平沢克美「戦後70年の自虐と自慢」、内田樹編著『日本の反知性主義』(晶文社、2015年)pp. 166-7
[2]
同上、p. 167
[3]
鷲田清一「「摩擦」の意味――知性的であることについて」、同上、p. 128

 


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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(10)

2024年10月24日 | 脱原発

2015年10月9日

 川内原発2号機が再稼働するとか、愛媛県議会が伊方原発の再稼働に同意したとか、不愉快なニュースが続いているが、それを帳消しにするくらいの良いニュースもある(原発を止めるのがほんとうの「帳消し」だが)。
 岡山大学の津田敏秀教授が医学専門誌「Epidemiology(疫学)」に発表した論文で、福島県が実施した原発事故当時18歳以下だった約37万人の県民の健康調査の結果を分析したところ、甲状腺癌の発生率が国内平均の「50~20倍」に達していたと結論している。
 チェルノブイリ原発事故では5、6年後に甲状腺癌の患者数が増加したことから考えれば、これは必当然の結果である。ウクライナ人も日本人もまったく同じ生化学的肉体を有する同じ人間であり、放射線の物理的作用に地域差があるはずもないのだから、おなじ被害が発生することは考えるまでもない。
 国際癌研究機関(IARC)が組織したチームが、いかなる閾値もなく低線量被曝でも白血病リスクは確実に上昇するという報告したことも、福島での甲状腺癌の高発生という結論も科学的、合理的な判断からすればごく常識的な結果に過ぎないが、原発推進勢力が権力を手にしている状況では、どちらも重要な科学的知見の公表であり、ニュースである。

 ベラルーシのスベトラーナ・アレクシエービッチさんがノーベル文学賞を受賞したこともとても素晴らしいニュースだ。『戦争は女の顔をしていない』や『チェルノブイリの祈り』などの作品で、反戦、反原発の立場を明確にして活動している作家、ジャーナリストである。戦争法案に反対し、原発再稼働に反対している私(たち)には心強い受賞である。
 彼女は福島事故後のメッセージで、「広島、長崎の原爆投下とチェルノブイリ事故後、人間の文明は『非核』の道を選択すべきではなかったのか。原子力時代から抜け出さなければならない。私がチェルノブイリで目にしたような姿に世界がなってしまわないために、別の道を模索すべきだ」と語ったということだ(毎日新聞)

 ノーベル平和賞も私(たち)を奮い立たせ、元気づける人びとが受賞した。「アラブの春」のあと、チュニジアの民主化に貢献したとして国民の対立解消につとめた4団体「国民対話カルテット」に平和賞が贈られた。
 チュニジアはまだテロが続く不安定な状況で、必ずしも諸手を挙げて喜べる状況ではないのだが、一方で、憲法を守ることで平和を追求する日本の民間団体が受賞する可能性が一段と高まったように思えるのは私だけではないだろう。憲法を守ることで優れた民主主義を求め、戦争に反対する民間団体は、民主的対話を追求した民間団体に優るとも劣らないのは間違いない。
 もう一つ良いニュースがあった。極東国際軍事裁判(東京裁判)と南京軍事法廷の記録など「南京大虐殺」に関する資料がユネスコの認定する世界記憶遺産となった。認定申請したのは中国政府なので、自公政権は当然のように反発しているが、これを歪曲することなく真摯に過去の歴史に向き合う契機としなければならない。ユネスコが認めたということは、南京大虐殺に関する日本の歴史修正主義者(自公政権)の主張が世界でいかに孤立しているかを示している。
 今回の世界記憶遺産認定は、戦争法制や歴史認識において明らかに戦前の大日本帝国へ退化している自公政権への警告になるはずだが、政権にはそんな認識は期待できないだろう。それを実態化(現勢化)するのは、やはり私たち国民の仕事に違いない。
 甲状腺癌の発生率が国内平均の20~50倍も高いとする津田敏秀先生の論文には、予想通り、原発を推進したい学者からの批判(非難?)が上がっている(日刊ゲンダイのニュースから)。面白いと思ったのは批判する言辞のなかに「時期尚早」という言葉があったことだ。
 「時期尚早」とは事を為すのは早すぎるという意味だ。つまり、もう少し後ならやっても良いということである。もう少し後に発表すれば津田論文は正しいのだということを、批判者は言っていることになる。これは、福島で甲状腺癌が多発するのは将来的には避けられないという告白(自白)に等しい。
 科学的な真理は時空を超える。時間や場所で真になったり偽になったりはしない。「時期尚早」などという人間くさい(政治がかった)戦術や策略とは無縁のはずである。ここにも、福島をめぐる放射線被曝の問題が、科学的、医学的にではなく、政治的に語られている空気が漂っている。


2015年12月11日

 東京新聞によれば、つぎのような高濃度汚染のニュースがあった。

 東京電力は九日、福島第一原発4号機の南側地下を通るダクトにたまった汚染水を調べた結果、放射性セシウムの濃度が昨年十二月の約四千倍になるなど、放射性物質濃度が急上昇したと発表した。東電は、周辺の地下水の放射性物質濃度に変化がないことなどから「外部に流出していることはない」としているが、原因は分かっていない。
 東電によると、今月三日に採取した汚染水で、放射性セシウムが一リットル当たり四八万二〇〇〇ベクレル(昨年十二月は一二一ベクレル)、ベータ線を出す放射性物質が五〇万ベクレル(同一二〇ベクレル)、放射性トリチウムが六七〇〇ベクレル(同三一〇ベクレル)計測された。

 このような高濃度汚染が新たに発生する原因となる最悪の事態は、どこかコントロールできない(場所が把握できない)場所で核分裂が起きていて、新たな核分裂生成物を生み出していることである。
 汚染水に含まれる様々な半減期の放射線核種の組成を調べれば、2011年のメルトダウン由来の放射能か現在も続く核分裂由来のものか判断できると思うのだが、相変わらず原因はわからないと東電は発表している。これまでのことを考えれば、わからないのか隠ぺいしているのか、私たちは判断できないのである。
 原発事故から4年も経ったいまでも関東のどこかで短半減期(8日)のヨウ素131が計測されるという情報がときどき流れてくる。この情報が本当なら、現在も相当量の核分裂が起きていて、核分裂生成物が大気中に放出されていることになる。
 メルトダウンした核燃料がどうなっているかまったくわからない(と東電は言っている)状態では結論を出すのは難しいが、不明な時には最悪の事態を想定して対策を講ずるべきだが、日本の政治家や原子力関係の人たちはあえて最良の事態しか想定しないようだ。典型的な人命軽視の思考方法なのである。

 
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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(23)

2024年10月21日 | 脱原発

2015年5月31日

   いま、国会では戦争法案の審議が行われていて、1年と言わず1ヶ月という単位の重大な時期を迎えている。国会審議とはいうものの、議論はまったくかみ合っていない。姜尚中さんがテレビで「自公政権としては消化試合なので、議論する気はまったくないのだ」という意味のことを話されていた。時間を稼いで、時期が来れば多数で押し切ろうということだ。
 また、ある評論家が「戦争法案の中身を知っているのは、自民党に一人、公明党に一人、あとは数人の官僚だけだ」という意味のことを言ったとどこかに書いてあった。真偽のほどは確かめようもないが、中谷防衛相や岸田外務相の矛盾だらけのトンチンカンな答弁を聞いていると、戦争法案の意味をまったく理解していないというのはきわめてもっともらしいと思える。
 最近、政治における反知性主義についての言説が多く見られるが、安倍や中谷や岸田は反知性主義者などではなくて、非知性主義、主義と言うほどではないので「非知性」ないしは「無知性」なのではないかと思えるのである。つまり、反知性主義によって操られる「無知性」が表舞台で見せている言動が、今の国会の状況ではないかと考えると私なりによく理解できる気がするのである。
 白井聡さんが首相補佐官の磯崎陽輔参議院議員の「立憲主義なんて聞いたことがない」という発言を取り上げたうえで、東京大学法学部を卒業している磯崎を次のように評している。

 学歴者は一般に、少なくとも知性のある部分は発達している。いわゆる頭の回転の速さや知識量は標準レベルを超えており、またそれらを鍛える機会にも相対的に恵まれているだろう。礒崎にしても、彼が「立憲主義」という言葉を見たことも聞いたこともなかった(そのような機会に恵まれなかった)ということは、まず考えられない。だから、礒崎がこうした発言によって曝け出したのは、「自分が興味がなく知らないことは知るに値しない」という精神態度にほかならない。己の知の限定性を知る(ソクラテスの無知の知)ことこそが知的態度の原型だとすれば、この態度は知的態度の対極に位置するものとみなしうる。 [1]

 磯崎に反知性主義の典型を見るのだが、彼の言動から直ちに思い浮かぶのは、国家公務員総合職試験をパスしたキャリア官僚のことである。もちろん、自公ばかりではなく野党の多くにも反知性主義は蔓延しているだろうが、彼らこそが日本の政治における反知性主義の根幹ではないのか。
 いわば、官僚の反知性主義に操られる自公政権の「無知性」が猛威を振るっているのだと、私には思えるのだ。社会からの批判は「無知性」の政治家に殺到しても背後の官僚には届かない構図だ。無知性であるがゆえに政治家に対するどんな批判も実を結ばない。ナントカに説法である。
 だとすれば、最終的に闘うべき相手は行政官僚である。しかし、彼らは、彼らの政治(行政支配)を貫徹するためには、社会システム上、政治家という手段を用いるしか方法はないのである。結局は、日本の反知性主義の手足を奪うという意味で自公政府を倒すことは有効であるだろう。新しく立ち上がった政権が自公政権と同様に官僚に操られる「無知性」なら、ふたたびそれを倒すしかない。

[1] 白井聡「反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴」、内田樹編著『日本の反知性主義』(晶文社、2015年)p. 68。


2015年6月5日

 二人の女性コーラーの元気さに引かれるようにデモは進む。「女性」といえば、今日の寝起き、私のかわたれどきの読書タイムに、高橋源一郎さんが 2001年の〈9・11〉の同時多発テロが起きた二日後に、スーザン・ソンタグが「これは『文明』や『自由』や『人類』や『自由世界』に対する『臆病な』攻撃ではなく、世界の超大国を自称するアメリカがとってきた、もろもろの具体的な同盟関係や行動に起因する攻撃に他ならない」と発言したことを紹介したうえで、高橋さんは次のように書いていた。

 テロの後、すぐに「復讐」や「報復」が唱えられだしたとき、ソンタグの脳裏に浮かんだのは(たぶん)、その「復讐」や「報復」の結果、夥しい砲弾や爆撃を受けることになる人たちのことだった。なぜ、ソンタグがそんなことを考えたんだろう、と思うかっていうと、ソンタグは女性で、女性はずっと「生活」を担当させられていて、男性たちは勝手に「正義」とか「報復」とか「戦争」とかいって怒鳴っていればいいけれど、そんなときでも、女性は家にいて、夕飯を作ったり、子どもの世話をしなければならないわけだからだ。「爆弾を落とされる側」のことがすぐに脳裏に浮かぶのは女性で、そして、実際に爆弾が落ちてくると、「ほんとうに迷惑だな」と思うんだよ。[2]

 高橋源一郎さんは、さらに『ゲド戦記』の作者、アーシュラ・クローバー・ル=グインの『左ききのための卒業式祝辞』という文章の中から「男たちは、ずっと「上」を見ていました。けれど、わたしたち「女」のルーツは、「闇」に、「大地」にあるのです」という趣旨の言葉を取り上げた上で、次のように記していた。

 この「下」へ向う視線こそが、ソンタグやル=グィンを特徴づけていて、それは、なぜだか「上」へ向かいっ放しの多数派の考え方とは正反対を向いている。そして、彼女たちは、自分の考え方が、世間の多数派のそれとは逆のベクトルを持っていることに十分に自覚的だったんだ。そして、それが可能だったのは、彼女たちが、「女性」であったから(もちろん、女性なら誰でも彼女たちのように考えられるわけじゃない。男性のように考え、男性社会に無意識に受け入れられることを望んでいる女性だって多い)で、この、男性中心社会の中で、どうしようもなく「少数派」(「左きき」はそのシンボルだね)であることを運命づけられていたからなんじゃないだろうか。
 だから、ぼくには、もしかしたら、いまや「知性的」なものとは、「女性的」であることをどうしても必要としているのかもしれないとさえ思えるんだ(ここに、ハンナ・アーレントの名前を付け加えると、ソンタグとアーレントはユダヤ系という、もう一つの「少数派」の条件が加わるね)。[3]

 「下」へ向う視線が女性特有であるかどうかは私には断定できないが、そのような優れた感性と思想を備えた尊敬に値する女性がいることはまったく同意できる。アメリカ空軍の無人爆撃機に取り付けられたビデオ映像に興奮する男の感性には敵を殲滅する英雄的な戦闘機乗りのイメージが重なり、同じ影像から爆弾の目標になっている母と子どもの姿を思い浮かべる女の感性を「下」へ向う視線と喩えたら、その違いがよく分るだろう。
 高橋源一郎さんが描いて見せた女性たちが、戦争法案を強引に通そうとする自公政権の男たち(と男になりたい女たち)に正しく反対できるのは間違いないだろうが、男たちだってやれるはずだ。少数派といえども、そういう男性がたくさんいることも知っている。

[1] 高橋源一郎「「反知性主義」について書くことが、なんだか、「反知性主義」っぽくてイヤだな、と思ったので、じゃあなにについて書けばいいのだろう、と思って書いたこと」、内田樹編著『日本の反知性主義』(晶文社、2015年)p. 111。
[2] 同上、p. 127。
[3] 同上、p. 128。




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〈読書メモ〉 『現代詩文庫34 金井直詩集』(思潮社、1970年)

2024年10月20日 | 読書


 金井直の詩はとても魅惑的だ。生意気な言い方だが、私好みと言っていい。目の前の日常の暮らし(それが病を得た日々であっても)を描く視線と情感がいいが、何よりもそこからごく自然の成り行きのように哲学めいた思念が語られるのがいい。その部分だけを切り出しても素敵なアフォリズムになっていて、ニーチェよりもはるかに抒情性のあふれた警句であったりする。次の詩でも、病院と病人を描きつつ、自分自身と病気をめぐる思惟が語られている(個人的なことだが、私もまた難病指定の病を得て入院生活を送り、今は自宅治療中の身ということもあって、この詩には切実に迫ってくるものがある)。

こちら側の建物の影が
いちめんに雑草の生えた庭を
半分にくぎっている
窓辺には
思いだしたようにきこえる
細い虫の声がある
時折 うすぐらい空気が
刃のようにひやりとする
あちら側の建物の
葭簣張のひよけがつづいている窓の下に
咲き残ったカンナの花が
黄色く憔悴している
この影と光の中庭で
くさりにつながれた羊が
しきりに草をたベている
明暗のあいだ
「生」はそのように
不確な場所につながれているのか
あけ放された窓と云う窓の中の
顔はぼんやり白く
影と光の境界を出たり這入ったりしている羊をみている
その視線はすべてに去られまいとするように
どこにでも向けられる
そしてあちらとこちらの顔が見合わされると
互いに自分の顔に気づいて
おどろいたように窓の奥に消える
やはりつながれているものは
羊ばかりではなかったと
見てはならぬものをみてしまったように思う
しかし 私の眼は見るだろう
人がなぜそのようにそこに在るかを知るために
私は去来するものをみるだろう
つねに薄明の中で
廊下の窓際におかれてある
木のかたい長椅子に腰をおろして
治療室からの呼掛けを待っている
幸福や不幸の順番をおとなしく待っている
所在なく
白壁の何かのしみに見入る
欠伸をする 静かな咳をする
物の本にこころをなだめすかされる
人はさまざまな仕種で
「時」を送り 迎えている
人が「時」に気づくときは
人がいれかわったり 去ろうとする人の足もとに眼をおとしたり 物音におどろいたり
立上った人のけはいを頬に感じたりするときだ
そのとき人は時計の針がどこを指しているかを知ろうとする
そして 治療室に這入っていく人の背中から
人は人生の裏側をのぞいたように思う
治療室から出てくる人の胸もとから
いつ止るかもわからない振子の様子をみせられる
ほんとうは待っているのではなく
何かを待たせているのだと
待っているのは人ではないと思う
ふりかえると長い廊下を
寝台車が音もなくすベっていく
私の眼が行方を追う
ふとひらかれた一つの扉のなかに吸込まれる
扉の内には周到な用意があるにちがいない
けれどもあの冷く光る器具にもまして
人の裡の準備は既に済んでいるだろう
ああ しかし
あの羊をつなぐくさりにもまして
確かなところにつなぐものがあると
それゆえに人のへだたりのふかさは
つながりのふかさに等しいと
私は病んだ人から学ぶ
そして私は
私も病んでいる人だった
人は死なない
人は何ものかの手でくびをしめられるのだ
そのとき 人は人の形に憎悪のくぼみを残す
そのとき 人は愛をめぐらす
透明な花を咲かせる
そのとき私はみるだろう
その現実を支えているものの姿を
眼の高さにある太陽を
 「病舎で」(詩集『非望』)全文(p. 18)

 「しかし 私の眼は見るだろう/人がなぜそのようにそこに在るかを知るために/私は去来するものをみるだろう」とはじめはジョブのように少し軽めの思惟が語られ、「去来するもの」を見ることによって、「人が「時」に気づくときは/人がいれかわったり 去ろうとする人の足もとに眼をおとしたり 物音におどろいたり/立上った人のけはいを頬に感じたりするときだ」と、いわば生の時間のありように思い至る。
 そして、この詩は「ああ しかし/あの羊をつなぐくさりにもまして/確かなところにつなぐものがあるといくぶん/それゆえに人のへだたりのふかさは/つながりのふかさに等しいと/私は病んだ人から学ぶ」と、それに続いて「死」をめぐる思惟が語られて終わるのである。思惟が深まっていく展開と構成が抜群で、すっかり感心してしまった。
 一冊の詩集を読み終えたあと、その中から気に入ったアフォリズム風の詩句を拾い出していくのは、妙に楽しいことに気付いた。そんないくつかの詩句を掲げておく。

急に離れた ために
その手の形に真空が残った そこに猶
こころは保たれている しかし
それをどこか思い出のない場所に
捨てなければならない
そのぬくみに気付かぬうちに
なげきと傷口を持たぬうちに

引込めた手は もう
真空の位置にはかえらないのだから
 「別離」(詩集『飢渇』)全文(p. 11)

不意に冷いものが
くびすじにふれる
死者の手のように
仏陀の息のように
俺の背すじをしきりに寒気がはしる
肺臓の空洞をさかんに風が吹きぬける
俺は額に手をあてる
熱がある もえている
もえつきようとしているものがある
夜なかの火鉢の前に居ると
それがよくわかる
 「現在」(詩集『非望』)部分(p. 26)

僕は なおも生のふちに立ちつづけている
なぜなのか僕にはわからない
だが 立たねばならぬ理由が
どこにもないということを僕は知っている
 「濠をめぐる風景」(詩集『疑惑』)部分(p. 39)

かつて血を流したようにあざやかな
夕映えをみせてくれた水の
藻をかきわけるようにぼくは
悪い思いをはらいのけてたしかめる
まだ生きられる時間のながさみじかさ
 「水の歌」(詩集『無実の歌』)部分(pp. 72-73)

 金井直のこの詩集は、私にとってはときどき引っ張り出して読むような詩集になるだろう。いや、きっとそうするに違いない。このような詩集が見つかることはありがたい。この詩集について、語ることがあるとすれば、「きっとまた読む詩集だ」ということに尽きる。



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【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (16)

2024年10月19日 | 脱原発

20251024

 311以来、東北各地でも脱原発デモが行なわれていて、その主催者の情報交換を兼ねた交流会が持ち回りで開かれている。交流会と言っても、その土地の脱原発デモなどのイベントとの併催である。今回「脱原発盛岡 土曜日もデモし隊」主催のデモがあって、終了後に交流会が持たれる。
 前回は仙台で「脱原発みやぎ金曜デモ」主催、前々回は山形で「幸せの脱原発ウォーキング」主催で開かれた。私は主催者でもスタッフでもなく、仙台金デモの一参加者にすぎないが、山形に続いて今度も参加させてもらった。私の場合は、どちらかと言えば交流会よりデモそのものが目的である。
 いろんな所のデモに参加したいとずっと思っているのだが、なかなか難しい。東京には、年4、5回は出かけているが、それ以外では山形と古川(大崎市)に1度ずつ参加しただけにすぎない。行動力不足で、口先だけで終わりそうな気配だ。
 内丸緑地公園を13:30にデモは出発するという予定に合わせたつもりだったが、13:00には内丸公園に着いてしまった。早すぎたと思ったが、仙台のグループはもうベンチで休んでいた。仙台からは、私も含めて6人が参加している。 旗竿を準備している見知った顔は、山形からの参加したお二人だった。
 内丸緑地公園は、盛岡城の外濠と内堀の間にあった「内丸」と呼ばれた区域の跡で、盛岡城址と岩手県庁の間にある。この辺りが盛岡市の中心なのかもしれない。
 公園が賑わいだした。50人から60人ほどが集まっている。旗竿や横断幕が広げられ、植え込み前にずらーっと並べられたプラカードから思い思いのものを選んで胸や背にぶら下げて、デモ出発の準備はできたようだ。 若い男性が主催者挨拶とデモコースの説明、その後の交流会の案内をして、デモに出発する。
 内丸緑地公園を北側の中央通りに出て、岩手県庁前から西に歩き出す。大木になったトチノキの並木の葉が色づいているが、トチの実が全く落ちていないのが不思議だ。
 デモは、有名な石割桜がある盛岡地方裁判所前まで中央通りを進み、「裁判所前」交差点を左折して、岩手県警本部横を過ぎてから右折して大通りに入って行く。
 大通りは、仙台なら一番町か中央通りに相当する盛岡市最大の繁華街である。人通りの多い繁華街でデモのコールをあげるのは効果的でとてもいい。
 声に張りのある若い男性のコーラーは、脱原発と戦争法制反対のコールを織り交ぜ、威勢もテンポも良くて声を合わせるのが楽しい。東京でも仙台でもSEALDsのデモに参加して、テンポもリズムも新鮮なコールがとてもお気に入りになっていたこともあって、気持ちがすっきりする。
 1年ほど前に、集団的自衛権に反対するデモが仙台で行なわれたとき、組合関連団体のデモコールを聞いた。若いときの職場の組合員として参加したデモのときと全く同じだったのを、どことなく化石のように感じたのだった。
 それに比べれば、脱原発デモのコールははるかに近代的だとさえ思えた。SEALDsのコールはさらに先を行っているように思う。リズム感も音楽性もからっきしの私でも、SEALDs的コールは気分が良いし、楽しい。
 主催者のブログ記事でデモコースの地図を見ていたのだが、大通りではコース地図の倍ほどの距離を歩いてから菜園通りに向かって左折した。デモの写真を撮っている向かいの角に「盛岡せんべい」の看板が見える。南部煎餅などのお土産品を売っている店で、岩手県立美術館に「
松本俊介展」を見に来たとき、妻と一緒に入った記憶がある店だ。
 岩手といえば宮澤賢治と石川啄木だが、松本俊介や萬鐵五郎という画家がいる。それに宮城県美術館の庭にもある彫刻の作家、舟越保武もいる。
 デモには4、5人の子どもも参加している。市民運動としてのデモには、子どもから老人までいろんな世代が参加できたら素晴らしいと思うが、二十歳前後の若者の参加がいつも少ない。その意味では、SEALDsが戦争法案反対の抗議活動に多くの若者を集めた意味はきわめて大きい。
 SEALDsの学生たちは、コールにせよスピーチにせよ、勉強したり議論をしたりしてたいへんな工夫を払っているという。政治イシューの質や時代、タイミングというものに運動の盛り上がりが左右されることも確かにあるが、先頭に立つ人たちの才能というものに依存せざるを得ないこともあるだろう。
 東京では人口が多いということで解決できるものであっても、参加人数が多くない東北のデモでは難しいまま抱え込んでしまわざるを得ない問題もある。そのことが、デモ後の交流会の最大の話題だった(と私には思えた)。
 自公政権が戦争法案を上程してからは、そのあまりの重大性のために多くの反対運動が起き、デモも組織された。仙台でも日程が重なったとき、脱原発デモはそれと合流すべきだという意見もあったが、いちおうは別々の運動として進められている。
 脱原発デモに参加する人の多くは戦争法案反対のデモにも参加している。一方、戦争法案反対には3500人以上集まることもあるが、脱原発デモにはそのほとんどが参加していない(なにしろ、毎週40人から60人くらいのデモなのだから)。そういう非対称の関係で合流を議論するのは、あまり合理的でも生産的でもないだろう。
 それでも、仙台では、戦争法案反対と脱原発デモを別々に主催するだけの人間と組織がある。交流会で出された最大の問題は、もっと人口の少ない都市では脱原発デモと戦争法案反対デモのスタッフがほぼ重なってしまい、2種類のデモを別々に行なうことの負担が大きすぎるということだった。
 「自民党支持者でも原発反対の人がたくさんいる。そういう人も脱原発デモに参加できるようにしたい」という発言があって、それがシングルイシューの大切な点である。ただし、311以降の脱原発デモの継続にもかかわらず、原発反対がはるかに過半数を超えるアンケートでは反対と答えながら選挙では自公に投票して安倍政権の「積極的原発再稼働」を支える多くの人たちがいる事実からは、その有効性には限度があるように思える。だからこそ、諦めず粘り強く続けようということになるのかもしれないが……
 それに対して、「原発推進」も「戦争法制」も根は同じだから一緒でも良いではないかという議論もある。このような考えは、その共通する「根」をどこに見るかで、いろんな段階がある。自公政権に見るか、ファシズムに見るか、新自由主義に見るか、資本主義そのものに見るか、ネグリ&ハートのようにグローバルな〈帝国〉に見るかで運動の質(戦略と戦術)が異なってしまう。
 一見、本質的な議論に思えてしまうが、「根」をめぐって四分五裂した私の若い頃の左翼運動のような古くさい党派的な運動に陥ってしまいそうな議論になりそうだ。未だにそれに固執している党派もないではないが、市民運動という視点からはだいぶ遠くなってしまう。
 おそらく、市民運動はこのような原初的なアポリアを避けられないだろうし、避けなければならない理由もない。自立した個人が自発的に集まって行なう運動には当然のことで、そうした矛盾や葛藤が新しい市民運動を作っていくのだろうと思う。理論的に純粋であろうとして孤立して消滅していった運動や党派は数えきれないのである。もうとっくに「多様な市民」、「マルチチュード」の時代は始まっているのである。バウマン的「リキッド・モダン」の時代なのである。
 参加人数の少ないデモを継続的に行なって行くには、理論ではなく単なる人的資源の問題に過ぎないことに大いに悩まざるを得ないのは実状だろう。だからこそ、交流会を通じて情報交換ができてそれぞれの工夫が少しずつでも伝わっていく意味は大きいだろうし、自分たちを少しずつ鍛えていくことにも繋がるだろう。そんなことを期待してもいいのではないか。



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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(22)

2024年10月16日 | 脱原発

2015年4月17日


 〔原子力規制委員会が〕この設置変更許可をするためには,申請に係る原子炉施設が新規制基準に適合するとの専門技術的な見地からする合理的な審査を経なければならないし,新規制基準自体も合理的なものでなければならないが,その趣旨は,当該原子炉施設の周辺住民の生命,身体に重大な危害を及ぼす等の深刻な災害が万が一にも起こらないようにするため,原発設備の安全性につき十分な審査を行わせることにある(最高裁判所平成4年10月2 9日第一小法廷判决,伊方最高裁判決)。そうすると,新規制基準に求められるべき合理性とは,原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえるような厳格な内容を備えていることであると解すべきことになる。しかるに,新規制基準は上記のとおり,緩やかにすぎ,これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。…(中略)… 新規制基準は合理性を欠くものである。そうである以上,その新規制基準に本件原発施設が適合するか否かについて判断するまでもなく,債権者らの人格権侵害の具体的危険性が肯定できるということになる。これを要するに,具体的危険性の有無を直接審理の対象とする場合であっても,規制基準の合理性と適合性に係る判断を通じて間接的に具体的危険性の有無を審理する場合のいずれにおいても,具体的危険性即ち被保全債権の存在が肯定できるといえる。
  「高浜原発3,4号機運転差止仮処分命令申立事件 決定」pp. 44-45

 期待通りの福井地裁の決定が出た。具体的な審査によっても高浜原発3、4号機の安全性は証明できないし、ましてや「緩やかにすぎ」る新規制基準による適合判定も何ら安全性を証明するものではない、と断言している。
 「電気を生み出すための一手段にすぎない原発の稼動は経済活動の自由に属するが、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきもの」とした大飯原発3、4号機運転差し止め判決に加えて、政府が再稼働の要件とした規制委員会による新規制基準適合判定もその基準がいい加減で原発の安全性を担保しないことを明言した。
 この二つの判決、決定は、政府、電力会社には原発を再稼働するいかなる合理的理由が存在しないことを意味している。
 この決定に対して、規制委員会の田中委員長は、「科学的でない」旨の発言をしている。いまさら,何を言っているのか。田中委員長を初めとする原子力工学者は、原発が「絶対安全」だという科学的虚偽をばらまきながら原発を推進してきて、福島の事故を防げなかったではないか。その時点で原子力工学者の考える「科学」は敗北したのではないか。
 しかも事故から4年経た現在でも根本的な事故処理においても手を拱いているばかりで、どんな「科学」的な対処もできていないではないか。この点でも原子力工学者の「科学」はまったく無力であるのは明らかである。(誤解がないように付け加えておくが、ここで言われているのは言葉の正しい意味で「科学」などではない。原子力工学由来の「工学技術」である。)
 原子力工学者の「科学」は福島の(じつはもっと広い地域の)人々を危険にさらした。将来の安全性を担保する力もない。そのような状況では、人々の生命を脅かす工業技術しか持たない「科学」者が何と言おうとも、いまや司法が判断を下すことしか国民の安全を保証する手立てがないではないか。
 政府のお先棒を担ぐ御用マスコミが「専門的なことを裁判所が判断するのは間違っている」という趣旨のキャンペーンを張っているが、福島の事故を防げず、起きてしまった事故の処理もできない専門家に判断を任せることは国民の自殺行為に等しい。そんな愚かなことを私(たち)は絶対にしたくないし、しない。
 さて、この22日には九州電力川内原発1、2号機の再稼働差し止めを求める仮処分申請に対する決定が鹿児島地裁から出される。必ずしも福井地裁のようには楽観視できないにしても、高浜原発と同じような決定を強く願わずにはいられない。



2015年5月15日

 青葉通り曲った頃から雨足が強まった。デモの列の前に出るために、カメラを前抱きにして傘を低くして縮こまるような姿勢で歩道を歩きながら、ふと人間性善説とか性悪説などという言葉が頭をよぎった。
 集会のスピーチを聞きながら、極めつきの悲惨な結果をもたらした福島の原発事故の後でも、原発の安全点検結果をでっち上げて恬然として恥じない東北電力の反倫理的な企業行動の悪辣さに腹を立てていたせいであろう。
 しかし、性善説とか性悪説で人間を考えるというのはあまりにも単純で愚かである。東北電力の人間が集団的に性悪説で説明できる人間たちであるわけがない。いわば、日本の社会に特徴的な「立場主義」のもたらす結果だろう。企業の人間は、いつのまにか「企業の論理」を「個人の倫理」としてしまう。自らが生きるために拠って立つべき論理と企業の論理をすり替えてしまうのである。そこには「個人の責任」という視点が欠落する。
 思えば遠く、日本の近代は未完のまま出発し、日本人の精神はときとして中世に行きつ戻りつしながら彷徨っているようだ。「近代の自我」が未発達のまま現代を生きているのだと思う。「法を遵守し、個の責任を自覚し、社会に参画する」と言えば、多くの日本人は大いに賛同するだろうが、実際にはそれを実行できるだけの精神・思想的な基盤がない。
 「近代の自我」の問題が端的に表れているのは、第二次世界大戦の戦後処理としての責任の取り方だろう。日本では、全員に責任があるという言い方で誤魔化して、誰一人自ら進んで責任を取ろうとはしなかった。それどころか、戦勝国によって戦争犯罪者として処罰された人間を国家神殿とまがうような手段で顕彰している。挙げ句の果てに、安倍自公政権が誕生したこのごろでは、どんなささやかな事柄においても日本は間違っていなかったと言って憚らない人間がたくさん公的な場に登場している有様だ。
 日本の現状から見れば、ドイツの戦後処理はまったく対照的だ。反対称なのである。国家として責任を果たそうとするばかりではなく、つい最近に至っても、大統領がギリシャ国民に対して「個人としても強く責任を感じる」と発言してドイツの戦争犯罪を謝罪している。政治家ばかりではない。政治家を批判する立場にある哲学者・思想家としてカール・ヤスパースは、こう述べている。

われわれはドイツ人としての罪の問題を明らかにしなければならない。これはわれわれ自身の問題である。外部から来る非難をどれほど聞かされ、この非難を問題として、かつはまた自分を映す鏡としてどれほど活用するとしても、このような外部からの非難とは無関係に、ドイツ人としての問題を明らかにするのである。 [1]

 近隣諸国からの非難に青筋建てて反論している日本の政治家のあれやこれ、評論家のあれやこれの顔を思い浮かべては、彼我の差、深いギャップに愕然とする(私だけではないだろうが)。自らの責任を深く考えようとする人間たちに「自虐史観」だとか「反日左翼」のような「レッテル貼り」だけで批判したつもりになっている。「われわれの罪の問題」にまったく無自覚な、典型的な前近代的な日本人像ではある。
 国家であろうが企業であろうが、組織の犯罪はそこに組みする人間によって遂行される。その個人個人が自己責任を自覚し、形あるやり方で責任を負うことの積み重ねで、近代民主主義社会の正義や倫理が確立されていくのである。個人責任に盲目であったり、意識的に回避したりすることを見逃してしまう社会では、企業の正義や社会的責任はもとより、国家の正義・倫理が育ち、確立されるはずがない。
 日本は、国家の一部を滅亡の危機にさらした東京電力ですらその責任が問われない社会なのである。日本には「近代」が成立していない。「未完の近代」のままである。私にはそうとしか思えないし、ずっとそう思っている。どう考えたって「後進国」なのだ。たぶん日本人にはそういう(無自覚の)自覚があるからこそ、最近、マスコミでは「日本はスゴイ」論的なことがらが多く発信されている。ほんとうにスゴイ人間は、自分はスゴイなどとチンピラやくざのようにはスゴまないものなのに、まるで虚勢を張ってキャンキャン吠えまくる臆病犬のようだ。 

 [1] カール・ヤスパース(橋本文夫訳)『戦争の罪を問う』(平凡社、1998年) p. 75。



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〈読書メモ〉 『現代詩文庫226 國井克彦詩集』(思潮社、2016年)

2024年10月15日 | 読書


 國井克彦は驚くほどの抒情詩人である。徹底しているのである。臆面もなく抒情的である、と言いたくなるほどだ。ただ、國井克彦は自分の詩に対する批判も自分の作品で率直に表していて、自身の抒情性を意識的に眺めていることは間違いない。

〈どんな病いよりも
もっともっと苛酷な世界へと引き入れられ
もう此の世の言葉さえも
忘れかけて来たんだよ。〉
とは一九五五年三月二十六日
十七歳の私が書いたもの
このころ人生雑誌「葦」に投稿したものは
かようにひどいしろもの
たちまち二十六歳の女性から叱咤の手紙が舞い込んだ
こんな感傷的な時点から何が生まれるのか
もっと強くなるかさもなくば死んでしまえ!
(中略)
どこかで会ったことがある可愛い子と思ったら
友人の永田の妹ではないか
永田も文学青年で私の詩集をほめてくれた
妹も文学好きと聞いていたので早速詩集を進呈した
ドサッと舞い込んだ永田の妹の手紙は
一九五五年の二十六歳の女性に輪をかけた
こわーい手紙であった
こんな感傷的な視座からは何も生まれない
強くなる見込みもないから死んでしまえ!
便箋数枚に力強い文字が踊っている
 「怖い手紙」(詩集〈夢〉)部分 (pp. 62-63)

 二人の女性は「感傷的」であることを批判している。15歳から雑誌に詩の投稿を始めたという詩人の17歳のころの作品が感傷的だったかどうか私にはわからないが、しかし感傷と抒情性は違う。感傷は、現実を受動的に受け入れる自分を(多くの場合は現実に打ちひしがれて)慰撫するために生起する感情だろう。こんな詩がある。

花のいのちは短かくて
ぼくのいのちはなお短かい
だが巨大なぼくらのいのち
うたかたの波のまにまに
千年の樹にみのる果実をうずめて
ぼくらはまた戻つてくる
おまえ・ぼく・そしてぼくら
おびただしい出血のあとにぼくはこんなことばをえた
ことばたちが一月の風の小さなうずまきのなかで
おちばやちりあくたとともにくるくる舞つている
 「おまえ・ぼく・そしてぼくら」(詩集〈ふたつの秋〉部分 (p. 17)

 「おまえ・ぼく・そしてぼくら/おびただしい出血のあとにぼくはこんなことばをえた」というフレーズはとても示唆的だ。厳しい経験の後で「おまえ」、「ぼく」、「ぼくら」という言葉を覚える、つまり「他者」、「私」、「われわれ」という哲学がしばしば主題とするような認識に自覚的に到達するのである。スティグレールが「私」と「われわれ」とナルシシズムについて論じている。ひどい脇道に逸れるかもしれないが『愛するということ』(1)という著作の内容をフォローしておくことにする。

ここでのナルシシズムの問題とは、リシャール・デュルンの事件が示すような事態です。「われわれ」を殺害しようとしたデュルン――彼は市議会という「われわれ」の公的な代表を狙ったわけで、それはつまり「われわれ」を殺害することに他なりません――は、自分がこの世に存在していない、つまり彼曰く「生きている実感」が持てないということにひどく苦しんでいました。自分を見ようと鏡を覗き込んでもそこにはぽっかりと空いた穴のような虚無しかない、と彼は言っています。これは『ル・モンド』紙に公開された彼の日記によって明らかになりました。その日記にデュルンは「人生でせめて一度、生きていると実感するために、悪事を働かねばならない」のだと記していました。
 リシャール・デュルンが苦しんでいたのは、本源的な(基盤となる、原型としての)ナルシシズムの能力が構造的に剝奪されていたからです。ここで「本源的なナルシシズム」と私が呼んでいるのは。プシュケpsychè 〔人間の生命原理としての魂、心。「姿見=鏡」をも示す〕の機能に欠かせない構造としての自己愛のことです。この自己愛は時には病的に過剰になることもありますが、しかしそれがなければいかなる形での愛も不可能になってしまう基本なのです。
**リシャール・デュルンRichard Durn 二〇〇二年三月二六日、フランスの青年リシャール・デュルン(三三歳)はパリ郊外のナンテール市議会で銃を乱射し、市議会員八名を殺害し一九人を負傷させた。彼は逮捕されたが二日後投身自殺する。(pp. 21-2)

さて、本源的ナルシシズムは「」だけに関わるものではなく、「われわれ」のナルシシズムというものもあります。つまり「」としてのナルシシズムが機能するためには、それが「われわれ」のナルシシズムの中に投影されなければならないのです。ところがリシャール・デュルンは自分のナルシシズムを作り上げることができず、市議会という本来は「われわれ」の代表であるものの内に、「われわれ」ではない他性、つまり「私」の像を一切送り返してこない、自分を苦しめるだけの「他」という現実を見てしまいました。だから彼は、その「他」を破壊したのです。 (pp. 22-3)

しかしながらわれわれ現代人は、大変特殊な意味においてナルシシズムの苦悩に直面しています。その特殊性とは、現代人がとりわけ「われわれ」のナルシシズムの点で、いわば「われわれというものの病によって苦しんでいるということです。私が「」になれるのは、ある「われわれ」に属しているからこそなのです。「」も「われわれ」も個となっていくプロセスなのですが、そうである以上、「」そして「われわれ」というものはある歴史を有しています。それぞれの「われわれ」が異なる歴史を持っているという意味だけではありません。大事なのは、「われわれ」というものの個体化の条件が、人類の歴史の中で変化するということなのです。 (p. 25)

 そしてスティグレールは『象徴の貧困』(2)において、「われわれ」がわれわれであるためには私たちが共有する象徴(言葉や文化、歴史の記憶把持など)を必要とすると主張する。つまり、「われわれ」の「本源的ナルシシズム」は歴史的、社会的で政治的なパフォーマティヴィティを有しているのである。ナルシシズムとリリシズムは違うけれども、リリシズムは「本源的なナルシシズム」をベースにして、現実や他者を要件として構成され、パフォーマティヴな性格を有しているはずである。私は抒情性をそんなふうに考えている。
 さて、わき道の理屈から立ち返って、國井克彦の抒情を思いっきり味わうことにする

あおい空のしたには
東京の みしらぬ住宅地があつて
さびしい板塀の影をふむと
おまえは いつも
いっさんに逃げていつた

十五のとき せたがやの
それは下馬だったり
中里だつたり
あるいは名もしらぬ路地だつたが
あかるい その秋から
おまえは いつも
いつさんに逃げていつた

どこへ 逃げていつたか
おまえは透明な空へ
かえっていったか
どこへ 消えていつたか
だれも ぼくも
探しようがないのだつた

東京に ひとりぽつちでいると
秋はどこから ことしも
やつてきたのか
ぼくらのうえに でんと もう
かぶさっている
そうしておまえは ぼくの
背中だつたり 影だつたりして
つかまえることのできない
へんなものになつて
遠い あぜみちのように
いまはまるで
黙りこんでいる

あおい空の下に
ふたたび よこたわつている
東京の秋
この秋が また まちがいなく
去ってゆくとき
ぼくらの十代は
終るのだ

ぼくにも 語らないおまえと
おまえにも 語らないぼくは
だれもいなかつた
十五のときにもまして
えんえん
やがておりてゆかねばならない
ひつそりと
おまえも ぼくも
実はおりつづけてきた ぼくらの階段を

親しいぼくらの
季節の驢馬にまたがって
 「秋について」(詩集〈ふたつの秋〉)全文 (pp. 11-121)

 この詩の製作年代はよくわからないけれど、一番目の詩集に収められているので二十歳前の作品ではないかと想像される。抒情というよりもナルシシズムの要素の強い作品で、少しばかり尾崎豊の作った歌詞の香りがする。

ふと私はある婦人からの便りを思いだして読み返す
某日茫茫二十八年ぶりに再会したかつてのお人形のような少女は
美しい女流画家となってクラス会の真ンなかにいた
「八幡通りを憶えていますか?
私はよく自転車を乗り回わして
両手ばなしで歩道にのりあげて ひっくりかえりました
プラタナスの葉がとてもやさしくって 涙が出ましたっけ
坂を下って行くと誰も降りることの出来ない “並木橋”駅が
空にうかんでいたのは……あれは夢だったのかしら……。
もう八幡通りはなくなってしまいました
今……コンクリート敷きのかたすみに
冬花がひっそり咲いているのが とてもかわいそうです」
私はいまは遠い彼女に心で言う
空の並木橋駅
あれは私もみた
あれは夕やけで真ッ赤だったよと
ほんとうは並木橋駅なんてなくなっていたのに
黄色い駅の向こうに夕やけの湖をみて
からだのなかまでが真ッ赤になっていって
長い長い貨物列車を見送っていた気がする
残ったくろい煙が徐々に消えてゆく速度までが思いだされる
この世にないものが美しい
みえないものがみえてくる
この重さが私を支配する
今宵この国でメロディーなんかなんでもいい
「八幡通りを憶えていますか?」
今宵これにすぐる詩の一行目はない
 *括弧内は小学校の同級生•氏香(うじ•かおる)さんの手紙の無断借用(原文の儘)。
 「並木橋駅」(詩集〈並木橋駅〉)部分(pp. 54-55)

 ロマンティックというのはこういうことだろうか。この女性のような手紙を送ってくれる友人は私にはいない(いなかった)けれども、そんな手紙には心が癒されるにちがいない。この詩の最後、「この世にないものが美しい/みえないものがみえてくる/この重さが私を支配する/今宵この国でメロディーなんかなんでもいい/「八幡通りを憶えていますか?」/今宵これにすぐる詩の一行目はない」の詩句は、あたかも抒情詩を書くことへの強い決意とその宣言のように思える。

町の家々に灯がともる頃
僕はみなし児にかえる
遠いいつの日にか見た
フクちゃんの漫画を思い出す
夕暮れの町の風景
あゝ良く似ているなあ
フクちゃんが露地から
とび出して来たよ
僕は僕で
屋根から屋根へ
とびまわったり
あの灯を見つめながら
一人で手をたたいたりする
お月様が
きれいだった
 「夕暮れの街」(詩集〈丘の秋〉)全文 (pp. 85-86)

 「フクちゃん」をいちおう知ってはいるものの、読んでいた新聞が違うのでそれほど馴染みはないのだが、夕暮れ時が妙にリアルな詩である。「僕はみなし児にかえる」ということがよくわからなくて困るのだが、子供時代の私には夕暮れ時はなぜか痛切に切ない時間だった。
 「お月様が/きれいだった」という最終2行の直截さには驚いた。衒いというものが皆無なのである。ここに國井克彦の本質が見えている、そんなふうに言いたくなる2行である。

(1)ベルナール・スティグレール(ガブリエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)『愛するということ――「自分」を、そして「われわれ」を』(新評論、2007年)
(2)ベルナール・スティグレール(がブルエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)『象徴の貧困 1 ハイパーインダストリアル時代』(新評論、2006年)



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【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(8)

2024年10月14日 | 脱原発

20151025

人はみな 逝くものなれば われひとり
風に起ちたり 真野の萱原

             西浦朋盛

 「真野の萱原」は、笠郎女が「陸奥の真野の萱原遠けども面影にして見ゆといふものを」(万葉集・369)と詠った歌枕の地で、いまでは福島第1原発の放射能に汚染されてしまった福島県南相馬市にある。
 手許に西浦朋盛著『かあさん ごめん』(株式会社パレード、2015年)という詩歌集がある。西浦さんとは互いのブログの読者で、短いコメントのやりとりもあるが、あまりプライベートなことは話題にはならない。この本にも、まえがきもあとがきも経歴も記されていない。短歌と俳句と詩だけが収録されている。
 書名が表わしているように、詩歌の主題は亡母への思いである。それは、誤診によって適切な治療が受けられず、長い闘病生活を送らざるを得なかった著者を終生守り続けた母への思いであり、津波と原発事故で故郷を離れざるを得なかったその避難生活の途次で亡くなった母への慚愧の思いが綴られている。

誤診とも 知らざるままに 闘病の
十七年は 無為に過ぎ去る

死いくたび 経ながらさがし 求めし名
アスペルギルス 肺真菌症

母ついに わがくるしみを 告げずして
吾をまもる日々 護れるいのち

うつし世に 母あればこそ ある我ぞ
母なかりせば あらざるいのち

にくみても あまりある 原発事故の
放射線 ははと山河を ころす

唯一の いきる根拠を 奪い去る
原発事故は みとめたくない

仮設にも 仏壇はある 位牌もが
母の名記す かなしきかたち

 福島から離れた地で原発に反対しているといえども、その私が西浦さんの痛切な心情をすっかりと受け止められるはずもなく、ただ黙々と紡がれた言葉を読みこんでいるだけである。長い闘病生活に苦しんでいる人たち(健康に生きている人たちもだが)を、さらに放射能汚染で故郷からも追い出すなどということがふたたび起きないように強く願いながら……


20151120

窓をあけると十一月
十一月の秋風が
白く老いた秋風が
ふくれあがる
そっと見ているわたしだ
この、どこまでふくれるだろう
鉛筆の芯、絶えるばかりである
他者の格調を許すばかりである
いまもとめているものは
久しくもとめられてきたものばかりである

    荒川洋治「故事の迷蒙」部分 [1] 

 私たちが「いまもとめているものは」すべての原発の廃棄である。戦争法制やTPPも一緒に反対するのは、人を殺したり殺させたりしないこと、勤め人も農民も老人も若者も健康で豊かに暮らせるようにと「久しくもとめられてきたものばかり」を求め続けているだけだ。
 晩秋の街は電飾に飾られているが、私たち50人のデモの列を歓迎しているわけではなさそうだ。人々に街に出てくるように、そこかしこの店で消費に励むように誘っているだけだ。格差社会、貧困大国と呼ばれるような国になって、年収200万円以下が1000万人を超えたというニュースが流れているのに、どうしたことだろうと訝かってしまう光景だ。
 年金生活になって、消費とは次第に縁遠くなっている私でも本屋には行く。そこの「哲学・思想」の棚にはスピリチュアルなる本ばかりが並び、いつから子ども騙しのインチキが哲学だの思想と呼ばれるようになったのか、ここでも年寄りは消費から遠ざけられているようだ。
 子ども騙しのインチキで思い出したが、最近、放射能関連のインチキがネットで流れている。一つは、ある種の電解水が放射能を減らすというもので、もう一つは放射能を食べる細菌がいるという話だ。どちらも、核反応と化学反応、あるいは生化学における反応プロセスでの桁違いのエネルギー差に対する無知が生んだ幻想である。
 科学者が言ってるわけでもなく「病理科学」とも呼べない程度の話なのだが、反原発の立場らしい人の中にもリツィートしたりシェアしたりする人がいる。私は「啓蒙の物理学者」だとか「教養ある物理学者」であることを自らに禁じてきたこともあって、仔細に論じたり批判したりするつもりはさらさらないのだが、放射能を心配するあまり、引っかけられる人がいないようにとは願っている。

 [1] 荒川洋治「詩集 醜仮廬」『荒川洋治全詩集1971-2000』(思潮社 2001年)p.163



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