かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(2)

2024年04月29日 | 脱原発


2012年10月12日

うぐいすの鳴き声でめざめる京都の七軒小路
幼い息子とのふたり暮らしの旧い木造の二階
めざめた私の顔を覗き込む息子のはにかんだ顔
何事も起きなかったかのような 平和な朝
君の笑顔を守りたくて 君を連れて逃げた
何もかも棄てて 君を連れて逃げた
原発事故から 放射能から 逃げた
......(中略)......
この路地で君を守りきれるか
私の静かな覚悟を君は知らぬまま
やがて健やかな青年になっていくことをひたすら願う
                                    中村純「路地」部分 [1]

 放射能汚染地域から逃げられることは一つの過程にすぎず、しかも、いかなる犠牲もなしに逃げられる人はいない。そして、子どもを守ろうとする覚悟と決意、うち続く苦闘がそれで終わるわけでもない。
 中村純さんの詩集を読み終えて、辛い気持ちでデモに出かける。少なくても、デモくらいは元気にやらなくては......。

 [1] 中村純『詩集 3・11後の新しい君たちへ』(内部被爆から子どもを守る会 関西疎開移住(希望)者ネットワーク、2012年) p. 18-20。

 

2012年10月26日

 日立がイギリスの原子力発電会社ホライズン・ニュークリア・パワーを買収するのだという。まだ発電実績のない会社で、最近、株主の2社が撤退を表明するような会社なのに、日本の原子力ムラ社会で甘やかされたせいか判断力に狂いがあるのではないか。滅びゆく恐竜ということか。
 小熊英二の言によれば、少なくとも日本では、原発産業はまもなく終わるのである。

 原発というのは、権威主義体制•計画経済の産物であり、工業化時代の産物なんです。アメリカは79年のスリーマイル事故以降新規に原発が建つていないと言われますけれども、じつはそれ以前から立っていない。オイルショックでアメリカの製造業が衰退に向かい、工業化社会から転換したころからです。そのとどめとして、スリーマイルが来てしまっただけなんです。
 そのあともつくっていたのは、国策で計画的に推進していたフランス、権威主義体制のロシアや中国などだけです。工業化社会ではなくなったところや、自由市場で民主主義の政治体制のところでは、みんな,止まっている。これから原発は、発展途上国の象徴になるでしようね。
 日本でも90年代から製造業が衰退し始めて、もう増設のぺースが落ちていたあと、とどめで事故が来てしまったわけです。経済の自由化も、政治の民主化も進んでいるし、政官財界の「鉄の三角形」も弱っている。たしかに、森喜朗を自民党の総裁に選んだときのような、旧体制の揺れ戻しはありうるでしょうが、長期トレンドとしては無理だと思います。[1]

 だから、私たちがやらなければならないのは1日でも1秒でも早く廃炉にして、放射能を封じ込めることである。新党を立ち上げるという石原慎太郎が、原発を「21世紀に残すべき素晴らしい科学技術だ」などと語っているが、かれは数が数えられないといってフランス人を侮蔑したように、数学や科学などについてはまったくの無知らしいので、敢えて問題にする必要はないだろう。
 理系の人なら誰でも知っているように、近代数学に寄与した日本人はほとんどいない(現代数学では別だが)のに、教科書にはフランスの数学者の名前がやたらに出てくるのである。その近代数学を使って日本の科学技術、産業は栄えたのである。侮辱などとはとんでもない礼儀知らずで、フランス人に感謝しなければならないほどなのだ。

[1] 赤坂憲雄、小熊英二(編著)『辺境から始まる 東京/東北論』(明石書店、2012年) p. 321。



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【メモ―フクシマ以後】脱原発デモの中で (1)

2024年04月25日 | 脱原発
 
 今日は、大間原発に反対している青森からの参加者のスピーチ、パントマイムでのスピーチ(?)などがあった。それに、前回のデモの際の「東北電力」の対応の報告があったが、「東北電力」的観察力によれば、どうも私たちはテロリスト同然の人間らしいのだ。まぁ、見るべきものが見えないからこそ原発に固執しているのだろうけれども。
 ネットを眺めていると、「反原発」と「脱原発」の違いを気にする人がいて、「脱原発」はダメだと主張したりしている。原理主義的な主張というのは必ずどこでも顔を出し、しかも議論には強い。すべての条件を無視して原理だけを主張すればいいので負けないのである。「ラディカリズム」に主導されて、何十人もの犠牲者を出しながら自滅していった左翼運動を、40年ほど前に見ていた私は、本質主義の意匠を装った原理主義が嫌いである。
 「反原発」と「脱原発」の概念の差違の吟味に意味がないとは主張しないが、「原発はやめよう」くらいのゆるい同意で集まることだってきわめて重要な意味がある、と私は思う。
 東京では、政治家とデモ側(主催者)との会談が持たれたり、野田首相もデモ側の人たちと会うとか会わないとか言われているらしい。そうなるとまた、彼らはわれわれを代表していないだとか、会談ではなく交渉をやれだとか、いっそうかまびすしくなっているようだが、何とか乗り越えてほしいと思う。
  というより、政治家のパフォーマンスに一喜一憂するなんて馬鹿げている。淡々とデモを続ける方がよっぽど力になる場合もある、と思う。
 
 
 主催者挨拶とスピーチはすぐに終わって、さっそくデモに出発である。先週の金曜デモに比べると、やや静かに進んで行く。たまたま私の周囲はおとなしい人たちだったのかもしれないが、たぶん、ハンドマイクの数が少ないためだろう。静かなデモも悪くはない。 あっという間に肴町公園に着いてしまった。そこで参加者の「一分間スピーチ」が始まる。京都から参加した仙台出身の人、園庭の土を入れ替えた話をした幼稚園の園長先生、ACTAの危険を訴えた若い人、などなど。
 ACTA(Anti-Counterfeiting Trade Agreement)は、偽造品の取引の防止に関する協定とか模倣品・海賊版拡散防止条約と呼ばれていて、その言い出しっぺは日本、自民党・小泉内閣である。
 最大の問題点は、表現の自由や通信の秘密を脅かす可能性が非常に高いというところにある。つまり、フェースブックを最大に活用した「アラブの春」のような運動は政権側に容易にその通信手段を奪われる可能性が出てきた、ということである。もちろん、twitterに連絡手段の多くを依存している現在の脱原発運動を妨害することも容易にできる、ということだ。
 ヨーロッパでは激しい反対運動が起こり、欧州議会は条約批准を否決した。ところが、日本ではこそこそと話が進められ、この8月3日に参議院で条約締結が賛成多数で承認されてしまった(衆議院はまだだが)。
「脱原発運動はシングル・イッシュウで」ということが、デモ(集会)参加者の共通理解になっていると思うが、現実的にはACTA問題のようなことが次々に起こってくる。
 論理的には、脱原発運動を維持し、成功させるためには反ACTA運動も必要である。だからといって戦線を拡大することは「シングル・イッシュウ原則」を壊してしまう。たぶん、原則的な方法論上の答えはないだろう、と思う。完全な包摂でもなく、完全な排除でもない妙手はないものだろうか。結局、リーダーの皆さんの柔軟な対応力に頼るしかないのかもしれない。

 

 

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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(1)

2024年04月22日 | 脱原発


2012年8月17日

原発というおごそかな機器を抱き滅びへ向かう青き球体
             (名古屋市)南真理子

 7月30日付けの朝日新聞の朝日歌壇で選者・高野公彦に選ばれた1首である。この歌はけっして絶望を歌っているわけではない。「青き球体=地球」への切実な愛おしさをベースにしている歌だと思う。この青き球体=地球を亡ぼさせてはならないのだ。危機は、福島、そして日本という境界をとうに超えている。福島第1原発が太平洋に流し出した厖大な量の放射性物質、この一点だけにおいても日本は重大な責任を世界に対して負っている。世界(=地球)にたいして採るべき日本という国の責任のありようは、何よりもまず国内の原発を即時停止し、廃棄に向かうこと以外にあるとは思えない。

 

2012年8月25日

傷軽きを頼られてこころ慄ふのみ松山燃ゆ山里燃ゆ浦上天主堂燃ゆ
いつ如何なる時代に平和ありきやとおのれに問ひて心くづれゆく
頒けやりし水飲み足りて言ひし一語幾夜聞えき「小父ちゃんは親切ね」
相近きゆゑ会ひたしと言ひくれき行きて君が世に必ず会はむ
父の日といふはづかしき日のありて昼の畳に酔ひ伏すわれは
立ちどまり立ちどまりわが離り来しかの老人(おいびと)の昏睡(ふかねむり)はや 
居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ

 朝日新聞土曜版(8/25付け)のコラム「季をひろう」で、高橋睦郎が広島忌、長崎忌に因んで原民喜の俳句と竹山広の短歌を紹介していた。そのほとんどは、原爆の死傷者の悲惨を直截に詠む俳句であり、短歌であった。
 竹山広には原爆にまつわる良歌が多い。たぶん、原爆被災者の悲惨の鮮烈性で高橋睦郎は選んだのだと思うが、選ばれなかったなかにも、もちろん優れた歌がたくさんある。上の短歌は、私の「抜き書きノート」に含まれていた(つまり、私が好きな歌ということ)原爆にこと寄せた竹山広のいくつかの短歌である。
 私たちは、フクシマにおいて3度目の悲惨な歴史を繰り返さなければならないのである。戦争ではなく、経済的強欲さのゆえに(それにしても、『鋼の錬金術師』のグリードは最後には国(アメストリス)と国民のために我が身を捨てるというのに、わが国の経済グリードたちときたら)。

 

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