昨年の秋から今年の新年まで、国立西洋美術館で開催された「ホドラー展」を見逃した。まめに美術展の予定を調べることもなく、東京に出かける予定ができてから観覧可能な美術展を探すので、見逃してしまうのはよくある。美術展だけを目的にして新幹線に乗ったというのは、それなりに長い人生の中で、セガンティーニとハンマースホイとフェルメールの3度だけである。
「ホドラー展」を見逃したことを知ったのも、仙台市立図書館で新規購入本の棚に並べられていた図録を見てのことだった。日本・スイス国交樹立150周年記念と銘打たれた美術展を見逃した以上、私に残された時間内で実物を見るチャンスはもうやってこないと諦めて、図録で私のホドラー体験とすることにしたのである。
1853年にスイス・ベルンで生まれたフェルディナント・ホドラーは、1918年で65歳の生涯を終えた。彼が生きた19世紀末から20世紀初めというのは、私などが比較的見慣れた画家の多い馴染みやすい時代なのだが、ホドラーの名前はかろうじて聞きかじっている程度で、その絵のことは皆目知らないと言っていい。
オスカー・ベッチュマンが図録に「フェルディナン卜・ホドラー:人物像のコンポジション」という論考を寄せていて、ホドラー芸術の全体像を次のように要約している。
ホドラーは、ふたつの側面をもつ芸術家だった。彼は一方で、風景画、肖像画、群像画のジャンルを横断して自然や人間と向き合い、卓越した技量でそれらを模倣しようと試みた。他方、こうして写実的に再現されたものを、彼は、精神的なもの――般的にそう言って差し支えがなければ――と固く結びつけようと自らに課した。目の前にある風景や、群像画のためのモデルを単に模倣して表わすことでは、満足しなかったのである。それは、同時代の多くの画家たちと共通する思いでもあった。ホドラーによれば、コンポジションの秩序こそが見る者を精神的なものへと導く。同時に、コンポジションの秩序は自然の秩序と一致すべきであるとも彼は考えていた。 (p. 25)
【左】《山小屋とアイガー山、メンヒ山、ユングフラウ山》1872年、油彩/カルトン、
49.5×64.7cm、右下に署名・年記、ベルン美術館 (p. 39)。
【右】《レマン湖畔の柳》1882年、油彩/紙、合板に貼り付け、43×33.5cm、
右下に署名、ヴィンタートゥール美術館 (p. 45)。
図録は、「光のほうへ――初期の風景画」という章から始まっている。《山小屋とアイガー山、メンヒ山、ユングフラウ山》は、崇高な自然を描こうとして山岳風景を多く描いたドイツロマン派の絵画を思わせるところがある。
図録解説は、《レマン湖畔の柳》における遠くの山岳風景や後ろ向きの人物の描き方にドイツロマン派を代表する画家、フリードリヒとの類似を指摘している (p. 44) が、私の印象は柳の描き方に後の平行主義的な描き方の芽生えを強く感じて、それがドイツロマン的な雰囲気を凌駕しているように思えた。
《マロニエの木々》1889年、油彩/カンヴァス(貼り替え)、47×32cm、
右下に署名・年記、ジュネーヴ美術・歴史博物館 (p. 53)。
《マロニエの木々》では、水面に映る木々や空を描くことで上下を2分する線を中心に鏡面対称性がみられる。ホドラーは、このような反映や反復などを「平行主義」なる絵画理論を提唱するのだが、《マロニエの木々》はその先触れだと考えられている。
「反射/反映(リフレクション)」という現象は、この世にはありふれた、あまりに見慣れた単純な原理にすぎない。しかしホドラーはこれ以後、そうした馴染みの現象に惹かれてゆく。その興味はやがて、世界のなかにさまざまな事物の「反復」や「類似」を見出し、それらを絵画における形式原理として応用しようとする「パラレリズム(平行主義)」なる理論をかたちづくっていくことになる。そのような問題意識がいまだ全面化する前、すなわち1890年代以前に制作された本作には、ホドラーの生涯にわたる関心の先触れがある。 (p. 52)
【左】《思索する労働者》1884年、油彩/カンヴァス、72.2×51.6cm、
右下に署名・年記、ジュネーヴ美術・歴史博物館 (p. 71)。
【右】《アハシュエロス(永遠のユダヤ人)》1886年、油彩/カンヴァス、104.5×81.5cm、右下に署名、
ヴィンタートゥール、オスカー・ラインハルト美術館アム・シュタットガルテン (p. 73)。
まだ若く貧しかった時代、ホドラーは貧しい労働者などの絵を描いたという。《思索する労働者》や《アハシュエロス(永遠のユダヤ人)》は、写実性においてクールベ、主題においてミレーとの強い関連を思わせる。
《アハシュエロス(永遠のユダヤ人)》は貧しい人びとを描いたわけではないが、永遠に続く苦悩を背負っているというきわめて文学的な主題であって、貧しさから抜け出すことのできない労働者とも通底するところはあるだろう。主題の「永遠のユダヤ人」そのものについて、解説を引用しておく。
「永遠のユダヤ人」とは、13世紀のキリス卜教の伝説に遡る主題であり、20世紀までに数多くの変種(ヴァリアント)を生みながら語られ、また描かれてきた伝説である。匿名の著者による1602年のドイツ語の民衆本において、原型となった「アハシュエロス(Ahasuerus) 」というペルシア語の人名が、靴職人だった流浪のユダヤ人に初めて用いられた。このユダヤ人は、ゴルゴタの丘への道ゆきにあったキリス卜を嘲笑し、そのいかなる助けをも拒んだために、キリストの再来まで永違に流浪するという罰を受けたのだ。この伝説は19世紀には、とくにウジェーヌ・シュー(1804-1857)の小説『さまよえるユダヤ人』によって広まった。 (p. 72)
ドイツロマン派のような風景画、クールベ的リアリズムによる労働者の姿などは、ホドラーの前期作品に属するものである。
「リズムの絵画へ――踊る身体、動く感情」という章からは、ホドラー的と呼びたくなるようなホドラーの特徴的な絵画が展開する。
《オイリュトミー》(部分)1895年、油彩/カンヴァス、167×245cm、
右下に署名・年記、ベルン美術館 (p. 83)。
《オイリュトミー》は、白衣を纏った男性が同じ方向を向いて立って(あるいは歩いて)居る絵である。一見、ドラマ性が顕著のように見えながら、じっさいにはきわめて静謐で、どのような情感が描かれているのか判然としない。
「オイリュトミー」はギリシア語の「美しい」と「リズム」という二つの語をあわせた言葉 (p. 82) だという。つまり、ここで描かれているのは複数の人間の立ち姿が生み出す造形的な美しいリズムなのである。立ち姿の男性像は、「平行」を表わし、その列は「反復」を表わして、いわゆる平行主義的構図と考えてよいのではないか。
【左】《感嘆》1903年頃、油彩/カンヴァス、133×71.5cm、右下に署名、
ベルン美術館 (p. 99)。
【右】《遠方からの歌III》1906-07年、油彩/カンヴァス、178×136cm、右下に署名、
ジュネーヴ美術・歴史博物館 (p. 105)。
《オイリュトミー》とは異なり、《感嘆》や《遠方からの歌III》のようにどこか象徴性を帯びた単独の女性像も多く描かれている。例えば、《感嘆》の女性裸体像は「コントラポス卜と、軽く斜めになった姿勢、そして汎神論的な意味における自然への浸礼という風景要素」 (p. 98) となっていると解説されている。 また、《遠方からの歌III》では、女性のポーズは遠い地平線から歌が「かすかに響いているかような印象」(p. 98) を与えるとされている。
私がこの二つの絵から受けた最初の印象は、女性のポーズは日常的な姿からはほど遠く、きわめて演劇的なポーズだということだった。もちろん、それゆえに、その姿は「祈り」のようでもあり、自然への「崇敬」の姿を演劇的に表現しているとも言えるだろう。
しかし、《オイリュトミー》と同様に、人間の姿態を通じて平行主義的なリズムを表現したものとも考えられるのである。《マロニエの木々》では、水平な対称軸を持つ鏡面構造に平行主義の芽生えを見ているが、《感嘆》や《遠方からの歌III》にも女性の身体の縦中心線を対称軸とする鏡面対称を見ることができる。もともと人間の肉体は左右対称に近いが、腕を広げることでその対称性を強調したと見ることが可能ではないか、と思うのである。人間の姿態、ポーズによる絵画的リズムの表現ではなかろうか。
【左】《悦ばしき女》1910年頃、油彩/カンヴァス、166×118.5cm、右下に署名、
ベルン美術館 (p. 109)。
【右】《恍惚とした女》1911年、油彩/カンヴァス、合板に貼り付け、172×85.5cm、
右下に年記・署名、ジュネーヴ美術・歴史博物館 (p. 111)。
《感嘆》や《遠方からの歌III》と比べれば、《悦ばしき女》や《恍惚とした女》に平行主義的な構図を見つけることは難しいが、ここでも日常的な姿態ではなく舞踊によるポーズが描かれているという点では、演劇なポーズと共通するものはある。単純な対称性を越えた形態による絵画的リズムを追求した作品なのかもしれない。
【左】《レマン湖とジュラ山脈(風景の形態リズム)》1908年、油彩/カンヴァス、48×64cm、
右下に署名、アールガウ州立美術館 (p. 115)。
【右】《シャンベリーで見る風景》1912|16年、油彩/カンヴァス、60.5×79cm、ヴィンタートゥール、
オスカー・ラインハルト美術館アム・シュタットガルテン (p. 121)。
初期の風景画とは大きく異なる絵が「変幻するアルプス――風景の抽象化」の章に収められている。上の二作品は、平行、反復によって「形態のリズミックな構成という意識に貫かれた、稀な風景表現」(p. 114) となったホドラー絵画の典型的な作品であろう。
《レマン湖とジュラ山脈(風景の形態リズム)》は、自然の風景と言いながら、ここまで平行と反復を徹底してしまえば、「コンポジション」のような抽象画にかなり近接した作品になっている。
《シャンベリーで見る風景》はいくぶん自然に近いが、それでも雲や山襞に反復のリズムが表現されている。
【左】《ミューレンから見たユングフラウ山》1911年、油彩/カンヴァス、88×65.5cm、右下に年記・署名、
ヴィンタートゥール、オスカー・ラインハルト美術館アム・シュタットガルテン (p. 121)。
【右】《シャンベリーの渓流》1916年、油彩/カンヴァス、82×101cm、右下に年記・署名、
ジュネーヴ美術・歴史博物館 (p. 137)。
ホドラーの風景画には、平行主義とどういう関連があるのか私には明確に指摘できない作品群がある。《ミューレンから見たユングフラウ山》や《シャンベリーの渓流》のような作品である。
筆致の雄渾さを見るとセザンヌの風景画を思い起こすし、色彩の変化、コントラストからはフォービズムの香りがしないでもない。反復も平行も判然としないが、岩壁の重なり、山稜の襞、渓流の石の配置、木々の枝の重なりに明確なリズムが表現されているのは確かである。逆様に言えば、このようなリズムを表現するために雄渾な筆致で描いたのではないかとも思えるのである。
【左】《自画像》1873年、油彩/カンヴァス、52.4×65.7cm、右下に署名・年記、
ジュネーヴ美術・歴史博物館 (p. 35)。
【右】《怒れる人(自画像)》1881年、油彩/カンヴァス、73×53cm、右下に署名、
ベルン美術館 (p. 57)。
【左】《バラのある自画像》1914年、油彩/カンヴァス、43×39cm、右下に年記・署名、
シャフハウゼン万聖教会博物館 (p. 183)。
【右】《緑のジャケットの自画像》1917年、油彩/カンヴァス、83.5×60cm、右下に年記・署名、
スイス、個人蔵 (p. 199)。
自画像というと、苦渋の人生のときどきで描いたゴッホの自画像をまず思い浮かべてしまうが、ホドラーの図録にも15歳から死の前年までの自画像が収められている。
自己の描き方、手法的な変化はとても興味深いが、ゴッホやシャルフベックのようにそのときどきの心性を強く反映している自画像と比べれば、ホドラーの自己観察はきわめて冷静、客観的である。図録解説では、そのようなホドラーの自己描写にレンブラントとの類似を見出し、次のように述べている。
〔……〕つまり、レンブラントは鏡に映し出される自身の姿を「他者」として再-発見することで、ジャック・ラカンの精神分析がいう幼児期の「鏡像段階」を再演していたというのである。ラカンのよく知られたその理論によれば、幼児は鏡のなかの自分の姿を「他者」として発見することで、自らの身体を統一的なものとして把握し、自我を形成していく。
すでに晩年を迎えていたとはいえ、この《バラのある自画像》でのホドラーも、鏡に映る自身の表情に、これまでに自分でも知ることのなかった「他者」を発見したというべきだろうか。 (p. 182)
【上】《死した農民》1876年、油彩/カンヴァス、カルトンに貼り付け、22.7×51cm、
右下に署名・年記、ジュネーヴ美術・歴史博物館 (p. 59)。
【中】《バラの中の死したヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル》1915年、油彩/カンヴァス、
60.5×124.5cm、チューリッヒ、コニンクス財団 (p. 191)。
【下】ハンス・ホルバイン(子)《塞の中の死せるキリスト》1521/22年、油彩/カンヴァス、
バーゼル美術館 (p. 190)
最後に、愛する人の死を描いた《バラの中の死したヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル》を挙げておく。痩せ衰えて死の床に横たわる構図は、40年近く前に描かれた《死した農民》にも描かれた構図であり、それはハンス・ホルバインの《塞の中の死せるキリスト》に由来するという。
愛する人の死でありながら、ここにはあまり悲嘆のような感情は見られない。《死した農民》と同じように、「死した人はニュートラルな対象物と化し」 (p. 190) ているのである。愛する人を失う悲しみ、そしてその死を冷徹に眺めざるを得ない芸術家の悲しみ、二重の悲嘆を画家は耐えるのであろう。
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