ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクの著書は何冊も翻訳されているが、私が読んだのは『サバルタンは語ることができるか』 [1] だけである。ポストコロニアリズムに興味があって、フランツ・ファノンやサイードなどの本と同じ時期に読んだのだが、読み終えてしまうと何か未消化の塊が残っている気分だった。
ブルガリアのソフィア大学で行われた講演とそれに続く質疑応答を書き起こしたこの本を読むと、少しばかりその理由が分かってくる。
私(たち)は、次々と日本に紹介される近代思想をはじめポストモダンとしての構造主義やポスト構造主義と続く思想の系譜を受け入れてきた。そして、いつの間にか思想のハビトゥスとしてのヨーロッパ中心主義にどっぷりと浸かっているのではないか。マスコミを含め、私たちの周囲にあふれている擬白人意識、何となく日本人はヨーロッパや北アメリカの人々と同種であるかのような幻想、アフリカ、中東、アジアの有色人種へのレイシズムに知らず知らず荷担しているのではないか。そんな気がする。
スピヴァクは、フランスのポスト構造主義の「二人の偉大な実践家」ミシェル・フーコーとジル・ドゥルーズとの対談「知識人と権力」〔1972年3月4日。『アルク』誌第四九号〕を批判的に検討することから『サバルタンは語ることができるか』を始めている。
いうまでもなく、ドゥルーズが語っているのは一九世紀の領土支配的帝国主義の遺産についてであるから、かれの言及はグローバル化する中心というよりは国民国家についてのものである。善意に充ちた第一世界がこのようなかたちで他者として第三世界を領有し書きこみ直そうというのが、今日アメリカ合州国の人文系諸科学の分野にあふれかえっている第三世界主義の基本的特徴にほかならないのである。
またフーコーのほうは、〔ドゥルーズの発言から示唆をえた〕地理的な非連続性ということに訴えながら、マルクス主義批判を続けている。「地理的な(地政学的な)非連続性」の真の目安になるのは、労働の国際的分業である。しかし、フーコーがこの言葉を用いるのは、搾取(剰余価値の抽出と占有――つまりはマルクス主義的分析の分野)と支配(「権力」研究)とを区別したうえで、後者のほうにこそ連合のポリティクスにもとづいた抵抗のためのより大きな潜勢力がそなわっているということを示唆するためである。フーコーが提示しているような「権力」思想(それは方法論的に権力なる主体を前提とする性質のものである)への一元論的かつ一体化した接近がなされうるのは、搾取の一定の段階においてである。というのも、地理的な非連続性についてのフーコーのとらえ方は地政学的にいって第一世界に特有のものだからである。ところが、このことをフーコーは認めることができないのだ。 [2]
そして、「「脱構築(deconstruction)」が批判的なものにせよ政治的なものにせよ適切な実践へと導くことができるのかどうかという問題に立ち向かっている」 [3] デリダを取り上げ、次のように述べている。
わたしにとってもっと重要なことは、デリダが、一人のヨーロッパの哲学者として、ヨーロッパ的主体には自民族中心主義にとっての周辺的な存在として他者を構成しようとする傾向があることを明確にするとともに、それをあらゆるロゴス中心主義的な努力、ひいてはまたあらゆるグラマトロジー的な努力を(というのも、この章の主要なテーゼは両者のあいだには共犯関係が存在しているということなのであるから)ともなった問題として位置づけていることである。これは一般的な問題ではなくて、あくまでヨーロッパの問題である。デリダが思考ないし知識の主体を格下げしようと絶望的なまでの試みをして、「思考とは……テクストの空白部分である」(OG「グラマトロジーについて」(一九六七年), 93)とまで述べているのは、まさにこの自民族中心主義のコンテクストの内部においてなのである。そして、思考がかりにテクストの空白部分であるのであってみれば、それはなおもテクストのなかに存在しているのであって、歴史の他者に引き渡されなければならないのである。 [4]
ヨーロッパ的主体の自民族中心主義をあたかも私(たち)にも適用可能だと信じ込んで、自らをそのように擬装してしまえば、『サバルタンは語ることができるか』のスピヴァクをすんなりと受容できないのは当然である。いやむしろ、もっと恐れなければならないことがある。スピヴァクのヨーロッパ中心主義批判を受容することによって、日本人としてポストモダン思想を批判的に受容しえていると、二重に擬装していることに気付いていないのではないか。私にとって、ポストコロニアリズムはずっと遠くにあるのではないか。私は私を疑っているのである。
本書でスピヴァクが述べているのは、ナショナリズムとそれに対抗しうる文芸的想像力についてである。そうしたナショナリズムという論点の流れの中にも、次にいくつかの例を示すように、上述したヨーロッパ主体の批判的切り取りがそこかしこに見られるのである。
ヨーロッパの外部には私的という概念はないという紋切型があります。ヨーロッパの外部という領域――そう呼びうるとして――においては、安らぎを奪われているという深く根本的な不安を皆が感じており、まさにこうした不安が集団を束ねているのだといぅ紋切型、こうした紋切型に私たちはすつかり慣れてしまっています。 (p. 18-9)
私が説明してきたナショナリズムは公的領域で活動します。しかしサバルタンは、私的なことで動員されたときに結集するのです。この場合の私的なことは、公的なことに関する意識から二次的に派生してくるのではありません。二次的派生物ではない私的なこと、これはヨーロッパの人びとにはとても理解しにくいものです。女たち、男たち、クイアな人たちは、いかなる場合でも公的-私的という線に沿って分断されているというわけでは必ずしもありません。 (p. 19)
国際性(インターナショナリティ)という点から見ると、国民国家(ネイション・ステイト)はこうした――いまでは合理的に決定された――等価性(イクィヴァレンス)を持っていると思われています。グローバリゼーション下においてはそうではありません。なぜならば、この場合には価値の媒体は資本だからです。現実的には、こうした地理学は神話をめぐるものではありませんでした。それは、ジヤン-フランソワ・リオ夕—ルが、そして彼の前にはマーシャル・マクルーハンが、ボストモダニティについて、印刷された書物の時代を跳び越えて、ある種直観的に述べたことです。この二人のポリティクスにおいては、サバルタン性のテクスチャーが無視され、国際性にぴったりと重ねられてしまいました。リオタールは『文の抗争』(一九八三年)において、この重なりを引きはがそうとしましたが、ほとんどの読者はそのことに気づきませんでした。ポストモダンをめぐる議論から切り離されてしまうと、直観的に語られた地理学はプレ-モダンと規定され、ホブズボームの場合はこれを前政治的(プレ・ポリティカル)と規定します。 (p.29)
「文化」とは人をだますシニフィアンです。自分が奉じる「市民」ナショナリズムが先進八ヵ国〔G8〕に肩入れしているときに、もしも「文化」ナショナリズムに肩入れするならば、必然的にそうなるというわけではありませんが、「文化的に」選ばれたネイションにおいて、再分配を目指す社会正義に反対することになる可能性も出てくるのです。(……)そうなる可能性があり、それは十分ありうることですらありますが、必然的なことではありません。ナショナリズムが位置(ロケーション)と混同されるならば、ナショナリズムは価値評価のためのカテゴリーを与えてはくれないでしょう。 (p. 46-7)
トルコがヨーロッパの一員になろうとしていますが、みなさんの国ブルガリアは、他の国々とは違った意味でヨーロッパの一員です。ただ、みなさんご自身は、ブルガリア人は完全にヨーロッパ人であるというわけではない、そうお考えでしょう。みなさんがヨーロッパと呼んでいる地域が、みなさんを周縁化して田舎者のようにしてしまっているからです。これはオーストラリアと似た状況です。オーストラリアの人びとも、ヨーロッパによって周縁化され田舎者にされているように感じています。しかし、オーストラリアのアボリジニはそんな風に考えてはいないでしょう。アジアでは、手を組む相手をいかに選ぶかということが問題なのです。 (p. 50-1)
私たち〔インド人〕は、民族のアレゴリー以外はなにも書けず、〔ヨーロッパから見て〕地方に位置しているという運命に加えて、新たな問題を抱えてきました。それはつまり、「ポスト構造主義の前提、ポスト構造主義に潜在しているアイデンティティ主義的な反アイデンティティ主義という逆説、マイノリティーの側につくポスト構造主義の反国家主義、資本主義に反対するユートピア的で批判的な展望がポスト構造主義には欠けているということ……」といったことです。救世主の出現を信じる者としてマルクスを読み、来たるべき民主主義について延々と書き続けてきた哲学者に対して、以上のような言葉をどう適合させればよいでしょうか。 (p. 51-2)
「二十四の言語、方言を含めれば八五〇の言語がある」 (p. 35) インドで生まれ育ち、西洋哲学を学んだ著者は、ナショナリズムのそもそもの始原を、人が生まれ落ちた場所で身につける母語の言語習得過程に見ている。
母語を愛すること、自分の住む街の一角を愛することが、いついかにしてネイションにかかわることになるのでしようか。ナショナリズムではなく「ネイションにかかわること」と私が言うのは、ネイションに似た、生まれによって束ねられた集団、警戒し合う見知らぬ者たちから成る集団は、ナショナリズムが出現するずっと前から存在しているからです。国家の編成は変化し、ネイシヨンにかかわることは歴史の変位に沿って動きます。ハンナ・アーレントはこの点に十分気づいていて、ナショナリズムを国家という抽象的な構造体に結びつける試みないしは出来事には、古い歴史があるわけではなく、それが今後長く続くわけでもない、そうほのめかしました。ユルゲン・ハーバーマスが言うように、私たちはポスト・ナショナルな状況に生きているのです。やがてわかるでしょう。 (p.15-6)
「ナショナリズムというものは、人が生まれた古代にまで遡ると主張することで消えてしまう歴史によって、再コード化」 (p. 13) されるものだが、「自分の話す言語や自分の家に感じる根本的な安らぎは、ナショナリズムが呼び起こすものですが、これはプラスの感情ではありません」 (p. 17) として、スピヴァクは次のように語る。
どの国のナショナリストであろうと、ナショナリズムを考える方法が通時的であろうと論理的であろうと、ナショナリズムを求める衝動は、「われわれのものである公的領域の機能を支配しなければならない」というものです。ナショナリズムが過去を蘇らせ利用するのはそのためです。ナショナリズムが、その必然的な帰結ではないとしても、自分たちのものではない他者の公的領域を支配しょうという決断につながることがあります。ここから、自分たちは比類のない民族であるという意識が、そして悲しいことに、他よりも優れた民族であるという意識が――の意識の変化はあっという間に起こります――多くはそれと気づかないままにですが、必然的に生じてきます。 (p.20-1)
スピヴァクは、「インドの八二〇〇万人の土着民のなかでも、きわめて小さな声なき集団」 (p. 24) であるサバル族の女性たちに受け継がれてきた口承定型詩から〈等価性(イクィヴァレンス)〉という概念を導き出す。それは、場所(地域)の等価性であると同時に言語(母語)の等価性である。
第一言語(母語)をきわめて重要であるとしつつ、インドの諸言語を人工的に英語と混ぜ合わせてクレオール語化しようとする動きを強く非難する。そして、言語の等価性を基底にしつつ、比較文学の想像力をナショナリズムの想像力に対置しようとする。
等価性にもとづく比較文学研究が掘り崩そうとするのは、ナショナリズムにもとづく所有、独占、孤立主義的な拡張政策といった考え方なのです。 (p. 34)
ふたつの言語は学べます。母語に加えてもうひとつ、n+1です。学ぶ過程で、ひとつの帝国編成の下で平板化されてしまった世界の立体模型地図を復元しましょう。復元されたその地図を帝国と呼ぶかどうかは問題ではありません。 (p. 42)
ナショナリズムは、記憶を蘇らせることによって構成された集団的想像力の産物です。独占せよ、というナショナリズムの魔法を解くのは、比較文学者の想像力です。そうした骨の折れる仕事が楽しくなるように、想像力を鍛えなければなりません。 (p. 42-3)
スピヴァクの主張は、講演後の質疑に応答する形でさらに進展する。私たちの想像力を囲繞するネイションを脱-超越論化するために文学、芸術における物語(ナラティヴ)の重要性を説く。
〔マーティン・ルーサー〕キングにとって、キリスト教は超越論的な物語(ナラティヴ)でした。私にとっては、それは物語(ナラティヴ)のひとつにすぎません。しかし文学者にとつて物語(ナラティヴ)は重要なのです――それは脱-超越論化することですから。そういうわけで私は、世間の人びとがせっかちになり、地球全体が金融化されているなかで、休まず務めを果たさなければならない、人文学の務めはケーキを飾るサクランボのようなものではない、そう言っているのです。したがって脱-超越論化とは、ラディカルな運動の一部となるベき訓練のようなものなのです。 (p. 73-4)
さらにスピヴァクの論理は、〈国家の再発明〉へと進む。
そう、比較文学はきつと変わるでしょう。私たちは、国家の再編成について考えているのではなく、つねに国家に求められている機能――再分配――を実現する構造体として国家を再発明することを考えているのです。再編成は新自由主義とともに進んでいるので、自由市場が至上命令となります。こうした自由市場は、大企業そのものが課すさまざまな規制にもかかわらず「自由」だと見なされ、保護主義が世界貿易に書き込まれます。グローバル・ノースにおいて、それは福祉国家を解体するものです。しかし言うまでもなく、私はグローバリゼーシヨンとIT産業については触れていません。文学という学問がこうした危機的な変化と歩調を合わせていかに変わるかということは、解除反応的に、後からしだいに明らかになるでしょう。 (p. 85)
本書は、講演の書き起こしなので平易な言葉で綴られているが、飛躍や順不同的な記述も見られる。しかし、スピヴァクの思想の基底としての幼年期の第二次世界大戦やインド独立の記憶から語り起こされていて、植民地から見るヨーロッパ(イギリス)を思想の視座に据えていて、『サバルタンは語ることができるか』に対する心情的な補完として、私には貴重であった。
また、「訳者あとがき」でスピヴァクの著書が紹介されているが、その中にジュディス・バトラーとの共著『国歌を歌うのは誰か?』(竹村和子訳、岩波書店、2008年)がある。未読であるが、タイトルから判断するかぎり本書と関連した「ナショナリズム」についての論考であろうと思われる。そのような興味も強いが、じつは、バトラーはフーコーを、スピヴァクはデリダを、それぞれ思想的同伴者として議論しているのではないか、そんなことを勝手に想像しているのである。
[1] ガーヤットリー・チャクラヴォルティ・スピヴァク(上村忠男訳)『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房、1998年)。
[2] 同上、p. 56。
[3] 同上、p. 65。
[4] 同上、p. 69。