かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (20)

2024年12月01日 | 脱原発

2016年3月18日

 318 再稼働反対! 首相官邸前抗議」

 年に数回しかない東京での会議が終わって、ぶらぶら歩きで午後6時半まで時間をつぶす。しかし、温かい。いや、温かいというよりも暑い。仙台暮らしでは、暖冬といえども身体はまだまだ寒冷地仕様なので、歩き出すとすぐに汗ばんでしまう。
 所要時間を適当に判断して地下鉄に乗ったが、国会議事堂前には25分も早く着きそうなので、日比谷で降りて歩くことにした。日が陰り、気温も下がってきたので、ずっと手で抱えていたコートを着たが、汗ばみそうになるのを避けようとゆっくりゆっくりと歩いて、国会正門前にはピッタリ6時半に到着した。
 コールが始まった。列の先頭にいるのだが、写真にはコーラーが小さくしか写らない。いちおうは仕事で東京に出てきたので、カメラも一番軽い35mmの短焦点レンズを装着してきたのだ。むやみやたらとそばに寄っていく勇気もないので、今日はこれで行くしかないと諦めた。
 たまにしか来ない東京だが、コールをする人はどなたも何度かお見かけしたことがある。国会や首相官邸に向けてのコールだから、仙台での街頭デモのコールとはまったく趣が異なる。市民に向けるコールは優しく、政治(家)に向けるコールは厳しく、ということだ。国会前のコールで気分がすっきりするということは、確かにある。
 産経新聞がSEALDsのコールで首相を呼び捨てにしていることについて、明治生まれと見紛う(誤解のないように言えば、大正以前の生まれで儒教的倫理の最悪、幼稚な部分だけつまんで生きている)ような笑止な言いがかりを書いていたが、それを受けてか、「今日も呼び捨てで行きます」と前振りがあってコールが始まった。ここでは呼び捨てこそふさわしい。
 コールの合間にスピーチが続く。二人ほど、高浜原発34号機の差し止め決定を下した大津判決に対する関西経済人の発言に関するニュースを取り上げた。とくに、関西経済連合会の角和夫副会長(阪急電鉄会長)が、「憤りを超えて怒りを覚えます。なぜ一地裁の裁判官によって、(原発を活用する)国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか。こういうことができないよう、速やかな法改正をのぞむ」という発言したことに、「我々こそ、憤りを超えて怒りを覚える」と強く批判されていた。このような日本の主要な企業の役員が、日本の社会システムとしての司法制度や労働制度を無視したい、無力化したいというのは、いわば資本主義を生きる前提としている以上、本能に近いものだろう。だが、かつては法制度を重んじるとか民主主義的道徳という「建前」があって口を噤んでいただけだろう。
 しかし、国会での数に任せてなりふり構わない憲法違反で安全法制を強行採決したり、地方自治法の精神を踏みにじった手続きで辺野古新基地建設を強行しようとする安倍政権の誕生で、その建前のタガも外れてしまったようだ。つまり、政界と経済界は憲法や司法制度を超える権力を獲得したと信じているようにしか見えない。それが司法制度を無力化しようとする発言になって顕在化したのだ。
 もう一つ、高浜原発を巡る悪辣な事例として、大津地裁による運転差し止め仮処分決定を受けて関西電力の八木誠社長が「一般的に(原発停止に伴う)損害賠償請求は、逆転勝訴すれば考えられる」と述べたというニュースが挙げられる。
 これは、明らかに住民訴訟を起こした(これから起こす)人々への恫喝である。おそらく将来的にはスラップ訴訟も辞さないという脅迫も含意されている。ここでも司法制度など歯牙にもかけない本能のかけらがのぞき見える。
 しかし、住民が実力で原発を差し止めたなら住民への損害賠償請求も論理的にはありうるが、差し止めたのは裁判所である。損害賠償請求は、裁判所つまり国を相手取って起こすことになろう。ぜひ、再稼働をなりふり構わず推し進める国を相手に損害賠償請求訴訟を起こしてもらいたい。とても面白い漫画になるだろう。
 官邸前(国会正門前)抗議は、午後6時半から8時までである。たまの東京では、官邸前に行くことが多かった。それで、まず国会正門前に行ったのだが、やはり、官邸前にも行っててみようと思った。715分になったので、残りの45分を官邸前で過ごそうと国会正門前を離れた。
 正門前の抗議の列が途切れたあたりにキャンドルが並べられていた。その写真を撮ろうと近寄ってみたら、先にカメラを構えている人がいる。官邸前でお会いする目良誠二郎さんだった。私とは逆に、官邸前からこちらに向かってきたらしい。
 目良さんと挨拶を交わして、これから官邸前に行くと話すと「今日は少ないですよ」と言う。先週の金曜日が311日だったので、大勢集まったのだろう。仙台でもいつもの倍近い参加者があった。だいたいそんなあとは反動で人が減るようである。
 官邸前にわたる交差点の手前に「安保(戦争)法と原発再稼働は車の両輪」という幕を掲げている人がいた。今、起きている様々な政治的問題の出どころは同じだ。再稼働反対も安保法制反対も辺野古新基地反対も、そのほかもろもろも私たちの行動が必要だ。何よりも今度の参議院選挙が重要だ。
 悩ましいほどやらねばならないことはあるのだが、それに見合うほどの行動力と実力がない。暗い闇に鮮明に浮かんでいるアピール幕を見て「体を大切にしなければ」と思ったのだった。
 官邸前の人はたしかにいつもより少なかった。いつものように先頭から2番目のグループにむとうさんや唐沢さんという目良さんのお仲間がおられた。挨拶をしてから、コーラーのいる先頭の写真を撮って戻ったのだが、ここは人が詰まっていて私の入れる余地はなさそうだったので、そのグループの最後尾に入って声を上げることにした。
 喉が辛くなってきたころに、後方から「どうですか」と言って飴を配る人がやって来た。「のど飴ですよ」というので、ひとつ頂いた。黒糖の味のする大粒の飴だった。
 終了時間の8時少し前に目の前にあった地下鉄入り口を下ることにした。そういえば、前回も雪が降っている仙台が心配でバタバタと時間前に帰ったのだった。今日はバタバタする理由はまったくないのだが、私の喉は仙台のデモではけっして鍛えられていないということは確認したのだった。



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