かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(38)

2024年12月29日 | 脱原発

2016年8月12日

 伊方原発が再稼働された。「狂気の沙汰だ」とか「正気の沙汰ではない」と言う友人や知人の声が聞こえてくる。私も「狂気の沙汰だ」と思う。この自公政権や電力会社の再稼働の決断、それを歓迎する地方政治家の「狂気」は何に支えられているのか。
 60年以上も前に、この地球には「核アポカリプス不感症」が蔓延している、とギュンター・アンダースが喝破している。ヒロシマ、ナガサキにそれぞれウラニウム型原爆、プルトニウム型原爆が落とされ、ビキニ環礁で水爆実験が行われた後の人類の話である。まだ読み終えていないが、そういうことが『脱原発の哲学』[1]に書かれていた。
 私たちが生き死にする世界、つまり生化学的な生存環境の次元とはまったく異なる物理的レベルで生じる原子核分裂を利用した軍事技術の対象はまちがえようもなく人間であるが、その技術水準は人類殲滅の段階に達してしまっている。しかし、それを現実世界で目の当たりにしても、私たちは黙示録的な世界の終焉を想像することができない。それが「アポカリプス不感症」である。
 ヨハネの黙示録に示された神の目的としての世界観は私たちにはなかなか馴染めないが、『脱原発の哲学』の著者ら(佐藤嘉幸、田口卓臣)は「核カタストロフィ不感症」という言葉も用いている。
 世界の政治権力が「原子力の平和利用」と言い換えても、原子力発電は技術水準としては原爆とほとんど変わらない。スリーマイル島、チェルノブイリ、フクシマで起きたことは、原発の事故が原爆の人類殲滅への道とまったく変わらないことを示している。あと2、3か所で原発事故が起きたら、おそらく日本列島に人間は住めなくなってしまう。理としては、誰でもそんなことはわかる。しかし、リアルな未来の現実として想像することができないのだ。
 それでも原発を止められない人たちがいる。想像力がないのではない。想像することを拒否する「病」に侵されている。その病名を「核アポカリプス不感症」あるいは「核カタストロフィ不感症」と呼び、それが亢進すると「川内原発再稼働」、「伊方原発再稼働」という狂気として発症するのである。

 どのような悲惨な歴史があったにせよ、確かに、人類は人類が生き延びられる条件が満たされた世界でのみ生きてきた。そのような人間たちが世界の終末を想像することは非常に困難だろう。黙示録に示された神の意思を理解することも難しい。
 しかし、人間は人間が生み出した科学技術がもたらす世界なら想像できるのだろうか。ギュンター・アンダースが言おうとしたことは、人間には人間自身の技術でありながらその結果を想像できない技術があり、原爆はそのような技術そのものである、ということだろう。『脱原発の哲学』には、原爆と原発が全く同等のものだということが詳説されている。
 人間を盲目にさせるもう一つの重要な要素は、その人間が帰属する階層(階級、クラス)の利害であろう。『脱原発の哲学』に次のような一文がある。

〔……〕チェルノブイリ原発事故の影響については様々な評価があるが、IAEAなどからなるチェルノブイリ・フォ—ラムは、チェルノブイリ原発事故の被害を受けた三ヵ国(ベラルーシ、ロシア、ウクライナ)のうち、比較的被曝量の多い六〇万人を対象として、ガン死者数を約四〇〇〇人と評価している。また、グリーンピースは全世界を対象に、ガン死者数を九万三〇八〇人と評価している。さらに、ニューヨーク科学学会は、全世界の五〇〇〇以上の論文と現地調査を基に、ガン以外も含めた多様な死因による死者数を九八万五〇〇〇人と評価している。(p. 34)

 IAEA(国際原子力機関)はもともと原発を推進する国々の政府からなる機関であるが、それにしても原発事故による死者数の違いに驚くほかはない。原発を推進しようとする権力イデオロギーにとっては実際に起きた(起きつつある)原発事故の死者の姿も見えないのである。
 そういえば、福島事故に際して「死者は一人もいない」とその盲目ぶりを恥ずかしげもなく顕示した自公政権の閣僚もいる。無知(イデオロギー的盲目)が再稼働の狂気を煽っている図だ。

[1] 佐藤嘉幸、田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)。



2016年8月28日

 8月27日に仙台市民活動サポートセンターで開催された「風の会」の公開学習会「原子力のい・ろ・は」の私の話は、ジャン=リュック・ナンシーの次のような言葉 [1] で話を締めくくったのだが、予定時間をだいぶオーバーしてしまったので話しそびれてしまったことがある。

アウシュヴィッツとヒロシマのいずれも、それまでめざされてきた一切の目的とはもはや通約不可能な目的のために技術的合理性を作動させるにいたったのだ。というのも、こうした目的は、単に非人間的な破壊ばかりではなく 、完全に絶滅という尺度にあわせて考案され計算された破壊をも必然的なものとして統合したからである。(原文を部分的に省略している)

 人類は、ソフトウエアとしての人種殲滅のナチズムという思想と人類殲滅のハードウエアとしての原水爆(そして原発)を手にしてしまった(思想的・技術的合理性を作動させてしまった)、という意味のことを話したが、その後に付け加えたかったのは次のようなことだ。
 ナチズムの国、ドイツではいまや徹底的にナチズム批判をしている。ホロコーストはなかったなどという妄言は犯罪として訴追される。加えて、フクシマ以後、ドイツは原発の廃棄へ舵を切った。つまり、人類殲滅に繋がるソフトもハードも敢然と放棄する道を選んだのである。
 ところが、わが日本はどうだろう。南京虐殺はなかった、慰安婦の強制連行はなかった、侵略などしていないなどと歴史を歪曲して、戦争を遂行した戦犯を靖国神社に奉じて閣僚が参拝までしている。その上、フクシマの悲惨にもかかわらず原発を再稼働させたうえ、「プルトニウムは抑止力になる」だとか「憲法は核兵器所有を禁じていない」などと口走る始末である。
 ドイツと日本は真逆の道を進み始めた。その日本で、原発に反対する意思表示をすること、反対しつづけることには、単にどんな技術的手段で発電するか、どういうふうにエネルギー問題を解決するかなどというレベルをはるかに超えた意味がある。ジャン=リュック・ナンシーが言おうとしているのはそういうことではないか。
 原発に反対することは、人類殲滅へ向かう歴史に抗うことに繋がる。日本の政治ばかりではなく、世界の政治へ向かう重要な道筋のはじめに「脱原発デモ」は位置している。
 大げさでもなんでもなく、私はそう付け加えたかったのである。 

[1] ジャン=リュック・ナンシー(渡名喜庸哲訳)『フクシマの後で』(以文社、2012年) pp. 32-33。

 

 

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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(17)

2024年12月27日 | 脱原発

2016年11月27日

 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは今年初めにジュネーブで開催された第31会期人権理事会に「福島・原発事故後、日本政府による被災者の基本的人権の継続的侵害に関する声明」を提出した。声明文は英語だが、次のような提案をしている。
 (1)2015年の避難地域の解除の見直し、(2)非指定地域からの避難者への住宅援助停止決定の見直し、(3)すべての避難者を国内難民として保護し、住居、健康、環境、家族に関する権利を保障するための経済的、物質的援助を行うこと、(4)最も被害を受けやすい人々を守るための避難地域や線量限度に関する国家プランを策定し、被ばくを1mSv/y以下にすること、(5) 1mSv/y以上の地域からの避難、滞在、帰還する人々への移住、住居、雇用、教育、その他の必要な援助のための資金を提供すること、(6)健康調査政策を見直し、1mSv/y以上の地域に住む人々にたいする包括的かつ長期的な健康診断を行うこと、(7)福島事故被害者に対する効果的な相談業務を行うこと。
 つまり、こうした至極当然な提案がなされる背景には、被害者の人権にかかわるきわめて基本的な政策を政府は行っていないということだ。国策としての原子力政策であるがゆえに東京電力への援助は手厚い。であれば、国策の被害者にたいしても手厚くするのが筋だと思うが、現実はまったく非対称である。もう誰でも気づいているにちがいないが、この国にとって大事なのは国民ではないのである。
 その国家のありようを示すもう一つの話題として、原子力ロビーである電気事業連合会(電事連)が自民党に7億6千万円の政治献金を行ったということが紹介された。電力9社は電事連を通じて(隠れ蓑として)自民党へ献金をしているわけで、東電と事故被害者に対する政府の手当ての非対称もそこから由来している。「金め」に象徴される政治というのが自民党や公明党のめざす政治なのである。
 仕事で飯館に行くように言われている人が「除染等放射線電離検査」なる健康診断を受けさせられたが、これはどういうものかと質問された。私も初めて聞く言葉だった。
 帰宅後にネットで調べたら、福島事故の後で急いで発せられた厚生労働省令によって「東日本大震災により生じた放射性物質により汚染された土壌等を除染するための業務に係る電離放射線障害防止規則」に定められた健康診断で、正確には「除染等電離放射線健康診断」という。
 除染等の業務に常時従事する労働者に対して、雇入れ時、当該業務に配置替え時、その後6か月以内ごとに1回、定期に、(1)被ばく歴の有無の調査及びその評価、(2)白血球数及び白血球百分率の検査、(3)赤血球数の検査及び血色素量又はヘマトクリット値の検査、(4)白内障に関する眼の検査、(5)皮膚の検査について医師による健康診断を行わなければならない、と定められている。
 従来は、放射線管理区域に放射線作業従事者として立ち入る者に対する健康診断であるが、福島の汚染地区を管理区域と定めないままに除染作業をさせるために策定されたものだ。管理区域と定めると作業従事者しか立ち入ることができなくなり、それ以外の人間はすべて区域外に居住しなければならなくなる。政府が進めている帰還計画など問題外ということになってしまう。
 いわば、現状をしのぐための泥縄の法令ではあるが、そこで働く人間にとっては将来の放射線障害に対する予防と保障のためには絶対に欠かすことのできない健康診断である。これと、労働期間中の被ばく線量や身体汚染の正確な記録は不可欠である。


 

 
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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(37)

2024年12月25日 | 脱原発

2016715

「すべての日本人が選挙前にそのことを理解することができれば、少なくとも福島事故をめぐる政治的問題は一挙に解決するのだが、ずっと目を閉じ、声を聴かないままでいたいと思っている人間も多いのだろう。状況の閉塞感(というよりも激しい後退感)に気づいていない人々が……。」

 福島の放射能汚染と被曝のことを考えていて、先週(78日)のブログを上のような言葉で締めくくった。その参議院選挙が終わった。野党統一候補の擁立が成功して、大敗した先の参議院選挙に比べれば野党側が大きく盛り返したが、それでも与党は3分の2近い議席を占めることになった。先週の私の書いた言葉は、そのとおりに私の心に残ったままである。
 事前予測もあって全体の選挙結果にはそんなに驚きも落胆もしなかったが、
沖縄と福島で野党統一候勝利し、自公政権の現役大臣を倒したということはきわめて象徴的な〈事件〉だと受け止めた。
 福島は、東電第一原発事故の放射能によって汚染された郷土や県民の被爆に対する政府の施策は「棄民政策」と呼ぶに等しいものであり、沖縄は日本の安全保障政策として強制された基地の犠牲者となるべくこちらは歴史的に「棄民政策」の対象であり続けた。
 政府も自らの棄民政策の意味を自覚しているがゆえに、その無能さにもかかわらず沖縄、福島の改選議員を閣僚に任命し、優位に選挙戦を戦えるようにしたはずなのである。しかし、沖縄と福島の人びとには、そんな政権の意図を凌駕するように政府権力を拒否する以外の選択肢がなかったのだ。
 新潟を含めて東北、北海道にかぎって選挙結果を見れば、10議席中8議席を野党が占めた。この結果もまた、歴史的にはアウタルキー(自給自足)経済のための植民地代わりの食糧生産地だけの〈辺境〉としてのみ中央政府から扱われてきた[1]にもかかわらず、政府の進めるTPPがその食糧生産地の意味をも奪い取ろうとしていることへの反抗として顕現したものだろう。
 このように地域を限って選挙結果を見れば、全体の結果と大きく異なってしまうのは、文字通り、政治的・経済的地域格差そのものを直接的に象徴しているに違いない。こうした事態への選挙民の自覚がどのように変化して行くのか、私には予想しかねるが、まったく反対の結果となった西日本では地域格差、政治格差は東北・沖縄とは異なるだろうが、経済格差そのものはまったく同じように拡大しているはずだ。子どもの貧困、保育所問題(労働環境の性差)、高齢者の困窮化などから逃れられている地域はない。彼らは何を見、そしてどこへ行くのだろう。

 参院選の結果は、SNS上の多くの知人、友人を落胆させたようだが、多くの人はめげずに先を見ているようで「諦めない。未来は変えられる」というような意味のことを発信する人が多かった。
 投票日の夜、テレビを消して開票速報は見ないで過ごした。台所の小さなワンセグテレビの情報を妻がときどき伝えてくれるが、私は本を読んで時間をやり過ごしていた。スラヴォイ・ジジェクの『事件!』[2]を読み終えたばかりだったが、ラカン派のジジェクが歴史における〈事件〉をラカン流の精神分析を引き合いに出して論じている部分は少し面倒くさくて斜めに読み飛ばしていたのだが、正確に言えば、その部分の読み直しをしたのだ。
 本は丁寧に読むべきである。その部分に「未来は変えられる」ではなく「過去の事件は変えられる」と主張されていた。そうだ。歴史とはそういうものだ。過去に起きた事実は変えられないけれど、それがどんな〈事件〉であったかは未来が決めるのだ。

アルゼンチンの作家ホルへ・ルイス・ボルへスは、カフカとその先行者たち(古代中国の作家からロバート・ブラウニングまで)との関係について的確にこう述べている。「カフカの特異性は、程度の差はあれ、これらの著作すべてに見られる。だがもしカフカが書かなかったら、われわれはそれに気づかないだろう。つまり、それは存在しなかっただろう。〔……〕すべての作家は先行者を創造する。彼の作品はわれわれの過去の概念を変え、同様に未来を変える」(ボルヘス『続審問』、中村健二訳、岩波文庫、二〇〇九、一九一~二頁)。 (pp. 151) 

 つまり、こうだ。今日この日から先の未来に向けて、誰かが(あるいは大勢が)行動を起こし、ある政治的な事実を生み出すだろう。その未来の事実が、この参院選の結果の歴史的〈事件〉性を決定する。
 沖縄と福島で自公政権を拒否しえたことが歴史の〈事件〉だったのか、東北、北海道の「辺境」で野党が82敗だったことが〈事件〉だったのか、それとも安倍政権が両院において3分の2の勢力を手に入れたことが歴史的〈事件〉だったのか。それは未来が決定するのだ。
 もう少し七面倒くさい哲学風にこのようにも述べている。

 しかし、この過去そのものを()構成する身ぶりの遡及性はどうだろうか。本物の行為とは何かについての最も簡潔な定義はこうだ――われわれは日常的な活動においては、自分のアイデンティティの(ヴァーチャルで幻想的な)座標に従っているだけだが、本来の行為は、現実の運動がヴァーチャルなものそれ自体、つまりその担い手の存在の「超越的な」座標を(遡及的に)変えるという逆説である。フロイトに従えば、それは世界の現実性を変えるだけでなく、「その地下をも動かす」。われわれはいわば反射的に、「条件を、それが条件であった所与の物に戻す」。純粋な過去はわれわれの行為の超越的条件であるが、われわれの行為は新たな現実を生み出すだけでなく、遡及的にこの条件それ自体を変える。弁証法的発展の中で事物は「それ自体になる」というヘーゲルの言葉はそのように解釈すべきだ。たんに時間的展開が、あらかじめ存在した前存在的・無時間的な概念構造を現実化するにすぎないというのではない。この無時間的な概念構造それ自体が、偶然的な時間的決定の結果なのである。 (pp. 153-4)

 だからこそ、次のようなイラン革命の不思議を理解できようというものだ。

独裁政権がその最後の危機・崩壊を迎えようとしているとき、たいていは次のような二つの段階を辿る。実際の放下に先立って、不思議な分裂が起きる。突然、人びとはゲームが終わったことに気づく。彼らはもう恐れない。政権がその合法性を失っただけでなく、その権力行使そのものが狼狽した無能な反応に見えてくる。一九七九年のイラン革命の古典的な解説である『シャーの中のシャー』で、リュザルド・カプチンスキーはこの革命が起きた正確な瞬間を突き止めている。テヘランのある交差点で、ひとりでデモンストレーションをしていた男が、警官に立ち退けと怒鳴られたにもかかわらず、動こうとしなかったので、警官は黙って引き下がった。この話はほんの 一、二時間のうちにテヘラン全市に伝わり、その後数週間にわたって市街戦が続いたものの、すでに決着がついたことを誰もが知っていた (pp. 158-9)

 福島と沖縄における自公政権の拒絶がテヘランの「一人でデモンストレーションをしていた男」の拒絶と同等の〈事件〉となるかどうかは、私たちの行動の未来が決定するのだ。
 ジジェクを見直した。面白いけれども哲学的饒舌を持て余していたのだが、これからは歴史・政治・哲学をめぐる彼の論説をいくらかはわが身の行動と思考に重ね合わせて読むことできるかもしれない。そんなことを、投票日の日付が変わった頃に思っていた。 

[1] 赤坂憲雄、小熊英二(編著)『辺境から始まる 東京/東北論』(明石書店、2012年)。
[2]
スラヴォイ・ジジェク(鈴木晶訳)『事件! ――哲学とは何か』(河出書房新社、2015年)。


 

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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(16)

2024年12月23日 | 脱原発

2016年7月8日


「私らのような年寄りは良い。子どもだけでも、この値(年20mSv)から外して欲しい。子どもには選択権が無いんです。大人に従うしかない。自分で決めることが出来ないんですよ。人権侵害ですよ」
 会場から拍手が起こる。原田さんの怒りは、国に反論できない町教委にも向けられた。
 「なぜ教育者から反対意見が出なかったのか。情けない」
 壇上には町役場の職員がずらりと並んだが、誰も反論することは出来なかった。馬場有町長は腕を組み、じっと聞き入っていた。
       「民の声新聞(7月3日)」から抜粋

 明後日に投票日を控えた参議院選挙のための激しい選挙運動のニュースが流れる中、7月1日に開かれた福島県浪江町の住民懇談会の様子が「民の声新聞」に掲載された。政府が2017年3月に避難指示を解除する方針であることを受けて、開かれたものだ。
 政府側は、ICRP(国際放射線防護委員会)の指針を盾に全く住民の意見に耳を貸さない頑なな姿勢を崩さない。そんな「懇談」の様子が詳細に報じられている。ICRPは、もともと原子力を利用したい国々によって設立された国際機関であって、その指針には原子力を推進したいという国家意思のバイアスがかかっている。
 このように明らかに政治的バイアスがかかった機関の見解を全面的に施策の根拠とするのは、政府が再稼働をするとき原子力規制委員会の判断を根拠にすることとその構図はまったく同じである。規制委員会の委員は、政府の都合に合わせてくれる専門家を選んでいることは誰の目にも明らかで、政府の都合のいい結論を出すに決まっているのだ。
 政治家も役人も自らの知見、見識によって政治的判断をする、行政的判断をするという形はけっして取らないのである。それは、それらの結果が大きな不始末となって終わっても全く責任を取らないことに繋がっていて、いつでもどこでも見られる日本社会の無責任な政治的構図にほかならない。

 浪江町で住民の血を吐くような訴えが冷たい拒絶にあっているとき、世間で激しく争われている参議院選挙では、原発問題はほとんど争点になっていない。
 河北新報(7月7日付) によれば、参院選宮城選挙区では「公示後の街頭演説や個人演説会では、両候補とも原発政策や女川原発再稼働についてほとんど触れず、選挙公報にも記述はない」のだ。記事には、上智大の中野晃一教授の「原発問題は国民の関心事なのに、接戦の1人区では立地地域や電力会社関係者などの反発を恐れて候補者は言及しなくなる。一種のカルテルのような状態だ。有権者の問題意識を候補者に直接伝えることが大切だ」という意見も紹介されている。

 福島事故から5年、10万人もの人が避難先で苦しみ、避難できなかった人も汚染の地で苦しんでいるとき、国の政策を争う選挙で事故原因の原発が争点にならない国とはどんな「美しい」国なのだろう。数十万人の人びとの暮らしや命を政治から除外する国とは……。
 たしかに人々の苦しみを見ないことにすれば、「日本の風景」は美しいにちがいない。人の住めない土地の風景の美しさを日本人は誇っているのか?
 日本の現実が見えないのか、見ようとしないのか、いずれにせよ見ることを欲しない日本人に「美しい日本」など見えるはずがないのである。

いくら除染をしても
放射能が高くては帰れない。
ふるさとへ
戻る。
ふるさとへ
戻らない。
ふるさとへ帰る
ふるさとへ帰れない

心は揺れる。
ふるさとを捨てる。
ふるさとに未練はある。
ここで生まれ
ここで育ったのだから。
だが現実は甘くはない。

〔中略〕

望郷の唄が
遠くから聴こえてくる
あの唄は幻聴か?
それとも涙唄か?
幼い昔に聴いた唄だ。

誰もいない野原に
名もない花が咲いて。

誰もいない野原に
羽虫が飛んでいる。

かつて町だった。
かつて村だった。
そこに
その場所に。
    根本昌幸「帰還断念」 [1]

 放射能をばらまいておいて「美しい日本」などとほざくのは、冗談どころかあまりにもたちの悪い言説である。誰がどの口で言っているのか?
  すべての日本人が選挙前にそのことを理解することができれば、少なくとも福島事故をめぐる政治的問題は一挙に解決するのだが、ずっと目を閉じ、声を聴かないままでいたいと思っている人間も多いのだろう。状況の閉塞感(というよりも激しい後退感)に気づいていない人々が……。

 [1] 根本昌幸『詩集 荒野に立ちて ――わが浪江町』(コールサック社、2014年)pp. 78-81。


 

 
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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(36)

2024年12月21日 | 脱原発

2026年6月26日

 86、7歳になったはずのハーバーマスは、イギリス国民がEU離脱を選んだことを聞いてどう思ったのだろう。イギリスの国民選挙のニュースを聞いて最初に思ったことは、そんなことだった。ニュースは離脱がもたらす経済的影響ばかりを伝える内容が延々と続いたが、私の関心はそんなところにはなかったのだった。
 国民国家の完成をもって歴史の終焉を語ろうとするヘーゲル-コジェーヴ的な思惑を大きく越えて世界大戦が2度も起きたヨーロッパで、国民国家の枠組みを超えたヨーロッパ連合の構想は、大哲ユルゲン・ハーバーマスの悲願のように見えた。そのハーバーマスは、ネオリベラルの支配する未来のヨーロッパ連合を心配していた[1]が、今日の結果はその心配が実際に起きてしまったことによるのではないか。
 恒久的な平和と経済的繁栄を求めようとするヨーロッパ連合は、過去から未来にかけての政治的構造を議論し、認識しうる政治的エリートたちによって牽引されてきた。理念というものは、いつでも認知能力の高い人々によってと打ち立てられてきたことは否定しがたい。
 しかし、EUをリードする国々や政治エリ-トたちもアメリカを中心とする新自由主義的経済と国家運営という枠組みから自由であることは出来なかった。東欧共産圏が崩壊し、次々と東欧諸国が資本主義国家に変わろうとするとき、新自由主義的経済(つまりは政治そのもの)がおそいかかる様子はナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』[2]に詳しい。
 経済破綻したギリシャに突きつけるEUの経済政策要求は、アメリカがIMFや世界銀行を通じて世界中に押し付けた新自由主義的な施策そのものだったことは記憶に新しい。
 新自由主義経済は、日本でも猛威を振るっているように一国内の経済格差を拡大するが、新しくEUに加わる小さな国々を周辺国家化する機制も併せ持つ。経済後進性の強い国の国民は、二重の格差に追い込まれ、移民という名の経済難民としてヨーロッパを流動化し、経済先進国家の人種差別的ナショナリズムを刺激する。
 イギリスのEU離脱のニュースから読み取れるのは、右翼ポピュリズムとネオリベ保守との闘いという構図ばかりである。そこには国民国家を超えるヨーロッパ統合という理念も新自由主義を乗り越える経済構想も聞こえてくる余地がないかのようだ。EU離脱の動きが加盟各国に広がると心配されるのは当然と言えば当然である。
 ヨーロッパ統合が失敗に終われば、歴史は一挙に100年以上も引き戻されるだろう。いや、歴史は決して戻りはしない。新しい悲惨、階梯の高い悲惨が待ち受けるのみだ。
 しかし、ヨーロッパの歴史を心配している場合ではない。この参議院選挙で、自公を中心とする軍国主義的右翼政党を勝たせてしまうと、私たちもまた歴史を100年も引き戻されるよりも過酷な戦争の時代に突き落とされてしまう。まずは私たちの抵抗と戦いだ。

[1] ユルゲン・ハーバーマス(三島憲一、鈴木直、大貫敦子訳)『ああ、ヨーロッパ』(岩波書店、2010年)p. 100。
[2] ナオミ・クライン(幾島幸子、村上裕見子訳)『ショック・ドクトリン』(岩波書店、2011年)。



2016年7月1日

 言葉が、日本語がとても貧しくなったと思うのは、単に私の言語の感受力が衰えたせいなのだとは思えない(思いたくないということなのだが)。
 かつて、ある政治家が「警察は国家の暴力装置」と発言したら自民党が鬼の首を取ったかのように大騒ぎしたが、政治を志す者がごくごく一般的な政治学的用語を誤解している(知らない)ことはとくに気にならなかった。もともと、政治家にはそれほどの知性があるとは思っていなかったからだ。
 それでも、ある時、日本の宰相が自分を批判する人間を「サヨク」と呼んでドヤ顔を見せたときには少しばかりあきれてしまった。その一言で批判し返したつもりなのだ。彼の中では、「サヨク」という言葉が「お前の母ちゃん、でべそ!」などという言葉と同レベルで整理されているらしいのだ。知性がどうのという以前の話だ。
 いまは、参議院選挙の真っ最中だが、正しく政治の言葉を彼らと闘い合わせることは可能なのか。いや、論戦が不可能であっても、選挙には勝たねばならぬ、そうは思うのだ。そして、これが、こんなことがずっと若い時から私が政治家には絶対なりたくなかったと思っていた理由だと、いつもの選挙の時と同じように繰り返し思い出し、自己確認するばかりだ。

 今、エンツォ・トラヴェルソの『全体主義』という本を読んでいる。新書版の本を図書館の書架で見つけ、フランスで全体主義に関するアンソロジーが刊行されたときの序文で、全体主義に関する議論のまとめのような本らしいことで借り出した。
 「全体主義」という言葉は、多くの場合、共産主義国家を批判する際に多用されて来て、アベ首相の「サヨク」という言葉と同様に、「全体主義」と批判することで共産主義国家の歴史的、政治学的問題には一切踏み込むことなく思考停止してしまう役割を担わされた言葉でもある。
 全体主義と括られる政治システムには、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ロシアのスターリニズムがあって、その特質は必ずしも同じではない。アベ自公政権の現在の日本が直面しているのはファシズムだという人もいれば、ナチズムのやり方にそっくりだという人もいる。私には、民主主義を経験したことのない極東アジアの後進国特有の独裁制のようにも見えて、全体主義の括りから外れている部分もあるように思う。宮台真司のいう「田吾作」、大塚英志の言う「土人」 [1] の国ということだ。
 今度の参議院、続く解散総選挙で現在の政権に勝たせたら、いつかの将来、アビズム(あるいはエイビズム)の(abe-ism:abism)の全体主義における位置づけ」だとか「アビズムとナチズムの差異」などという論考が政治学や歴史学の主題としてもてはやされるかもしれない(日本国民の大いなる犠牲の上にだが)。
 いや、冗談を言っているわけではない。

 青葉通りまで来るとすっかり夜である。明から暗へ遷移していく時間帯をたっぷり使うデモは、とても贅沢である。日暮れ時、人を思い、街を思い、国を思ってゆったりと過ごせればどんなにかいいだろう。そんな時間を許したくないらしいこの国の政治家たちにこんな詩句を。

何も約束してくれないモラリストの方がよい
信じやすく 騙されやすい善よりは 抜けめのない善の方が好き
軍服だの制服だのはない国の方がよい
侵略する国よりは 侵略された祖国の方が好き
常に疑問を抱いていたい
整然とした地獄よりは 混沌とした地獄の方がましと思っている
新聞の第一面よりは グリム童話の方が好き
葉のない花よりは 花のない葉の方を好む
尻尾をちょん切られた犬よりも 尻尾のある犬を好む
           ヴィスヴァ・シンボルスカ「可能性」 部分 [1]

 信じやすく、騙されやすい犬、尻尾を切られた犬にはなりたくない。あいつらに尻尾を振るのは嫌だが、尻尾を振ってあの人には親愛の情だけは伝えたい。尻尾を切られてたまるか。

[1] 大塚英志、宮台真司 『愚民社会』 (太田出版、2012年)。
[2] ヴィスヴァ・シンボルスカ(つかだみちこ編訳)「世界現代詩文庫29 シンボルスカ詩集」(土曜美術社出版販売1999年)p.93。


 

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【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(11)

2024年12月19日 | 脱原発

2016年9月10日

 とても細くしなやかな一本の白髪を摘まみあげたとき、ふっと時間が止まってしまったような感覚に陥った。7センチほどの長さで、鋏で切られた跡がない。女性のものだろう。
 さて、この白髪をどうしよう。すこし戸惑っている自分に気づいたが、どうもこうもなく、ゆっくりと屑籠に捨てた。
 水曜日の午後、市立図書館から借りだした本の中に『現代短歌全集 第17巻』があった。〈かわたれどきの頁繰り〉として、木曜日の早朝4時ころ、その本の頁を繰っていた。180頁を開いたら、島田修二の歌に付けられたかぼそい付箋のようにその白髪はあった。

歌ひつづけ歩みつづけて来しからに帰りなんいざ無韻の里へ[1]

 何の根拠もないのだが、この白髪の女性も長い人生を「歌ひつづけ歩みつづけて来」た歌詠み人だったにちがいないと思ってしまったのだった。私は歌詠みではないので、「無韻の里」へ帰りたいと願う心をそのまますんなりと理解できるわけではないが、必死で生きてきた人生からまた別の人生へと願ったことはある。
 ただの偶然にすぎないことを、こんなふうに記してしまうと、なにかそれなりの感傷が生まれたような気分になってしまうが、じっさいはそのあいだ空白の感情のまま過ぎていたようにしか思えない。空白の感情というのは、つまりはうまく表現できる言葉が見つからないということでもある。
 白髪によって誘われた短い時間の感傷を離れ、再び頁を繰っていると、冬道麻子の章で次のような歌を見つけた。

此の世にてめぐりあうべき人がまだいる心地して粥すすりおり[2]

 もしかしたら、私のなかにもこんな若々しいロマンチシズムがかろうじて生き残っていて、あの一本の白髪を眺めていたのだろうかなどと一度は思い、いや、そんなことはあるはずもないと否定してみたり……。その答えなど打ち捨てるように本を閉じ、犬と散歩に出かけた。窓の外はとっくに明るくなっていて、予定時間を過ぎて犬は1時間以上も待たされていた。

[1] 島田修二「渚の日々」『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年) p. 181。
[2] 冬道麻子「杜の向こう」同上、p. 428。

 


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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(35)

2024年12月17日 | 脱原発

2016年6月3日

 東日本大震災と福島原発のメルトダウン事故は2011年に起きたが、その年は「アラブの春」と呼ばれた民主化運動が起きたことでも重要な年だった。それから3年、「アラブの春」を取材し続けた中日新聞社の田原牧さんが、再びアラブ世界を訪れ、次のように書いている。

 二〇一一年、そのアラブで騒乱が起きた。いくつかの独裁政権が倒された。同じころ、日本では東日本大震災が発生し、それに伴う福島原発事故を目の当たりにした人びとはデモに繰り出した。それから三年以上が経ち、アラブでも日本でも熱狂の舞台はすっかり暗転し、反動の嵐が吹きすさんでいる。 [1]

 エジプトの民主主義を求めた革命は成功したかに見えたが、ムスリム同胞団は革命の成果を盗んで政権に就いた。しかし、革命時に約束したリベラルな公約をことごとく反故にして強硬なイスラム化政策をとったため、リベラルな市民たちの支持を失った同胞団政府は、アッという間に軍事政権に覆されてしまった。革命は二重に盗まれてしまった。
 日本の脱原発運動もまた、事故後の脱原発への全体的な機運を民主党野田政権が再稼働を容認することで挫き、続く安倍自公政権は再び積極的な原子力推進の舵を切り戻す事態の中で進められてきた。
 国会前の10万人を越える反原発の運動は、5年後の今はたしかにその参加人数を大きく減らしてはいるが、国民の過半を越える脱原発への意思を背景に粘り強く続けられている。今や、国会前は反原発と反戦争法制の二元的共闘の場に化しつつある。
 そういう点において、「アラブの春」と福島事故のその後の経過は必ずしも同じではないが、三年後のアラブ世界を旅した田原さんの次のような言葉は、この日本で反原発と反戦争法制の意思表示を続けている私(たち)にとって、とても強く響いてくる。

 革命の理念が成就すること、あるいは自由を保障するシステムが確立されるに越したことはない。それに挑むことも尊い。しかし、完璧なシステムはいまだなく、おそらくこれからもないだろう。そうした諦観が私にはある。実際、革命権力は必ず腐敗してきた。
 革命が理想郷を保証できないのであれば、人びとにとって最も大切なものは権力の獲得やシステムづくりよりも、ある体制がいつどのように堕落しようと、その事態に警鐘を鳴らし、いつでもそれを覆せるという自負を持続することではないのか。個々人がそうした精神を備えていることこそ、社会の生命線になるのではないか。
 革命観を変えるべきだ、と旅の最中に思い至った。不条理をまかり通らせない社会の底力。それを保つには、不服従を貫ける自立した人間があらゆるところに潜んでいなければならない。権力の移行としての革命よりも、民衆の間で醸成される永久の不服従という精神の蓄積こそが最も価値のあるものと感じていた。 [2]

 そうなのだ。民主主義というのは、安倍晋三や橋下徹が単純に考えるような多数決で決めるなどという制度のことを指すのではない。民主主義とは、腐敗し、堕落する権力への不服従を不断に維持しつつ、民主主義的な未来へ永続的に主張し行動し続けることまで包含する永続的な革命全体のことを指すのだ。
 権力に不服従な個人、これが民主主義にとって必須な要素だ。反語的に言えば、権力に不服従な個人に居場所が認められた世界こそ民主主義的な世界だともいえる。そして、今ここにある個人として私の精神、私のありようこそが問われているのである。私は、「不服従という精神」を蓄積しつつ、デモに向かわなければならない。
 田原さんの言葉で深く考えさせられたが、それは辺見庸さんの言葉が私の心の奥底でずっと響いていたためでもあった。

 きょうお集まりのたくさんの皆さん、「ひとり」でいましょう。みんなといても「ひとり」を意識しましょう。「ひとり」でやれることをやる。じっとイヤな奴を睨む。おかしな指示には従わない。結局それしかないのです。われわれはひとりひとり例外になる。孤立する。例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦いつづけること。これが、じつは深い自由だと私は思わざるをえません。 [3]

 多くの人々と一緒にデモを歩きながら、「ひとり」として意思表示しているという実感は、私にはとても重要だ。官邸前の抗議行動に加わると、とくにそのような実感を強くする。あの無数の人々が手作りのプラカードを掲げ、声をあげている様子は、あきらかに「ひとり」、そして「ひとり」、また「ひとり」と集まった人々なのだ。
 やはり、市民の抗議行動、不服従の行動は、国会前での原発再稼働への抗議行動から大きく変わったと思う。ことさら「団結」や「連帯」を叫ばずに大勢の人が集まってくるのだ。五野井郁夫さんが言うように、それは「非暴力」の抗議行動であるとともに「祝祭」 [4] でもあるのだ。

[1] 田原牧『ジャスミンの残り香――「アラブの春」が残したもの』(集英社、2014年)p. 8。
[2] 同上、p.237。
[3] 辺見庸『いま語りえぬことのために――死刑と新しいファシズム』(毎日新聞社、2013年)p. 120。
[4] 五野井郁夫『「デモ」とは何か』(NHK出版、2012年)p. 8。

 

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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(15)

2024年12月15日 | 脱原発

2016年6月10日

 デモの集会の最後に司会者から指名があって、ストロンチウムの話をしてくれという。福島事故の後はもっぱらセシウムばかりが話題になっているが、ビキニ環礁の水爆実験による第5福竜丸の被爆ではストロンチウムが話題になった。そのストロンチウムである。
 ウラニウム235の核分裂では核分裂生成物として様々な放射性核種が生まれるが、その分布は原子量90と140付近にピークがあって、そのなかで半減期28年のストロンチウム90(Sr-90)と半減期30年のセシウム137(Cs-137)による被爆の影響が大きい(初期被爆では甲状腺がんの原因となる短半減期のヨウ素が問題になる)。
 ベータ線とガンマ線を出すCs-137と違って、Sr-90は純ベータ崩壊のためガンマ線を出さない。そのため、電子であるベータ線の測定が難しいこともあって、Cs-137のようにあまり測定されることがない。測定されてもデータにばらつきが多く精度に劣る例が多い。
 問題は、測定されていないということでSr-90の汚染をないことにしようとする原発推進勢力の思惑が強いことである。しかし、核分裂ではCs-137の量に匹敵するSr-90が生まれているうえ、セシウムはナトリウムやカリウムと同じアルカリ金属、ストロンチウムはマグネシウムやカルシウムと同じアルカリ土類金属で、化学的性質が比較的似ているため、原爆から放出された後の挙動に極端な差があるとは考えにくい。測定していないことをいいことに、Sr-90の汚染はCs-137の1000分の1だとか2000分の1だとする言説があるが、まったく根拠がない。食品の政府規制値がkgあたりCs-137、100ベクレルだとすれば、それにともなってかなりの量のSr-90が含まれていることになる。
 おおむね、そのようなことを話した。Cs-137は1個のベータ線を出して崩壊するが、Sr-90は1個のベータ線を出してY-90(イットリウム90)に崩壊し、さらにY-90はもう1個のベータ線を出して安定なジルコニウム90に崩壊する。つまり、Sr-90は内部被爆においてCs-137の2倍の破壊力を持っている、ということまでは話しそびれた。


2016年6月17日

 デモ前集会の最後に、今日も司会者から指名と話題の指示があって、「管理区域」の話をした。
 放射性物質を扱う事業所や職業人を対象とした法律である「放射線障害予防法」に年5mSvを超える被爆のおそれがある施設を管理区域にし、管理区域境界では年1mSv以下としなければならないと定められている。
 管理区域には一定の放射線作業についての教育・訓練を受けた人間のみが立ち入りを許され(未成年は不可)、区域内での飲食は厳禁される(法は内部被ばくの恐ろしさを知っているのだ)。放射線作業従事者の被ばく線量限度は1年で50mSvを越えず5年平均で20mSv以下としなければならない。実際には、成年男子や妊娠の可能性のある女性、身体の部位などに応じて細かな限度が設けられている。この線量限度は、そこまで浴びても大丈夫という指針では決してない。職業上の利益と交換しうるぎりぎりのリスクという意味である。
 私が関係した大学の管理区域での被ばくはフィルムバッジ(とガラスバッジ)で管理されていたが未検出がほとんどであって、たまにわずかでも検出されるとすぐに対策がとられて、法で定める線量限度まで被曝することはまったくなかった。これはほとんどの事業所でも同様で、福島事故以前は少なくとも管理者も作業従事者も法的な線量限度に関係なく「できるだけ放射線は浴びない」という「常識」で行動していたのである。福島の原発事故はそのような健全な常識をも打ち壊したかのようである。


 

 
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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(34)

2024年12月13日 | 脱原発

2016年4月15日

 熊本の大地震の震度7という報道に驚いてまんじりともせず夜を過ごした。東日本大震災のとき、仙台のわが家の近辺ですら震度6だったので、どれほどの被害が出るのか想像できない震度で、テレビにしがみつくしかなかったのだ。
 東日本大震災は現地で震度6を体験したのだが、神戸淡路大震災の時のように離れた土地で起きる震災では、被害が甚大なほど通信網もずたずたになってニュースがまともに伝わらない。
 神戸淡路大震災の時に比べれば、熊本からは被害の報道がそれなりに流れているように見えたが、把握できているのはわずかで、まだまだ被害が拡大するという怖れは払しょくできないのだった。
 「川内原発には異常がない」という報道もあったが、こちらはまるっきり信用できない。たしか、福島第一原発事故の時も地震直後にはどの原発にも異常はないという報道があったような記憶がある。

 デモを終えて家に帰り、夕食もそこそこにテレビとネットで熊本の震災のニュースを追う。日が変わったらさらに大きい地震が起きたという。次々と地震が起きて、被害が拡大しているというニュースだ。
 最初の地震は布田川・日奈久断層帯で起きた地震だが、その後の地震は阿蘇、大分へと震源が移動している。中央構造線に沿った断層帯で次々地震が発生しているということで、気象庁の青木元地震津波監視課長は「広域的に続けて起きるようなことは観測史上、例がない事象」(毎日新聞)である可能性を示唆した。
 また、地震予知連絡会会長の平原和朗・京都大教授も「今後、何が起こるかは正直わからない。仮に中央構造線断層帯がどこかで動けば、長期的には南海トラフ巨大地震に影響を与える可能性があるかもしれない」(朝日新聞)と話し、同じ記事には、東北大の遠田晋次教授が地震活動が南へ拡大する可能性も指摘している。
 震源地が東に移動すれば、中央構造線上にある伊方原発が心配になる。さらに、南海トラフ巨大地震ということになれば静岡の浜岡原発が確実に危なくなる。遠田教授は日奈久断層帯の南端(川内原発に近い)での地震発生を心配するが、日奈久断層帯以外でも次々と地震が発生していることを考えれば、さらにその南の川内原発間近の断層帯での地震発生の可能性も否定できないはずだ。
 九州電力は震度5程度の地震で川内原発は自動停止するから安全だと主張していた。最初の地震はともかく、後続の地震では川内原発付近も震度5に達したはずだが自動停止はしていない。これは、安全装置が作動しない「異常」ではなかったのか。
 この点に関しては九州電力には前科があるという(「小坂正則の個人ブログ」記事より)。19997年3月に川内市は震度6の地震に見舞われ、市内の揺れは444ガルだったのに川内原発では64ガルの揺れしか検出せず、そのまま原発の運転を続けたのだという。今回もまた地震計がまとも作動していなかったという疑いは晴れないのである。
 なぜ、ここまで安全性に配慮することなく原発の稼働に妄執するのだろうか。いったん原発を止めたら再稼働が不可能になると恐れているのだろうか。仮に私が原発推進の電力会社の人間だとしたら、「即刻原発を止めて安全確認をしました。私たちは原発の安全運転に最大の配慮をしています」と大いにアピールする方が長期的には得策だと思うのだが……。
 それとも、自公政権や電力会社は原発が動いている限り自分たちの利益は確保できる、原発なしには自分たちは安寧でいられないとでも妄信しているのであろうか。原発停止と存在不安が直結しているのか。ここまでの執着を見ていると、単なる経済的利益を守るレベルを超えているのではないかと思えてくる。どこかカルト的な信仰心に似たような心性に落ちこんでいるのではなかろうか。政治・経済的イッシューではなくて、精神病理学的な領域でしか解決できない問題ではないかとさえ思えてくる。

 

2016年5月20日

 熊本・大分大震災の被害が続いているというのに、2020年東京オリンピック開催決定を巡る日本側の買収だとか舛添東京都知事の公金不正支出問題などでマスコミが大騒ぎしているさ中、19日の参議院法務委員会で「改正刑事訴訟法」(国民盗聴法)がたいした報道もされずに成立した。国民の自由を憎んでいるかのようなファシズム的統治システムが次々とできあがっているのだ。
 そのニュースと重なるように、沖縄県うるま市で若い女性が元米兵に殺害されるというニュースが流れる。アメリカによる植民地支配をもののみごとに象徴する事件なのに、アメリカとの軍事同盟だけが彼らの生命線と信じている自公政権はまったく関心を示さない。まったくいいニュースがないのだ。「みんな安倍のせいだ」というのが、合言葉のようになりつつある。
 小さな話題だが、「いやな感じ」のニュースがネットで流れてきた。東京のあるカフェで「WAR IS OVER」と「GO VOTE」という小さなビラを店の看板の脇に貼っていたところ、通行人が「政治的過ぎる」とビルの管理者にクレームを付けたうえで「2週間後に確認に来る」と言ったというのである。
 ネットでの大方の反応は、当然ながら「WAR IS OVER」や「GO VOTE」のどこが政治的なのか、というものだった。しかし、「政治的で何が悪い!」と断言する人もいて、私には、これがもっとも正しい反応だと思える。
 かつて、総選挙を前にして「みんな家で寝ててくれればいい」と語った保守政治家がいたが、これは「家で寝ていること」が保守政権にとってもっとも都合のいい国民の「政治的行動」だということを露わに示している。
 「家で寝ている」ことですら決定的に「政治的」なのである。ましてや、ビラが政治的だとクレームをつけるのは「過激な政治行動」だ。本人は、中立な立場で非政治的な正しい行いをしていると信じているかもしれないが、愚昧の極みである(最近、「〇〇の極み」というのが流行りらしい)。
 辺見庸さんが魯迅の『阿Q正伝』を引いて、次のようなことを書いていた。

 満州事変の発端となった柳条湖事件から八十一年目となる九月十八日にも、北京、上海、広州など中国全土で反日デモが行われ、満州事変記念館がある遼寧省瀋陽市では、日中戦争で殺された中国人を哀悼してサイレンが鳴らされた。それと同時に現地のテレビでは「国辱の日を忘れるな」という字幕が映しだされた。サイレンは安徽省、山西省、雲南省など数十の都市でも鳴らされ、市民らが黙禱した。まったく同じ日、若者たちで満員の東京・日本武道館では「AKB48 29th選抜じゃんけん大会」が盛大に行われ、テレビが「緊急生中継」した。二つのできごとには、日中両国の幼(いと)けない阿Qの子孫たちが参加していたことを除けば、とくに共通性はない。 [1]

 時代を遡っていえば、紅衛兵のこともある。政治に煽られて暴走する人々も、AKB48の熱狂する人々も「日中の幼(いと)けない阿Qの子孫たち」なのである。先のクレーマーもまた阿Qそのものだ。

阿Qとは、握れば一つに固まっているようでも、所詮は手指からパラパラとこぼれおちてゆく砂(中国語で「散沙」)のような、哀しくも滑稽な民衆の原像でもあった。阿Qは、ちゃらんぽらんで、なんでも自分に都合よく解釈するオポチュニストであり、時に応じて付和雷同する貧しい愚民の典型である。つまり、魯迅が仮借なくつきだした昔日の中国民衆像が阿Qなのだが、しかし、阿Qの末裔は現代中国のみならず、この日本でも、いや、世界各地でいま急速に増殖してはいないだろうか。 [2]

 今、日本でも大勢の阿Qたちがおのれの行為の政治的意味を知ってか知らずか、右翼政治権力の「生政治」の操られるまま社会の閉塞化、ファシズム化へと加担し続けている。

 私がいちばん気にしているのは、この時代のファシズムは、我々が自ずからやってしまうことであるということです。一生懸命、真面目にやってしまうということです。それはこれから来るということではなく、まさに最中であると思うんですね。あるいはもはや事後かもしれない。僕が苛立つのはそこです。 [3]

 魯迅は阿Qの愚かさを仮借なく描き出したが、阿Q(たち)を愛してもいたのだというのが正しい『阿Q正伝』評なのだろうが、私は、現代日本の阿Qたちを愛しているとはとても言い切れない。
 私もまた無自覚な阿Qではないかと怖れつつ、今日もデモに行くのだ。 

[1] 辺見庸『国家、人間あるいは狂気についてのノート』(毎日新聞社、2013年)p. 26。
[2] 同、p. 25。
[3] 同、p. 194。

 

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【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(10)

2024年12月11日 | 脱原発

2016513

 この頃、めっきり読書量が減った。読書の時間が少なくなったことと、読みたい本がなかなか見つからないのである。読むべき本はたくさんあるが、読む気になれる本が少なくなった。興味や関心を維持する気力が減退したのだろう。
 「日本会議」が出版社に出版停止を求めたということもあって、入手困難だと話題になっている菅野完さんの『日本会議の研究』という本も、刊行二日後にはきちんと手元に届いた。さっそく読み始めたが、15ページくらいで止まってしまった。面白くないわけではない。なぜ、日本会議のもろもろの事情を読まねばならないのか、腹が立ってしまったのだ。敵の本質を知ることは政治的闘いには重要であり、この本が批判的に書かれているとは分かっていながらも、心底から軽蔑している人間たちの行いを詳らかに読むのはなんとも気が進まないのだった。私が政治家にも運動家にもまったく不向きな理由だ。
 読書に費やする時間が減ったこともある。早朝3時半から4時くらいに目覚めて、それから6時くらいまで本を読み、6時から7時くらいまではイオという犬と散歩するのが習いだった。ところが、イオも年老いて足が弱り、近所をゆっくりと歩くだけになった。4050分ほどかかるが、私の歩数は1000歩程度で終わってしまう。イオの調子次第では500歩という時もある。イオには散歩であっても、もはや私には朝の散歩とは言い難い。
 そこで、朝5時にイオとの散歩に出て、次いで7時くらいまで私一人で歩くことにした。急ぎ足での散歩は1時間強で8000歩ほどになる。相棒がいない無聊さを償おうとカメラをぶら下げていくが、写したいと思う被写体はほとんどない。いや、被写体を発見する能力がないのだ。
 そんなことで朝の読書時間が減った。減ったどころか、ゆっくりと読めないと思うと、本を開くことさえまれになったのだ。ほかの時間帯を読書に使えばよさそうなものだが、そちらはそちらで習いとしてやるべきことがあるのだ。

人生に宿題が多すぎて
読むべき本としんぶんとてがみと
うたふべきうた きくべきうたが多すぎて
まるで 生きてゐるひまがない

     吉原幸子「無意味なルフラン」部分 [1]

 若いころ、こんなことを気取って言える人生を夢見ていたが、このフレーズが似合わない方へ私の人生はどんどん傾いでいくようだ。
 本が読めていないなあ、という実感にさいなまれているものの、数日前に2冊の本をあっという間に読み終えた。2時間近く仙台市図書館を徘徊しても読みたい本が見つからず、これでいいかと手にした本が上原善広著『日本の路地を旅する』だった。同じ著者の『異貌の人びと』が並んでいたのでそれも借り出した。表紙に「中上健次は、/そこを「路地」と呼んだ/「路地」とは/被差別部落のことである」とあった。「中上健次」の名前と「被差別部落」という言葉が借り出した最大の理由である。
 自らも関西の被差別部落の出身である著者が日本中の被差別部落を訪ね歩いたルポが『日本の路地を旅する』で、世界のさまざまな被差別民を訪ねたルポが『異貌の人びと』である。著者の心情と差別され続ける人々の複雑な感情が織りなす物語といえるようなルポルタージュだ。著者の恋愛や幼年期、家族との複雑な感情の交流まで内包する良質のエッセイ、小説といってもよいような作品である。二日で二冊、あっという間に読み終えた(他のことどもを投げうって)。
 私たちの社会に深く根差している差別。貧しい農漁村への差別としてあった原発建設。琉球の民族差別を押し隠して進められてきた沖縄の軍事基地化、新たに壮大な経済差別を生み出し続ける新自由主義なグローバル政治、その末端としての自公政権が課している民主主義を要求する日本国民への政治差別。極右政権を後ろ盾としてマイノリティへ言葉の猛威を振るうヘイト集団。
 差別を克服し、否定しようと意思表示をする人びとを社会的に孤立させ、差別することによって成立しているようなこの国の政治システムに思いが及ぶのも、脱原発デモの効能の一つかもしれない。

[1] 『吉原幸子全詩 II』(思潮社、1981年) p. 113

 


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