「文七元結(ぶんしちもっとい)」は、明治期の江戸落語の大名人・三遊亭圓朝師匠が創作した「人情噺」というやつです。
人情話は三遊亭派にとってもお家芸の一つ。
このお話はスジがいい。哀れを誘う展開からさらに悲劇がせまり、そこから一気にスジが急上昇。八方がハッピーエンドで幕となる。
これは異例の人気を博したようで、明治のころからは歌舞伎としても上演されていたそうです。
結構長い話です。
噺のスジはというと・・・、
ある夜、ばくちに負けて身包みはがされた左官の長兵衛が長屋に帰り着くと、妻が明かりもつけずに部屋の隅でうつむいていた。
明かりをつけろ、とどなると、娘のお久が夕べから帰ってこないと、妻の答え。
「探したのか」「方々探したよ」「探し方が悪い」「お前さんに愛想を尽かして出て行ったんだ」とお決まりのやりとり。バクチに負けた腹いせ、一方で家族を省みなくなってしまったことへの後ろめたさ。だから長兵衛の口調はついつい乱暴になってゆく。
そこへ吉原の「佐野槌」というお店から番頭が尋ねてくる。
訊けば娘のお久が昨日から「佐野槌」で厄介になっているという。
おどろく長兵衛夫婦。
「だれでぇ、娘を吉原へ担ぎ込んだやつは?」
「いえ、お久さんは、お一人でお越しになりました。」
番頭さんは「佐野槌」の女将さんから「長兵衛親方をお連れ申し上げるように」と託ってきたのだという。
さあさあ、とにもかくにも吉原へいかなきゃ、ところが長兵衛はバクチで身包み剥がされてバクチ屋から半被一枚よこされて叩き出された身。着てゆく服なぞとうの昔に借金のカタななっちまった。
仕方がないから無理やり妻の着物を脱がせて、スソが長いから尻っぱしょりして、きたない手ぬぐいで頬かむりして遊郭へ・・・。
つづく。
人情話は三遊亭派にとってもお家芸の一つ。
このお話はスジがいい。哀れを誘う展開からさらに悲劇がせまり、そこから一気にスジが急上昇。八方がハッピーエンドで幕となる。
これは異例の人気を博したようで、明治のころからは歌舞伎としても上演されていたそうです。
結構長い話です。
噺のスジはというと・・・、
ある夜、ばくちに負けて身包みはがされた左官の長兵衛が長屋に帰り着くと、妻が明かりもつけずに部屋の隅でうつむいていた。
明かりをつけろ、とどなると、娘のお久が夕べから帰ってこないと、妻の答え。
「探したのか」「方々探したよ」「探し方が悪い」「お前さんに愛想を尽かして出て行ったんだ」とお決まりのやりとり。バクチに負けた腹いせ、一方で家族を省みなくなってしまったことへの後ろめたさ。だから長兵衛の口調はついつい乱暴になってゆく。
そこへ吉原の「佐野槌」というお店から番頭が尋ねてくる。
訊けば娘のお久が昨日から「佐野槌」で厄介になっているという。
おどろく長兵衛夫婦。
「だれでぇ、娘を吉原へ担ぎ込んだやつは?」
「いえ、お久さんは、お一人でお越しになりました。」
番頭さんは「佐野槌」の女将さんから「長兵衛親方をお連れ申し上げるように」と託ってきたのだという。
さあさあ、とにもかくにも吉原へいかなきゃ、ところが長兵衛はバクチで身包み剥がされてバクチ屋から半被一枚よこされて叩き出された身。着てゆく服なぞとうの昔に借金のカタななっちまった。
仕方がないから無理やり妻の着物を脱がせて、スソが長いから尻っぱしょりして、きたない手ぬぐいで頬かむりして遊郭へ・・・。
つづく。