放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

ポリープ8

2024年10月13日 01時41分16秒 | Weblog
 静寂がやってきた。
 時刻は14:00を過ぎたくらい。つまり昼下がり。
 普段であれば、食後のゆるーい睡魔に耐えながら仕事をしている時間。
 まあ、今もそれなりの疲労を感じていることに違いはないが。
 なにしろ、まだ黄色い下痢が止まっていないのだから。
 もう手術とっくに終わってるのに。どう考えても今回ばかりは下剤が多かった。
 
 それでもトイレからベッドに戻れば、やはり日常にはない静寂があった。
 安静・歩くなと言われたから、やることといえば排便と睡眠くらい。
 手術直後で絶食中だから食事もしないし、入浴もしない。何もしない。
 普段なら何もしないでいると後で後悔することになるんだけど、今はそれがない。
 これはむしろ贅沢なことなんじゃなかろうか・・・。

 何もしなくていい時間を「有意義」に過ごす方法はただひとつ。何もしないこと。
 テレビ観ない。
 ラジオ聴かない。
 スマホも家族との連絡と最小限の情報収集くらい(ドジャースの勝敗とか)。
 友は持参してきた本一冊。
 ここは病院にミサイルも飛んでこないし、深刻な感染状況下でもない。そして入院が長期的なわけでもない。ご同室の方も静かに過ごすのがお好きみたい。ならばお付き合いします。このありがたさを当たり前と思わずに噛み締めて過ごそう。
 
 とか言いつつ、いつの間にか寝落ちしていたらしい。
 看護師の慌ただしい足音で目が覚めた。
 点滴パックの交換に来たのだが、すっかり空になっていたようだ。腕を見ると、血液が点滴針を遡上してチューブ内まで上がってきているのがわかる。
 「あー、固まっちゃいましたね」
 寝ていたから点滴パックが空になっているのに気が付かなかった。
 点滴液の尽きたチューブ内を血液が逆流し、そこで空気に触れて凝固してしまったらしい。
 血液が凝固すれば血栓のもとになる。針を抜いて別の場所で点滴を再開するしかない。

 外は薄暗くなっていた。時間を見ると18時すぎ。周囲の病室からは話し声やテレビの音が聞こえてくる。 
 もう夕食の時刻らしい。配膳している声も聞こえる。でも絶食中だから関係なし。
 寝落ちしていたということは、下痢がおさまったのかも。

 さっきは手術の関係で右腕に点滴をしていた。今度は左腕。  
 針がなかなか刺さらない。3回目でやっと成功。
 トイレはもう尿だけになった。やっとお腹落ち着いようだ。針刺した腕がすこし疼く。
 また少し本を開いて静寂を愉しむ。このまましばらく寝っ転がっていた。
  
 消灯時間が来て、寝る前にトイレに立った。そのとき、点滴チューブ内に気泡が入っているのを発見。じわりじわりと左腕に迫っている。こりゃ困る。けっこうな量だぞ。こんなの血管に入ったら・・・。
 トイレを出てそのままナースステーションに向かう。ステーションに看護師の姿は見当たらず。チューブ内では気泡がゆっくり進行中。どうしよう・・・。
 「どうかされましたか」
 背後から声がかかる。
 振り向いて、看護師に気泡を見せる。看護師は「あー」と言ってその場でチューブ接続部を分解。気泡をうまく抜いて、元通りにしてくれた。
 「今日手術なさった方ですよね」
 「はい、そうです」
 「安静との指示が出ていますのでここまで来ちゃダメですよ。何かあったらナースコールで呼んでください」
 そうだった!歩いちゃいけないんだった。すごすごと病室へ戻った。

 夜中になって、さっきの看護師が点滴チューブを取り外しに来た。これで点滴は終了とのこと。でも針は抜かない。
 なにか容態に変化があった時に、ここから必要な薬剤等を供給するためだそうだ。でもチューブと点滴スタンドから開放されたことには違いない。少し左腕がチクチク(実は両腕)するが、これも終わりへの一段階。

 翌日、体温と血圧を測定。
 なぜか下の血圧が高い。入院して下の血圧が高くなる人は案外多いという。看護師はその原因について明言をしなかったが、運動不足に陥るからではないかと個人的には思う。
 体温、血圧ともに異常ではないということで、やっと点滴針も抜いてもらえた。抜いたところもチクチクする。これは退院後も数日続いた。

 それから朝食。久しぶりに温かい食事をいただけてうれしかった。
 そのまま退院許可が下りた。BELAちゃんが迎えに来てくれた。
 はあ、自由の身。
 とにかく、手術より下剤がしんどい。
 もうやりたくない。これからもどうか悪いことしませんから下剤だけは勘弁してください。

 後日、ポリープの生育状況を伺う。
 良性とのこと。

 了
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ポリープ7

2024年10月09日 00時21分27秒 | Weblog
 ポリペクトミーという手術は、内視鏡を巧みに操る技術を要する作業だと思うが、所要時間はかなり少ない。
 だいたい手術台に横になって15分くらいだろうか。
 大腸の中で患部を焼いて切除するのだから、多少は痛いとか熱いとか感じるんだろうなと思っていたら全くそんなことはなかった。
 まるで他人の手術をモニターで見ているみたい。
 いや確かにモニターに映されているのは自分の内部に違いないのだが、ポリープ自体には神経が通っていないようで、突っついたりつまんだりしても何も感じない。当然、焼き切っても傷口をニッパーで挟んでもなんでもない。
 ただ、ときおり腸内に分泌物が湧くたびに内視鏡についている吸引器で吸い取っている。機器をガサガサ揺すったり回したりするので、お腹の中がボコボコゆれる。
 また大腸内をよく見えるように空気を送り込んで管内を膨らませる。この時、不気味な張り感を感じる。
 こういうのが何とも怖い。

 実際、こういうことは腸内で同時多発的に起きていた。
 ポリープを発見したと思ったら分泌物(やっぱり黄色い)で視界が何も見えなくなる。そこで手早く(手荒に?)分泌物を吸引し、さらによく見えるように管内を膨らませる。高周波スネア(輪っか状のワイヤーで患部を焼き切る器具)をだんだん近づけて、ポリープに引っ掛けようと試みる。また黄色い分泌物が流れ込んできた。急いでガバガバ吸引する。
 てな感じで、医師の集中力と技術力、忍耐力などいろいろ必要なんだなと思った。

 手術終了後、車椅子に乗せられた。さすがに終わったばかりで歩くのは危険なのだろう。
 そのまま病室へ連れられてゆく。

 明日の朝まで安静。歩いても隣のトイレまで、それ以上は歩かないように、と指示を受けた。
 看護師さんはそこでふと飲み残した下剤に気がついたらしい。
 「全部飲めませんでしたか」
 「はい。吐きそうになって。」いや吐いたけど。
 でももういいですね、と言って看護師は飲み残した下剤を持っていった。
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ポリープ6

2024年10月07日 02時16分51秒 | Weblog
  入院の日が近づいてきた。
 なるべく消化の良いものを食べるように心がける。
 繊維質のものもなるべく細かく刻んで調理するようにした。

 そして入院前日。
 この日はまる一日、病院から渡されたもの以外食べられない。

 病院から渡された朝食は、
 朝・お粥(レトルト)、
 昼・中華粥(レトルト)、
 間食・ビスケット2個、無果汁ジュース(粉末)
 夜・スープ(粉末)。
 
 大の大人がこれでエネルギー足りる訳がない。
 朝食べてから間もなくお腹が鳴り出した。昼が待ち遠しい。
 で、昼、食べ終わると間もなくお腹が鳴り出す。

 ちなみに、ガッツリFulltime勤務中。
 
 夜、帰宅。
 血糖が明らかに下がっている。少し力が入らないような、むしろ力が漏れてゆくような感覚。
 でもたぶん肝臓グリコーゲンの取り崩しにより、最低限度の血糖値は確保されているんじゃなかろうか。
 でなきゃ今頃もっとモーロウとしているはず。
 
 20:00
 最後のスープを飲んで、ちょっと落ち着いた頃に今度は下剤の登場。
 粉末の薬をコップで200mlの水で溶かす。味はスポーツ飲料を少し濃くしたみたい。
 少しだけ泡が出る(炭酸)。
 少しだけトロっとしている。

 21:00
 また下剤(今度は錠剤2錠)。
 このあたりからすでに数回トイレに行っている。
 22:00すぎたらもう完全に水便。
 このまま寝て大丈夫かなぁと思ったら案の定、寝具を汚した。

 夜中に起きて風呂場で寝具のつまみ洗い。その後ハイターに晒して、それから洗濯機へ入れた。
 まったく、なんでこんなことに・・・。
 
 洗濯機が止まるのを待っていても仕方がないので、そのまま寝ることに。
 これ以上寝具を汚したくないので、新聞紙を厚めに敷いてその上に横になった。ガサガサうるさい。

 明け方起きて、洗濯機の中身を確認。洗濯物を出して広げてみた。汚れは落ちたみたい。

 トイレに行くと相変わらず蛇口をひねったような水便。
 しかしそのうち、エアが混ざるようになってきて、最後にはついに何も出なくなった。

 尿だけはしっかり出る。しかし消化器内に固形物は全く無いようだ。
 これから病院へ移動することを考えれば、ここらへんで下痢が止まっていてくれたのは有り難いことなんだろう。でも水分足りているかな、歩いているうちに脱水症で倒れたりしないだろうか。
 
 9:15
 無事に病院到着。
 入院手続きをして病棟へ案内された。

 病室に案内されて間もなく、看護師が2リットルの下剤を持ってきた。

 来たよ2リットル!もう飲んだって何も出ないぞ。
 おー、まるで清涼飲料水のようによく冷えている。こんな冷たいの飲んだだけでお腹壊しちゃう。

 アホなこと言って気ぃ紛らわしていたのに看護師は大真面目で、全部飲むように、と言う。飲みきったら便の状態を見るからナースコールしてくれ、と。
 2時間以内で飲み切るペースで進めてほしい、といって看護師さんは病室を出ていった。

 眼の前にはよく冷えた2リットルの下剤。そして進捗状況を記録する表が残された。
 ため息しか出ない。

 10:00下剤を飲み始めた。コップ1杯ずつ。
 表をよく見ると、はじめはコップ1杯(約200cc)を15分かけて飲むように指示されているが、後半は10分ペースに変わる。
 ところが実際には逆で、ペースが保てない。
 1.2リットル飲んだあたりでコップに手が伸びなくなってきた。
 前回の検査のときもそうだった。胃に溜まるようになってきて1.2リットルが限界だった。
 しかも便は一切出てこなくて、ひたすら尿ばかり出る。それもやけに黄色い。下剤は飲む前は透明色なので、胆汁液でも混ざってしまうのだろうか。

 途中から点滴開始。
 栄養補給と水分摂取という。

 様子を見に来た看護師に「下剤が飲めなくなってきた」と訴えると、「飲めなきゃ浣腸ですよ」。ぐさっと刺してきた。

 浣腸イヤー!そんなに追い込まないでー!! てコントかい。 
 
 トイレに行った時、ついに吐いた。
 すっかり吐いた。これも液体ばかり。そして黄色い。
 
 それからやっと2回ほど通便があり、看護師に便を見せた。
 「はいOKです」
 患者の腸内洗浄が完遂していることさえ確認できれば、これ以上下剤も浣腸も不要なはず。
 こっそりコップに飲み残した下剤を洗面台の流しに捨てた。
 
 まもなく内視鏡室からお呼び出しがあった。
 点滴スタンドを手で引きながら内視鏡室へ移動する。帰りは車椅子に乗ることになるとのこと。

 いよいよ始まるか。
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ポリープ5

2024年09月28日 15時06分16秒 | Weblog
 9月に入り、再度医師に呼ばれて来院。
 大腸ポリープの切除手術(ポリペクトミー)についての説明があった。

 患部の根っこに生理食塩水を注入し隆起させ、ポリープを取りやすくした後、高周波スネアと呼ばれる輪っか状の器具を根っこに引っ掛けて、焼き切る。
 焼き切った傷口は金属クリップで閉口させる。
 切除したポリープは生理学的検査で良性・悪性の判断をする(2週間以上かかる)。
 術後の経過を見るため2日以上入院してもらう。
 とのこと。

 説明の後に、麻酔で寝ている間に施術もできるがどうするか、と訊かれた。
 
 けっこうです、と回答。
 どんだけ痛い手術なのか見当もつかなかったが、「どうするか」と訊くということは、麻酔ナシもアリということだろう。麻酔ナシのほうが早く済むような気がした。

 説明が済んでから、一つ質問した。
 「先日、内視鏡検査の時に見つかったポリープをその場で切除するという選択肢はなかったですか?」
 「ありません」即答。
 
 「腸に傷をつけるということは危険なので、かならず入院という手続きで行っています。傷口から出血する場合もあるので。」
 なるほど。
 この件について、後日かかりつけ医に話したところ、「そりゃそうだろう」と言われた。
 へー、以前は日帰りの手術もあったと思うけど、ポリープの種類と場所によるのかな。

 手術は9月末に決まった。
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ポリープ4

2024年08月10日 00時39分33秒 | Weblog
 内視鏡室前の受付にて説明を受け、医療用ガウンに着替えさせられる。そのまま待合でしばらく待たされる。
 待たされている間にも2回トイレに行った。まだ少し残っているかな。
 
 いよいよ呼ばれて台に上がる。左を下にして横向きに寝ろという。つまりお尻をこちらに向けて横になれということだ。
 もう何も考えないことにした。
 右肩に「腸の動きを抑える薬です」と注射された。
 ぐいっと肛門に何かがねじ込まれた。さすがに痛い。それから内視鏡の先端がずるりと入り込んでくるのがわかった。
 「大腸にもいくつか曲がり角がありますからね、そこだけ少し苦しいけれどガマンですよ。」と先生。
 ああ、と理科の授業で習った程度の簡単な大腸のイメージを思い浮かべる。大雑把に言って大腸は四角形。四角形だから大雑把に4箇所の苦痛ポ
イントがあるのかな? いや最後の4つ目のポイントは終点のはずだから苦しくないかも。
 横になった自分からも見える位置に大きなモニターがある。これで自分の大腸を見ることができる。思いの外キレイな色している。時折何か液体を吸い上げるような音がする。腸内で分泌されている液体を吸い上げているんだろう。内視鏡が進む先が視界不良にならないように。

 そうこう言っているうちに急にお腹に張りを感じた。これは空気を送って腸管を広げているのか。おそらく1つ目の苦痛ポイントだろう。
 思わず唸る。これは苦痛か? いや、それだけではなく違和感と恐怖感が混ざっているかも。
 腸管が張るのって、正直イヤな気持ちになる。破裂しそうな恐怖感。イレウス(腸閉塞)の時はこんな痛みがずっと続くんだろう。
 腹部の膨張感とそこを逆行してくる機械。この違和感は確かに恐怖に置換しやすい。苦痛とされる一因はそれかも。

 腹圧が下がってきた。ぐんぐん先へ進んでいるらしい。
  そうこうするうちに、またお腹が張ってきた。イタタタ、思わず声が出る。
 「はいー、仰向けになります。」
 は? お尻に挿さったまんまで体位変えんの?
 「ええ、このままでは入りにくいので。」
 いや充分入っています。
 介助者(看護師?)が右膝を起こしにかかる。手荒にされては困るから、言われるままに仰向けになる。すると今度は右足を組んでくれという。
 大丈夫かな、お尻の筋肉を使う動作が続くぞ。内視鏡を挿したところから何か滲んでこないだろうか。
 「大腸管内視鏡は初めてですか?」
 「はい」
 それ今訊く? フツーその質問は内視鏡を挿す前じゃないの?

 「はい、虫垂部(盲腸)到達です」
 あれ、意外と早かった。
 「こっち見ると管が細くなっていますね。この先は小腸です。内視鏡は太すぎて此処から先へは行けません。」
 自分の盲腸や小腸を見るのは生まれて初めて(そりゃそーだろ)。
 「では抜きなから腸内を見ていきましょう」
 医師が内視鏡をずるりずるりと引っ張り出してゆく。それに合わせてモニター画面も後方へスクロールしていくのがわかる。
 あらかた内視鏡を引っ張り出してから、
 「あらかた見ましたがキレイですね。ただ気になったのはここ。」
 突然また内視鏡ケーブルをぐいっと差し込んだ。そこにぷるんとした肉塊がぶら下がっていた。
 「ポリープですね。ここだけなんで、増えてはいないようですね。ただ大きさが5ミリ程度なんで、これは取ったほうがいいでしょうね。」
 じゃあ今とって。
 「後日入院していただいて、ポリープを切りましょう。入院は2,3日かかります。」
 え、そんな大掛かりなの?
 医師はさっさと内視鏡を抜いてしまった。
 「はい、終わりです。ゆっくり起きてください。」
 お尻にたくさんのペーパータオルが当てられた。やっぱり肛門から何か漏れていたんだ。仰向けになんかさせるから・・・。
 椅子に座らされ、今のポリープ画像を見せられた。
 ポリープはどの部位なのか訊いたところ、直腸からちょっと奥にいったところだという。
 「ポリープ切除は9月ですかね。8月はすでにいっぱいなので。」

 やっぱり今切ってもらえばよかった。でも今切ろうとしなかったのは何か理由があるんじゃあなかろうか。
 例えば止血対策。例えば切除する器具を一緒に挿入していなかった。例えば痛すぎて麻酔が必要とか。

 次の予約を取ってから医師に礼を述べて内視鏡室を出た。
「やっぱり今切ってもらえばよかった」疑念はいまも続いている。
                                                                                                                                           
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ポリープ3

2024年08月02日 23時35分45秒 | Weblog
 大腸の内視鏡検査を受けるにあたり、まず大腸をキレイにしなければならない。
 キレイという表現が正確ではないかもしれない。腸内の固形物をすべて出して隅々まで調べられるようにしなければならない。
 下剤を呑んで胃腸の内容物を全部出してしまおうというのがその手段であるが、その準備は検査日の前日から始まっている。
 油っこい食材や繊維の多い食材を避けて、なるべく流れやすいものを摂取するよう指導された。
 特に繊維はクセモノで、下剤でも流れにくいのだそうな。
 ワカメなど海藻がダメ。夏が旬のキュウリもダメ。ごはんNGお粥OK。果物でOkなのはバナナだけ(スジを丁寧に除去した上で)。ポテトサラダに至ってはジャガイモだけOKとのこと。
 こうなると摂取できるのは豆腐やスムージー、バナナくらいしかない。あと卵か。
 BELAちゃんにも協力してもらって、言われた通りの食事を心がけた。魚はOKであることを知ると、BELAちゃんは手間かけて銀タラを煮付けてくれた。但し皮は食べれない。コラーゲン乗ってて美味しいのにね。
 どうせ寝る前に下剤(錠剤2錠)飲むのでどこまで栄養を吸収されるかわからない、けれど夕食の銀タラはあんまり旨くて舌に沁みた。
 
 大腸管内視鏡検査について、調べようかと思ったが、やめた。
 胃カメラ(胃部内視鏡)検査なら毎年やっている。だから内視鏡という機械がどのようなもので、どんなことができるのか、大体わかっている。
 その上で、いったい自分は何を知りたいのか考えてみたら、大したことではなかった。
 痛いのか痛くないのか、とか。
 どんなトラブルが予想されるのか、とか。
 その病院の評判、とか。
 ガンの見落としはどのくらい、とか。

 この前の診察のときに、内視鏡室がずらりと並んでいるのを見た。これは日頃から相当数の受診者を検査しているということだ。そんだけ検査してりゃ、医師の経験値は相当高くなるし、大抵のトラブルもとっくに起きている。その反省と対策も十分なんじゃないだろうか?
 従って、調べようかと思ったことの大半はすでに答えが出ている。
 残るは「痛いか痛くないのか」。
 でもそんなの痛いに決まっているし、のたうちまわるほど痛いなら、はじめから麻酔の提案が出てくるはずだ。つまり「耐えられる程度」と判断するより他はない。身体への負担は未知数だが、そもそも日帰りなんだから、それもどうにかなりそうな気がする。
 なんだかんだ考えて、スマホや何やらで無駄な知識を仕入れるのは意味がなさそうである。
 明日は余計なことは考えず、無為に過ごそう。

 検査日当日になった。
 当然ながら朝食ヌキ。昼食もヌキ。そして8:00から「ニフレック」という下剤を飲み始めた。
 プロテインでも入っていそうな容器に顆粒が入っている。これに水を2リットルを入れて顆粒が溶けるまで容器を振る。

 それをコップに注いで200mlを15分位かけてゆっくり飲むように書かれている。それで2リットルを2時間程度で飲め、とある。

 んん?計算おかしい。
 200mlを15分位ならば1時間では800ml。2時間では1600mlつまり1.6リットル。ぜんぜん追いつけない。
 かと言って下剤を一気飲みすれば大惨事が待っている。そんなの想像もしたくない。
 とにかくうまくいくかどうか分からないまま飲み始めた。
 ニフレック、飲み始めはそれほどマズくない。バリウム飲むのに比べたら全然ラク。

 ところが2時間経っても全然飲み終わらない。ゴクゴク飲めるようなものでもなかった。そのうちだんだん飽きてきた。
 気持ちの所為か軽い吐き気を催してきた。いきおいコップから手が離れてしまう。気晴らしに外出するわけにもいかない(逃避か)。
 12:30頃、とうとう飲み残した。600mlくらい残しただろうか。予定時間を大幅に過ぎている。
 でも腸管の内容物はすっかり出たようだ。これでいいかな?

 ニフレックは若干の栄養補給・水分補給の成分も入っているのだろうか。朝食、昼食と抜いたのに、血糖が欠乏したように感じなかった。喉が渇くということもないし、普通に立ち居できて、頭がぼーっとすることもなかった。こちらも多くの知見が生かされているようだ。

 このあと、いよいよ病院へ向かう。
 
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ポリープ2

2024年07月28日 00時13分14秒 | Weblog
 初診日を迎えた。
 電話で初診予約を取ったときに、受付の人から「当日は朝ご飯ヌキで」と言われていたのでその通りにした。
 だいたい初診で何をするのだろう。問診と、内視鏡検査の日取りを決めるくらいしか想像できない。
 朝ご飯ヌキの目的は何なのか。専門的な検査をするのだろうか。でも調べるのは腸管のはず。下剤も呑んでいない。まさかその場で浣腸されてすぐに内視鏡で検査とか・・・。

 電話受付の険しい対応の影響なのか、病院へ行く前からアウェー感が甚だしい。ありもしない浣腸の妄想もネガティブな心境だからこそである。

 広い病院だから右見ても左見ても情報が多すぎる。キョロキョロしていると案内の人がすぐに声を掛けてくれた(アウェー感が一気に薄れました)。初診受付を済ませて胃腸科フロアへ移動。そこで「御机下」つまり紹介状を手渡した。
 まずは身体計測。身長と体重、血圧も。終わったら待合でしばらく待たされる。
 ずらりと並んだ診察室の一室に呼ばれて問診。そこで初めて便に潜血があったことを知らされる。
 再び待合室で待つこと40分。今度は別の先生に呼ばれて検査の日程を相談。今日はこれで終了。
 
 帰りに待合スペースを振り返ると、人がいっぱい。さすが大病院。
 思うに、先日電話で険しい対応した人は、そのするように言われて応対していたのだろう。その目的は「診療所」と「基幹病院」とを分けること。診療所で済む話なら診療所で治療してくれ、基幹病院はパンク寸前なのだから、こちらへ通う患者を増やしてくれるな。つまり役割分担のようなことを診療所と基幹病院の2者はやっているのだ。基幹病院へ初診の申し込みをすれば、ソレは本当に基幹病院で診なければならない事案なのかとしつこく確認を求めてくる。受付も大変だね。
 
 お金を払って表へ出た。
 ささやかな疑問。
 結局、オレが朝食ヌキにしなければならなかった理由って・・・?
  
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ポリープ(その1)

2024年07月25日 20時11分02秒 | Weblog
職場の健康診断でなにやら引っかかった。
「御机下」と書かれた封筒を寄こされて、急いで胃腸科を受信しろと言われた。

胃腸科にお世話になったことはない。だからかかりつけの内科医のところへ行った。
すると内科医は大きな病院へ行けと言う。「御机下」と書かれた封筒は開けもしないで返された。
「『御机下』ってなんスか?」と訊くと、それは専門医への紹介状だという。専門医でもないのに紹介状を開けるわけにはいかないとのこと。

おそらく内視鏡で検査することになるだろう。ウチには胃部の内視鏡設備はあるが腸管用の設備はない。
だから大きい病院へ行け、ということらしい。

腸管の内視鏡かぁ・・・。メンドクサイことになった。

大きい病院で、徒歩(交通機関込み)で行きやすい病院を選び、さっそく受診しようとした。
ところが、

どうにもラチがあかない。
なんどもしつこく「なぜウチの病院なのか、一度罹ったことがあるのか、紹介状はウチの病院を名指しで書いてあるのか」などと訊いてくる。
仕舞いには「紹介状のオモテ書きを上から下まで全部読め」などど意味不明なことまで言い出す。
「『御机下』としか書いていない」というと、「じゃあ紹介状を持ってきたときに今言った通りでなければ即刻受診をお断りする」という。
これが国民皆保険の実体か?

いいかげん腹が立ったが、文句言うのは後でもできると思い、低頭低腰で初診の予約をとった。
なんつー病院だ。
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武雄のレモングラス

2024年01月18日 23時55分47秒 | Weblog
 コロナ罹患から10日以上たった。
 もう隔離も終了し、社会復帰もできた。

 ただ、咳が出る。

 痰が絡むわけでもなく、息がしづらいわけでもない。
 ほとんど空咳というやつ。
 喉を潤したり、のど飴で咳を抑えようとするが、喉をむせ上がってくる衝動はかなり強く、思わずゲホゲホしてしまう。
 寝ていても突然この衝動がくるので、睡眠も断続的になる。
 漢方薬で効きそうなものを使ってみようと思う。

 嗅覚はほとんど回復した。
 レモングラスのおかげ。
 回復するまでに、焼き魚を1回、鍋を1回、焦がした。
 どちらも焦げる匂いがわからなかった。 
 コゲているのが判るようになるまで1週間くらいかかった。
 
 嗅覚が回復したとはいえ、以前のように戻ったかどうかはわからない。
 たとえば、日本酒の香りはよくわからない気がする。
 あずきもちょっと自信ない。
 蕎麦もどうだか・・・。

 好きな食べ物で、香りが淡いものは意外と多い。
 それが香ってこないとなると寂しいことになる。
 まだ時間を要するということなのか。

 今でも寝る前には窓際のレモングラスを嗅ぐようにしている。
 もうずいぶん香りが抜けてきた。抜けてきていることは判るようになった。
 
 でも香りの向こうに小さな不安を感じていたことは覚えている。
 今更だが、気が張りつめていたいっぽうで、やはり不安だったようだ。
 新型コロナに感染したが、ちゃんと回復するのか、社会復帰できるのか、家族に感染させないか、不安だったのだ。

 もう少し、もう少し。
 今、体中にはコロナウイルスの残骸がいっぱいあるようだ。いまPCR検査をすれば陽性反応が出てしまう。ウイルスの残骸を検知してしまうからだ。こういうのを「偽陽性」と言うらしい。
 ウイルスの残骸が体内から去るのに1ヶ月くらい。そのくらい影響が残るということだ。

 もう少し、もう少し。
 今日もレモングラスを嗅いで眠りにつく。
 今も胸を離れないレモングラスの匂い。
 ・・・どっかで聴いた歌詞だな。
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追悼のRyuich Sakamoto

2023年04月16日 01時08分36秒 | Weblog
「The End OF Asia」のLIVE版が聴きたくなった。
ぼくはこれが坂本龍一の最高傑作ではないかと思う。
ただし、これが故人の最終形態かと問われればもちろん違う。
ただ、シンセ・ソロの無限かつ壮大な世界観を聴けば、やはり最高傑作と思ってしまう。
ちなみに一番好きな曲は「The End OF Asia」ではない。大好きだけど。

やっぱり一番好きなのは「千のナイフ」。
「千のナイフ」または「Thousand Knives」。
本人のソロ曲だったり、ダンスリーとの合作もあるが、YMOアルバム「BGM」に収録されている版が重厚かつ一番カッコイイと思う。
その後の「Mr.ロレンス(「戦メリ」のこと)」を始めとする映画音楽で世界を席巻する前にこれだけの熱量で制作しているということを、どこかで特集してほしい。

思えばYMOには制約があった。
テクノポップには連続性、メリハリより平坦、さらには非ドラマチックであることが求められる。
「機械的」という定義から外れると「テクノ」と言う言葉がウソになるからだ。

坂本龍一という巨人にYMOは窮屈だった。
「The End OF Asia」のLIVE版はいくつか発表されているが、どれもテクノ(機械的)の枠から逸脱している。
それを一言で言ってしまえば「旅情的」「旅愁的」。
伊武雅刀のモノローグ「ああ、NIPPONは、い~い国だなぁ」が背後について回る。
テクノとは矛盾する楽曲だった。
それでもYMOの傑作には堂々と枚挙されるだろうし、だれも異論はないはずだ。
そこにYMOの裏テーマが垣間見えるからだ。

YMOは、あれだけ機械にこだわる音楽ユニットだったけど、実は高橋幸宏のドラム、細野晴臣のベース、坂本龍一のキーボードプレイがしっかり聴ける純粋なバンドサウンドであった。高い技術を携えた(=機械的なことを人の手で正確にやってのける)職人バンドだったのだ。
彼らが人間らしい感情を表出してしまえば他のバンドとやっていることが同じになってしまう。だからYMOは制約を設けた。
テクノポップの定義(=機械的)を軸とし、常に実験的であるように。それが表のテーマ。
裏のテーマは、「あくまでも人の手で」である。

そもそも坂本龍一のソロ楽曲だった「The End OF Asia」は、むしろこの表のテーマに収まっていた様に思う。
4ビット時代のコンピューターゲームサウンドのような表情のない音色。後半の渡辺香津美ギターが吠えるまでは単調に徹している曲だった。
それをスネークマンショーでは馬子唄のようなリズムに改変し、YMOのLIVEでは、より一層旅情感たっぷりにした。
どういうロジックでテクノ・ポップの定義を逸脱する楽曲に仕上げたのだろうか。
ゴリ推しだったのか、それとも実験的という枠だったのか、その伸び伸びとしたサウンドを聴くと、今でも奇跡を感じてしまう。テクノを逆手に取った奇跡。表も裏も超越した音楽観。

後年語られる坂本サウンドの+11や+13は確かに発明と言ってよい出来事だけど、メロディーラインの秀逸さがそもそも故人の才能であることも強調しておきたい。

YMOのさまざまなものを削ぎ落としたと言って良い名曲がもう一つある。
「Epilogue」。アルバム「(いわゆる)テクノデリック」に収録された逸曲。

この曲こそメロディーラインの美しさの究極といってよい。こんなキレイな曲は聴いたことがない、と思ってしまうほど異次元な美しさである。機械的であるのに感情的。ここでやっとYMOの表と裏のテーマが融合したような気がした。

早世した高橋幸宏さんに誘われるようにして逝ってしまった坂本龍一さん。
この曲を紹介することを以て、故人への追悼としたい。お二人のご冥福をお祈りします。
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