放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

岩手葉桜紀行(2)再会

2015年06月18日 01時34分06秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 「石神の丘」は、沼宮内(ぬまくない)をぬけて小高いところにありました。
国道4号線から信号を右に曲がり少し広い広場に出ました。石のオブジェやモニュメントがところどころに置かれています。
 すこし日差しが強くなってきました。太陽が南中するにはすこし早い時間ですが、ここは青空のした大きく開かれた駐車場です。日陰もすくないからか、じわり、と陽に灼かれるようです。僕達はすこし急いで駐車場から建物のあるほうへ向かいました。石神の丘はドライブインでもあり、物産館でもあります。そしてその奥に美術ギャラリーがあるのです。

 にぎやかな物産展示をながめつつ、おいしい香りのするイベント広場をぬけて、その奥にすこし閑静なスロープが続いています。この先に大きな扉が待っていました。

 その画家さんは、岩手の雄大で優しい山河を身体いっぱいに取り込んで、さらにゲール語族の山と河と海を愛し、地の果てを目指して旅をしている人です。いまは都市に暮らしているのですが、その視線は常に海にあります。山にあります。そしてスピリッツ(酒)を傾けながらケルトの神々を想う人なのです。

 ギャラリーの絵は、まさに山と河と海、そして舟など人々の生活の、ありのままが広がっていました。こうしてみると、カレドニア(ハイランドの古称)もイーハトーブも空気が同じなのかもしれません。
 それは確かに海辺の風景であったように思えるのですが、耳朶の縁に遠くから鬼剣舞の打音がかすかに響いてくるのでした。潮の香りのする景色でもその奥に北上の山岳が凛として立っているのです。漁(すなどり)の男達が陸を見失わないように。沖で死んだ者にとって帰天の標となるように。どうもこんなところが岩手であるような気がしてなりません。
 そしてケルトの故地にもまた、このような営みが、確かにあるような心持ちになってくるのです。
 このような空想が、一人の画伯の業によってもたらされるのですから、やはりスケールの大きさに敬意を抱いてしまうのです。

 BELAちゃんが受付でなにやら話をしています。
 すると受付では画家さんが今日ここに来る予定であるというのです。
 びっくりしたBELAちゃんがメールをすると、はたして彼はいま通ってきた広場に隣接するレストランで、今から息子さんと昼食を摂るというのです。 
 お互い仙台在住なのに、岩手町でひょっこりと再会できるようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする