若宮大路の「段葛(だんかずら)」は、石垣で組まれた一段高い参道。かつて八幡宮の二の鳥居から三の鳥居を経て海岸まで真っ直ぐに続いていたという。
参道の両側に桜の若木が植えてあり、この季節は提灯を吊り下げて春の賑わいを盛り立てる。
もしかしたら、この道は参道ではなく、神様専用の「御渡り道」であったのではないか、とさえ思えてくる(そんなことを書いてある資料はないけど)。
八幡さまは元々「海神さま」だという話をきいたことがある。頼朝さんもそのことを知っていたのかもしれない。
通りにそって歩いていると、朝早くから醤油の焦げる香ばしいかおりがしてきた。お煎餅だ。
ひょいっと覗くと、まだお店はやっていなかったけれど、店員さんが応対してくれた。
焼きたての丸せんべい。コレいつ食べるの?今でしょ!
実はこのお煎餅屋さんの上に今日のお宿がある。とてつもなくいい立地である。
目の前は「段葛」、通りの裏は繁華街。
お宿に荷物だけ預かってもらい、身軽になって再び駅前へ。
ここからバスに乗って移動する。
バスはゆっくりと廻って、若宮大通りへ。
段葛を右手に見ながらバスは進んだ。まぁゆっくり走ること・・・。
それだけ狭くて技術を要する所を走っているんだ、ということに気がつく頃にはもう段葛は終点で、大きな鳥居(三の鳥居)が見えていた。
鳥居の前にはちょっとした通りがある。金沢街道かな・・・。
そこから先はいよいよ道がせまくなっている。え?ホントにココをバスが走るの・・・!
そのテクニックたるや・・・!
バスは静かに鳥居前を右折して、塀や電柱のあいだをするりとぬけてどんどん進んでゆく。
びっくりっ!! こんな芸当できるの「猫バス」だけかとおもった!!!
僕も大型免許を持っているが、こんなところでハンドル握る自信はない。きっと運転免許を取り上げられてしまうだろう。
鎌倉観光バス。驚きのテクニックである。
金沢街道からさらに「岐れ路(わかれみち)」へ。これがまたひときわ狭い。ホントに車道、コレ?
荏柄(えがら)天神さんの前を抜けていよいよ終点。「鎌倉宮(大塔宮)」です。
ここは後醍醐天皇の皇子である護良親王(大塔宮)をお祀りしている。
本殿のウラにまわると、あたりはいちめんの断崖。だいたい4~5メートルという高さだろうか。そこに横穴を繰り抜いて、入り口に木の柵を設けてある。「土牢」と呼ばれている。
建武の頃、足利一族が護良親王こと大塔宮(だいとうのみや、おおとうのみや)を幽閉したという土牢を再現したものだ。
大塔宮はその後、倒幕を目指す足利方の意向により断首されて落命する。その時、その死に顔があんまり穏やかだったので、首を刎ねた武士が恐ろしくなって藪の中に首を放置して逃げたという。境内にはそのときの放置場所までお祀りされていた。
かつて此処は寺院であり、明治になってから「鎌倉宮」になった。護良親王は「お国のために奮闘した皇族」という位置づけだったのだろう。そういえば近代において、足利尊氏は逆賊の扱いを受けていた。鎌倉宮にも当時の鎮護国家戦略の一端を見た気がする。
参道の両側に桜の若木が植えてあり、この季節は提灯を吊り下げて春の賑わいを盛り立てる。
もしかしたら、この道は参道ではなく、神様専用の「御渡り道」であったのではないか、とさえ思えてくる(そんなことを書いてある資料はないけど)。
八幡さまは元々「海神さま」だという話をきいたことがある。頼朝さんもそのことを知っていたのかもしれない。
通りにそって歩いていると、朝早くから醤油の焦げる香ばしいかおりがしてきた。お煎餅だ。
ひょいっと覗くと、まだお店はやっていなかったけれど、店員さんが応対してくれた。
焼きたての丸せんべい。コレいつ食べるの?今でしょ!
実はこのお煎餅屋さんの上に今日のお宿がある。とてつもなくいい立地である。
目の前は「段葛」、通りの裏は繁華街。
お宿に荷物だけ預かってもらい、身軽になって再び駅前へ。
ここからバスに乗って移動する。
バスはゆっくりと廻って、若宮大通りへ。
段葛を右手に見ながらバスは進んだ。まぁゆっくり走ること・・・。
それだけ狭くて技術を要する所を走っているんだ、ということに気がつく頃にはもう段葛は終点で、大きな鳥居(三の鳥居)が見えていた。
鳥居の前にはちょっとした通りがある。金沢街道かな・・・。
そこから先はいよいよ道がせまくなっている。え?ホントにココをバスが走るの・・・!
そのテクニックたるや・・・!
バスは静かに鳥居前を右折して、塀や電柱のあいだをするりとぬけてどんどん進んでゆく。
びっくりっ!! こんな芸当できるの「猫バス」だけかとおもった!!!
僕も大型免許を持っているが、こんなところでハンドル握る自信はない。きっと運転免許を取り上げられてしまうだろう。
鎌倉観光バス。驚きのテクニックである。
金沢街道からさらに「岐れ路(わかれみち)」へ。これがまたひときわ狭い。ホントに車道、コレ?
荏柄(えがら)天神さんの前を抜けていよいよ終点。「鎌倉宮(大塔宮)」です。
ここは後醍醐天皇の皇子である護良親王(大塔宮)をお祀りしている。
本殿のウラにまわると、あたりはいちめんの断崖。だいたい4~5メートルという高さだろうか。そこに横穴を繰り抜いて、入り口に木の柵を設けてある。「土牢」と呼ばれている。
建武の頃、足利一族が護良親王こと大塔宮(だいとうのみや、おおとうのみや)を幽閉したという土牢を再現したものだ。
大塔宮はその後、倒幕を目指す足利方の意向により断首されて落命する。その時、その死に顔があんまり穏やかだったので、首を刎ねた武士が恐ろしくなって藪の中に首を放置して逃げたという。境内にはそのときの放置場所までお祀りされていた。
かつて此処は寺院であり、明治になってから「鎌倉宮」になった。護良親王は「お国のために奮闘した皇族」という位置づけだったのだろう。そういえば近代において、足利尊氏は逆賊の扱いを受けていた。鎌倉宮にも当時の鎮護国家戦略の一端を見た気がする。