放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

竜巻

2012年04月27日 13時20分18秒 | Weblog
 ちょっとあまりのことに言葉がでない。

 正月につくばに帰省した際に、筑波山周辺の道は車で通っている。当然、小田、北条のあたりも通過した。
 もともと、このあたりは中坊の頃からチャリでよく通ったところ。
 まさか、そこがこんな惨事に見舞われるとは・・・。

 犠牲者も出た。自分の子どもと同い年の中学生。気の毒でならない。
 
 なんだか、このごろ度を越してひどい災害や事故が多いように思う。考えるだけで神経を蝕ばむ不快さを感じる。

 現場に居合わせて、生き延びた人、生きることが出来なかった人。
 あしたという瞬間は、いつもこういう理不尽な選択肢の連続なのではないか。
  
 「こういうときに宗教って、何の役にたつんだろう」
 BELAちゃんがぽつりと言った。

 「宗教」というものが、すがるためだけにあるのだとしたら、おそらく何の役にもたたないだろう。臨済さんではないが、それは馬糞に等しい。
 「宗教」が、この気が狂いそうな現状を冷静に受け止めるための(ほんの僅かでも)智慧をもたらすものであったならいいな、と思う。

 震災のとき、僕たちの生死は天秤にかけられた。
 あんなに遠くに感じていた生死の天秤が、ときにすぐ目の前で傾(かし)いでいる。待ったなしで傾いでゆくその有様は、ちっぽけな僕には気が狂いそうなほど理不尽に見えてならない。

 もしもあの瞬間に帰省していたならば、僕もあの竜巻を見たかもしれない。

 僕はなるべく冷静に、一種の諦観を持って、この理不尽に明日も耐えてゆかなければならない。 
 
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イノチの野菜

2012年04月09日 12時12分23秒 | 肝苦りぃさ
 日曜日、角田へお見舞い。
 お義父さん、昼前に便がでたようで、すこし顔の表情がゆるんでいた。

 「末期ガンの疑い」から一転、「ポリープ」または「リンパ腫」ということになり、すこしだけ悲壮感が和らいでいるこのごろ。
 といっても、腫瘍による動脈の狭窄は依然として問題。
 腹部奥の動脈にびっしりと腫瘍があり、これが脳にも転移している。
 悪性ガンのように組織を侵しているのではなく、ポリープだから動脈瘤なっているらしい。
 どっちにしても老体(82歳)に悪さをしている状況には変わりはない。
 いつ動脈が破裂するか、または血流が狭窄に阻まれ組織(特に脳組織)を壊疽させていかないか心配事は尽きない。
 
 いまは落ち着いているが、生活環境がかわると混乱するらしい。入院すると、すぐに譫妄状態(まだらボケ?)となり、何処にいるかもわからなくなる。
 いちど、譫妄状態のひどい時に付き添いで病院泊したことがある。
 やっぱり一睡もさせてくれなかった。
 点滴の針は引っこ抜く、尿管も抜こうとする。「帰るぞ」といって起き上がる、検査手術(開腹手術だった)の痕を指でほじくる。
 これが一晩中である。
 看護婦さんも眠剤入れてるのに眠らないものだから、どうにもお手上げの様子。すっかり放っておかれた。
 なるほど、いまの貧困福祉社会では「完全看護」という言葉は死語だと聞いたがホントだ。家族の負担はちっとも軽減しない。

 ・・・ってなわけで、在宅介護の日々である。お義父さんは上機嫌で、譫妄状態から開放された。
 それでもお義母さんは眠れない日を重ねているようだ。
 
 そんな義父母のためにいろいろ動いてくれた民生委員さんがいる。おかげさまで介護保険も適用になった。
 以前からお野菜もずいぶんわけてもらったし、畑仕事の体験もさせてもらった。
 ありがたい、ありがたいひと、

 その人が、今度はガンになった。

 胃から肺に転移しているらしい。
 末期のようだ。

 日曜日、角田に顔を出したのは、そのお見舞いを兼ねていた。

 すると、夕方、仙台に帰ろうかというときに、畑に誘われた。
 いってみると、あの人がスコップを持って作業している。
 
 子供たちと一緒に駆こんでいくと、奥様の笑い声が聞こえた。
 「ごめんねぇ、いま(仙台に)かえるとこだったんでしょ?」
 「いえいえ、却って恐縮ですぅ」
 明るい雰囲気にちょっとホッとした。

 大きなビニール袋に掘ったばかりのネギをどさっと分けてくれた。
 「こいづさ、バケツとかに移してすこし土を入れておくと長持ちすっから。」
 「はぁい」
 ご主人が力強くスコップを畝に刺し、ひとすくい土を取ってビニール袋に入れてくれた。
 「重いぞ、大丈夫か?」
 「平気」
 子供たちがヨッコイショと担ぐ。それを見てまたすこし笑ってくれた。
 
 僕は、命を分けていただいたように思えて、胸がいっぱいになってしまった。

 「じゃあね、元気でね。」
 奥様が言った。ご主人も優く笑って見送っている。
 元気でね、の意味を計りかねたが、「ご主人もお体大切に」と答えた。

 お互い、短い言葉にいろいろな思いを込めた挨拶になった。

 「食」ってイノチを頂くことなんだ、とは小理屈ていどに解っていたつもりだったが、これほど身に沁みたことはなかった。

 おかげさまで健康に暮らしています。
 病気にもかからず、怪我もしていません。
 ありがとう、ありがとう。
 いま、イノチを頂いています。
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