放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

石田組!!(inふくしん夢の音楽堂)

2024年02月17日 11時17分08秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 いよいよお待ちかね。「ボヘミアン・ラプソディ」。
 透明感と虚脱感織り交じる前奏から名曲は始まる。バランス完璧、音程、タイミングともに微塵も歪んでいない。
 こりゃすごいや・・・。

 とその時、身体に異変が起きた。
 喉の奥からこみ上げるヒリヒリした痛み。
 激しく咳き込みたい衝動に駆られる。

 しまった。

 コロナウイルスに感染してからときどき咳き込むことがある。咳はなかなか無くならない。
 でも今日はこれまで不思議と咳き込むことはなく、むしろすっかり忘れていた。
 
 油断した。みんな集中して聴いているのに、ここでゲホゲホやったらすごい睨まれる。
 
 とりあえず息を止めてみる。
 咳き込む衝動は抑えられるが、目から火花が出るほど苦しい。
 こりゃダメだ。

 小さく息を再開。小さい息ならば咳の衝動はそれほど強くない。
 一生懸命ツバを飲み込んでみる。                          
 本当は水を一口ゴクリと飲むと咳はおさまるのだが、ここでゴクリはマズい(ってか水持っていないし)。

 曲はまだワンコーラス目。こりゃ長いぞ。

 小さく咳払い。といってもエヘン、と音を出すわけにもいかない。喉の奥をこするように息を出す。ツバ飲みと咳払いを何度も続ける。こうして少しずつ咳の衝動を遠ざけることに成功した。
 やっと息が吸える。酸欠で周りが暗い。あ、そもそも暗いんだ。でも一層暗い。
 もうオペラパート終盤きてるじゃないか。くそコロナ。

 名残惜しむように集中してボヘミアン・ラプソディ後半を聴き(却って世界観に入り込めた)、終わった瞬間、拍手鳴り止まぬうちにゲホゴホゲホゴホ咳を吐いた。
 BELAちゃんびっくりして見ている。
 「いやぁ、咳が・・・。」
 「大丈夫?」
 「なんとか。」
 またひとしきりゲホゴホ。

 疲れた。
 今日イチの危機だった。

 石田組の盤石かつ上質な演奏は続く。
 エンディング、オアシスの「What Ever」。
 小気味良いリズム、手拍子も入り、気持ちいいひとときが終わりに近づいている。 
                                      
 お客さんの「帰らないで!」コールが笑いを誘う。うんうん、そうだね。
 次は9月に仙台だそうです。仙台のどこ?

 終演後、すっかり暗くなった町を国道6号線に向かう。
 福島駅行きのバス停は長蛇の列。増便はないらしい。
 仕方がない、寒い中並びましょうか。
 北へ南へ東へ西へ。お客さんの帰路も様々。在来線で帰ろうか、特急が出ているか、など方方から聞こえてくる。ちなみに僕たちは在来線はあきらめて新幹線になりそう・・・。
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時計台と運河紀行12

2023年02月23日 01時54分51秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 僕たちは、正午少し前に千歳空港にいた。
 今更ながら千歳空港は広い。国内の主要空港から全てのアクセスがここに集中するのだから無理もない。チェックインシステムも大々的で効率性が良い。それでも混雑していて、いっぱい並んだけど・・・。
 これに比べると仙台空港はいかにも小さい。ハブ空港と地方空港の差を感じてしまう。 

 さて、札幌ではついにラーメンを食べてこなかった。せめて空港で食べて帰ろうという話になって、飲食街(空港内)に寄ってラーメンにありついた。
 とは言え、最近のラーメンはいろいろ凝りすぎている。もっとシンプルに味噌ラーメンを楽しめるといいのだけれど、そういったお店はむしろ他の都市にあって、現在の札幌ラーメンというものは、かなり味が濃いように思う。他の地域のラーメンと競争するうちに味の強調が進んだのだろう。札幌ラーメンは赤味噌味でコーンがたっぷり乗っていて、バターが少し溶けているようなのがいい。

スターウォーズのラッピング飛行機。BB8かな?

 こうして札幌・小樽の旅は終わった。
 明るいうちに仙台へ到着。飛行機は高くて怖くて嫌だけど、確かに便利ではあるんだな。
 
 後日談だが、北海道からボタンエビとホタテのクール便が届いた。
 実は小樽で、あのあと再び色内駅跡にもどり、水産物を卸しているおじさんの所へ寄ったのだ。
 まあ・・・背負えないネギを背負ったというか、おじさんのノせ方が上手いというか、おいしそうなボタンエビにそそられたという訳だ。
 結局18,000もの買い物をして、後悔が半分、期待感が半分の悶々とした数日間を過ごすことになった。

 で、届いたクール便を開けてみると、これが思いの外ぎっしりで驚いた。
 もっと驚いたのは水産物の凍らせ方。
 特殊な急速冷凍技術で処理してあるとは聞いていたが、解凍がめちゃくちゃ早い。
 ボタンエビは殻(卵ぎっしり抱えていた)を剥き始めたらすぐ融けた。
 ホタテはまな板に載せて包丁を入れ始めたらもう融けていた。ものの数分も経っていない。
 
 急ぎテーブルに運び、醤油をちょっと付けて口の中へ。
 あまぁい。
 すごい新鮮。しかも美味しい。間違いなく高ぁい寿司屋さんで出てくるネタ。  
 最後に高い買い物したけれど、値段以上の買い物だったと思う。おじさんに感謝だね。
 ボタンエビとホタテは1回では食べきれないので、2回に分けて楽しんだ。
 小樽良いとこ一度はおいで。次男坊もすっかり気に入ったようだ。
 遠くて近い北海道。
 今回はアイヌ文化に触れる機会がなかったが、そちらにも関心を持っていきたい。

(おしまい)
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時計台と運河紀行11

2023年02月18日 02時17分23秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 2022年8月22日、月曜日。朝。最終日。
 昨今のビジネスホテルってホントおシャレ。
 ロビーの設えも何もかも雰囲気がいい。どこかヨーロッパの古都を訪れているような気分にさせてくれる。
 部屋の窓から運河を見下ろすと、石の建造物ばかり。こちらも日本とは思えないくらいヨーロピアン。
 平日の、やや静かな朝。と言いたいがそうでもない。
 観光地ってのは人が休暇を取って来るもの。
 当然のことながら小樽は朝から観光客でいっぱい。朝の10時前だってのに、運河沿いを歩く人が途切れない。
 チェックアウトを済ませ、荷物だけクロークにあずけて、ぶらりと歩いてみた。
 
 「やあ、あんたたちも観光かい?」
 ジョギング姿のおじさんが声を掛けてきた。
 「ええ、まあ」
 まあ観光客だろう。ミッションを抱えて小樽に来たが、運河クルーズや小樽ビールを堪能しちゃったことも否めない。
 「小樽は大したことないだろ?建物と運河だけだ。」
 おじさんミもフタもないことをおっしゃる。
 「今日泊まりかい?」
 「いえ、昨日泊まりました。」
 「そうかい」
 おじさんは少し拍子抜けしたような顔をした。旅館関係者かな。
 確かに運河から色内の通りまでの区間は旅館が多い。そもそも一般住民さんから進んで観光客に話しかけるはずがない。まあ旅行業界の関係者だろう。

 テキトーに会話しておじさんは去った。ごめんね、ネギ背負ったカモじゃなくて。まあカモなんだろうけど、連日ネギ背負えるほど甲斐性ないんだ。何いってんのかなオレは?

 色内の坂道をゆっくり登り、廃線の遊歩道(手宮線)に出た。
 レールや枕木がそっくりそのまんま。遠くから汽車が走ってきても不思議はないくらいのコンディション。ホントに廃線?
 ここまで原型を残すのってそれなりに手がかかることなのではないだろうか。レールに錆止めを塗ったり除草作業をしたり。
 雑草もオオバコがところどころ生えているが、ススキやセイタカアワダチソウのような背の高い草は見当たらない。とても手入れが行き届いている。


 色内駅跡に来た。
 駅舎がそのまま残っている。ちいさなかわいい無人駅。
 「あんたたち観光かい?」
 また地元のおじさんに声を掛けられた。
 ええ。ご覧の通り観光(カモ)です。ネギは背負ってないけど。
 「今日来たの?」
 「いえ、もう帰るところです。」
 「どこから来たの」
 「仙台です」
 「ああ、近いんだ」
 近いか? 700km以上あるぞ。
 「小樽の旨いものは食ったかい」
 「小樽ビール楽しめました」
 「ああ、うまいよね。小樽ビール最高だ。」
 こういう話合わせるのが上手な人も大抵観光客相手に商売をしているんだろう。
 「このあたりは海鮮丼もうまいけど、みんな観光地価格だからなぁ。」
 そうなんですか?
 「ウチは魚の卸やってんだ」
 そう来たか。
 「オホーツクの水産物を特別安く仕入れしている。びっくりするくらい安いよ。冷凍技術も特別だからすぐ食べられる。」
 しばらく水産物の流通の話が続いた。BELAちゃんもMクンも引いているのがわかる。
 「どうだい、これから店よってかないか」
 「いえ、まだ他に寄りたいところがあるので」
 「そうかい。ま、店は○○の裏だから。よかったら後で」
 意外とあっさり身を引いた。
 
 昨日も実は「いか太郎」というお店で海産物を若干買い込んでいる。だからもう背負うネギ無いんだってば。 
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時計台と運河紀行10

2023年01月29日 00時52分52秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 舟を下りて(いや桟橋へ揚がって)石段を登る。
 考えてみれば運河もかつての規模ではないし、タグボートに乗っていた時間もそれほど長くない。
 けれど夕暮れ時から完全日没へと移りゆくひとときは、特別な時間だったと思う。
 で、ここからは小樽ビールで頭がいっぱい。
 さあ行こう!「小樽ビール醸造所 小樽倉庫№1」。
 
 そこは、いわゆる「バル(酒場)」。
 ぶっといエゾマツの柱がぶっ違いに交差して高い天井を支えている。結構広い。
 ヴァイキングかウィルヘルム騎士の酒場、はたまたシュタインベルグの山賊砦か。手回しオルガンのようなフォルクローレが流れ、白いエプロン姿のウェイターがジョッキを両手に掲げ歩き回っている。
 ホールの真ん中には巨大なコアタンクが据えられている。中身は言わずもがな、小樽ビール。当然現役のビールタンクということになる。
 コレを見上げながらビール飲むのか・・・。もうビールのこと以外は何も考えるなってことだよね。
 
 案内された席は窓のそば。換気のため少し窓があいている。運河からの夜風がきもちいい。
 マツ材(オーク材?)と思われる大きなテーブルに3人でちょんと座り、あれこれ迷いながら食事とビールを注文。ザワークラウトとソーセージの盛り合わせは欠かせない。
 そうそう、椅子の背もたれの曲線が優雅!

 ビールきた。そうそう。こういう背の高いジョッキ。カッコいい! ほしいなぁ。でもデカくてウチに置けないー。
 これでビール飲むと味がちがうんだけどなぁ。
 
 んがーっおいしい!

 この頃、ヴァイス(ヴァイスピア)を飲む機会が多い。どちらかというとピルスナーに飲み親しんだ自分としては、ヴァイスはやや酸っぱいように感じる。
 でも美味しい。よくわからないが、小麦を飲んでいるという感じはある。それに、同じヴァイスでもメーカーによって味の違いがあるように感じる。それもまた楽しみ。
 よくヴァイスはフルーティと表現されることがある。これはよくわからない。すくなくともヴァイスの酸味とフルーティという表現は結びつかない。酸味は酸味である。それで充分美味しさの説明になると思うけど・・・。つまり製法も何もわからず飲んでいるということ。まあそのうち詳しくなるのかもしれないが、今はただ、背の高いジョッキで冷たいビールを美味しいうちにゴクゴクっと飲みたいだけ。そうそう、ビールは早く飲まないと美味しくなくなるってのはわかる。特にクラフトビールってのは泡アワの注ぎたてが一番。ビールってのは空気に触れると美味しくなくなってゆくという話はよく聞くけれど、某ドライビールなど、アワがあってもなくても味が変わらない銘柄もあって、ピンと来ていなかった。でもクラフトビールには注ぎたての香ばしさあって、これを賞味しないと飲んだ意味がないと思う。おそらく凝りまくった背の高いジョッキも、注ぎたての香ばしさを散らさないための合理的なデザインであろう。それ以前にカットデザインされた冷たいグラスにみかん色の液体がアワたてて注がれてゆくのを見るだけで気分がアガるけど。

 んんーっおいしいいい!

 どうしてこんなおいしいものが仙台で飲めないんだろう?
 オクトーバーフェスとかに来てくれないかな! 田沢湖ビールは来てくれたけど。

 都合ビール2杯半(BELAちゃんの分が回ってきた)飲んでお腹パンパンになった。
 いやー飲んだなぁ。

 バルを出て運河沿いを少し歩いた。
 夜風がきもちいい。でもちょっと小寒い。もう少し時間があればもっともっと回りたいところ、食べたいモノがあった。
 けれど明日は仙台に帰らなければならない。
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時計台と運河紀行9

2023年01月15日 02時11分55秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 小樽ガラスの呪縛(いやミッション)から開放された。
 予定外に遊ぶ時間ができた。そこで急展開だけど、いきなりロープウェイに乗って小樽天狗山へ行った。
 しばらくお山を散策。小樽港を見渡せるパノラマを楽しみ、ジップライン(ロープに滑車をつけてぶら下がり、空中散歩する)を体験。そして山を下って小樽運河に戻ってきた。
 時刻は午後5時ちょっと過ぎ。
 小樽運河ではタグボートによる水上クルーズが楽しめる。それほど広いエリアではないが、夕暮れ時を狙ってクルーズすると茜色に染まる小樽港を堪能できる。もちろん予約制。
 気温はおそらく23℃くらい。夕暮れとともに海風が冷たくなるだろうと予想して上着を着る。簡単な救命具を渡された。腰にくくりつけるだけの救命具。これだけ?ライフジャケットとか着ないの?
 説明では腰にくくりつけたのは確かに浮き具だそうで、正しく使えば安全は確保できるという。でもコレお尻だけ浮いて頭沈むんじゃ・・・。
 午後6時。タグボート出発。船頭さんは女性。構造は確かにタグボートだけど、船上は金色の金具で装飾されていてまるで欧州のゴンドラのようにキレイ。まずは橋の下を2つくぐる。運河なんだから橋の下、つまり橋のウラを覗くわけだが驚くなかれ。そこは海鳥のねぐらである。よく目を凝らすと鳩のような鳥たちが暗闇に肩を潜めてかたまっている。あたりは充分暗いので船頭さんに教えてもらわなければ全く気付かなかった。あっちも鳥目だから動けない。毎日タグボートがここを通過するんだから海鳥も落ち着かないだろうと思うが、それでもここから居なくならないでいるのは住環境として安全なのだろう。
 タグボートはそのまま水門へ向かう。ひときわモーター音が高くなる。
 ちょうど西の空の夕焼けが少しずつ暗闇へとうつろう時刻で、金色、茜色、藍色、かすかな空色、そして包み込むように濃い紺色が周囲から寄せてくる。
 光と闇の入れ替わりというのは、こんなにもドラマチックだったのだ。
 地球を多層的に包む大気が光を複雑に反射させることで生まれる魔法の瞬間。ただし天候や季節、そしてこの瞬間をのんびり見れる心持ちであるかが条件にはなるだろうけど・・・。
 磯の香りが少し強くなった。ボートは港から出て外洋を横切る。水面をすべるスピードと頬をかすめる海風が気持ちいい。

 海上から見える小樽の街にはすっかり灯がともり、港も運河も不夜城の賑わいを纏う。その運河へと吸い込まれるようにボートは戻ってゆく。
 小樽運河は陸を掘削してできたのではなく、海岸を埋め立てて造成されている。だから海岸線そのまんまの曲線をなぞる形をしている。運河は後に一部拡幅され、ニシン漁や物資運搬の比較的大きな船で賑わった。しかし小樽港の埠頭建設によりさらに大型船が接岸できるようになると、運河はその役割を終えた。やがてヘドロで悪臭漂う水場となり、埋め立ててしまおうという計画が持ち上がった。しかし埋め立て計画を一大転換して運河を歴史遺産として残そうという住民運動が盛り上がり、観光資源として活用することになった。その結果は推して知るとおり。日本で唯一無二の観光スポットの誕生である。住民の英断と言ってよいだろう。
 岸壁は盛土とはいえ堅牢な花崗岩の石組みが並び、その上にはこれまた歴史的建造物である大正時代以降の石組み倉庫が並ぶ。なかには「澁澤倉庫」と書かれているものもあり、かの渋沢栄一が関わった取引も盛んであったことが知れる。

 あたりはすっかり日が暮れて、ガス燈の光が墨汁のような水面にゆらぐ。タグボートは舳先に小さな波を立てながら水面を左右に切り裂いてゆく。岸壁の上にひしめく石組みの倉庫。夜空はすっかり冷え込んだ。もうジャケットなしでは舟に乗っていられない。北の夏は、斯くも儚い。
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時計台と運河紀行8

2022年12月13日 00時55分01秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 今年は猛暑だった。北海道でも猛暑日があって、相当タイヘンだったと思う。札幌では30度を超えていた。でも幸い小樽では涼しい風が吹いていた。でもやたら喉渇いたけど。
 運河沿いの道から一本奥の道に入る。ここには小樽ガラスのお店がずらりと並んでいる。「小樽堺町通り」という。どの建物もレトロ感たっぷり。まず目立つのが「旧三井銀行小樽支店」。国指定重要文化財。「北のウォール街」と呼ばれた小樽市色内(いろない)の面影を残す重厚な花崗岩でできた建造物。さらに似鳥美術館へと続く。重厚の一言。
 あっ、人力車。
 どこかで風鈴の音がする。硝子の風鈴。
 街路灯に風鈴を左右下げて、そよぐ浜風に揺れている。
 小樽の短い夏を彩る、すきとおった音色。

 観光地の王道ですな。
 これだけの風致的建物を保管してきた努力もすごいし、レトロな雰囲気を壊さないよう観光産業に組成させてきた知恵もすごい。堺町通りに限って言えば、やはり小樽ガラスの誘致。街を彩るすきとおった美術品。しかも手にとったり、買い求めたりできる。余談だがガラスはリサイクル率も高い。つまり無駄のない観光資源ってことになる。何と言ってもお店のネーミングが素敵。
 「大正硝子びーどろ館」
 「北一硝子第三号館」
 「オルゴール堂」
 「ベネチアングラス美術館」
 「ステンドグラス美術館」
 などなど、地図の上にレトロな味わいを感じさせる店名ずらりとならび、見ているだけでロマンチックな気分にさせてくれる。観光客のワクワク感を刺激するのがとても上手い。

 さあ、とにかくガラスを見なけりゃ何も始まらない。
 まず「大正硝子館 本店」の暖簾をくぐろう。
 ここは明治に建てられた商家を改装している。木造だけど外壁に花崗岩を使った和洋折衷の建築。冬のオホーツク海から吹き寄せる冷たい風に耐えるよう頑丈に造られている。
 中に入ろうとして、思い直して背負っていたカバンを前に抱え直した。こんなのが製品に接触したらクリスタルdeドミノだ。考えただけで心臓がガラスのように凍る。
 
 暖簾をくぐる。
 案の定、ガラス製品が所狭しと並んでいる。壊れ物が所狭しなんだから怖い事この上ない。けど、テーブルや棚に段をこさえ高低差を強調した展示は、奥行きが感じられて率直に美しい。
 特に窓際。
 窓から差す陽の光をグラスの曲面がまろやかに融ろかしていてまるで液体のよう。アワを内包した器などは光の粒がきらきら星のように燦めいている。
 窓の外は硝子風鈴の音。
 窓の内は融けた陽の光でいっぱい。日常とは別世界。来てよかった。

 ぐるりとお店をめぐり、そのまま別の出口から外に出た。明るい日差しが街を白く輝かせている。出たと言ってもこれで終わりではない。大正硝子さんの次のお店がずらりと並んでいる。びーどろ専用のお店、酒器専用のお店・・・などなど。ちいさな堀端には網が張られ、そこにもガラスの風鈴が吊るされていて涼やかな音を奏でている。お店に入りまた出て次のお店へと繰り返し、キラキラしたものをたくさん見た。お陰様で、どうにかミッションに適うような小物を見つけ、自分たちのためにもサンタさんの買い物をして、小樽ガラス捜査は終了した。

メリークリスマス
世界の平和を心から祈ります。
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時計台と運河紀行7

2022年11月28日 20時34分58秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 小樽駅から港に向かう大通り沿いには昔からの歴史的建造物がたくさんある。外見は石造りだが、内部は木骨という建物が多いようだ。
 小樽市の歴史的建造物に指定されていないが大切に残されている建物もいっぱいある。
 その多くは元・銀行、または倉庫だったと鑑札に書いてある。道理でしっかりとした造りなわけだ。小樽港は漁港であると同時にロシア・サハリン方面の貿易玄関口でもある。水産と経済の要衝なのだ。だから大通りに銀行がひしめく時代があって、その面影が今の小樽の街を彩っている。
 って、ちょっ、ちょっと待って。
 これ線路?
 
 手宮線って書いてある・・・。
 廃線が遊歩道として活用されている。けっこー遠くまで続いているなぁ。
 しかも線路を外さずにそのままにしている遊歩道って珍しいのでは?
 どこまで続いているか歩いてみたいけど、枕木と砂利の道をコロコロ引きずりながら進むのはさすがにキツい。まずはお宿までガマン。

 やがて大きな堀川に出た。
 ここが小樽運河だ。観光に来た人は大抵ここには来るんだろうなぁ。
 お宿はこの運河沿いにある。すごいロケーションだね。BELAちゃんすごい。

 クロークにコロコロを預けて、やっと身軽になった。さあ、捜し物をしようか。

 小樽ガラスといってもさまざま。器もあるしステンドグラスもある。小物もオブジェもいろいろ。作家さんもいればベネチアングラスもある。鎌倉からの流れ物もあるようだ。
 僕たちの捜し物は小物。小さなサンタクロースのコンダクター(指揮者)。
 
 あの日、知り合いから預かったサンタクロースのオーケストラ。
 小さな音とともに手のひらで砕けた。
 寒いところから温かい部屋へ移動した直後だった。
 温度変化が原因なのか。正直なにが起きたのか誰にも理解できていない。
 小さくて繊細で、儚いガラスの芸術。
 
 同じものはどこにもない。ネットにもない。どうにか買ったお店は特定できたが、すでにロットアウト(製造終了)しているという。

 持ち主さんが怒っていたならば、もっと暗い気分で小樽入りしていただろう。
 でもさっぱりと「いいよ」と言ってくれた。
 BELAちゃんが小樽行きを打ち明けると、むしろ喜んでくれて、「オミヤゲよろしく」とのこと。
 オミヤゲ以上の何かを見つけたい。
 小樽入りは悲壮感よりむしろ、気負いが大きい。逆の言い方をすれば、やることをやっておかないと小樽を楽しめない。
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時計台と運河紀行6

2022年11月27日 00時23分19秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 2022年8月21日・日曜日
 お宿を出て札幌駅へ向かう。
 目指すのはホントの目的地・小樽。
 函館本線に乗って西へ向かう。
 市街地をぬけてしばらく走ると、やがて右手に石狩湾の景色が見えてきた。太平洋側のギラギラな海とは違って、少し黒くて険しい色をしている。そもそも広い砂浜などはなく、線路のそばまでゴツゴツの岩場が迫っている。海面から顔を出している岩もあるので岩礁だらけなんじゃないだろうか。かと思うと小さなコテージが数件建っている小さな海水浴場が車窓越しに通り過ぎていった。なんか小ぢんまりしていていいな。
 少し陽が出てきた。すると暗かった海の色がみるみる青く輝き、夏の海らしい明るい表情を取り戻す。見れば遥か遠くまで湾曲しつつ続く海岸線の向こうに小さな突端が見えてきた。岬だろうか。それなりに大きな山塊のようだ。
 列車はその山塊の根本めがけて進んでゆく。小樽築港、南小樽と駅を通り過ぎる。不思議なことに南小樽で乗客の乗り降りがたくさんあった。ここは何かあるの?

 やがて小樽駅到着。
 なんか、雰囲気ある。プラットホームの屋根が「昭和」って感じ。H鋼鉄の腕木にぼってりと厚い塗装がされており、港町の厳しい寒さを想像させる。
 改札を抜けてロビー広場に進むと、中央に小さな木枠のドームがある。そこにガラス風鈴がいっぱいぶら下がっている。見上げれば高窓の格子枠にはいっぱいのランプ。ランプには横一列ごとに同じ色ガラスの笠を揃えてあり、まぁるいガラス火屋一つ一つに陽の光が照り映えて柔らかく屈折している。ステンドグラスみたい。それがレトロなランプで出来ているってのがいかにも昭和っぽくていい。
 キレイだ・・・。これはテンション上がるなぁ。



 実は小樽に捜しに来たのは「小樽ガラス」。

 大切な喪くしモノを求めてここまで来た。
 でも同じものが果たしてあるかと言うと、望みはかなり薄い。販売していたお店は判っているが、同じ製品を扱っている可能性はむしろ皆無と言って良い。そもそも手作りのガラス製品なのだから、基本一点モノばかり。似たような雰囲気の製品を見つけて買えたとしても、却ってオリジナルとのギャップに苦しむことになるかもしれない。
 
 さて、小樽駅を出て、明るく晴れた街にあるき出す。
 小樽は駅から港まで下り坂である。急坂ではないが、そこそこの傾斜、しかも長い。ロサンゼルスみたい(行ったことないけど)。これは行きはいいけど、帰りは上り坂だからコロコロ引っ張って地獄だね。
 どーする?お宿までバスで行く?タクシー?いやいや歩こう!
 というわけでコロコロ引っ張って坂道を下りてゆくことになった。
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時計台と運河紀行5

2022年11月21日 00時51分49秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 明治11年(1878)に建てられた旧・札幌農学校演武場は明治14年(1880)に時計台を増築。バルーンフレーム工法も建物だったが、時計台の櫓は重厚な在来工法を採用した。その理由はいくつかあるのだろうが、想定したものより巨大で重たい時計機構を収納することになり、柱と梁と筋交いでがっちり組む工法が一番安心できたのかもしれない。時計機構は精密そのもの。これらは水平に設置しなければ正しく時を刻まない。実際、現在もこの時計は現役で時を告げている。時計の精密さもさることながら、歪みの生じていない櫓こそ、時計台の値打ちそのものと言って良い。
 こうして明治14年、演武場は今の時計台の姿となった。時計の始動にあたり、構内にある天文台で天体観測を行い正確な時刻を割り出してから針を動かしたという。
 時計機構は一般にガンギ車、アンクル、テンプによって調速が図られている。壁掛け時計から腕時計、懐中時計に大名時計に到るまで、すべてのアナログ時計はこの調速機能ナシには存在できない。16世紀に発明されたというこの絶妙な仕組みは工学というよりは芸術に近い。さすがに動力は分銅からゼンマイ、ボタン電池と変遷したが・・・。
 さて旧・演武場(現・札幌時計台)の時計も例外なくガンギ車、アンクル、テンプを核とした機構でできている。ただし動力は巨大な分銅を使っている。

 この分銅、ちょうど建物のエントランスの真上にある。落下してきたらエントランスはどうなっちゃうのだろう?って話は置いておいて、驚くべきは、この分銅が順当に下まで降りていくと、普通は動力が途絶えて時計が止まってしまうと思いきや、第二歯車が作動して時計が止まることがないという。つまり分銅を巻き上げるなどメンテナンス中も、時刻が狂うことがない。いつもの正しい時刻に時の鐘が鳴動する。斯くして、今日も札幌に時計台の鐘が時を告げている。あいにく僕らが聴いたのは録音されたものだったけど・・・。

 イヌとオオカミのギモン。なぜかここで答えがひらめいた。
 イヌ頭骨はオオカミ頭骨と違って眉間に出っ張りがある。イヌとオオカミの違いは人間との共生にあると思っていたが、頭骨にまで違いが表れている。
 なぜか。
 その答え → 人間と共存関係を構築する過程で表情筋を発達させていったから。
 たぶんコレに違いない。

 ネコもイヌも手法は違うけれど、共通しているのが「人間の敵には回らないよう」にしているということ。そのためにどちらも表情を豊富にすることで、コミュニケーションをとるということが非常に大事だったのではないか。このためネコは鳴き声を変化させ、イヌは目で訴える生物に変化した。つまり目の周囲に表情筋がたくさん必要になったのだ。どうだこの仮説・・・。もしかして既に誰かが提唱していたか。
 
 考え事している間に、売店にたどり着いた。最後にお土産を買って出口に向かうことになった。
 いやあ、見ごたえのある建物だった。正直、侮っていました。ゴメンナサイ時計台さん。今日も板張りの外壁が素敵ですね。

 ところで下見板張って、日本にもなかったっけ?
 昭和の木造住宅に、よく下見板を見かける。西洋の下見板と違い、こっちはあんまり装飾性を感じない。押さえ板で仕切るからまるで鎧の小札(こざね)を重ねたみたい。おそらく洋の東西を問わず板張りの壁というのはそれなりに環境に耐えられるものだったのだろう。
 素人が考えれば木製の外壁は雨水で腐る。でも木材にはある程度の脂分があり、これが木目への浸水を妨げる。現代でも少しオシャレな住宅で、白無垢の板を真っ直ぐ並べた外壁を見ることがある。ホンモノの板なのかと疑ったが、数年で黒ずんでゆくのでホンモノらしい。かと言って腐敗している様子もない。木材は、表面を雨水が流れるだけならば意外と傷まないようだ。
 下見板張り工法は、つまり板を濡らす雫を早く落とすために工夫された構造なのだ。それでも板が腐ればそこだけ抜いて新しい板を挟めばいい。メンテナンスもし易いようだ。
 
 今日は札幌で一泊。
 夕食は「義経」のジンギスカン。
 早めに行ったので店内は静か。やっとここで地元の大手ビールメーカーのビールを大ジョッキで頂きました。おいしー。
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時計台と運河紀行4

2022年11月08日 00時19分57秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 札幌の北海道大学植物園では、いくつか中に入れる建物があって、そこには確かに開拓時代・札幌農学校の面影が大切に残されている。ここで新渡戸稲造の消息に出会えた。新渡戸一族の足蹠は岩手県花巻市でもじっくり見てきた。いつか十和田市の新渡戸一族の功績にも触れてみたい。
 北方民俗資料室が休館していたのが残念。ぜひ見てみたかった。
 そのまま植物園を出て、大学の構内には行かないことにした。時間が足りないのがその理由。ゆっくりし過ぎた。でもゆっくりできて本当に良かった。

 札幌大通公園に向かう。この時期は「さっぽろ大通ビアガーデン」開催中で、ケータリングやテントがにぎやか。いい匂いもしている。まあ、大手ビールメーカーがありますからね。僕も大好きなビールの銘柄。★マークがかっこいいよね!
 ここではビールは飲まず(ガマン、ガマン)、旅行客らしく「さっぽろテレビ塔」を上り、次の札幌時計台へと向かう。
 十年以上も前だが、札幌時計台はタクシーからちらりと見えただけ。その時は夕暮れということもあって、ビルに囲まれた一角にひっそりと(まるでビルの付属物のように)見えた。だから正直なところ印象はかなり薄い。
 少し雨が降ってきた。そういえば今日の札幌、微妙な天気予報だったっけ。
 庇を伝うように移動して時計台に到着。
 「演武場」と書かれている。時計台とは現在の俗称であり、札幌農学校演武場が正しい。国指定の重要文化財。
 以前来たときに「ひっそり」していたのは改修期間だったからのようだ。
 この建物も外壁は下見板張。いいね。明治期の洋館らしい。
 中に入るのは初めて。つうか入れるのを知らなかった。改修中だったし。

 入館料を払って中へ。石の階段も古びた扉もいい感じ。全室には世界各地の時の鐘が聞けるボックスがあったり、北海道の歴史建造物を紹介するコーナーがあり、結構な情報量。その奥には展示が続き、これまた想定外にゆっくりしてしまう。演武場が札幌大火の危機に遭っていたことや、当時の敷地から移築されていたことなど初めて知った。
 特筆すべきは二階。すごく広い。こじんまりしているように見えた建物の中にこんな広い空間があったとは思いもしなかった。そこに長椅子が列をなしてずらりと並び、その正面には大きな壇が設えてある。ステージみたい。
 ここが広く見える秘密は、支柱にある。建物の規模が大きくなれば空間を支える支柱が一定数必要になる。でも支柱は視界を遮ってしまう。ではどうすれば支柱を減らすことができるのか。答えは「がっちり造る」。柱で支えるのではなくて面で支える。板を桁状に並べて面(パネル)を構成する。なるべく長い板。1階から2階まで貫くような板。これで面を構成すればそれは柱であり壁になる。これで四方を囲み屋根を乗せる。屋根も桁上の板で面にする。床は貫を入れてその上に床材を張る。こうすれば支柱を入れなくても広い空間が作れる。バルーンフレーム工法というらしい。って2階のキャプションに書いてあった。2✕4(ツーバイフォー)工法の祖型だそうな。

 驚くのは、これを作ったのが在来工法の大工さんたちだったこと。基本構想(間取りなど)は札幌農学校の2代目教頭・ホイーラー氏だけど、設計・監督は安達喜幸氏。つまり日本人が造った洋風建築だった。時計台は後に設置されたものだけど(こちらは柱を使った在来工法)、未だに歪み少なく、時計も健在。明治時代の日本人の学習力・技術力の高さを証明している。
コメント
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