放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

春の雪

2012年02月28日 13時56分45秒 | Weblog
 仙台も雪が降った。
 土曜日が一番降っただろうか。
 日曜日も月曜日も、空は明るいのに勢いよく降った。
 この季節、空が晴れていてもどこからか風に吹かれて雪が降る。

 東北の太平洋沿岸部には俗に、「春のドカ雪」と呼ばれる雪の降り方がある。
 これは大陸からの寒気に太平洋の湿った空気が混ざるので、水分を多く含んだ雪が降るという現象。
 
 まあ、雪じたいが水分なんだから、言っていることがヘンに聞こえるだろうが、真冬のサラサラした雪が季節の推移とともにボッタリとした雪になり、やがてみぞれとなり、さいごには雨になる。東北に春がやってくるときの天候イベントのようなものだ。

 「春のドカ雪」は、このサラサラ雪からボッタリ雪に変わるころの雪をいう。
 特徴は、やけに粒がデカい。ホコリでも降っているかと思うくらい。
 粒がデカいくらいだから、積もるのも早い。
 そんでもって水分を多く含んだ雪は重い。建物の屋根に残ると危険だが、地面に積もり、除雪し切れなかった雪も夜には氷結し、いちめん氷塊になるから厄介だ。しかもこういう重くて堅い物に限ってなかなか消えない。歩くときは足の裏にスパイクがほしくなる。

 あの日、3月11日にも雪が降った。
 激しい雪が降りしきる中、街へ津波が押し寄せる映像を誰でも何度も見たことがあるだろう。
 あれは本当に降ったのだ。
 それまで降っていなかったのに、地震の直後から、堰を切ったように降りだしたのだ。
 激しい揺れが襲来した直後、空は無言のままに粒の大きい雪を落とし続けた。
 僕らは明るい空を見上げ、困惑しつつこの雪を顔に受けていた。
 
 あれは警告だったのだろうか。

 これから多くの人が亡くなるよ、という・・・。

 
  雪はそのままふりしきり、べちゃべちゃとした氷塊となって渋滞している車のタイヤに噛み付いた。

 ラジオから流れる恐ろしい災害の情報と、二次災害にもなりかねないドカ雪を不安な気持ちで見上げていたのを思い出す。
 
 雪を見てあの頃を思い出すというのは、またあの頃と同じような降り方をしていたということなんだろう。

 震災からもうすぐ1年。
 寒い春は、気持ちが沈む。
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掌底

2012年02月20日 14時51分14秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 みぞおちに掌底(しょうてい)を喰らった。
 
 詳しい状況説明は控えるが、まあ、平和的なコミュニケーションの中で生じた出来事であるとだけ言っておく。もちろん故意でもない。

 でもこれが見事に決まった。
 みぞおちのいちばん深いところに。
 しかも両掌。両手を突き出した人は、これまた姿勢のよい方で(ガタイもデカい)、肩にも力が入りすぎておらず、適度にヒジも伸びていた。位置エネルギーをほぼ完全に運動エネルギーに乗せかえる理想的な打ち方。中国拳法で言うところの「勁(kei)」そのもの。

 こういう打ち方されると内臓の奥まで衝撃が来るんだよねぇ。
 しばらく息が詰まって、血の気が引いていくのがわかった。
 内臓が騒ぐ。ものすごい緊張が膵臓とか脾臓から腸の方へと広がっていく。
 もちろん痛い。おなかをえぐられたみたい。

 打ったひともびっくりしていた。
 まさか、ちょっと当たっただけなのに、今にも吐きそうな顔して背中を丸めているんだから、何事かと思うのも無理はない。

 でも見事。秘孔ですよソコは。

 あれから二日経ったけど、今でも身体を捻るような動作をすると、みぞおちの奥に異物感を覚える。こわいね、人の身体はよく出来ているようでモロい。

 人の心もモロい。
 いま、僕たちは言いようのない不安に立ち向かっている。
 お義父さんの容態が良くない。
 恐ろしい想像ばかりしてしまう。

 つねに肝が冷えているような(実際、不安感は体内の血流量を悪くしているんだろうなぁ)、そんなときに喰らってしまった掌底。内臓に刺激になったのかどうだか。 

 
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