高村光太郎記念館をよたよたと退出する。
はた目にはまっすぐ歩いているようにしていたが、実際は背中と腰をなるべく動かさないように歩いていた。
少しでも身体をひねると腰に激痛が走る。なんとか歩けているのは、ギックリ腰になってすぐに背中の乳酸を散らしたから。乳酸を散らさず放置すると、歩けなくなるほど重症化していただろう。
少し日差しが出て、思い出したようにセミが鳴いている。
耕地と耕地の間を小川が流れている。連日雨降っているのに水が綺麗。小さな橋がかかっていて、晴れた日に夕涼みすれば蛍に逢えそうな風景。
美しいと、思った。山荘の暮らしは過酷だったんだろうけれど、それでも光太郎翁にとって、安らぎの日々は確かにあったんだと、思う。
さて、と・・・。
車上の人となり、一路「宮沢賢治童話村」を目指す。
ここはどうやら次男坊にとって聖地らしい。あいにく今日も雨のなか入園となった。
傘をさしつつ園内を一周。あー腰いてー。
駆け足で済ませて(というか、腰イタくてほんとんどおぼえていない)、今度はまた市街地へ。
12時までに予約していた店に行かなければならない(ホント花巻エリアをぐるぐる廻っている・・・)。
お店の名前は「モン・パリ」。洋食屋さん。
BELAちゃんの知人からの紹介。いまのご時勢、「洋食へのあこがれ」というものを理解してくれる人がどのくらいいらっしゃるか分からないけど、それでも濃いデミグラスソースがかかったハンバーグとか、炒めたてのナポリタンが無性に食べたくなることありませんか?
店内に入ると、少し油の匂い。バターを炒めたときの香り。またはオリーブオイルを熱した香り。白壁にオシャレな小窓。だけど油を使っている匂い。実はこれが昔ながらの美味しい洋食屋さんの証明なんです。油の匂いはほんの挨拶がわり。だから期待値急上昇。
なんだかもー、思いつくのは一通り頼んだかなー。
厚切りトーストに魚介とホワイトソースをたっぷり盛った「エクラン・ド・モンパリ」。
そば粉のクレープ「ギャレット」。
それから外せないのは自家製デミグラスソースがとろりとかかったハンバーグ。
パスタ、グラタン、ピザ、ポタージュ、なぜかシメはふわふわの「モン・サン・ミッシェル風オムレツ」。
昔は仙台にもこういう洋食屋さん多かったんだけどなー。コックさんの高齢化かなぁ。
いやいや、洋食屋さん、堪能しましたよ。ありがとう花巻!
山口の空は、どんよりと重い。
靴もずっしりと重い。すっかり水を吸ってしまった。靴下が冷たい。
高村山荘を出て、いま歩いているのは小さな畑のそば。ここは当時からあったようだ。むこうに白亜の建物・高村光太郎記念館がある。
べちゃ、べちゃ、とまるで妖怪のような足音を立ててようやく建物にたどりついた。
高村光太郎や父・光雲のブロンズがならぶなか、やはり書籍や展示キャプションなど資料関連を読み込んでしまう。
「三畝ばかりの畑を使はしてもらつて、此処にいろいろの畑作をやつてゐる」と高村光太郎は随筆「開墾」で書いている。きっとさっき見た畑のことだろう。
彫刻を肉体労働と言い切るくらいだから、体力には自信があったのかもしれない。しかし慣れない農作業はその手のひらに無数の血豆と膿を発生させてしまったそうだ。ここまで来ると隠居というより苦行である。
それでも彼は東京に帰ろうとしなかった。なぜ?
随想や詩篇から読み取れるのは、彼が都会の雑音を嫌い、進んで流通や交通の不便な生活を求めていたということ。世間の雑音から開放されて、透き通った器官で亡き妻智恵子の気配を捜すために。
霧の空や、スズランの露に。
森の翳や、カッコウの谺(こだま)に。
ススキのざわめき。
霜の砕ける音。
破れ寺の読経。
・・・・・
光太郎は、ここで余生を使い切っていいと思っていたのではないだろうか。最期の制作をするために東京に行ったが、それでも身体が動くならば、また太田村の山口に戻りたいと思っていたのではないか。
記念館の窓から雨模様の外を眺める。農地や林や遠くの山もまるで青白く、それはただ静かに巨匠の帰還を待っているかのようだった。
どうして高村山荘は二重の套屋で保護されているのだろう。
古い套屋が朽ちたならば、新しい立派な建物を建てればいい。けれどもそうはしなかった。
そもそも第1の套屋は、光太郎を敬慕する太田村山口の人々の気持ちの表れである。
套屋は、主の去った山荘をそのまま包み、魂だけでも還る場を守ろうとしたのだろう。
第2の套屋は、その気持を守るために建てられている。やさしく、やさしく包み込む、その気持こそが、愛すべき花巻の観光資源そのものだと知った。
ひとり資料を見終わって書籍のことろで詩集を読み耽っていたが、みんなも一通り見て戻ってきた。
BELAちゃん、いいところ教えてくれてありがと、そう言おうとして立ち上がった瞬間、腰に激痛が走った。
あわてて窓辺の棚にしがみつく。
腰やったか。よりによってここでかよ。
拳をぐりぐりと背中にねじ込む。
異変に気づき子どもたちも寄ってくる。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。自分を落ち着かせるようにつぶやきながら背筋に充満した乳酸を拳でぐりぐりと散らしてゆく。やべー、立ち上がったぐらいで腰痛かよ。
空想とはいえ、ナマイキなことを論じたからバチがあたったか。すみません、太田村のみなさん。