放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

時計台と運河紀行7

2022年11月28日 20時34分58秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 小樽駅から港に向かう大通り沿いには昔からの歴史的建造物がたくさんある。外見は石造りだが、内部は木骨という建物が多いようだ。
 小樽市の歴史的建造物に指定されていないが大切に残されている建物もいっぱいある。
 その多くは元・銀行、または倉庫だったと鑑札に書いてある。道理でしっかりとした造りなわけだ。小樽港は漁港であると同時にロシア・サハリン方面の貿易玄関口でもある。水産と経済の要衝なのだ。だから大通りに銀行がひしめく時代があって、その面影が今の小樽の街を彩っている。
 って、ちょっ、ちょっと待って。
 これ線路?
 
 手宮線って書いてある・・・。
 廃線が遊歩道として活用されている。けっこー遠くまで続いているなぁ。
 しかも線路を外さずにそのままにしている遊歩道って珍しいのでは?
 どこまで続いているか歩いてみたいけど、枕木と砂利の道をコロコロ引きずりながら進むのはさすがにキツい。まずはお宿までガマン。

 やがて大きな堀川に出た。
 ここが小樽運河だ。観光に来た人は大抵ここには来るんだろうなぁ。
 お宿はこの運河沿いにある。すごいロケーションだね。BELAちゃんすごい。

 クロークにコロコロを預けて、やっと身軽になった。さあ、捜し物をしようか。

 小樽ガラスといってもさまざま。器もあるしステンドグラスもある。小物もオブジェもいろいろ。作家さんもいればベネチアングラスもある。鎌倉からの流れ物もあるようだ。
 僕たちの捜し物は小物。小さなサンタクロースのコンダクター(指揮者)。
 
 あの日、知り合いから預かったサンタクロースのオーケストラ。
 小さな音とともに手のひらで砕けた。
 寒いところから温かい部屋へ移動した直後だった。
 温度変化が原因なのか。正直なにが起きたのか誰にも理解できていない。
 小さくて繊細で、儚いガラスの芸術。
 
 同じものはどこにもない。ネットにもない。どうにか買ったお店は特定できたが、すでにロットアウト(製造終了)しているという。

 持ち主さんが怒っていたならば、もっと暗い気分で小樽入りしていただろう。
 でもさっぱりと「いいよ」と言ってくれた。
 BELAちゃんが小樽行きを打ち明けると、むしろ喜んでくれて、「オミヤゲよろしく」とのこと。
 オミヤゲ以上の何かを見つけたい。
 小樽入りは悲壮感よりむしろ、気負いが大きい。逆の言い方をすれば、やることをやっておかないと小樽を楽しめない。
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時計台と運河紀行6

2022年11月27日 00時23分19秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 2022年8月21日・日曜日
 お宿を出て札幌駅へ向かう。
 目指すのはホントの目的地・小樽。
 函館本線に乗って西へ向かう。
 市街地をぬけてしばらく走ると、やがて右手に石狩湾の景色が見えてきた。太平洋側のギラギラな海とは違って、少し黒くて険しい色をしている。そもそも広い砂浜などはなく、線路のそばまでゴツゴツの岩場が迫っている。海面から顔を出している岩もあるので岩礁だらけなんじゃないだろうか。かと思うと小さなコテージが数件建っている小さな海水浴場が車窓越しに通り過ぎていった。なんか小ぢんまりしていていいな。
 少し陽が出てきた。すると暗かった海の色がみるみる青く輝き、夏の海らしい明るい表情を取り戻す。見れば遥か遠くまで湾曲しつつ続く海岸線の向こうに小さな突端が見えてきた。岬だろうか。それなりに大きな山塊のようだ。
 列車はその山塊の根本めがけて進んでゆく。小樽築港、南小樽と駅を通り過ぎる。不思議なことに南小樽で乗客の乗り降りがたくさんあった。ここは何かあるの?

 やがて小樽駅到着。
 なんか、雰囲気ある。プラットホームの屋根が「昭和」って感じ。H鋼鉄の腕木にぼってりと厚い塗装がされており、港町の厳しい寒さを想像させる。
 改札を抜けてロビー広場に進むと、中央に小さな木枠のドームがある。そこにガラス風鈴がいっぱいぶら下がっている。見上げれば高窓の格子枠にはいっぱいのランプ。ランプには横一列ごとに同じ色ガラスの笠を揃えてあり、まぁるいガラス火屋一つ一つに陽の光が照り映えて柔らかく屈折している。ステンドグラスみたい。それがレトロなランプで出来ているってのがいかにも昭和っぽくていい。
 キレイだ・・・。これはテンション上がるなぁ。



 実は小樽に捜しに来たのは「小樽ガラス」。

 大切な喪くしモノを求めてここまで来た。
 でも同じものが果たしてあるかと言うと、望みはかなり薄い。販売していたお店は判っているが、同じ製品を扱っている可能性はむしろ皆無と言って良い。そもそも手作りのガラス製品なのだから、基本一点モノばかり。似たような雰囲気の製品を見つけて買えたとしても、却ってオリジナルとのギャップに苦しむことになるかもしれない。
 
 さて、小樽駅を出て、明るく晴れた街にあるき出す。
 小樽は駅から港まで下り坂である。急坂ではないが、そこそこの傾斜、しかも長い。ロサンゼルスみたい(行ったことないけど)。これは行きはいいけど、帰りは上り坂だからコロコロ引っ張って地獄だね。
 どーする?お宿までバスで行く?タクシー?いやいや歩こう!
 というわけでコロコロ引っ張って坂道を下りてゆくことになった。
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時計台と運河紀行5

2022年11月21日 00時51分49秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 明治11年(1878)に建てられた旧・札幌農学校演武場は明治14年(1880)に時計台を増築。バルーンフレーム工法も建物だったが、時計台の櫓は重厚な在来工法を採用した。その理由はいくつかあるのだろうが、想定したものより巨大で重たい時計機構を収納することになり、柱と梁と筋交いでがっちり組む工法が一番安心できたのかもしれない。時計機構は精密そのもの。これらは水平に設置しなければ正しく時を刻まない。実際、現在もこの時計は現役で時を告げている。時計の精密さもさることながら、歪みの生じていない櫓こそ、時計台の値打ちそのものと言って良い。
 こうして明治14年、演武場は今の時計台の姿となった。時計の始動にあたり、構内にある天文台で天体観測を行い正確な時刻を割り出してから針を動かしたという。
 時計機構は一般にガンギ車、アンクル、テンプによって調速が図られている。壁掛け時計から腕時計、懐中時計に大名時計に到るまで、すべてのアナログ時計はこの調速機能ナシには存在できない。16世紀に発明されたというこの絶妙な仕組みは工学というよりは芸術に近い。さすがに動力は分銅からゼンマイ、ボタン電池と変遷したが・・・。
 さて旧・演武場(現・札幌時計台)の時計も例外なくガンギ車、アンクル、テンプを核とした機構でできている。ただし動力は巨大な分銅を使っている。

 この分銅、ちょうど建物のエントランスの真上にある。落下してきたらエントランスはどうなっちゃうのだろう?って話は置いておいて、驚くべきは、この分銅が順当に下まで降りていくと、普通は動力が途絶えて時計が止まってしまうと思いきや、第二歯車が作動して時計が止まることがないという。つまり分銅を巻き上げるなどメンテナンス中も、時刻が狂うことがない。いつもの正しい時刻に時の鐘が鳴動する。斯くして、今日も札幌に時計台の鐘が時を告げている。あいにく僕らが聴いたのは録音されたものだったけど・・・。

 イヌとオオカミのギモン。なぜかここで答えがひらめいた。
 イヌ頭骨はオオカミ頭骨と違って眉間に出っ張りがある。イヌとオオカミの違いは人間との共生にあると思っていたが、頭骨にまで違いが表れている。
 なぜか。
 その答え → 人間と共存関係を構築する過程で表情筋を発達させていったから。
 たぶんコレに違いない。

 ネコもイヌも手法は違うけれど、共通しているのが「人間の敵には回らないよう」にしているということ。そのためにどちらも表情を豊富にすることで、コミュニケーションをとるということが非常に大事だったのではないか。このためネコは鳴き声を変化させ、イヌは目で訴える生物に変化した。つまり目の周囲に表情筋がたくさん必要になったのだ。どうだこの仮説・・・。もしかして既に誰かが提唱していたか。
 
 考え事している間に、売店にたどり着いた。最後にお土産を買って出口に向かうことになった。
 いやあ、見ごたえのある建物だった。正直、侮っていました。ゴメンナサイ時計台さん。今日も板張りの外壁が素敵ですね。

 ところで下見板張って、日本にもなかったっけ?
 昭和の木造住宅に、よく下見板を見かける。西洋の下見板と違い、こっちはあんまり装飾性を感じない。押さえ板で仕切るからまるで鎧の小札(こざね)を重ねたみたい。おそらく洋の東西を問わず板張りの壁というのはそれなりに環境に耐えられるものだったのだろう。
 素人が考えれば木製の外壁は雨水で腐る。でも木材にはある程度の脂分があり、これが木目への浸水を妨げる。現代でも少しオシャレな住宅で、白無垢の板を真っ直ぐ並べた外壁を見ることがある。ホンモノの板なのかと疑ったが、数年で黒ずんでゆくのでホンモノらしい。かと言って腐敗している様子もない。木材は、表面を雨水が流れるだけならば意外と傷まないようだ。
 下見板張り工法は、つまり板を濡らす雫を早く落とすために工夫された構造なのだ。それでも板が腐ればそこだけ抜いて新しい板を挟めばいい。メンテナンスもし易いようだ。
 
 今日は札幌で一泊。
 夕食は「義経」のジンギスカン。
 早めに行ったので店内は静か。やっとここで地元の大手ビールメーカーのビールを大ジョッキで頂きました。おいしー。
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時計台と運河紀行4

2022年11月08日 00時19分57秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 札幌の北海道大学植物園では、いくつか中に入れる建物があって、そこには確かに開拓時代・札幌農学校の面影が大切に残されている。ここで新渡戸稲造の消息に出会えた。新渡戸一族の足蹠は岩手県花巻市でもじっくり見てきた。いつか十和田市の新渡戸一族の功績にも触れてみたい。
 北方民俗資料室が休館していたのが残念。ぜひ見てみたかった。
 そのまま植物園を出て、大学の構内には行かないことにした。時間が足りないのがその理由。ゆっくりし過ぎた。でもゆっくりできて本当に良かった。

 札幌大通公園に向かう。この時期は「さっぽろ大通ビアガーデン」開催中で、ケータリングやテントがにぎやか。いい匂いもしている。まあ、大手ビールメーカーがありますからね。僕も大好きなビールの銘柄。★マークがかっこいいよね!
 ここではビールは飲まず(ガマン、ガマン)、旅行客らしく「さっぽろテレビ塔」を上り、次の札幌時計台へと向かう。
 十年以上も前だが、札幌時計台はタクシーからちらりと見えただけ。その時は夕暮れということもあって、ビルに囲まれた一角にひっそりと(まるでビルの付属物のように)見えた。だから正直なところ印象はかなり薄い。
 少し雨が降ってきた。そういえば今日の札幌、微妙な天気予報だったっけ。
 庇を伝うように移動して時計台に到着。
 「演武場」と書かれている。時計台とは現在の俗称であり、札幌農学校演武場が正しい。国指定の重要文化財。
 以前来たときに「ひっそり」していたのは改修期間だったからのようだ。
 この建物も外壁は下見板張。いいね。明治期の洋館らしい。
 中に入るのは初めて。つうか入れるのを知らなかった。改修中だったし。

 入館料を払って中へ。石の階段も古びた扉もいい感じ。全室には世界各地の時の鐘が聞けるボックスがあったり、北海道の歴史建造物を紹介するコーナーがあり、結構な情報量。その奥には展示が続き、これまた想定外にゆっくりしてしまう。演武場が札幌大火の危機に遭っていたことや、当時の敷地から移築されていたことなど初めて知った。
 特筆すべきは二階。すごく広い。こじんまりしているように見えた建物の中にこんな広い空間があったとは思いもしなかった。そこに長椅子が列をなしてずらりと並び、その正面には大きな壇が設えてある。ステージみたい。
 ここが広く見える秘密は、支柱にある。建物の規模が大きくなれば空間を支える支柱が一定数必要になる。でも支柱は視界を遮ってしまう。ではどうすれば支柱を減らすことができるのか。答えは「がっちり造る」。柱で支えるのではなくて面で支える。板を桁状に並べて面(パネル)を構成する。なるべく長い板。1階から2階まで貫くような板。これで面を構成すればそれは柱であり壁になる。これで四方を囲み屋根を乗せる。屋根も桁上の板で面にする。床は貫を入れてその上に床材を張る。こうすれば支柱を入れなくても広い空間が作れる。バルーンフレーム工法というらしい。って2階のキャプションに書いてあった。2✕4(ツーバイフォー)工法の祖型だそうな。

 驚くのは、これを作ったのが在来工法の大工さんたちだったこと。基本構想(間取りなど)は札幌農学校の2代目教頭・ホイーラー氏だけど、設計・監督は安達喜幸氏。つまり日本人が造った洋風建築だった。時計台は後に設置されたものだけど(こちらは柱を使った在来工法)、未だに歪み少なく、時計も健在。明治時代の日本人の学習力・技術力の高さを証明している。
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時計台と運河紀行3

2022年11月06日 01時30分12秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 明るいところに出ると、緑の照り返しが眩しい。
 見れば、外壁のメロン色が夏の日差しを柔らかく受け止めている。これがエナメル質の白い塗装ならば、陽の光もひときわ鋭く感じただろう。森の中にある博物館は、その存在自体が奇跡的なのは言うまでもないが、その美しさにおいても奇跡的だと思う。
 美しさの要素として、この洋館が木造であることも特筆すべきである。外壁は横板が重なって段々畑のようになっている(横板の下の部分がせり出すようにして、その下にさらに横板を滑り込ませるように嵌められている)いわゆる「下見板張」と言う工法。かと思うと横板をフラットに嵌めている部分もある。なんか目的が違うのかな?それとも装飾的な意味?

 素朴なギモン。
 どのくらいの厚みのある板なのかわからないが、よく北海道の厳しい風雪に耐えるものだ。なぜ石やモルタルではなく木材で建物を造ったのだろう?
 このギモンは、旅の後もしばらく頭の片隅にくすぶることになる。

 博物館の背後にも歴史的建造物が控えている。いずれも木造建築。ゆっくりと歩をすすめ、一棟ずつ見て回る。中に入れないのが残念。

 足元に見たことないような大きなマツボックリが落ちている。エゾマツだろうか。エゾマツったって3種類くらいあるようだが、申し訳ない、マツボックリでは標札がないから見分けがつかない。とにかく大きい。クリスマスの飾りみたい(ってか、そのまんま)。
 お、木の根本で何か動いた?
 建物群の後では緑が密集していて陽も差さない。奥からせせらぎの音がする。
 その陽が差すか差さないかの境界をするするっと動くものがいる。

 エゾリス?

 尻尾にやや硬そうな黒い毛が混じって見える。
 エゾリスだ。写真でしか見たことないけど内地のリスとは明らかに違う。
 次の瞬間、小さく芝草を揺らして森の奥へ消えていった。

 ホントにここは2百万人都市なのかい?大自然そのまんまだよ?
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