放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

試論「100年の銀河鉄道」 #2<嫉妬からの幸福論>

2024年11月30日 15時59分51秒 | 賢治さん
 「銀河鉄道の夜」は、いうなれば「ある少年が見た夢の話」である。
 ジョバンニ少年のとてつもない想像力が創りだした(あくまでも最終形において=それは神秘的な宇宙や、大好きな鉄道への憧れをぎゅっと詰め込んだ)、「飛躍的」な夢である。

 ・・・つくづく思う。
 夢って、なんと無責任で人騒がせな現象なんだろう。
 ・・・常識では考えられないような状況に陥ったり、自分がそんなことをするだろうかという驚きの行動をしてしまったり、しかもその場なりの必然性、構築性がしっかり確保されていて、最後はいつも唐突な終わり方をする。

 どこからそんな設定が出てくる?と、目が覚めてから自問するが、なにもかも夢の中に置いてきてしまって思い出せない。夢が展開するときにはもう自分をとりまく設定がすっかり出来上がっていて、それに疑問ぬきで従っている。突然破れるように目が覚めて、初めて夢だったことに気がつく。夢を夢だと認識しながら見ていることはまず無い(まれに、ある、けど)。

 ジョバンニという少年は、銀河ステーション、銀河ステーションという声とともに列車の座席に座っている自分を知覚する。その時、ここどこだ、とはならない。なんでこんなところにいるんだ、とパニックになることもない。濡れたような少年の肩を見ながら落ち着いて座っている。そしてそれが誰だかすっかり判っている。
 カムパネルラ(旧仮名のほうが現行「カンパネルラ」より自分は馴染が深い。)という少年は、そこではジョバンニの親しい友だちという事になっている。だがジョバンニがそう信じ込んでいても、実際そのとおりかどうかはわからない。むしろザネリやカトウといった子供たちと遊ぶことのほうが多い子なのかもしれない。またはかつてジョバンニと親しかったけれど交友関係が移ろう時期がきて疎遠になっているのかもしれない。でもジョバンニのなかでカムパネルラは、自分のことをほんとうに解ってくれる親友なのである。これも夢のなせる飛躍であろう。カムパネルラに対する感情は、少し執着的な感じがする。これこそが「銀河鉄道の夜」の主題へと主人公を導く大事な設定だったと思っている。

 「銀河鉄道の夜 初期形一」は主題を簡潔にまとめた試作版であった。
 それはジョバンニの「嫉妬」を描くところから始まる。カムパネルラが同席した女の子たちと楽しそうに話している。その横でジョバンニはそっぽを向いてひたすら孤独に耐えている。
 『カムパネルラ、僕もう行つちまふぞ。僕なんか鯨だつて見たことないや』
 それは気後れて会話に乗れなかっただけかもしれない。女の子たちだってジョバンニを避けていたわけではない。ただ、カムパネルラが驚くほどスマートに女の子たちと溶け込んでしまい、ジョバンニは急に自分だけ取り残されたような気持ちになってしまったのだ。だれでもちょっとは経験のある嫉妬。それは親友に対する独占欲であり、裏返せば「そっちじゃなくて、こっちを見て」いてほしいという欲求でもある。ましてやジョバンニはいま同級生と上手くやれず孤独の只中にいる。人に言えば笑われてしまうような恥ずかしい感情を、宮澤賢治という人はよくもここまで正直に表すものだと、子供ながらに感心したことを覚えている。
(このあとジョバンニの心持ちがだんだん晴れてゆく描写が、とても丁寧で美しい)

 女の子たちの話は、やがて「蠍の火」へと移行する。
 サソリはあるときイタチに追われ、井戸へと転落する。サソリは虫などを捕食する肉食動物。イタチもまた肉食動物だからサソリを捕食しようとしたのだ。
 井戸で溺れかけたサソリは自身を悔いて言う。
 「あゝ、わたしはいままでいくつのものの命をとつたかわからない、(中略)どうしてわたしはわたしのからだをだまつていたちに呉れてやらなかつたらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。」
 物語(初期形一)の終盤、「まことのみんなの幸(幸い)」ってなんだろう、とジョバンニとカムパネルラは話し合う。女の子たちとはすでにサザンクロス駅(=天上)で別れていた。
 カムパネルラに対する独占欲とも言える嫉妬に陥っていたジョバンニが「まことのみんなの幸」を口にするまでの成長。これが「銀河鉄道の夜」の主題だろう。
 そしてそれは、親友との別れによって一層深い想いになってゆく。
 やっと二人きりになれたのに、これから「まことのみんなの幸」についていっぱい話したいことがあったのに、カムパネルラはそこにはもういなかった。眼の前の座席はただ黒いびろうどばかり光っているだけ。
 この時『ジョバンニ、カムパネルラの死に遭ふ』の筋書きは、すでにあったのではないか。おそらく初期形から最終形までに混在するあらゆるエピソードは、最初から賢治の中にあったのではないか。
 ジョバンニの心の視野が広く開拓されてゆく過程を主題としつつ、それを促すためのエピソードを、取ったりくっつけたりしたのが初期形から最終形への推移ではないか。
 
 これは道徳的な物語であり、明らかに自分より若い世代への普遍的なメッセージを残そうとしている。だから原作者の私事情などというものは、完全に浄化されてから執筆されていると考えてよいと思う。
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試論「100年の銀河鉄道」#1<幻の未分類版>

2024年11月22日 00時39分06秒 | 賢治さん
 その本と出会ったのは小学校5年生のときだった。
 新潮文庫の「銀河鉄道の夜」。
 表紙は加山又造。深い藍色の宇宙に銀色の鉄道が描かれている。
 おそらく、それ以後に読んだ「銀河鉄道の夜」と違い、一番中身が濃い本だった。
宮澤賢治の代表作として「銀河鉄道の夜」を世に広めたのは、当時の解釈に基づいたこの本ではなかったか。

 <午后の教室>、
  <活版印刷所>、
   <おっかさんの牛乳>、
    <ケンタウル祭り>
     <銀河ステーション>
      <鳥獲り>
       <ジョバンニの切符>
        <青年とふたりの姉弟、さそりの火>
         <カムパネルラと石炭袋>
          <ブルカニロ博士>
           <カムパネルラの死>。

 おや、と思った人がいるかもしれない。ブルカニロ博士、って誰?
 現在出版されている「銀河鉄道の夜」にはブルカニロ博士という人物は登場しない。
 僕が最初に出会った「銀河鉄道の夜」は、現在出版されている「銀河鉄道の夜」とは違う。言うなれば「未分類版」。
 
 1924年ころから執筆されはじめたと推測されている「銀河鉄道の夜」。
 だが賢治が死の間際まで推敲をかさね続け、ついに完成することはなかった。賢治は他の原稿とともにこれらを令弟・清六氏に託し、この世を去った(1933.9.21、享年37)。
 その後花巻空襲があり、燃えさかる蔵からやっと持ち出せた兄の遺品は、焦げたトランクひとつ。「銀河鉄道の夜」推敲原稿もそこにあった。

 原稿は夥しい書き込み(推敲痕)でいっぱい(一部は焼失または減失)。素人目にはどの順番で加筆されていったのかわからない。推敲痕を整理するために、原稿用紙がいつ・どこで買われたものなのか、また推敲に使われた鉛筆またはインクがどういう順番で使用されているのか、長い長い時間をかけて丹念に調査された。
 初出版の文圃堂版全集(1934年)では「銀河鉄道の夜」は未完成作品とされ、どの書き込みが最終的なものなのか未分類のまま収録されている。
 これを底本として岩波文庫、新潮文庫から本作が出版されている(昭和36(1961)年)。
 さらに昭和43(1968)年、岩波文庫、新潮文庫は「銀河鉄道の夜」について独自とも言える改訂を行った。もちろん、最初の原稿整理者、令弟・清六氏を交えた検討の結果である。
自分が初めて手にした「銀河鉄道の夜」はこれだ。
その表紙の絵の美しさとともに、紡ぎ出される幻想世界の絢爛さ、無限大の想像力に圧倒されて、いつしか僕の心に、「幻想」という概念が生まれた。そして「幻想」の荒野には、銀河鉄道の名もなき無人駅舎がぽつんとひとつ、できた。

 賢治による「銀河鉄道の夜」の推敲痕は、その後の研究で初期形一~三と名付けられ、それとは別に所謂「異稿」が分類された。異稿はそれまでの記述を大幅に削除しており、初期形三までとはその内容が大きく異なる。現在「異稿」は「最終形(第四稿)」(1974年 筑摩書房版全集(校本)) と位置づけられている。
 以後、新潮文庫も校本、つまり最終形「銀河鉄道の夜」を「新編」として出版している。それ以前に出版された未分類版は今や「幻の銀河鉄道の夜」となった。未分類稿はブルカニロ博士も親友の死もどちらも入っており、「いいとこ取り稿」といってもよい。これが幻となるのは惜しい、と正直思う。でもこれが賢治の意図に沿うものかどうかは知る術もない。一方で最終形が決定稿であるとは誰にも断言できない。むしろ多くの人が指摘するように未完成、つまりまだまだ改稿の余地があったのではないかと個人的にも思う。

 「銀河鉄道の夜」において、主題を主人公ジョバンニの心の成長に置こうとしていたことは明白である。親友との決別や妹の死などを掘り下げて、作品への反映度として推し量る研究が多くあるが、それらは一旦整理され・浄化された上で物語は構築されていると思いたい。「みんなのほんとうの幸」という、人類史上もっとも難しい課題を提言しているからである。そもそも、今になってこれほどまでに賢治の私的な部分が執拗にほじくり返されるのは何故だろうか。宗教のことはさておき、友人達に対する感情または妹への愛、さらには交流のあった女性にいたるまで、時には同性愛めいた、またはシスコンめいた推測までされている。しかし彼には世間の耳目をあつめるような醜聞があったわけでもなく、背任行為があったわけでもない。ただ真面目に、農民を想い、行者として生き、早逝した献身の詩人である。そんなにイジくらなくても・・・と思ってしまう。
 いや、詩歌・詩篇などには心情や心理、立場が色濃く織り込まれることがあり、それをよく理解するために原作者の私事情を掘り下げることはあるかもしれない。では児童文学など少年少女を読者として想定している物語ではどうだろう。原作者の私事情を露わにすることで作品を解説するような事例はあるのだろうか。

 話題が逸れた。
 「銀河鉄道の夜」において推測される賢治の意図はただひとつである。
 不安定な家庭環境(父親の不在=密漁と暴力沙汰や拿捕説まである!、母親は貧困と心労で病を得る)と、それゆえに同年齢の子どもたちとも上手くいかなくなっている孤独な主人公ジョバンニが、日常とは違う幻想四次元の世界に飛ばされる。孤独感に苛まれている彼だったが、そこで出会う人々の言葉や体験から次第に「みんなのほんとうの幸(さいわい)」について考えるようになる。自分のではなく、友の、誰かの、みんなの。
 そんな物語なのだから、もう作家の私生活を暴いて、作品の背後に並べるようなことはそろそろやめたらいいのではないか。
 むしろこのように利己を柵を乗り越えて、「みんなのほんとうの幸」を追求するようになった、そのような視点を、賢治はいつごろ、どこで獲得したのだろう。そこからジョバンニの決意に至るまで、どのような軌道を描いていたのか。そういった研究成果をいまこそ読みたい。
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