退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#208: 拝啓、お兄様

2014-01-24 20:10:55 | アメリカ便り
先日、兄の娘が送って来た写真のなかに、兄が私のブログを読んでいるのがありました。
だから今日は、兄がこのブログを読むであろうと仮定して書きたいと思います。

拝啓、兄上様
昔、"巨人は不滅です"とよく言っていましたね。
その言葉をそのまま、あんたに返したいと思います。
"育雄は不滅です”。
医者も看護師も皆びっくりしていますよ、あんたの奇跡の回復力に。

千歳空港に着いてから、バスに乗ってあんたが迎えに来るはずの地下鉄の出口で待っていても、いつもは時間に正確な兄ちゃんが30分待っても来ない。
電話をかけようと思って、駅の中に入っていくや否や、呼び出しがかかりました。
事務所に行くと、あんなたが倒れて病院に運ばれたので、そちらのほうへ行ってくれとのこと。
おじを呼び出し、大きなスーツケースを車に入れ、まっすぐ病院へ行きました。
その道中の長く感じたことといったらありませんでした。
特におじの安全運転。
必要以上に時間がかかりました。
そして道中思うことは、“こんなはずではなかった”。

ICUに行くと、兄ちゃんの職場の人達が来ていました。
その人達の顔を見たら、すぐ、現状が深刻である事を察しすることができました。
しばらくして、看護師に中に入るようにいわれました。
その時一番に思ったことは、“という事は、まだ生きているんだ”でした。

中に入って、枕元に行くと、あんたは意識なく混沌と寝ていました。
“回復の見込みは5%です”と、医者にはっきり言われた時は、“なんだこの医者、家族の期待を引き裂くようなことを、こんなにはっきり言っていいの”と思いました。
家族や患者って、医者、看護師、周りの人の一言一言に神経のすべてを集中させて聞き入っているのですよね。

最初の1週間が過ぎても、大して進歩なし。
医者も“1週間経って意識が戻らないのは希望が薄い”という。
またまた、はっきり言うなよな。
でも私たちは、少しの希望でも持てるよう、ちょっとでもよいことがあると、例えば、“指を少しは握り返してくれたような感じがした”とか、事実と言うより、希望的感覚で喜べる原因を見つけるよう努力しました。
その内、自発呼吸も増えてきました。
でも相変わらず、眼がちゃんと見えているんだか、意識があって動いているのだかぜんぜんわからなかった。
医者も、“わかりません”でした。
2週間たった頃には、いすに座らせ始めました。
こんなに早く、リハビリを始めるのかと思いました。

最初はずり落ちそうになっていましたね。
でもある日、シャキーと座っていたのにはびっくり。
いつもの兄ちゃんそのままでした。
その後は、着々と回復していきましたね。
3週間経って、私がアメリカに帰る頃には、私のことがわかるようで、私の問いかけにうなずいてくれました。

しかし、医学の力ってすごいなと思いましたよ。
そして、奥さん、娘の献身的な毎日の休みの無い介護。
もちろん、看護師さん、お医者さんたちも優秀な人達にめぐり合えた幸運。

倒れた場所も仕事場でよかったね。

あんたは、やはり、不滅の人です。
箸を握って、自分でご飯を食べているあんた。
私の友達がお見舞いに行ったら名前で呼んでくれたと驚いていました。
うそじゃないよ、本当に死にそうだったんだからと、言い訳をしなくてはいけなくなったじゃないか。
なんてことは言いませんが。
今は、我儘を言っているそうですが、そこまで回復したら上等です。
これからは、もっと丈夫になって、体重を増やさず元気でいてください。
3月下旬には帰るから。

HCUの看護婦さんが言ってました。
昔、兄ちゃんと同じ状態でHCUに入ってきた人が、出て行くときには、自分の足で立って、“じゃーな”と言って帰っていったそうです。
当時、それを聞いたときには、夢のような話で、まさか、あんたがここまで回復してくれるとは本当にだれも思っていなかったと思います。
一言、と言うか、これだけ長いと、もうやめときますが、夢のようです、あんたがここまで回復してくれたのは。

めでたしめでたし。

ハブグレのマミー