お久しぶりです。
2週間、2食自分で作って我が家での缶詰、昨晩11時ようやく終わりました。
辛い後悔の、そして終わりがないような2週間でしたが、終わりがありました。
すべて始まリがあったら、終わりがあるのです。
翻訳者として一言“もうこんな仕事二度とするか”です。
翻訳の質というのは、もちろん翻訳者の能力とセンスにかかっていますが、日本語の原文の質にもよるのです。
翻訳というのは、そもそも原文をそのまま翻訳をするということはないのです。
内容を変えずに(これが一番大切です)いかに自然に英語に“変換”できるかが翻訳の出来具合を決めるのです。
この変換技術が翻訳者の能力といっても良いと思います。
今回の翻訳のバイオ系のスライド、それほど変換能力を必要としないものでしたが、これはコンピューター操作能力を必要とするものでした。
日本語の原文を今までたくさん見て来ましたが、ほとんどが“一癖も二癖もある”ものです。
つまり、翻訳者泣かせ。
私の想像力をたくさん使って、“きっとこの人はこういうことを言いたいのだ”と頭をひねる。
日本語というのはそもそも、頭が良い人たちの間で使われる言葉だと思います。
男、女の違いを文章から判断する。
主語、目的語、なんか1節ごとにつけなくても“判ってもらえる”。
“判ってもらえる”という良き日本文化が、克明に反映されているのが、日本語なのです。
そういう考えで書かれた日本語を頭の悪い人たちの間(失礼)で話されている英語に換えるというのは大変なのです。
良い翻訳文を期待している人たちは、まず良い日本語の文章を書くようにしてほしいです。
私はサイエンスしかしませんが、間違ったら大変なことになるので、余計な形容詞をたくさんつけずに、主語、目的語をしっかり定めた日本語を書いてほしいですが。
無理な希望でしょう。
私の翻訳能力をあげるように努力したほうがいいでしょう。
お散歩でとった写真です。
ここ1週間暖かい日が続いているので、あちらこちらで、花が“ぱっぱ”と威勢よく咲きまくっています。
トイフォトのセティングで
ハブグレジュンタのマミー
2週間、2食自分で作って我が家での缶詰、昨晩11時ようやく終わりました。
辛い後悔の、そして終わりがないような2週間でしたが、終わりがありました。
すべて始まリがあったら、終わりがあるのです。
翻訳者として一言“もうこんな仕事二度とするか”です。
翻訳の質というのは、もちろん翻訳者の能力とセンスにかかっていますが、日本語の原文の質にもよるのです。
翻訳というのは、そもそも原文をそのまま翻訳をするということはないのです。
内容を変えずに(これが一番大切です)いかに自然に英語に“変換”できるかが翻訳の出来具合を決めるのです。
この変換技術が翻訳者の能力といっても良いと思います。
今回の翻訳のバイオ系のスライド、それほど変換能力を必要としないものでしたが、これはコンピューター操作能力を必要とするものでした。
日本語の原文を今までたくさん見て来ましたが、ほとんどが“一癖も二癖もある”ものです。
つまり、翻訳者泣かせ。
私の想像力をたくさん使って、“きっとこの人はこういうことを言いたいのだ”と頭をひねる。
日本語というのはそもそも、頭が良い人たちの間で使われる言葉だと思います。
男、女の違いを文章から判断する。
主語、目的語、なんか1節ごとにつけなくても“判ってもらえる”。
“判ってもらえる”という良き日本文化が、克明に反映されているのが、日本語なのです。
そういう考えで書かれた日本語を頭の悪い人たちの間(失礼)で話されている英語に換えるというのは大変なのです。
良い翻訳文を期待している人たちは、まず良い日本語の文章を書くようにしてほしいです。
私はサイエンスしかしませんが、間違ったら大変なことになるので、余計な形容詞をたくさんつけずに、主語、目的語をしっかり定めた日本語を書いてほしいですが。
無理な希望でしょう。
私の翻訳能力をあげるように努力したほうがいいでしょう。
お散歩でとった写真です。
ここ1週間暖かい日が続いているので、あちらこちらで、花が“ぱっぱ”と威勢よく咲きまくっています。
トイフォトのセティングで
ハブグレジュンタのマミー