退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1105: パーティーでの会話:GMO

2018-10-13 08:23:58 | アメリカ便り
‟さむ!!”。
朝の起き掛けの一声です。
来週は零度以下になる日があるかもしれません。
大陸性気候は本当に極端です。
昨日は10'C行かなかったのでは。
ついに暖房を入れました。

昨日は日本に帰る前にオーブンをきれいにしておこうと思って、オーブンクリーナーを買って掃除。
昨晩はその強烈な化学成分を肺に感じながら就寝。
今朝もまだ肺がおかしい。
私は極力こういった物を使いたくないので、オーブン掃除なんて最後にやったのはいつか忘れるぐらいです。
アメリカ人はよくこういったものやら、スプレー式消臭剤なんてよく使います。
日本も昨今消臭剤がスーパーの棚をにぎわせていますが。
私が思うに、これらは化学成分なんです。
空中に化学成分を振りまいていることになるのです。
そしてそれを吸い込んでいるのです。

私はそんな化学成分より、犬のにおい、魚を焼いたにおい、天プランにおいのほうが良いと思っているので、消臭剤なんて使いません。

ちなみにこういった化学成分を使う人達って、その危険性を知っているのかしら。
成分を見たら、‟あんれまー”と思うようなものばかりです。

GMO反対を唱える人たち、こういった家庭で使われている化学製品について考えたことがあるのでしょうか。

まず最初に私はGMO賛成派です。
と言っても倫理と生態学に沿ったGMOの使用に賛成します。
もう何回も私のブログでGMOについて書いていると思います。

私は‟GMOと言えばあの会社”と言われていた会社で1983年から85年までの2年間世界初のGMO開発に従事していました。
と書いたら、読者がどっと減るでしょうが。
‟まーいいや、たかがブログ”なので。

学校卒業してすぐ入った会社、何やっているかわからず、アドヴァイザーの‟この会社はつぶれないから行け”と言われて入った会社です。
その後つぶれはしなかったけど、日本の地震の回数より頻繁に起きる、リストラや他会社との合併吸収やらで落ち着きませんでしたね。

85年までしかやらなかった理由は、私のいた130人ほどのグループが、同じ会社の違う部門との戦いに負けて抹殺されたからです。
私を入れた5人ほどは生き残り、製薬部門に回されましたが。

入社当時、まだバイオテック、遺伝子工学なんて言葉はそれほど普及していませんでしたが、そんな中で、この会社の‟GMO開発”という長期視野、まさに‟大陸的考え、すごい”と思いました。
誰もやったことがないことを膨大な金と時間をかけ、おまけに一般人の反応も知らずに始めるのだから。
ちなみにこの長期視野(long term vision)、日本ではあまり行われてはいないですが、日本ではベンチャー企業が育たないのはこの理由だと思います。

パーティでの赤いひらひら布切れ女性、(こういったダンスを踊る人、菜食主義者、サイエンスを知らない人たちにGMO反対者は多い)、GMO反対者が絶対唱える非サイエンティフィックなことを得意げに唱え始めました。
”GMOは危険だ、癌になる、環境に悪い”等々。
他にGMOはいまだにフランケン食物、食べるとゲイになる、国家の陰謀だと様々なことを言われています。

もうだいぶ前に有名なGMO反対者、マークライナスという人がいますがGMO賛成者に生まれ変わりました。
そして‟Seeds of Science"という本も出しました。
この人は15年ほど前には他の反対者とともにGMO コーンを畑から引っこ抜いたことでも知られていました。
そんな人が生まれ変わったのです、GMO賛成者に。
サイエンスを学んだからです。

と書いたところでもう十分に長くなったので、続きは次回です。
もう少しGMO について詳しく説明したいとおもいます。

ハブグレジュンタのマミー