退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1210: ご無沙汰いたしております。

2019-05-13 20:04:31 | アメリカ便り
何とか忙しい卒業式の週末を乗り切ることができました。

水曜日の夕方、飛行機でピッツバーグ空港へ飛び、娘にピックアップしてもらいました。
何回来たか忘れましたが、おなじみの空港、これでしばらく来ることはないでしょう。
‟もうやめる”、‟ダメだ”、とか盛りだくさんの泣き言を聞きましたが、そのたびに飛んでいきました。
冷凍庫一杯の料理を作ったり、掃除洗濯。
もうちょっと早く、子供を産んでおけばよかったと感じたことは何回もありました。
とにかく金曜日無事卒業しました。

でも最後まで大変。
卒業式の日にアパートを開け放さなければいけなかったのです。
それも12時までに。
トラックにすべてを積み込み、7時からの卒業式に出る時にはくったくった。

おまけに主人は1月にやった鎖骨骨折が順調に回復しておらず、両肩に骨の成長を早める電極?をつけての引っ越し。
息子はこれまた‟馬鹿たれ”で、この3年で2回同じ膝を手術したのが、先週またまたサッカーをやって、同じ膝にけがをしてしまったとのこと。
またまた手術が必要となることでしょう。
このことを空港で知りました。

この馬鹿たれ息子、小さい時から病院通いが盛んな子でした。
一度はジャングルジムで遊んでいて、‟しゃがみ”が足りなく、頭頂の皮がむけてしまい、ホチキスで、13個も止められました。
医者が‟最高数だ”なんてね。
そしてその傷も癒されないうちに、またまた同じことをやってホチキス。
医者から”マイルたまるね”なんて冗談を言われたぐらい。

とにかく、二人で一人前の我が家の男は、期待外れ。
と言うことで、この初期高齢者の私と娘で主な引っ越しを終えました。
11時45分にオフィスにカギを届け、一安心。

卒業式は私自身もう2度出席しているので、こんなもんでしょう。
入学時には116人いたのが卒業時には89人だったそうです。
ほぼ25%落第。
それだけ大変でした、私が見ていてもわかります。
娘はよく頑張っていました。
朝起きてから夜寝るまで勉強するということは、こうなんだと納得しました。
娘のボーイフレンドが一足先に医者となったので、このボーイフレンドに肩にかけるのをやってもらいました。
そしてその後みんなで夕食。しまう直前に入ったので、結構高級レストランでしたが、まーまーの味、おまけにウエイターの‟早く帰れ”の心意気が感じ取られゆっくりもできませんでした。

土曜日はこれから3年間研修医として働くクリーブランドへ、3時間半かけて運転。
荷物をアパートに移し、9時間かけて、日曜日の朝1時に我が家につきました。

これを読んでいるだけでも、皆さん疲れるでしょうね。

卒業式の写真をどうぞ。

では明日の朝4時15分ごろ家を出ます。
またまた長旅で、日本へ。

次回のブログは日本からです。











めでたしめでたし。

ハブグレジュンタのマミー