お昼ごろ、10日間ほど家を留守にしていた主人が帰っていました。
ノースキャロライナの両親を老人施設に入れるという、大役を無事終えてきました。
私が日本に帰っている間にもう一度行って、家を売る準備と車を娘のところに配達することになるようです。
悪い嫁じゃー、何もせず。
主人には妹が二人いるし、嫁が出る幕ではないじゃなーい、と勝手に決めています。
おまけに妹たちとも義母とも、表面上はうまく付き合っていますが、それほど仲がいいというわけではないし。
こういうことって、所詮は他人である嫁が出るより家族でかたずけた方が良いと思います。
と言うことで、私は日本で羽を伸ばしてきます。
この年になって、したくないことなんてしなくてもいいや。
さてと何を書こうかな~と考えていたら、以前書いた‟知らないことの罪”が尻切れトンボで終わっていたので、その続きを書くことにします。
ワクチン接種を受けないこと、つまり、例のイギリスの‟医師免許はく奪医者”(
#1273)による、‟MMRワクチンが自閉症につながる”、と言った論文を鵜呑みにして自分たちの子供にMMRワクチンを受けさせない親たちの、‟知らないということの罪”。
MMRワクチン接種は1才から始まります。
と言うことは1歳以下の赤ちゃんにはMMR(麻疹、おたふくかぜ、風疹)対する抗体がありません。
と言うことは1歳以下の赤ちゃんは当たり前の話、MMRにかかった子供や大人のそばに行くと感染するのです。
と言うことはMMRにかかった子供・大人と言うのは、MMRのワクチンを受けてない乳児にとっては、脅威なのです。
ある親のワクチンを受けないという選択が、ある親にとっては悪夢なのです。
アメリカ人は人権と言うことに対して、必要以上にセンシティブな国民と思います。
だから、こういった乳児にとってはナイフを持った人間に等しいワクチンを受けていない個人の人権も、これまた人権なのです。
拳銃を持つのが人権であると同じ感覚です。
つまり、拳銃を持つ、はたまたワクチンを受けないという個人の選択の権利(利己的人権)が、集団に対してどのようなインパクトを与えるかと言うより大切なのです。
ワクチンが一体どういうものか、そしてどうして必要なのかと言うことを‟知らないというということ”は、社会的影響を考えると罪であると思います。
ネットが発達した現在、‟知らなかった”、と言うことが‟理由”とはならないのです。
なんとなくわかってもらえたかしら。
書いている私自身、こんがらかってきたので、もっとこんがらかったら困るのでこの辺でやめておきます。
ハブグレジュンタのマミー