朝晩が寒く感じます。
昨晩は久しぶりに隣人キャシーとアリッサをご夫婦で夕食に招待。
チキンバーベキュー、其の他いろいろでみんな4時間騒いで楽しいく過ごしました。
でも後から、❝そういえば武漢ウイルスなんだ❞、すっかり忘れていました。
と言うぐらい武漢ウイルスが日常生活に、しっかりしみついたと言う恐ろしい現象が起きています。
さて今朝ジュンちゃんたちと散歩をしていた時に聞いたユーチューブから。
来年のベルリン国際映画祭ではGender Free で表彰がされるそうです。
つまり、主演女優賞とか男優賞とかを無くし、ただの主演賞となるそうです。
ま~、私としてはどっちゃでもいいけど。
女性監督賞とか男性監督賞とかがないのだから、俳優だけ女性と男性を分ける必要もないかしらね~、とも思うけど、ま~、とにかくどっちゃでもよいのです。
別に日本が良くなるわけでもないし、世界がより平和になるわけでもない。
しかしながら、Gender Freeを唱える人たちの最終目的は何か、と考える。
聞いていたユーチューブの続きで、❝新内閣に女性が2人しかいないのは間違っているし、議員の4分の1は女性になるように制度を変える必要がある❞、とGender Free を唱えている人たちは考えていると言ってました。
しかしGender Freeを唱えていて、一方で入閣した女性が二人しかいない、議員の4分の1は女性にしろと騒ぐのはおかしいとも言ってた。
Genderを無視するのだったら、女性がなろうが男性がなろうか関係ないはずである。
しかしながら主演女優賞、主演男優賞を無くさなければいけないほど、Gender と言う物が煩わしいものなのだろうか。
主演女優賞、主演男優賞を無くすことがGender Freeにつながるほど、Gender Freeってシンプルなもんなのだろうか。
Gender Freeを訴えるならミスユニバースやらミス何とか、女の見世物小屋的コンテストを真っ先にやめなければいけないと思う。
ミスコンからほど遠い私が、ひがみで言っているわけではないですが。
人類には男と女しかいないし、それぞれには役目が備わっている。
映画においてだって、女優にしか表現できない演技と言う物があるだろうし、男優にしか表現できない演技もある。
男と女はメンタリー(考え方)にも肉体的にも全く違う生き物である。
その全く違った生き物をまるで同じ生き物として扱うのはどうかと思う。
Gender Present (Genderあり)で何が悪いのであろうか。
Gender があると言う歴然とした事実を否定して、人権を主張しているいる昨今の主張は、BLM、LGBTQと根本的に何ら変わりないと思う。
ハブグレジュンタのマミー