横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

横浜へ

2013年05月08日 21時57分14秒 | 

2日目、

次女は出勤し、孫のお世話係り開始。

近くのファミレスでモーニングを食べ、近くのスーパーでお弁当を買い、近くの公園でお弁当を食べ、

“帰ろう”と言うまでお付き合いをし、帰途依頼されていた冷蔵庫内の食材補充の買い物をし、夕食を作り、娘が帰宅後少々一緒に飲み、2日目が終わった・・・

3日目、

同じく横浜に住む長女宅に孫も一緒に出掛ける。

息子も合流、みんなが大好きな横浜の「一鶴」で美味しい食事に舌鼓を打ち、一旦帰宅後、今度は仕事後の次女も合流、再度横浜に出向き呑んべい一家が勢ぞろい。関内の「文次郎」でまたまた美味しい食に出会い、呑んべい一家の面々は飲み食いおしゃべりに興じ、幼子が同席のため今度は長女宅に全員移動し、またまた宴会が始まった。

こうして3日目も更けていったのだった・・・

4日目、

長女とホームにいる母に会いに行く。

91歳になった母は痩せ、車椅子の生活になっており、昔の面影はすっかり消えている。

私を見るなり、“お母さん~!会いたかった~!”と涙顔。娘から母親になった私。

“ここの食事はまずくて。”と言う母。それではと近くの和風ファミレスに出向くが、スロープのない2階。

娘とふたり、ヨイコラシャと車椅子ごとを階段を上がっていくが、なかなかのきつさ。

“ちょっと待って”と娘がお店の方に事情を話すと、すぐに3人の男性従業員の方が来てくださり、楽々に店内まで。

天ぷらに“あ~美味しい!” 茶碗蒸しに“あ~美味しい!”

箸が思うように使えないので手掴みでほうばる。

食欲旺盛。

100まで生きそうな勢い。

本人はあと3年と言う。

帰りも従業員の方に助けられホームに戻る。

暖かい陽射しの中で散歩し、美味しいものを食べ、“あ~今日はいい日だ、また来てね。”との声を背にホームを後にする。

母の母でも、母の娘でも、母の伯母さんでもいい。

長い間会おうとしなかった(会いたくなかった)母との固執はすっかり溶け、子供のような母と向き合う自分がいる。

あと3年?

過ぎた時間は戻らぬが、今ある時間を大事にしよう。

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿