横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

生きるということ

2014年01月20日 14時38分27秒 | 仕事

20日ぶりの夜勤。

いつも送ってもらうおとうさんの都合が悪い。公共交通で行く事に。

自宅から恵庭まで送ってもらい(10分)、恵庭からJRで千歳まで10分。一日3本運行のバスで千歳から厚真まで1時間。職場まで徒歩6分。

所要時間約1時間半、料金1310円。

バスから降りると、鼻がツ~ンっと痛い。

寒い!!

そいう言えば去年の12月、全国放送の民放テレビから「全国で今日が一番寒い町、厚真町!」という事でテレビでお馴染みの方が取材に来ていたなあ~

職場のポカポカは最高!

20日ぶりの勤務で変わったことは、前回の夜勤では大腿頸部骨折で入院していたHさんが帰って来ていた事。

本来なら、まだリハビリ最中なのだが、病院ではそれどころではなかった様子。

息子さんは、ほとほと参ってしまったようだ。

と言うことで、

歩くのは出来なくなり、杖から車椅子になったHさんだが、見事なまでに自由自在に車椅子を自躁している。

すごい!

夜勤帯になり、Hさんは・・・・

ガシャン~!とドアーを開け、リビング室にやってきた。

“おなか空いた。なんか頂戴。”

手にするものが杖から車椅子になっただけで、Hさんは何にも変わってなかった。

なんか嬉しかった。

ひとりで笑ちゃった。

今までとおりのHさんがそこにいた。

頻回なトイレ通いも変わらない。

車椅子からのベット移動も、ベットからの車椅子移動にも、何の手助けも必要としない。

ブレーキもちゃんとかけている。

Hさんは自由が好きなんだ。

病院での生活は窮屈だけのもんだったんだね。

義父もおんなじ。

入院2日目で医者から呼び出しあり、“もう責任は持てません。”

点滴持参で、その日に連れて帰った。

“地元の病院だったらいいよ。”との言葉に半信半疑ながら入院するが、

5日目だったかな~

医者から電話、“もう責任は持てません。”

その日、我が自宅にば~ちゃん共々帰宅。

それもつかのま、ば~ちゃんと一緒に、じ~ちゃんが開拓時代に建てたブロック作りの古い家に戻っていった。

じ~ちゃんのベット横に常に寄り添うば~ちゃん。

そこには幸せそうな顔で、穏やかなふたりの時間が流れていた。

Hさんは自宅には戻れない。

ここ「えがおの家」がHさんの終の棲家なんだ。

“あったかい牛乳頂戴。”

“なんでもいいから頂戴。”

生きる強さ。

Hさんから教えてもらう。

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 



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