横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

ノロ事件に思う

2014年01月20日 14時40分16秒 | 仕事

給食センターの臨時要員として勤務していた頃、

朝出勤すると、まず、今日の体調、傷の有無等をチェックするノートに自己申告をして、

更衣室(休憩室兼食事室)で帽子、上下白衣に更衣。

家で猫や犬を飼っている職員は粘着テープで白衣をコロコロ。

時間になったら、給食室入り口でスリッパから靴に履き替え、消毒液に靴底を漬け入室。

栄養士とスタッフの打ち合わせ後、ブラシ使用の石鹸洗浄→ペーパータオルで拭取り→アルコール噴霧後、各自、ポジションに移動し業務開始。

各ポジションではまず調理台をアルコール噴霧してから作業開始となる。

洗浄区域と調理区域は床に赤線で区切られ、洗浄区域から出るときはエプロンを変え、

肉や魚の生鮮類を扱う時も専用のエプロンを使用。

キャベツ、白菜、ネギ等の葉物野菜は3シンク使用での洗浄3回。

臨時要員の私は洗い場と下ごしらえ専門。

食材の洗浄後は調理器具の洗浄となり、これも3回。

今、問題となっているトイレ使用は、

調理室出入り口で各自のスリッパに履き替え、トイレ手洗い場所で上下の白衣、帽子を脱ぎ、トイレに入る。(事になっていた・・・・)

古い給食センターで、今問題となっている会社の施設とは比較にならないほどの体制だったような気がする。

調理器具を洗浄後、薬剤を噴霧するのだが、

長く勤務するスタッフに、

“この消毒薬の名前は? 種類は?”  “知らない。”

容器が空になり補充する際、“希釈は何パーセントで?”  “適当。前に入っていた色位で。”

う~~~~

洗浄後、保管場所を覚えるのに一苦労。

おたまはあそこ、ボールはあっち、包丁はむこう。

業務がスムーズに運ばない。

マニュアルもない。

責任者の栄養士に、

“保管場所がひとめでわかるような表示をしてもらえませんか?ついでにマニュアルも。”

数日後、図入りの表示が各保管場所に張られるようになった。

わかりやすい。

やればすぐ出来るんじゃん。

マニュアルは?

それからしばらくして、出来上がった。

て言うか、

監査で言われたようだ。

古い施設、長く働いているスタッフの慣れ、清潔不潔の認識の甘さ、過剰な消毒等々、

もちろんどのスタッフも、揚げ物、蒸し物、炒め物、煮物、米飯等、各パートを、湯気がもうもうとたつ調理場で汗をかきかき一生懸命業務をしている。

出来上がれば、保育園、幼稚園、小学校、中学校の人数を間違えないようにトレーに区分けし、

午後からは戻ってきた容器の洗浄、整理に狭い調理室をかけずり回る。

そして残食のあまりの多さにガックリ。驚き。

量が多い? メニューが好みじゃない?

お米もタップリ残っている。

おかずもタップリ残っている。

“もったいない。もったいない。”とそれらを残飯バケツに入れる。

なんかやるせない気分だった。

最後床の水切りをし、白衣を洗濯機に入れ、ボイラー室に干し、業務終了。

責任者の役割は重大だ。

どんな立派な施設でも、どんな立派なマニュアルがあっても、そこで働く職員すべてが食品作業に関わる重大さを認識し、清潔操作の意識づけをしていかなければならない。

させなければならない。

学校給食に興味があり、1年ばかりだが働かせてもらえたことに感謝。

横浜では給食は小学校まで。

学校給食を何十年ぶりに食し、脱脂粉乳時代の遠い昔を思い出させてもらった。

沢山の玉ねぎに泣かされ、沢山のじゃが芋切りに燃え、人と出会いがあった。

このセンターは今年から新しいセンターに生まれ変わった。

どんなになっているんだろう。

色々な職種を体験してきたが、

この給食要員はだいぶ気に入っていた。

どうぞ、ノロ被害がこれ以上拡散しないことを願うばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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