横浜から孫がやってきた。
「見て見て、靴カッコいいでしょう!」
「外は寒いからコートを着たほうがいいよ。」
「平気平気!」
「車って暖っかいね!」
薄着の伊達男、顔で笑って、心は寒し。
心頭滅却すれば寒さ自ら暑し?
横浜から孫がやってきた。
「見て見て、靴カッコいいでしょう!」
「外は寒いからコートを着たほうがいいよ。」
「平気平気!」
「車って暖っかいね!」
薄着の伊達男、顔で笑って、心は寒し。
心頭滅却すれば寒さ自ら暑し?
真知子ママがサンタの洋服を着せてくれた。
だけど、僕には全然小ちゃかった。
だって食べたばっかりの時だったから、お腹がポンポコリン。
洋服が足に突っかかって、起き上がれなくなっちゃった。
“ママ~笑ってないで起こしてよ~”
来週19日はカラオケの発表日だ。
歌う曲目は「愛の讃歌」。
朗々と歌いあげたい。
それには声を張り上げても大丈夫な練習場所が必要。
それは我家。
周囲見渡す限り家はなく、広々と続く畑と森林。
公道に出ても、通る車はごく稀に。
どんなに声を張り上げても、
「うるさい!」と怒鳴る人はいない。
極々稀に、キタキツネがビックリして立ち止まり、
時に、電線に止まろうとしたカラスがUターンし、
一緒に散歩するちゃちゃは遥か遠くを走り、
さくら、モコは姿を見せず、
仕方がないから、真っ青な空に向かって張り上げる。
(気のせいか、雲の流れが早くなるような・・)
そんな大自然が私の練習所。
冷たい風を受けながら、今日も真知子は歌う。
♪ あ~なた~の燃える手で~ あたし~を抱きしめて~ ♪
フルーツ王国福島から「ル・レクチェ」が届いた。
福島の知人が毎年送って下さる。
まだかな、まだかな~
とっても楽しみにしているの。
今年も・・・
あ~~美味しい~~!!
穫ったばかりの果実は鮮やかなグリーン、しだいに色合いが微妙に変化し輝くばかりのブライトイエローへと変身する。
成熟した「ル・レクチェ」は切ると果汁が滴り落ち、きめが細かく、芳潤な香りと舌に溶ろけるような柔らかさ。
う~~~~幸せ!!
栽培が難しいと聞く。
今年も美味しい「ラ・レクチェ」を作って下さった、福島の斉藤梨園さん、
ありがとう~!
今日も2階に上がると、4匹の猫が布団を占領している。
「おとうさん、ちょっと横に寝かせて。」
おとうさんの布団に横になって間もなく、
フジが真ん中に入ってきた。
次にちゃ~が胸に乗ってきた。
次にく~も真ん中に入ってきた。
次にゲンガお腹に乗ってきた。
“布団に戻ろうっと”
“おとうさん、後は任せるからね”
お休みなさい~
“そろそろ寝ようかな~”
2階に上がると、
あらあら、布団の上で湯たんぽを真ん中に、4匹全員が丸くなって寝ている。
なんかじゃまするのが忍びない。
“まあ、いいか、今日はねこさんに布団を譲ろう”
コタツで寝ることした。
“じゃ~ゆっくりね、お休み~”
横になってしばらくしたら、ちゃ~がやってきた。
次にく~がやってきた。
次にゲンがやってきた。
最後に重量級のフジがノソノソとやってきた。
全員こたつに潜ってしまった。
”なんだ~ じゃ、私は布団にいくよ”
この日、ねこたちは朝までコタツで寝ていた。
「今日は寒いね~」
「お風呂に行こうか?」
表作業をは早めに切り上げ、車で15分程の厚真町“こぶしの湯”に出かける。
ここは温泉じゃないけど、宿泊施設があり、夏は外でジンギスカンも出来、好きな銭湯のひとつ。
ぽかぽかであがると、休憩室では時の人、札幌ドームで行われている斉藤選手の入団セレモニーが放映されている。
寒い中、早朝4時過ぎより並んでいた方もあり、北海道は斉藤フィバーで熱くなっている。
それにしても、寒い日のお風呂は最高だね!
今度は8月改装オープンした、早来町の“鶴の湯温泉”に行ってみよう。
改装前に一度行った事があるけど、黒に近い茶褐色で、風呂あがりのお肌はツルツル。
でもあまりに古く、それからはちょっと遠慮しちゃった。
明日も寒いみたい。
行って来ようかな~
今朝もマイナス2度。
うっすら粉雪が・・・
お日様は出てるんだけど、風がじっとしていない。
冷たい風が身体中を吹き抜ける。
お~寒い!
家に入ろうっと。
ね~ さくらおばちゃん、遊ぼ~よ~
ちょっとだけだよ。
さくらおばちゃんが遊んでくれるのって、あんまりないんだ。
今日は機嫌がいいのかな~。
でもさくらおばちゃん、ちょっと困ってるお顔しているね。
最近の僕は元気いっぱい。
朝起きるとご飯が待ち遠しくて、真知子ママにくっ付いている。
今、僕の楽しみって食べる事なんだ。
何でも食べる物に見えちゃって、ムシャムシャ口にしちゃうもんだから、真知子ママはせっせとお掃除をしている。
偉い事がひとつあるんだ。
さくらおばさんとモコおばさんが、時々お部屋から、欽矢パパが作ってくれた小さな入口を通って隣の作業小屋に行くんだ。最初何でかな~って見ていたら、おしっことウンチをしてたんだ。
だから僕も真似したんだ。
おしっこはまだなんだけど、ウンチはその入口を通ってちゃんとやっているよ。
もしかして、僕って賢いかも。
そうだ、もうひとつ偉い事があるよ。
沢山遊んだあとは、ちゃんと自分のおうちに入るんだ。
時々、あっちこっちで寝ちゃう事があるけど、
やっぱり自分の部屋が一番落ち着くよね~。
今、何にでも興味津々。
楽しい事だらけの毎日なんだ。
こんな映画を観た。「ツォツィ」・・(ツォツィとはチンピラの意)
南アフリカの旧黒人居住区、ソウェト。ここにはプレハブで作った小屋が立ち並び、昼間から暇を持て余した若者たちがたむろしている。ツォツィもその一人。ツォツィは仲間を従え、毎日のように強盗、窃盗を働いていた。ツォツィは仲間にも容赦しない。そっけないし、気にいらなければ殴りつけて、重傷を負わせてしまう。
スラム街の小さな小屋で、父親は飲んだくれ、母はエイズにかかって瀕死の状態。父は息子を母親に近寄らせず、酔っ払っては暴力を振るう。
幼いツォツィは家を飛び出し、独りで生きてきた。頼れるのは自分しかいない。ツォツィは愛情とか優しさとか、気遣いとかは無縁の世界で生き、また、そうしなければ、生き残れない世界でもあった。
そんな彼の日常に思いもかけぬ事件が起きた。ある日、ツォツィはいつものように強盗を働こうと高級住宅街へと向かう。ツォツィは運転していた女性を銃撃して車を奪い取り、逃げ出すことに成功する。しかし、なにやら後ろの座席から泣き声がする。奪い取った車の後部座席には赤ちゃんがいたのだ。ツォツィは何を思ったか、赤ちゃんをソウェトの家へと連れ帰るのだった。
小さくて、無力な存在である赤ん坊は本来はツォツィの下の存在なのだが、簡単に殺せる相手なのに、ツォツィは赤ん坊に完全に心を奪われてしまった。
赤ん坊に授乳させようとツォツィは赤ん坊を持つ女性を脅す。彼女は銃を突きつけて脅迫するツォツィの意のままだったが、ツォツィの踏み込めない、ある力を持っていた。彼女が赤ん坊に注ぐ愛情や、彼女が赤ん坊をあやす姿はこれまでツォツィが生きてきた上か下かを力で決める関係を完全に破壊する光景だったのだ。
力だけでは決まらない関係性にツォツィは混乱し、彼は理解できない力を前に立ちすくんでしまう。彼はホームレスの男性をこづきまわし、赤ちゃんを誘拐した家からミルクを奪うべく、強盗に向かった。
赤ちゃんに愛情を抱き、赤ちゃんのために強盗をするツォツィ。ツォツィは赤ん坊を見て不思議な気持ちになった。とにかく生きるために暴力を振るい続けてきたツォツィには、こんなに小さいものが生きていけるということが良く分からず、ツォツィは生きるということの本当の意味、そして愛情というものを理解できていなかった。
車いすで物乞いをするしか生きるすべがないホームレスの男。まるで、自分では歩けず、泣いてミルクをもらうしかない赤ん坊と同じではないか。
ツォツィは犬や赤ん坊と違って、口をきくことのできるホームレスの男性に。「何で、生きてる ? 」と問う。
ツォツィが幼いころに可愛がっていた犬のことも思い出す。あの犬は父親に背骨を蹴られて、歩けなくなってしまった。それでも、犬ははいずって鳴き声を上げいた。
ツォツィは赤ん坊やホームレスの男性など、今回の経験を通して出会った人々がいなければ、最後の場面で撃ち殺される方を選んだかもしれない。ツォツィは警察に捕まり、刑務所に入れられるくらいなら、死んだ方がましだと思っていた。しかし、彼は生きる道を選んだのだった。
生きるということはどういうことか。強いものだけがこの世で生きる価値があるのではない。弱きものも、この世の全ての生ある人がそれぞれに生きる価値を持っている。
最後、ツォツィはその意味を彼なりに理解することができたのだった。
映画レビュー集より
南アフリカはエイズの罹患が世界一と聞く。過酷なアパルトヘイトの時代が終わったとは言え、旧黒人居住区には相変わらず黒人ばかりが住み、今も、極度の貧困にあえぎ、教育、就労、医療等々、様々な深刻な問題を抱えている。
日本でも貧困にあえぐ人々がいる。
自分の置かれている環境に感謝。
どんな生活環境におかれても、そこに「愛」があれが人は生きてゆける。
「愛」のない生活ほど、悲しく、切ないものはない。