お断り
ここで使っている信次先生の写真は「七年の光跡 高橋信次先生の伝道の歩み」GLA出版からの転用です。
当時2冊買った1冊のいくつかをコピーさせてもらっています。
信次先生と一緒にとった写真が無い!!
私は学生時代視聴覚研究室写真部にいました。
自分で写真を撮り現像と焼き付けをしていました。
大学時代は常に写真機を持ちいいショットを取っていました。
ところが大学を卒業しGLAの研修会や講演に行き何度も信次先生と写真を取るチャンスがあったにもかかわらず、
何と1枚もないのです。誰かが撮ってくれてる人がいるかもしれませんが、もはや手に入れることも出来ません。
当時はまさに宗教に夢中、三度の飯より宗教が好き!!
色々な霊人との遭遇や霊的現象などで記念写真など取っている心境ではありませんでした。
信次先生が亡くなられる3か月前に2日にわたって先生と対面で話していたのに、
「それじゃ写真を撮らせてください」という余裕や心境すら出てきませんでした。
それを程、今という瞬間に夢中だったのです。実際写真を取らなくても50年も前のことが実際ビデオを見るように蘇ります。
要するに現実離れしていたのです。
今だったら携帯で何十枚も取ったかもしれませんが、当時は写真機が無いと写真は撮れません。
霊媒体質の苦しみ
当時私は特に霊道を開いているわけではありませんでしたが、幼少の頃は親類の霊を見たり声を聴いたりはしていました。
しかし通常がそうであるように成長して、俗世の洗礼を受けると表面意識が大きくなり潜在意識は沈み霊道は閉じて行きます。
本来私たちの現実の意識はに10%過ぎず、90%は自覚されない潜在意識にあるとフロイトは言いました。
ユングはそれをもっと進めて潜在意識を民族意識などトランスパーソナルなところまで広げました。
信次先生の場合は「宇宙即我」ですから最っともっと広いわけです。
霊道を開くという事はこの潜在意識に風穴を開けるという事です。
生まれつき穴が空いている人もいれば、潜在意識が薄くなった入る人もいる。簡単に言えばそういう事です。
霊道は医師にとっては障害となる
私が6歳のとき父がガンになって死亡しました。私はガン遺児となって苦労をし悪い条件下で医師にはなったものの、
早く卒業しないといつ母も死に、経済的に学業も中断となるかもしれないという強迫観念で、
1年でも卒業が遅れたくなく、単位を落とさないように大学時代はかなり勉強していました。
皆、実際当時で20%卒業試験で20%国師で20%落ちます。まともに医者になれたのは40%そこそこです。
元来中学時代から体操部や卓球部などの運動部に入っていましたが、やがて運動不足となり精神的に良い状態ではありませんでした。
そこで信次先生との遭遇で霊媒体質が一気に開花ししたものの、基本的にはうつ状態ですから霊道を通して悪い物もジャンジャン入るわけです。
特に研修時代になると生死の中に入りストレス場面が多く不調和になりますから、
正法を知ったからと言って楽になるわけでもなく、私は守護霊に「霊道はしばらく閉じてください。ずっと」とお願いし、
いくらか楽になりましたが、情緒はやや不安定でした。
現代人は私の若い時のような状態
心療内科をしていますが、現代人のストレスは強くなるばかりで精神状態はますます悪くなっています。
コロナが移る恐怖より精神的な苦しみの方が強いのです。
昨日土曜日午前中の診療最後のカルテ番号がこれです。
このままでは患者さんと同調作用で3度目の霊媒体質となり霊道が開く?!
肝心のところが詳しく述べられず結論が一行になりましたが、早く運動と百姓をして霊媒体質を治そう。
次回に続く( ^ω^)・・・