河童アオミドロの断捨離世界図鑑

ザスドラス博士の弟子の河童アオミドロの格安貧困魂救済ブログ。

職業へのめざめ:第⑳回

2007年05月07日 | blog
高校は電気科を選んだ、コンピュータを早くに導入した高校だったらしい(いつの時代や)しかし、実習と製図の課題を全く提出しないという驚異的な手段で3年間を過ごし、電気関連の取得資格無し、電気の計算は全くできない、卒業研究は「光硬化樹脂による年賀状の印刷」というめちゃくちゃな事をしていた。
しかしクラスにはタコにワカメを乗せたような顔やサラサラヘアーの猿みたいな顔や個性的な顔が多くイラストの勉強になった。もちろん授業中は寝ているかマンガの制作と回覧をしていたので授業内容は全く覚えていないし、結構学校が荒れていた時代なので、授業時間中は体育館の天井裏で過ごすというリラックス?した日々だったように思う。
授業のかわりに瞑想をさせるS先生という変な先生がいて、たぶんその先生が居たおかげで助かったのかもしれない。S先生ありがとう・・・
しかし、やっと中学校の昭和初期のような生活から本来のテクノロジーの世界に戻ったようで正直ホッとした。中学生の頃は自分自身では「今はサイケデリックとテクノロジーの世界だ(古)」と思っていたのに、クラスの1~2人を除いては、先生も含めて昭和初期のような人ばっかりだったのだ。

この頃から漠然と「電気的に映像や画像が作りたい」と思っていた
今でいうところの「コンピュータグラフィックス」である。

職業へのめざめ:第7回

2007年05月07日 | blog
中学生時代、その頃は登校拒否とかひきこもりはまだ一般化していなかったので、なんとか死んだような状態で3年間を過ごしたが、その間、家でも学校でも教科書を読んだり勉強をしたことは全く無いといった状態だった。
そのかわり、教科書、ノート、試験の答案用紙に似顔絵、マンガを描くことと電子回路の作成で「魂の救い」を発見していたように思う。その成果か、似顔絵イラストの受注と電子回路作成の受注はクラス内で順調に伸びていた。
中でもすでにデジタル電子回路作成をしていたのは校内でも私とササオの二人くらいしかいなかったのではないだろうか。
しかしビル・ゲイツになれるほどの才能は全く無かった・・・
(ササオは現在でも、某電子機器メーカーで開発をしてるらしい)

職業へのめざめ:第5回

2007年05月07日 | blog
小中学生の時は、近所にモノリスおじさんというちょっと変な人が居て、その人が新し物好きだったようなので、自分が興味を持つ前に色々めずらしい物を見ることができたのでちょっと得をしたような気分だった。
この頃に理科系のものとデザイン系のものへの興味が深まったが、学校の理科の教科書はもらった日に全部読んでしまっていたのでほとんど興味が無く、前述のモノリスおじさんには内緒であるが、おじさんの家の本棚の本を順番に読んでいたので「COM」とか「白土三平」とか「高校物理辞典」とか小学生が買えないような本をタダで読めたのがすごかった。
特に中学生時代は毎日「こんな古臭い学校と勉強に3年も通うのか・・・」と毎日苦痛であった、たぶんその頃が心身症の始まりではなかったろうか・・・