河童アオミドロの断捨離世界図鑑

ザスドラス博士の弟子の河童アオミドロの格安貧困魂救済ブログ。

貧乏 対 裕福

2009年02月20日 | 東南アジア
バリ島では緑の中に平屋の家があって、雨が降りこんだり、風が通り抜けたりする、快適な日もあれば、暑い日もある

日本では高層マンションで密閉した部屋まで高速エレベータで上がり、エアコンで年中快適な温度に調整して暮らす

お金さえ貯まれば、それを使って裕福な暮らしができると思うけれど、たいてい、それを実現するまでに死んでしまったり、そのお金を何に使ったら裕福なのかがわからなくなってしまっている、そうなったら貧乏だ

ものすごく狭い土地を1億で買う事が裕福なのか、1円も払わずに地球全体が自分の庭だと思うほうが裕福なのか

元々は、飢え死にすることが貧乏で、生きていける程度に食べれる状態が裕福だったのだろうが、ソフトのバージョンアップと同じで、裕福のバージョンアップを繰り返しているうちに、元の目的は何だったのかがわからなくなっているに違いない

「裕福」っぽい幻想を見ている事が一番の「貧乏」なのか


楽器のようなパソコンは無いのだろうか

2009年02月20日 | 東南アジア
使うほどにキーボードのタッチとハードディスクの音色が良くなり

液晶の色合いがだんだん落ち着いてきて

時々CPUを取り出して息をかけて磨いたり

マザーボードの取り付け具合を木槌で叩いて直したり

100年経つとものすごい値打ちがでるような

そんなパソコンは無いのか

MACが出た頃には、パソコンの未来はいい感じだったが

WINDOWSになってからか、消耗品の事務機みたいになってしまったような気がする


めざせ、グラッペリ

2009年02月20日 | 東南アジア
ステファン・グラッペリ(Stéphane Grappelli, 1908年1月26日 - 1997年12月1日)は、フランス生没のジャズ・ヴァイオリニスト。ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトの相方としても知られ、彼と共に「フランス・ホットクラブ五重奏団(the Quintette du Hot Club de France)」を結成し、第二次世界大戦前から晩年まで精力的な演奏活動を続けた。 ジャズ・ヴァイオリニストの第一人者として長年に渡って晩年まで第一線で活躍した。

また、映画音楽も手がけ、1973年のフランス映画「バルスーズ(原題"Les Valseuses")」や1989年のフランス映画「5月のミル(原題"Milou En Mai")」の音楽を担当した。

今からわてもバイオリンを練習して80歳からデビューするというのも悪くない
グラッペリの曲は「ミスティ」と「ナイトウィンド」だったか2曲しか記憶に無いが
どちらも夜中に聴くと感動ものである



バンコク行きの片道航空券

2009年02月19日 | 東南アジア
バンコク行きの片道航空券が余ってしまった

しかし安売り航空券なので、払い戻し不可、譲渡不可、変更不可である
どうするべきか
もったいないので、往復12時間で、バンコクまで行って
ブラックキャニオンコーヒー(ドトールコーヒーのようなチェーン店)
でコーヒー1杯飲んで日帰りで帰ってくるか
香港までで往復すると規約違反になるらしいし
しかし、帰りの航空券は新しく買わないといけないし
コーヒー1杯に4万円のほうがもったいない
基本的にわては貧乏である
しかし、あまりにもバカバカしい行動を思わずしてしまいそうになる

そういえば知り合いが夜、札幌ラーメン一杯食べるためだけのために
大阪~札幌を飛行機で往復したと言っていたのを思い出した
(注:その知人はANAの社員だったが)

カンボジアの村の人に言ったら4万円といえばたぶん何ヶ月分かの月収なので、殴られそうな話である

不幸になるには春が良い

2009年02月19日 | 東南アジア
不幸になるには春が良い

夏の終わりや真冬に不幸になるとつらいが
冬の終わりとか春の初めに不幸になっても
なんとかなるんではないかという無責任な期待があって良い
たぶん季節そのものに生命力があるので
不幸が帳消しになるのかもしれない
だんだん気温も上がるので
ホームレスになるにも向いているし


ユリアティ ハウス2

2009年02月19日 | 東南アジア
バリの家はどこでもこんな感じであるが

シンプルな平屋の建物が点在していて

一見質素に見えるが、よく考えたら広い敷地に余裕を持って建物が有って、家専用の寺、ファミリーテンプルまであるという、めちゃぜいたくな家である。

日本の高層タワーマンションよりよっぽど豊かである
エアコン無しで自然の通風で暮らせるのも、そのほうがぜいたくである

というか、日本の東京やドバイのような街作りが根本的に変なのかもしれない

ユリアティ ハウス

2009年02月19日 | 東南アジア
ユリアティ ハウス

「ユリアティ」って聞いたことある名前だったが
NHKのインドネシア語講座に出てるアイドルみたいな女性なのだった
なぜ、わてはインドネシア語講座なんか見てるのか

三姉妹だとのことで、姉妹みんなが踊りの先生?らしい
ゲストハウスで踊りのレッスンが受けられるらしく
ちょうど日本人女性がレッスンを受けていた

部屋にもよるが、一泊1000円ほどであった
ウブドのメインストリートから少しはずれた場所にある

昭和の香り

2009年02月18日 | 東南アジア
安い賃貸物件を探していたら
おそらく昭和30~40年頃のアパート?が有った
昔の公民館のような公会堂のような建物で
やたら階段が広くて廊下が広くて長くて
部屋に入ると木枠の窓やタイル貼りの風呂や和式トイレや
木目の天井とか、なにかタイムスリップしたようで
住んでみたいという衝動とぜったい1週間でイヤになる
という理性とが戦っていた
ただし、リフォームの仕方がちょっと変で
壁全体に変な模様のプラスチック板が貼ってあったり
シャンデリア風の電灯がぶら下がっていたり
昭和初期の怪しいホテルのようであった
たぶんここで寝ると初日から悪夢でうなされそうである
不動産屋さんが
「これはめずらしい」と携帯で写真を撮っていた

昔の物を見るとワクワクしてしまうが
ほんとうにその昔の時代が今より良かったのかと考えると
記憶の中で美化されてるだけなのかもしれない
昔が良かったと言うのは、たぶん老人の妄想だろう