先日、神奈川県唯一の村、清川村 村営 宮ケ瀬霊園で、ご法事がございました。
行く途中、尾崎の交差点の手前に、霊柩車が駐車されていました。たぶん、廃車になった車だと思います。
金色のやぐらのような、霊柩車を久しぶりに見ました。
昔、外国人が日本の霊柩車を見て、「なんて、金持ちのオーナーが乗っているんだ」と思ったとか。
もう、走っている姿は、みることはなくなりました。
私が、子供の頃、霊柩車を見ると、親指を隠しました。
親指を隠さないと親の死に目に会えないと、言われていたからです。
みんな、そうしていたように思います。
霊柩車は、子供にとって、怖い存在でした。
それが、原因なのか、今の霊柩車は、シンプルな黒のワゴンに変わり、子供も親指を隠すこともなくなったと思います。
先日、火葬場に行きましたら、マイクロバスを改造した霊柩車を見て、ビックリしました。
霊柩車と送迎のマイクロバスが、合体されていました。
私が、副住職として法徳寺で勤めだした頃は、まだ、金色の霊柩車が主流でした。
ある時、葬儀会場から、火葬場に向かう途中、海老名市の国分寺台周辺を走っている時、
信号待ちをしている霊柩車の隣を通る、下校途中の小学生は、親指を隠すしぐさをしていました。
今もそうなんだなと思いながら、私は、その光景を見ていました。しかし、その中の一人の小学生は、
霊柩車に向かって、合掌していたのです。あの姿は、忘れられません。
おじいちゃん、おばあちゃんに教わったのかどうかわかりませんが、私は、とても、有難い気持ちになりました。
「霊柩車に載られている方は、仏様に成られたのだよ、霊柩車を見たら、合掌してあげてね」と教えて下さったのだと思います。
今の火葬場は、ホテルのような造りです。煙突もありません。なるべく、死を連想させない配慮なのだと思いますが、
昔ながらの火葬場は、独特な雰囲気、臭いがありました。子供でも、騒いでいるものはいませんでした。
はしゃぐどころではなく、怖かったのです。早く帰りたいという思いでした。
昔、インドに旅した私は、有名な火葬の街 ベナレスを訪れました。
この街は、死を待つ街と言われています。
街全体が火葬場なのです。ホテルは、死を待つ方のためにあります。火葬されたお骨は、ガンジス川に捨てられます。
それが、ヒンズウ教徒にとって最高の死に方です。
あの街を、訪れると、死を意識しないわけにはいきません。
浄土真宗の教えは、臨終待つことなし 今、「死」が解決される教えです。
「死」の解決は、即、「生」の解決です。それは、生と死は、別々に存在するわけではないからです。
「死」を遠ざける生き方ではなく、受け入れる生き方が出来るのです。
それは、阿弥陀如来様の救いに出会う以外に、方法がありません。
今既に、阿弥陀如来は、私の元に至り届いて下さっています。
その証拠は、私の口から、南無阿弥陀仏と出て下さるからです。
南無阿弥陀仏は、阿弥陀如来様そのものです。