ここ数日は、暖かい日が続いておりますが、皆様、お変わりございませんでしょうか。
花粉も飛び始めたようですね。花粉症の方には、辛い時期になります、私は、まだ、
自分は花粉症ではないと思っているのですが、家族は、絶対、花粉症だよと言います。
さて、この前の話の続きなのですが、
病院に電話しましたが、自転車の鍵は、届いてないということで、
自転車の鍵は、見つからず、昨日は、鍵を壊すために、工具を持って、JR社家駅に
歩いて向かいました。ネットで、調べていると、壊さなくても大丈夫とのやり方を見つけて、
試してみましたが、結局、ダメでしたので、しかたがなく、大きなハサミのような工具で、
鍵を壊しました。JR社家駅は、現在、工事中なので、警備員さんが、じっと、私の行動を見ているような
気がして、内心、ビクビクしながら、作業をしていました、完全にやっていることは、自転車泥棒です。
通報もされることなく、意外と、すぐに、壊すことに成功し、帰りは、自転車に乗って、帰ることが出来ました。
今日は、天気も良く、暖かそうだったので、また、山に出かけることにしました。
また、マイナールートなので、誰にも会うことはなく、静かな山旅でした。
私は、いつも、一人で行くのですが、その一番頼りになるのが、スマホです。
山地図上に、自分の現在地が表示されるので、安心なのです。
地図は、自分の現在地がわからなければ、役に立ちません。
山道には、番地などの表示などありませんから、現在地が大変重要です。
ですから、常に、スマホの画面で、登山道を外れていないかチェックしながら歩きます。
登山者の多いルートなら、心配ないのですが、少ないルートだと油断すると、
コースから外れてしまっていることがあるので、いつも、気を付けてます。
後、バッテリーがなくなったら、大変なので、いつも、モバイルバッテリーを持っています。
さて、私は、山を一人で、歩いている際、大好きな先生の法話を録音したものを聞いたり、
法話を考えたりしています。後、自分で、自分に法話をしたりもします。
今日は、こんな感じでした。
明日生きている保証は、どこにもありません。
今、聞いて、今、救われる教えでなければ、救いが間に合いません。
今とはどういうことか、それは、私がいるところが、今だと先日、阿部信幾先生に教えて頂いた。
だから、今、山の中でも阿弥陀如来様の救いは、私に届いている。
既に、阿弥陀如来様は、救いを成就し、私に至り届き、南無阿弥陀仏と呼びかけて下さっています。
南無阿弥陀仏とは、我に任せよ、必ず、お浄土に救うという意味です。
南無阿弥陀仏は、仏様そのものです。
南無阿弥陀仏の本当の意味をお聞きください。
南無阿弥陀仏を、何万回称えても、本当の意味を知らなければ、お浄土へはまいれません。
「後生の一大事」いのち、終わって何処にいくのかという、人生の大問題を解決することが、
人生で、もっとも、大事な事です、これ以上に、大事な事は、何もありません。
これ以上に、生きている間に、聞いておかなければならないことは何もありません。
でも、私も、人生で大事なのは健康、お金などと思っています。
後生の一大事は、まだまだ先の事だと思っているからです。
自分が、明日、死ぬかもしれないと思って生きてはいないからです。
阿弥陀如来様に出会うことがなければ、迷いの世界をはてしなく、生死を繰り返すことになります。
これは、人間の50年、100年の間のことではなく、永遠の苦しみです。
この度、人間に生を受け、仏様の教えを聞くことのできる、日本に生まれ、親鸞聖人の教えに出会うことが出来る、
大チャンスなのです。このチャンスは、二度と巡ってこないかもしれません。
この度、阿弥陀如来の救いに出会うことがなければ、一体、どこにいくのでしょうか?
世間では、死んだら、天国に行くと思っていますが、キリスト教徒でもない方が、それは、絶対にありません。
教会に行ったこともない方が、天国に行けるわけはありません。
こんな、法話を、自分で、自分に言い聞かせながら、歩くのが、私には、とてもありがたいことなのです。