浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
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臨終法話(人生最後の法話)

2023-08-21 10:53:49 | 法話

今日は、午前中、ご法事がありましたが、お盆の事務作業が一段落し、夕方、郵便局で、発送作業が終わりました。昨晩寝る前に、また、月刊住職に目を通していると、私には、なじみのない、真言宗開祖 弘法大師のお言葉が紹介されており、なるほど・なるほどと引き込まれてしまいました。やはり、名僧の言葉は、宗派を超えて心に響きます。「朝夕涙を流し 日夜にいたみを含むといえども、亡魂に益なし」(亡き人に朝夕涙を流し、日夜に悲しんでも、亡き人には何の利益もないのです。

「逝者(亡き方)は、じょう楽(仏の世界をたのしむ)し、留まる人(残された家族)は苦しむ」とも述べられ、「強壮は、今朝、病死は明夕なり」(元気にさかんなのは今朝のこと、病気を得て死ぬのは、明日の夕方です。)無常というものの、迅速さを端的に述べられています。この言葉を紹介されていた記者は、ある法話会にて、その時の講師が、開口一番、「ここにいる人びとは、すべて今晩12時に死ぬ、そんな気持ちで聞いて頂きたい」と言われ、今も自分の耳に鳴り響いており、消えることはありません。と述べれています。

いくら、残された者が悲しんでも、亡き方は喜ぶことはないのです。それよりも、死は他人事ではなく、今を生きていることに感謝をし、残された人生を悔いなきよう生きることが、亡き方への利益(喜び)となるのです、迷っているのは、亡き方ではなく、残された者であり、亡き方は、残された者を、命終えた後、お浄土の世界に救うことを楽しんでいると私は受け止めました。浄土真宗八代目門主 蓮如上人の有名なお言葉にも、「朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり」(朝にお元気であっても、夕には、死を迎えるかもわからない)(白骨の御文章)とお示し下さっております。最後に述べられている、あるご講師の開口一番の言葉は、聞いている者を、一瞬のうちに、緊張感をもって法話を聞かなければならないことを教えてくれます。法話を聞く時は、いつも臨終法話(人生最後の法話)と思って聞かなければならないと、私も何度も教えて頂きました。ほとんどの方は、法話を聞いても他人事で、死は、未来の出来事のように聞いていることを、戒められています。宗派を超えて、開祖と呼ばれる方の言葉には重みがございます。


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