浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

今から生き方変えましょう

2023-08-23 17:33:15 | 法話

今日は、お盆法要に参加出来ず、後から、お布施を頂いたりした方のために、お礼を込めて、読経を勤めました。







今日、明日と、本堂が大掃除で使えないので、第二本堂でお勤めを致しました。作家の五木寛之先生を知らない方は、いらっしゃらないでしょう。五木先生は、親鸞聖人や仏教に関する本も数多く書いておられますが、先生は、何となく、世の中の風潮とは逆の発想をされるような気がしております。だからこそ、注目されるのですが。「捨てない生き方」という本もそうです、断捨離ブームの逆をいっています。五木先生が、昨年、月刊住職のコラムに書かれている中で、高齢化がすすむ近年の日本では、「終活」が話題ですが、実は、多くの人はそんなに死を真剣に考えていないのではないか。むしろ、問題になっているのは今の生き方です。と書かれています。浄土真宗の救いの根幹は、阿弥陀如来のお浄土へ救われることです。それは、死んでからの救いであると誤解されます。阿弥陀如来の救いは、未来が変わり、生き方がかわることです。地獄往きの私が、浄土に生まれていく人生に変わるのですから、未来が変わり、生き方も変わります。そもそも、死んだらどうなるかなど、人間が考えても答えは出ません、それは、私が心配することではありません、受け持ちは、阿弥陀如来です。私に出来ることは、阿弥陀如来にお任せする以外にはありません。五木先生がご指摘されているとおり、問題は、今の生き方です。今が幸せな生き方をする方は、未来も幸せです。今が不幸せなら、未来も不幸せです。時々、孫が出来ればとか思うかもしれませんが、それは、周りに自分の幸せを依存しているのです。そんな期待はしない方が良いのです。孫がいようがいまいが、幸せな方は幸せだし、不幸せな人は不幸せです。しかし、阿弥陀如来に出会うことで、人生は必ず変わります。一つ例をあげれば、阿弥陀如来は、私を幸せにしたいと常に願われているのです。それだけで、人生変わると思います。一人で生きているのではなく、仏様に願われている、護られているというだけで、幸せです。みんな、幸せに生きたいのです。でも、多くの方は、幸せを感じていません。むしろ、不満・不安ばかりを感じて生きているのではないかと思います。そして、どこか、常にイライラしています。それを、自分が不幸せなのは、周りのせいにしていませんか?本当に、もったいことです。阿弥陀如来が護って下さっているのですから、みんな、自分が幸せな生き方をして良いのです。周りに気を使い、嫌な付き合いをし、世間体を気にして、自分の楽しみを我慢していませんか?そんな生き方は、今すぐやめましょうよ。私は、そうしています。その方が、みんな明るく良い日本になり、景気も良くなります。みんな、明日生きている保証はないのです。今からでも、自分が幸せに生きるべきなのです。周りから、悪口言われるくらいでちょうどよいのです。そういう方は、そもそも優しくて思いやりがある方ばかりです。たまには、悪口言われてみましょうよ。最近、私は、いろいろな方から相談を受ける中で一番多いのは、「私が死んだら、葬儀はしないで、火葬だけで済ませたいのですが、住職、それでも良いですか?」これが、最近、一番多い相談です。その理由は、なるべく、家族に周りに迷惑かけたくないからだと言われます。でも、不思議なことに、いざ、そういう相談をされた方が亡くなると、どうなるのかというと、残されたご家族は、通夜・葬儀をしたいと思いますと言われます。子供さん、お孫さんは、迷惑だなんて思っていません。ちゃんと、恩返しをしたいと思ってくれています。優しくしてくれた、愛情深く育ててくれた御恩は忘れることはないのです。もう一つ、これは、半分冗談と聞いてください、俺が死んだら・・・と相談にいらっしゃる方は、だいたい長生きします。


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道路のひし形のマークの意味知ってますか?

2023-08-22 19:44:04 | 日記

今日は、久しぶりに何も予定が入ってなかったので、運転免許証の更新に行ってきました。今日は、今まで知らなかった発見がありました。それは、道路に表示されているひし形のマークの意味です。ひし形のマークは、前方に横断歩道があるから歩行者に注意しましようという意味だったのです。当たり前ですが、横断歩道は、歩行者優先です。歩行者が渡ろうとしていたら、車は停止しないと交通違反になります。ひし形のマークを、私は初めて知ったように書いていますが、それは嘘で、私は、免許を取得する際、習ったはずだったのに、完全に忘れていたのです。いつも、このひし形のマークは何のためなのだ?と疑問に思いながら、ネットで調べることもなかったのですが、今日は、よい勉強になりました。それから、おあり運転は、3年以下の懲役または50万円以下の罰金、違反点数25点、行政処分 免許取り消し(失格期間2年)更に悪質な場合、免許取り消し期間3年にもなるとの説明がありました。それほど、重大な交通違反だということです。昭和の時代、交通事故で亡くなる方は1万人を超えていたそうで、一番多いときは、16000人もの方が交通事故で亡くなられていたのです。ところが、今は、全国で年間2610人(2022年中)以前よりだいぶ減っております。交通量は、昭和の時代とあまり変わっていないそうですが、シートベルトの徹底やエアバック、車の安全性能の向上などがあげられるようです。それにしても、人間の煩悩は、恐ろしいものです、たとえば、頭に血が上ると、人間、何をするか分かりません。煩悩は、人間が生きている限り、無くなりません。ですから、煩悩は、無視するか、うまく付き合っていくしかありません。煩悩=欲は、人生には必要でもあります。欲が無くなったら、人生面白くありません。お金が欲しい、会社で出世したい、健康でありたい、あれが食べたい、旅行に行きたい、長生きしたい、欲が無くなったら、人生つまらなくなります。何もする気がおきないや、欲が急に、なくなったら、うつ病を疑って、心療内科を受診するべきです。煩悩に支配されてはいけません。煩悩は、人間を自由自在に操ることが出来るのです、あおり運転がよい例です、冷静になってみれば、何でそんなことをしてしまったのだろうかと思うのはそのためです。他にもねたみなども、煩悩です。その煩悩に支配されないように、上手く付き合って下さい。今、自分が怒りの気持ちが出ているのは、煩悩に支配され、執着しているためです。煩悩は、人生を良い方向にも向けることが出来るし、逆に破滅にも導くものです。常に、私たちには、煩悩があることを忘れないでください。人生で成功している方は、その煩悩と上手く付き合う術を知る方なのです。


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臨終法話(人生最後の法話)

2023-08-21 10:53:49 | 法話

今日は、午前中、ご法事がありましたが、お盆の事務作業が一段落し、夕方、郵便局で、発送作業が終わりました。昨晩寝る前に、また、月刊住職に目を通していると、私には、なじみのない、真言宗開祖 弘法大師のお言葉が紹介されており、なるほど・なるほどと引き込まれてしまいました。やはり、名僧の言葉は、宗派を超えて心に響きます。「朝夕涙を流し 日夜にいたみを含むといえども、亡魂に益なし」(亡き人に朝夕涙を流し、日夜に悲しんでも、亡き人には何の利益もないのです。

「逝者(亡き方)は、じょう楽(仏の世界をたのしむ)し、留まる人(残された家族)は苦しむ」とも述べられ、「強壮は、今朝、病死は明夕なり」(元気にさかんなのは今朝のこと、病気を得て死ぬのは、明日の夕方です。)無常というものの、迅速さを端的に述べられています。この言葉を紹介されていた記者は、ある法話会にて、その時の講師が、開口一番、「ここにいる人びとは、すべて今晩12時に死ぬ、そんな気持ちで聞いて頂きたい」と言われ、今も自分の耳に鳴り響いており、消えることはありません。と述べれています。

いくら、残された者が悲しんでも、亡き方は喜ぶことはないのです。それよりも、死は他人事ではなく、今を生きていることに感謝をし、残された人生を悔いなきよう生きることが、亡き方への利益(喜び)となるのです、迷っているのは、亡き方ではなく、残された者であり、亡き方は、残された者を、命終えた後、お浄土の世界に救うことを楽しんでいると私は受け止めました。浄土真宗八代目門主 蓮如上人の有名なお言葉にも、「朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり」(朝にお元気であっても、夕には、死を迎えるかもわからない)(白骨の御文章)とお示し下さっております。最後に述べられている、あるご講師の開口一番の言葉は、聞いている者を、一瞬のうちに、緊張感をもって法話を聞かなければならないことを教えてくれます。法話を聞く時は、いつも臨終法話(人生最後の法話)と思って聞かなければならないと、私も何度も教えて頂きました。ほとんどの方は、法話を聞いても他人事で、死は、未来の出来事のように聞いていることを、戒められています。宗派を超えて、開祖と呼ばれる方の言葉には重みがございます。


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お盆が終わったのに忙しい

2023-08-20 18:54:08 | 日記

今日も猛暑の一日でした。お盆が終わっても、ご法事や葬儀が続き、まだ、何となくお盆が続いているような感じでございます、今日も有難いことに、法事が四件ございました、終わった後は、まだまだ、終わらないお盆の事務仕事です。疲れたので、夕方にはやめて、明日の午前中で終わらそうと思います。夕方、何気なく、本願寺新報8月1日号に目を通しておりましたら、とあるお寺に訪ねてくる高齢のご門徒さんたちが、老僧(ご院主さん)にぽろりとこぼした老いの悩みや死の不安をつづった文章が紹介されていました。

某月某日「ご院主さん、今日は、嫁はんの七回忌のおつとめ、お願いにあがりました。嫁はんがおらんようになって六年、まだそこいらにおるような気がします。廊下のすみっこにきちんと並べてある一輪ざしを目にするたんびに、ああ、もうおれへんのやなぁ、と涙がでます。嫁はんは花が大好きでした。それも、そこらの道端に生えてるような、名前も知らんような花を・・・。摘んできた花に、なんや話しかけながら、一輪ざしに生けとりました。わたしは、知らん顔しとりましたが、あの時、一緒に花に向きおうておったら、もうちょっと嫁はんの心のうちに寄りそえてやれたのにと思います。先に死んだらあかんぞ、と言いましたら、”あんなみたいな偏屈残して、先に往けますかいな”と笑うとりましたが、世の中、思い通りにいきませんな。ほかのひとのことは知りませんが、85歳になって、男がひとり残されたら、どうもなりません、ほんま」

もうすぐ、七回忌、六年の歳月が流れても、今も奥様が大切にしていた一輪ざしを見るたびに、「ああしてあげればよかった、こうしてあげれな良かった」と思う、心情がつづられていました。夫婦は、お互い、元気でいるときは、一緒にいることが当たり前、特に、感謝することもなく過ごしています。逆に、つい、喧嘩してしまうことの方が多いのかもしれません。昔、ご主人を亡くされた奥様から、街を、夫婦仲良く歩く他人の姿を見ると、とても、寂しい気持ちになり、うらやましくなると言われました。主人が元気でいるときは、特に、仲が良くもなかったのに、どうしてなのでしょうかと言われました。今思えば、あの時、もっと、出かけたり、旅行に行ったりすれば良かったと思うそうです。人生は思い通りいきません。家族がお互い元気で暮らし、一緒に笑ったり、泣いたり、喧嘩をしたり出来る日常は有難い日々なのですねぇ。大切なものを失ってみたいと分からないのが人間の悲しさですねぇ。私も他人事ではありません。


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住職は事務処理中

2023-08-18 15:04:34 | お知らせ

猛暑が戻ってきました。風もなく、静かなお寺です。

ハイビスカスが元気です

今日もご法事が二件ございました。

現在、お盆法要の事務処理中です。来週には、ご報告書 お礼状 御供物 梅干しなどをお送りする予定でおります。もうしばらくお待ちになって下さい。皆様からお預かりしました読み上げ用紙のご供養は終了しております。今日は、これから、お通夜にお参りさせて頂きます。


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