ゆめ未来     

遊びをせんとや生れけむ....
好きなことを、心から楽しもうよ。
しなやかに、のびやかに毎日を過ごそう。

冬期限定ボンボンショコラ事件/米澤穂信

2025年02月03日 | もう一冊読んでみた
冬期限定ボンボンショコラ事件 250203

米澤穂信さんの『冬期限定ボンボンショコラ事件』を読みました。
さわやかで、面白く読みやすい高校3年生のふたり組、小鳩君と小佐内さんの物語です。

皮切りは、2004年『春期限定いちごタルト事件
高校2年生の夏休みの波乱を描いた『夏期限定トロピカルパフェ事件
連続放火事件のあとをたどる『秋期限定きんとん事件
季節限定スイーツ事件四部作の最後の物語。

「ぼくが何をした? 殺されなきゃいけないほど、何をしたっていうんだ」
「それがわからないことが一番許せない」
 日坂さんは金槌を振る。びょうという風切り音が聞こえてくる。日坂さんはマスクをか
なぐり捨て、歪んだ顔でまくしたてる。
 「あんたは知らないだろう。当然だよ、人には誰にだって事情ってもんがあるんだ。
それはね、誰かにほいほい話したりしないんだよ。ふつうの人間はそれをわかってて、他
人の事情に土足で踏み込まないよう気をつけるんだよ。でもあんたは、何も知らないくせ
に知ってるような顔をして、あたしらの願いを踏みつけていった。ああ、なんであんた、
生きてるんだよ。もっときっちり轢いておけばよかった!」
 頭の中に、声が甦る。
----気持ちだけで充分だ。何もしないでくれ。
----気合を入れてたよ。俺の最後の大会だって言ってな。
----一年の頃は、いまよりもよく笑ってた気がする。
----日坂の親父さんは見たことがない。
----春の大会に行くとき、あいつはそのお守りを外した。
----僕、その人は先輩の妹じゃないかと思ったんです。
----あいつのことは誰にも言うな、警察にも言うな。
----それってもしかしてエーカンのエーコじゃない?
----あんな目に遭って、生きているだけで俺は充分だった。
----不思議な顔をしているじゃないか、小鳩。
----まるで、自分が何をしたかわかってないみたいじゃないか。
----なあ。
----おまえ。
----鬱陶しいよ。
「もしかして、日坂くんは、家族と仲が悪かったんですか」


 愚かだった。
 愚かとしか言いようがない。それが好意だと思っているのはこちらだけで、相于にそれ
を受け取る義理などひとつもない。まして、心の中に土足で踏み込んでさえ、好意の表れ
だから許してもらえると思っていたなんて。
 ぼくは自分の甘さに愛想を尽かした。いまも、ずっと。
 日坂くんが言う。
 「あのとき俺は、ありかとうとは言えなかった。いまも言えない。でも、これだけは言
わせてれ。小鳩……殴って悪かった」
 日坂くんに謝ってもらう資格なんて、ぼくにはないんだ。ただ、ずっと言いたくて言え
なかったことを、ようやく言える時が来たことだけは、ぽくにもわかった。
「ぼくこそ、悪かった。ごめん」
 日坂くんは、実に軽く応じる。
「いいよ。でも、もしかしたら、許さない方がよかったりするのか? わかんねえな、俺、
そんなに気がまわる方じゃないから」
 ぽくは、少し笑った。間違っているかもしれないけれど、いまなら、ずっと持っていた
思いを言ってもいいんじゃないかと思った。
 「日坂くん。生きていて、よかった。噂を聞いてずっと考えてた。ぼくのせいなんじゃ
ないかって」
 日坂くんはさみしそうに微笑して、うつむく。


    『 冬期限定ボンボンショコラ事件/米澤穂信/創元推理文庫 』


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レーエンデ国物語 夜明け前/多崎礼

2025年01月27日 | もう一冊読んでみた
レーエンデ国物語 250127

多崎礼さんの『レーエンデ国物語 夜明け前』を読みました。
この作品も面白くて、一気に読んでしまいました。

「テーマは、愛する異母兄妹の正義と正義。」

歴史のうねりの中に生まれ、信念のために戦った者達の
夢を描き、未来を信じて死んでいった者達の
革命の話をしよう。


志なかばにして、おびただし数の人々が死んでいった。正に死屍累々。
人は、死ぬ。
それでも、長きにわたり革命を信じた人々に、しっかり受け継がれ続けたものがあった。
そう、それは、教育。「読み書き、ソロバン」。
民衆の進歩を教育がしっかり支えた。


 第四の物語の始まりは聖イジョルニ暦八八八年八月八日。
 帝国支配下のレーエンデ、西部の大都市ボネッティで男児が生まれた。西の司祭長ヴァスコ・
ペスタロッチとロベルノ州首長の娘イサベルの第一子。始祖の血を引く四大名家の嫡男でありな
がら、レーエンデ独立のために尽力した高潔の士。絶望と諦観の暗黒時代を撃ち抜いた英傑。
 生前、彼は言っていた。
「妹を愛していた」と。「心から信頼していた」と。「彼女も俺を理解し、信頼してくれた。
自分がどう行動すれば、俺が何を選択するのか、彼女にはすべてわかっていた」と。
 愛おしげに、誇らしげに、血を吐くように独白した。
「だから殺すしかなかった」と。

 彼の名はレオナルド・ペスタロッチー
 またの名をレオン・ペレッティという。


 痛いところを突かれ、レオナルドは唇をねじ曲げた。
 「強くあれ」と父は言った。「強さはすなわち正義だ」と。その言葉を信じ、レオナルドは幼い
頃から射撃と剣技と格闘技を習ってきた。強くあるため、正しくあるため、立派なペスタロッチ家
の当主になるため、大人でさえ音を上げそうな鍛錬を已に課し、日々研讃を積んできた。
 でもヴァスコは滅多にボネッティに戻らなかった。たまに戻ってきても挨拶程度の言葉を交わす
だけで、親子らしい会話はしたことがない。立派な跡取りだと認められたことも、強い息子だと褒
められたこともない。
 「父上に褒められたいからじゃない。すべては善き為政者になるためだ」
 我ながら言い訳じみていると思った。恥ずかしくなって、レオナルドは小声で続けた。
 「俺は祖父のようになりたいんだ。イジョル二人だけでなくレーエンデ人からも敬愛される、立
派な領主になりたいだけだ」


 聖イジョルニ暦九一四年十一月六日。
 シャイア城の礼拝堂では、しめやかにフィリシアの葬儀が執り行われていた。
 ルクレツィアは黒いヴェールで顔を隠し、礼拝堂の片隅に座っていた。参列者は最高司祭や法皇
庁の高官達ばかりだった。彼らは腹の探り合いに忙しく、そこにルクレツィアがいることにも、彼
女の隣にレオナルドがいないことにも気づかなかった。
 俯いて目を閉じると、昨夜のことが思い出される。確かにこの目で見たはずなのに、あまりに現
実離れしていて、すべてが夢であったかのように思えてくる。あの子は人魚足の銀呪病患者だった
のかもしれない。それを私が勝手に神の御子だと思い込んだだけなのかもしれない。
「神は見ておられる。神の御子は見守っておられる。神の奇跡は実在する。神の御名に願いを捧げ
よ。もっとも信心深い者にこそ、神のご加護は与えられん」
 だが、私は神の御名に願いを捧げた。
 もし本当に奇跡が起きたら、神の御子は実存するという証になる。
 神から授かった天命が、本物だという証になる。


 新鮮な日々は駆け足で過ぎ去る。
 新年が来て、春が過ぎ、また夏がやってきた。
 八月が近づくにつれ、レオナルドは落ち着かなくなった。去年、夏祭りで見たリオーネの勇姿、
地を揺るがす大合唱を思い出す。今ならば俺も歌える。あの輪の中に飛び込んでいける。
 我慢しきれなくなって、レオナルドはリオーネに呼びかけた。
「今年の夏祭り、また『月と太陽』をやらないか?」
「やるなら俺達も手伝うぜ?」
 珍しくブルーノも乗り気だった。
 しかしリオーネは湿ったため息を吐いた。
「今年はやめとく」
「どうして?」
「いろいろ忙しくてさ。準備してる暇がないんだよ」
 以前は毎日のように『春光亭』に来ていたリオーネだが、最近はその頻度が減っていた。
元気印のリオーネが、あまり笑わなくなっていた。


    『 レーエンデ国物語 夜明け前/多崎礼/講談社 』


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復活の歩み 上/マイクル・コナリー

2025年01月06日 | もう一冊読んでみた
復活の歩み 上 250106

マイクル・コナリー「リンカーン弁護士」シリーズの『復活の歩み 上』です。
ハリー・ボッシュに会いたくて、本書を読みました。

マイクル・コナリーのこのような部分が好きです。

 未解決事件にボッシュが取り組んでいたとき、被害者家族に事件は解決した
が、犯人と目される容疑者が死んでいることを伝えるときは、いつも心がざわ
ついた。
ボッシュにとって、殺人犯がその死をもって逃げおおせたことを認めるに等し
かった。
そしてそこにはなんの正義もなかった。


 レコードプレイヤーのそばにある棚で立ち止まり、レコードーコレクション
をぱらぱらとめくっていき、母親が気に入っていた一枚である古いレコードを
抜き取った。母が亡くなる一年まえ、一九六〇年にリリースされたそのアルバ
ムは新品同様の状態に維持されていた。ボッシュの長年にわたる扱いは、その
レコードを録音したアーティストだけでなく、母への敬意に裏付けられたもの
だった。
 ボッシュは『イントロデューシング・ウェインーショーター』の二曲目に慎
重に針を落とした。アート・プレイキーのジャズ・メッセンジャーズから離れ
て、リーダーとしてはじめてアルバムを録音したショーターは、そのあとしば
らくしてマイルス・デイヴィスとハービー・ハンコックの横でテナー・サック
スを吹くようになる。<カタリナ>のテオから届いたボッシュ宛のメッセージ
では、ショーターが亡くなったと伝えていた。
(ウェインーショーターは、2023年3月2日に死去。亨年89)。
 ボッシュはスピーカーのまえに立ち、―曲目でのショーターの動きに耳を傾
けた。彼の息遣い、彼の運指のすべてがそこにあった。この音をはじめて聴い
てから六十年以上が経過しているのに、ショーターの死の知らせは、いまでも
ボッシュにとって大きな意味を持つこの曲の思い出を浮かび上がらせた。
曲が終わると、ボッシュは慎重にアームを持ち上げ、曲のはじめに戻し、ふた
たび「ハリーズ・ラスト・スタンド」を再生した。そのあと、ボッシュは仕事
に戻るため、テーブルに移動した。


 「そうだな。だけど、<高朋飯店>がなくなって悲しいボッシュは言った。
 「閉店したのか?」ハラーが訊いた。「永遠に?」
 ハラーの口調には驚きと失望がうかがえた。CCBの近くには、早くて信頼
できるランチ店があまり多くなかった。とりわけ、パンデミック以降は。
 「去年だ」ボッシュは言った。「五十年営業したのちに」
 ボッシュは、自分がその五十年間ずっと<高朋飯店>に通っていたのだ、と
気づいた。八月のある日、店にいき、鍵がかかったガラスドアに「どんないい
ことにも終わりは来る
」という、まるでフォーチュン・クッキーに入っている
おみくじの文言のようなお知らせを目にするまで。そのレストランを経営して
いて、いつもレジのところにいた男性にボッシュは一度も話しかけたことがな
かった。ボッシュは支払い時に男性にいつもただ会釈をするだけだった。
言葉の壁があるだろうと予想していた。
 「ところで」ハラーは言った。「地下室でなにを見つけた?」
 ボッシュは、自分の考えを事件に戻した。


  『 復活の歩み(上・下)/マイクル・コナリー/古沢嘉通訳/講談社文庫 』


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その罪は描けない/S・J・ローザン

2024年12月02日 | もう一冊読んでみた
その罪は描けない 241202

S・J・ローザンの『その罪は描けない』を読みました。

このミステリが、他のミステリと少し違うところは、依頼人のサムが、私立探偵ビルに「証明してくれよ、おれが犯人だと」依頼することです。
いくら酒に泥酔いしていたとはいえ、全く記憶にないとは、にわかに信じがたい。
終盤に色々あるのですが、犯人を特定するは、ぼくにはかなり難しかった。
これらしいとは、思ったのですが、動機が全く分からない部分があったからです。

 「どんな絵なのか、説明できる?」リディアは歩きながら言った。
 「うーん、正しくできるかわからないが、やってみよう。第一印象は、とても美しい。陸や海の風景、杭垣のある庭に囲まれた小さなコテッジ。凍った池に夕陽が照り映える、冬の黄昏。街角のアートフェアで見る類の絵だ。きれいな色、巧みな構図、軽妙で洒脱。自分には縁のなかった人生への郷愁を掻き立てる。ぼくの言いたいことがわかるか?」
 「ええ、わかる気がする」
 「そこで、湧き上がった温かな感情をもう少し長く味わおうと、近くに寄る。そしてよく見たとたん、静謐な光景ときれいな色が、身の毛のよだつ生々しい暴力を描いた微小な絵で構成されていることを知る。血や爆弾、鎖でつながれ、殴打され、虐殺される人々。苦痛、憤怒、恐怖、絶望が画面を埋め尽くしている。この微小な絵は新聞写真の黒い点々と同じで、絵から遠ざかると見えなくなる。でも、あの美しい絵を構成していることに変わりはない。ぼくがサムの個展に行ったとき、誰もが絵に顔を近づけては飛びのいていた。でも、見てしまったら、見なかったことにはできない。不意に一発殴られたとき----」わたしは言葉を探した。「大嘘がばれたとき、とんでもない偽善者だと人前で暴露されたとき、そんなときに抱く感情を持つ。ものすごく気まずくて不愉快になる」
 「気まずくて不愉快? 最悪だわ」
 「だが、そのパワーを認めないわけにいかない」
 「アートってそういうもの? 人を不愉快にするパワーであっても、重要なの?」
 「いい質問だ。どうなんだろうな。でも、アート界はサムの作品のパワーを愛している」
 「自分を不愉快にするものを愛するなんて、その人たちは頭がおかしいのよ」


 リディアが話しているうちに、ピーターの表情が少しずつ変化した。いまや我を忘れて陶然とリディアを見つめる顔は、車に乗って橋を渡っていたときのサムとそっくりだった。
 「そして、被害者のイヤリングの片方を持ち去った」リディアは続けた。「あの感覚を覚えていたかったから。刺しているあいだの感覚、終わったときの慄き、やり終えた満足感。どれも忘れたくなかった。二度と繰り返さないと決めていたから、覚えていたかった。でも、サムが刑務所を出た次の日の夜、あなたは外出した。顧客と一緒だったと主張したけれど、違うわ。
ティファニー・トレイナーを口説いて連れ出したのよ。サムの個展がオープンした翌日の夜は、アニカ・ハウスマン。この二つの出来事は、どちらもサムに大きなストレスを与えた。その結果、サムは意識を失うまで深酒をした。でも、あなたにも大きなストレスを与えた。あなたはサムとは違う方法で対処した。あなたはどの夜も被害嗇のイヤリングを持ち去った。そして、二日前の夜はホイットニーでキンバリー・バイクからも。でも、それは反対側の耳だった。どうして?」
 「誤解だ」ピーターは冷静に言った。「そんなことはしていない」


    『 その罪は描けない/S・J・ローザン/直良和美訳/創元推理文庫 』

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ミスター・メルセデス(上・下)/スティーヴン・キング

2024年11月25日 | もう一冊読んでみた
ミスター・メルセデス 下 241125

スティーヴン・キングの少し以前のミステリ『ミスター・メルセデス 下』を読みました。

新たな大惨事を計画するミスター・メルセデス。

大量無差別殺人を実行する人物をして、その行動に駆り立てるものはなにか。
動機は、分かることがある。
しかし、動機→大量無差別殺人に直結することが、ぼくには理解できない。

  中国施設で車暴走
  35人死亡43人負傷
  離婚の財産分与に不満か


 午後三時十五分前、ブレイディは息抜きに<モーテル6>の客室から外へ出て、幹線道路の反対側にある<チキン・コープ>の店に目をむける。それから道路をわたって、生涯最後の食事を注文する----“特製かりかり焼きチキン”にグレイヴィソースたっぷり、コールスロー添え。客席セクションはほぼ無人で、ブレイディはトレイをもって窓ぎわのテーブル席に行く----日ざしを浴びていたいからだ。もうすぐ二度と日ざしを拝めない身になるのだから、楽しめるうちは少しでも日ざしを楽しんでおきたい。
 ゆっくり食事をしながら、<チキン・コープ>でよくテイクアウトを買って帰宅したことや、母親がいつも“かりかり焼きチキン”に添えるコールスローをダブルにしてくれといっていたことを思い出す。そしてきょうも、なにも考えずに母親用のメニューを注文していたとは。それを思ってこみあげてきた涙を、ペーパーナプキンで拭う。かわいそうな母さん!


 モーテルに引き返すために幹線道路わきに立って車が途切れるのを待ちながら、ブレイディは自分の名前は人々の記憶に残るだろう、と思う。史上最大のスコアを稼ぐからだ。歴史に名前を残せる。いまにして思えば、あのでぶの元刑事を殺さなくてよかった。今夜これから起こることを考えれば、あの男は死んではならなかった。ちゃんと記憶に刻んでもらわなくては困る。この記憶を背負ったまま生きつづけてもらわなくては困る。

 ミスター・メルセデスも、ぼくにはよく理解できなかった。

 まわりから無視され、顧みられないことに腹を立てずともよくなる。頭痛に悩まされることもなくなる。眠れぬ夜を過ごすこともなくなる----きょうを境に、いつまでもいつまでも眠っているだけになるのだから。
 夢も見ないで。


    『 ミスター・メルセデス(上・下)/スティーヴン・キング/白石朗訳/文藝春秋 』




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ミスター・メルセデス(上・下)/スティーヴン・キング

2024年11月18日 | もう一冊読んでみた
ミスター・メルセデス 上 241118

スティーヴン・キングの少し以前のミステリ『ミスター・メルセデス 上』を読みました。
退職した刑事ビル・ホッジズのもとに、手紙が届きます。
ホッジズは、差出人は “あいつだ” と直感します。
霧雨の降る早朝、仕事を求める人々が市民センターの前で列を作っていました。
そこにグレーのメルセデスが突っ込みます。
その犯人、メルセデス・キラー(プレイディ・ハーツフィールド)からです。
この手紙をめぐって、退職刑事とプレイディ・ハーツフィールドが「デビーの青い傘」のチャット上でやり取りをします。
この駆け引きが面白い。罵りあい、だましあう。
物語は、下巻になだれ込みます。

 ホッジズは立体交差の安全な側にある駐車場へむかって歩きだす。ちらりとふりかえると、少年はまだそこに立つたままホッジズを見つめている。片手にバックパックをぶらさげた姿で。
 「おい、坊上」ホッジズはいう。
 少年はあいかわらず無言でホッジズを見ているだけだ。
 ホッジズは片手をもちあげて指を少年に突きつける。「ついさっき、わたしはおまえのためになることをした。だからおまえにも、きょうの日没までに、だれかのためになることをやってほしい」
 いま少年の顔にのぞいてるのは、まったく理解できないという表情だ----ホッジズがいきなり外国語をしゃべりだしたかのような。しかし、それはかまわない。こういった言葉がじょじょに滲みていくこともないではない----とりわけ相手が年若い場合には。
 人は驚かされるものだ。----ホッジズは思う。そう、意外な結果に驚かされることもないではない。


 「とにかくやってみて。あなたのことをググったけど、検索結果を見るかぎり警察署はじまつて以来の凄腕刑事のひとりだったみたい。賞賛の言葉がどっさりあったわ」
 「まあ、運に恵まれたことも二、三回はあったかな」
 口に出すと嘘くさいほど謙虚にきこえる言葉だが、幸運が大きな要素だったことはまぎれもない事実だ。幸運、そしていつでも準備を欠かさなかったこと。ウディ・アレンのいうとおりだ----成功の八十パーセントまでが、向こうから転がりこんでくるのである。


 「ただしマーヴォの動機はもっと複雑なものじやないかな。本人にも理解できないいろいろな要素のごった煮めいたものが動機だったと思う。綿密に調べれば、性的混乱や生い立ちなどが大きな要囚として浮かびあがってきそうだ。おなじことがミスター・メルセデスにもいえるように思う。
まず若い。頭がいい。環境に適応するのも巧みだから、周囲にいる仲間たちの大半には、この男が本質的には一匹狼だということがわからない。いざつかまったときには、まわりの人間はみんな口をそろえて、『まさか、そんなことをしでかしたなんて信じられない。いつだって感じのいい男だったのに』というんだろうな」
「テレビドラマのデクスター・モーガンみたいな?」


    『 ミスター・メルセデス(上・下)/スティーヴン・キング/白石朗訳/文藝春秋 』

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マクマスターズ殺人者養成学校/ルパート・ホームズ

2024年11月11日 | もう一冊読んでみた
マクマスターズ殺人者養成学校 241111

ルパート・ホームズの『マクマスターズ殺人者養成学校』を読みました。

マクマスター応用芸術学院は、単なる養成学校ではない。
殺人者を養成する学校です。

 削除 われわれは、“殺害” という一般的な表現の代わりにこの用語を使用する。

三人の主人公が、この殺人者養成学校で訓練を受け、卒業論文の審査を受けます。

 クリフ・アイヴァーソン
 ジェマ・リンドリー
 ドリア・メイ

彼らは “遂行者” になれるのか。
卒業条件は、ただひとつ。“上司の削除”。

 遂行者 マクマスター応用芸術学院が削除を遂行する能力と資格があると認めた、もしくはすでに削除に成功した卒業生のこと。

卒業論文の最終報告書がハービンジャー・ハロー学院長に手によって最後に書かれるのですが、果たして。

異色のミステリで面白く読みました。

  『 マクマスターズ殺人者養成学校/ルパート・ホームズ/奥村章子訳/ハヤカワ・ミステリ 』


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死はすぐそばに/アンソニー・ホロヴィッツ

2024年11月04日 | もう一冊読んでみた
死はすぐそばに 241104

アンソニー・ホロヴィッツの 『 死はすぐそばに 』 を、読みました。
ホロヴィッツは、何時も面白い。ですが、今回は「 アンソニーのもやもや=読者のぼくのもやもや でした。」

 「自分が何をしているのか、あなたはわかっていないようだ」
 「自分のしていることくらい、ちゃんとわかっていますよ。ミスター・モートン、どうしてわたしに、この本を書くのをやめさせたいんですか?
 いったい、誰を守ろうとしているんです?」
 「先ほどもお話ししたでしょう……」
 「ホーソーンを守るため? あなたはさっき、この結末はホーソーンにとって芳しい話ではない、と言いましたね。いったい何があったんです?
 ホーソーンが何かしたんですか?」
 「必要なことは、すでにお伝えしました」モートンの目が、すっと細くなる。その瞬間、見た目とは裏腹の本性が見えた気がして、この男だけは敵に回したくないと、わたしは思わずにいられなかった。「よくよく考えてみることをお勧めしますよ。この物語は、あなたが思っているようには終わらない。ホーソーンについて、知りたくなかったと思うことも発見してしまうでしょう。だが、知ってしまったら、もう戻れない。ホーソーンとの友情も終わりますよ。
あの男は頭がいい。われわれにとっても、ごく役に立つ男です。しかし、あの男が心に闇を抱えていることは、あなたもまたご存じのはずでしょう。ホーソーンがなぜ、どんな経緯で警察を追われたのかを忘れてはいませんよね。悪いことは言わない、わたしの言葉に耳を貸すべきですよ、アンソニー。あなたが綴るべき物語は、ほかにもたくさんある。これには手を出さないほうがいい」
 これで、話しあいは終わりだった。アラステア・モートンが立ちあがる。
「お目にかかれてよかった」と、モートン。
わたしも立ちあがった。お互いに、握手はしない。


 ダドリーはコーヒーのカップを置いた。「ちょうど《厩舎》を出ようとしたとき、おれは見ちまったんだ。カーン警視とグッドウィン巡査は先に出た。次に、ホーソーンが。だが、最後におれが玄関のドアに近づいたとき、脇の壁に立てかけてあった金縁の鏡に、あの夫婦の姿が映っててね。シュトラウスと女房はお互いの手を握ってたが、その顔といったら……あれは、まさにとんでもない眺めだったよ。勝ちほこってたんだ! 凱歌をあげてるような衣情だった。
ついに逃げおおせた、ってね。その瞬間の表情で、あいつらは化けものだと、おれは確信した。
悪の化身だ。もしもシュトラウスをバルコニーから突き落としたのがホーソーンなら、おれはどうこう言えないね」
 ダドリーは腕時計に目をやった。
「いろいろあったが、あんたに会えてよかったよ。アンソニー。グランドケイマン 島でも、あんたの本は売れてるかな?」
「うーん、どうだろう……」
「まあ、探してみるよ」
 ダドリーは立ちあがった。そろそろ帰ってほしいということだろう。
「送ってくれなくてだいじょぶだ」と、わたし。「出口はわかるよ」


 今回にかぎっては、わたしは自力で最後の真相にたどりつき、それが正しいことをはっきりと悟っていた。
 勝ちほこってたんだ! 凱歌をあげてるような衣情だった。ついに逃げおおせた、ってね。


    『 死はすぐそばに/アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳/創元推理文庫 』

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フェイク・マッスル/日野瑛太郎

2024年10月28日 | もう一冊読んでみた
フェイク・マッスル 241028

日野瑛太郎の『フェイク・マッスル』を読みました。

筋肉増強剤の話です。
ボディビル競技大会のドーピングにまつわる興味深い話も満載です。

松村健太郎の成長の物語でもあります。
 その成長の先にある、見たことのない景色を見てみたかった。
あるひとりの若者の成長の軌跡をたどるのは楽しかったです。


竹中彩佳(たけなかあやか)と言う、非常に興味深い女性が登場します。

 私は彼の住む七〇五号室のドアの前に立つと、慎重に周囲を見回して人影がないことを確認した。
 エレベーターのカゴ。非常階段。隣家の窓。とりあえず、私から見える範囲には誰もいない。

 ただ、これで百パーセント安心かというと、そうとも言い切ることはできなかった。
 いざという時のために、彼のもとを訪れる時には必ずマスクとサングラスで顔を隠すようにしている。


 それはなんとも恐ろしい内容だった。
 記事によると、彼女はもともとは大峰颯太のファンで、ライブやイベントの常連だったらしい。
 最初は熱心なファンぐらいのレベルだったが、徐々に現場での迷惑行為が目立つようになり、他のファンから苦情を受けるまでになった。それでとうとう、彼女は現場への出入り禁止を運営から通告された。
 彼女はそれで現場には行かなくなったが、裏で大峰のストーキングを始めるようになった。
 彼女は大峰颯太の住んでいるマンションを特定すると、なんと同じマンションに引っ越してしまった。


 そもそも週刊誌の記者たちは、いったいなんの権利があって他人のプライバシーを暴こうとしているのだろうか。
 政治家の汚職スキャンダルを追うというならまだわかる。しかし、芸能人の私生活を暴くのは、単に大衆の下世話な好奇心を剌激して、金を儲けようとしているだけにしか私には見えなかった。
 そんなハイエナみたいな連中に、彼のキャリアを台無しにされていいわけがない。
 彼のことは私が守らないと----
 私は密かに決意を固めた。


竹中彩佳の生き様は、現在を生きる若い女性のひとつの典型として、考えさせられるものがあました。感慨深かったです。

  『 フェイク・マッスル/日野瑛太郎/KODANSHA 』

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陽炎の市/ドン・ウィンズロウ

2024年10月21日 | もう一冊読んでみた
陽炎の市 241021

ドン・ウィンズロウのギャング・ノワール三部作
  『業火の市
  『陽炎の市
  『終の市

主人公ダニー・ライアンの一生を逆にたどるのも一興と思い第三部から読み始めました。
第3部と第1部を読み終えて、第2部の『陽炎の市』も読み終えました。

 戦争のきっかけはひとりの女だ。

 クリス・パルンボはむずかしい問題に直面していた。
 ドミンゴ・アバルカの組織から四十キロのヘロインを仕入れる取引きをまとめ、ピーター・モレッティとニューイングランドのマフィアの半数にその費用を出資させ、ダニー・ライアンとアイルランド系の連中にヘロインを略奪させた。
 全員を手玉に取る。いかにもクリス・パルンボのやりそうなことだった。
 まず、ダニー・ライアンを言いくるめてアイルランド系マフィアにヘロインを強奪させる。強奪させたそのヘロインをFBIのシャーディンと組んで持ち逃げし、ピーターに一泡吹かせる。ピーターは出資した者たちに金を返せず、その責めを負う。
 そうやってピーターを玉座から引きずり下ろし、自分がその後釜に坐る。それがクリスの算段だった。
 ピーターがへまをするたびに尻拭いする役目にはほとほとうんざりしていたのだ。ピーターに分けまえを上納するのにも、弟のボーリーがしくじって後始末をさせられるのにも。
 計画は無残にも失敗に終わった。
 クリスはダニー・ライアンが隠し持っている十キロを奪う手筈になっていた。ところが、ダニーはここぞとぱかりに度胸を見せ、家族を殺すと脅してクリスを退けた。まあいい、十キロは失ったかもしれない。かなりの量だが、致命的ではない。なのにジャーディンまでもが殺された。
 あの身のほど知らずのクソ野郎。
 結局、クリスの手にはいるはずだったヘロインはすべて失われた。過去の不徳を済算しようという目論見はジャーディンの死とともに消え去った。おまけに、ヘロイン強奪の件でピーターが彼を疑っているのはまちがいない。血眼になって行方を捜しているだろう。
 権謀術数に長けたクリス・パルンボはこの上なくシンプルな解決策を選んだ。
 逃げた。

 ピーターが死刑宣告を出したからといって、のこのこ出ていって刑を執行させることはない。
 そういうことはおれ抜きでやってくれ。


 昔はこんなじゃなかった。といっても、そう遠い昔じゃない。ほんの数年まえまで、パムは彼がこれまで出会った中で誰より美しい女だった。彼だけでなく、世界じゅうの男が出会った中で誰より美しい女だった。
 そもそもそれが一連の悪夢の始まりだった。ポーリーが絶世の美女を連れていることにリアム・マーフィが嫉妬し、酔いも手伝って、ビーチでのパーティのあと彼女に手を出そうとした。ポーリーとピーターとサルはリアムをぼこぽこに叩きのめした。すると、パムは瀕死のアイルランド野郎を病院に見舞い、あろうことか、ポーリーを捨ててリアムになびいてしまったのだ。
 そこからすべてが始まった。歯止めが利かなくなった。

 何人の死体が転がった? 何度葬式がおこなわれた?
 やがて、クリスがアイルランド側にわざと麻薬を略奪させるという妙案を思いついた。
その結果、今に至る。アイルランド系組織は壊滅し、ニューイングランドはイタリア系のものになった。そうしてポーリーはパムを取り返した。しかし、取り返すだけの価値があったのか?


「麻薬にはもう手を出さない」とダニーは言う。
「そこが今回の件のいいところだ」とハリスは請け合う。「麻薬には手を触れない。奪うのは現金だけだ。ついでに麻薬の運び屋にも痛手を負わせられる。きみは国のために奉仕できる」
 ダニーは言う。「おれは堅気になりたいんだ」
「最後に一仕事するだけで、新しい人生が手にはいる」
「それと同じことを最後におれに言ったのは誰だと思う?」とダニーは言う。「リアム・マーフイだ。悪いが、おれは手伝えない」
 「きみひとりの問題じゃない」とハリスはさらに言う。「モネタはきみの友達のジミーも刑務所にぶち込むつもりだ。ショーン・サウスも、ケヴィン・クームズも、バーニー・ヒューズも、ネッド・イーガンも。全貝捕まる。親父さんも刑務所送りになって、そこで死ぬことになる。連邦刑務所。最重警備刑務所、超重警備のペリカンベイ。FBIはできるだけひどい場所に送ろうとするだろう」
 「おれがノーと言ったら」とダニーは言う。「あんたはその手助けをする側にまわる」
 「そういうことだ」

 ダニーは一瞬考えをめぐらせてから言う。「捕まらないほうに賭ける」
 「そんなことはできやしない」とハリスは言う。「きみのことは詳しく調べた。イエス・キリストを気取って。”打てるものならおれに釘を打て”とは言えても、友達や家族まで十字架に磔にされるのには耐えられない」
 彼の言うことは正しい、とダニーは思う。
 「もしやるなら」とダニーは言う。「おれだけでなく、仲間と家族の安全も保証してもらいたい」
 「約束する」


  『 陽炎の市/ドン・ウィンズロウ/田口俊樹訳/ハーパーBOOKS 』


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