ゆめ未来     

遊びをせんとや生れけむ....
好きなことを、心から楽しもうよ。
しなやかに、のびやかに毎日を過ごそう。

業火の市/ドン・ウィンズロウ

2024年09月16日 | もう一冊読んでみた
業火の市 240916

ドン・ウィンズロウのギャング・ノワール三部作
  『業火の市
  『陽炎の市
  『終の市

主人公ダニー・ライアンの一生を逆にたどるのも一興と思い第三部から読み始めました。
第3部を読み終えたので、第1部『業火の市』に戻り読みました。
ダニーが属するアイルランド系マフィアとイタリア系マフィアの抗争です。

 戦争のきっかけはひとりの女だ。
 海から上がってきた女を観ていたあの日のことを思い出す。
 彼女が問題を巻き起こすことが彼にはそのときなぜかわかった。


無責任極まりない女と、自分だけがかわいい馬鹿な男が招いた、血で血を洗うマフィアの武力抗争。
ダニー・ライアンは、だんだん深みにはまっていく。

 悪魔は天使のふりをしてやってくる。ダニーはその昔尼僧たちからそう教わった。
 最悪な行為が最良の目的のためにおこなわれる。最も憎むべき行為は最も愛する者のためにおこなわれる。
 取引きに応じるよう、ダニーはリアムに言う。


 戦争のきっかけはひとりの女だ。
 少なくともほとんどの人間はそう思っている。パムのせいだと。
 彼女が海からあがり、女神のような姿で砂浜に立ったあの日、ダニーもその場にいた。
 そのときにはまだ誰もこの氷の乙女のような白人の女が、ボーリー・モレッティの恋人だとは知らなかった。彼が彼女のことを本気で愛していたことも。
 もっとも、リアムーマーフィがそのことを知っていたとしても、気にもとめなかっただろうが。


 サルが知っていることはすべてマーヴィンも知っている。
 サルがマーヴィンを始末したがっているのと同じくらい、マーヴィンもサルのことを消したいと思っている。マーヴィン自身、自分の噂が耳にはいってきているからだ。
 ヤワになっちまっただの、梯子を昇りきって地べたでの生活のことはすっかり忘れやがっただの。
 市の評判というものは、どんな商品でも同じように新たな価値を定期的に生み出さないと、その勢いは失われてしまう。
 そのため、マーヴィンはあらゆる機会を使ってサルを挑発する。
 マーヴィンのマーヴィンたる所以を黒人仲間に思い出させるために。


  『 業火の市/ドン・ウィンズロウ/田口俊樹訳/ハーパーBOOKS 』
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ビリー・サマーズ/スティーヴン・キング

2024年09月09日 | もう一冊読んでみた
ビリー・サマーズ(上・下) 240909

スティーヴン・キングの『ビリー・サマーズ』を読みました。
心優しい殺し屋が、最後に請け負った殺しの話です。
殺し屋を、「心優しい」と言うのは、可笑しな話だとは思うのですが、ページからは優しさがにじみ出ています。

暗殺の当日まで、潜伏先の隣の子供たちと殺し屋ビリーは、心から楽しんで遊びます。
隣人の夫婦との何気ないやりとりにも誠実で心温まります。
親しくしているだけに、心の中では、暗殺後の子供たちに与える影響を憂うのでした。
暗殺後、別の潜伏先のアパートの前で、アリスと言う若い女性が、汚いワゴン車から投げ捨てられのを見ます。
ビリーは、暗殺直後の脱出を模索中と言う、難しい局面であるにもかかわらず彼女を救います。
助けられたアリスは、日を待たずして、ビリーが暗殺犯であることに気づくのでした。

ビリーの幼い頃に起こった悲劇。
施設に預けられ過ごした過酷な日々とつかの間の甘い思い出。
成長して海兵隊に入り、スナイパーとしての腕をみがき、中東での闘いの日々を送る。

このまま、ずっと続けばいい今の幸せが実に活き活きと楽しく描かれています。
しかし、その生活を続けることを困難にする過酷な現実がすぐそこに差し迫って来ます。
ある意味、ぼくにとっては切ない「クライム・スリラー」でした。

 ビリーは思う----仕事のあとに一杯飲みにいかないかと誘うタイミングだ。
 断わられるかもしれない……が、睫毛の下から見あげろあの目つきには、誘いを受けそうだと思わせるものがある。
 しかし、ビリーは誘わない。人と会うのはいい。人から好かれ、そのお返しに人を好きになるのはいい。
 しかし、親しくなってはいけない。親しくなるのは禁物だ。
 親しくなるのは危険だからだ。引退したあとなら事情も変わるかもしれないが。



 おれがきみを助けたのは、あのままきみを道路に放置しておけば、そのうち警官がここへやってくるだろうと思ったからだよ----ビリーは思う。ただし、それが真実のすべてではないかもしれない。おれたち人間はすべての真実をおのれに話すだろうか?
 「わからない」
 「あなたがこんな目にあったなんて気の毒でたまらない」アリスは泣きはじめる。
 「これまでわたしは、自分がなんてひどい目にあったんだろうと思ってた。でも----」
 「きみの身に起こったのも本当にひどいことだよ」
 「----妹さんのほうが、よっぽどひどい目にあってる。ね。本当に相手の男を撃ったの?」
 「ああ」
 「よかった。よかった! そのあとあなたは施設に入れられたのね?」


 『 ビリー・サマーズ(上・下)/スティーヴン・キング/白石朗訳/文藝春秋 』

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終の市/ドン・ウィンズロウ

2024年09月02日 | もう一冊読んでみた
終の市 240902

ドン・ウィンズロウのギャング・ノワール三部作
  『業火の市
  『陽炎の市
  『終の市

ぼくは、まだ読んでいなかったので、第一話から順に読もうか、とも思ったのですが、
主人公ダニー・ライアンの一生を逆にたどるのも一興と思い第三部から読み始めました。

ダニー・ライアンは、アイルランド系マフィアの一員ですが、極めてストイックな人物
です。それが、随所に描かれています。

この小説で哀切極まりないのは、子に先立たれた父親の姿です。

「おれたちを信じることだ」
「脅すつもりはないが」とダニーはたたみかける。「ちゃんと理解しておいてほしい。おれをこけにしたら、必ず報いを受ける」
「それが世の習いというものだ」
「いかにも」とダニーは言う。「是非タコスを味わっていってくれ。最高に美味いから」
“おれたちを信じることだ”だと?
“信じる”というのは、サンタクロースを待つ子供のためにあることばだ。


 ダニー・ライアンは今は亡きふたりの女性を愛している。思い出が相手では勝ち目はない。このさき決して失言することもなく、失態を犯すこともなく、贅肉がつくこともなく、こむら返りを起こすこともなく、赤らんだ鼻から鼻水を垂らすこともなく、歳を取ることもない、そんなふたりの女性を彼は愛している。
 決して失望させはしない女性たちを。
 さらにもっと根深い問題もある。
 本人には口が裂けても言えないが、ダニーはその悲しみに恋をしている。悲恋に酔い痴れている。自寛しているにしろ、していにしろ、ふたりの女性との悲劇的な別れがダニーのアイデンティティになっている。彼が哀しみを断ち切ることは決してない。どうすれば断ち切れるのか、彼にはわかりっこない。


「あなたはぼくたちと食事をともにした」とジョシュは言う。「シャバットの夕食に同席した。あなたはぼくをあなたの家に迎え入れてくれた。それには意義がある」
「何十億ドルもの価値があるのか?」とダニーは訊く。
「これは祖父から教わったことだけど」とジョシュは続ける。「金から人は生まれないが、人は金を生む。どんなときも人に投資しろ----立場が逆なら、あなただってドムやジェリーの辞任を認めないと思うけど」
 ジョシュはダニーに同意を求めていない。だから返答は要らない。


  『 終の市/ドン・ウィンズロウ/田口俊樹訳/ハーパーBOOKS 』

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アーモンド/ソン・ウォンピョン

2024年08月26日 | もう一冊読んでみた
アーモンド 240826

ソン・ウォンピョンの『アーモンド』を読みました。

僕とゴニの青春小説でした。

 一言で言うと、この物語は、怪物である僕がもう一人の怪物に出会う話だ。

 僕はゴニに会いに行く。目的も、伝えたいこともない。ただなんとなく、会いに行く。

 みんなが怪物だと言っていた、ぼくの良き友に。


 人は誰でも、頭の中にアーモンドを二つ持っている。それは耳の裏側から頭の奥深くにかけてのどこかに、しっかりと埋め込まれている。大きさも、見た目もちょうどアーモンドみたいだ。アーモンドという意味のラテン語や漢語から、「アミグダラ」とか「扁桃体」と呼ばれている。
 外部から刺激があると、アーモンドに赤信号が灯る。刺激の性質によって、あなたは恐怖を覚えたり気持ち悪さを感じたりして、そこから好きとか嫌いとかの感情が生まれる。
 ところが僕の頭の中のアーモンドは、どこかが壊れているみたいなのだ。刺激が与えられても、赤信号がうまく灯らない。だから僕は、周りの人たちがどうして笑うのか、泣くのかよくわからない。喜びも悲しみも、愛も恐怖も、僕にはほとんど感じられないのだ。感情という単語も、共感という言葉も、僕にはただ実感の伴わない文字の組み合わせに過ぎない。


世界で一番かわいい怪物。
「感情という単語も、共感という言葉も、僕にはただ実感の伴わない文字の組み合わせに過ぎなくとも」、
人は、人のぬくもりのなかで生きていける。


 母さんの話が終わってしばらく沈黙したままだったばあちゃんが、突然表情を変えた。
おまえの母さんの話が本当なら、おまえは怪物だよ
世界で一番かわいい怪物。それがおまえだな!


「友だちが怪我してるっていうのに、大丈夫って声をかけることもできないの? 噂には聞いてたけど、この子本当に普通じゃないわね」
 何と答えたらいいのかわからず。僕は口を開かなかった。
 何か「事件」が起きたらしいと感づいた子どもたちが周りに集まってきて、ひそひそと話している声が耳に入ってきた。
 僕を救ってくれたのは、ばあちゃんだった。ばあちゃんは、映画のワンダーウーマンのようにどこからか登場して、僕をひょいと抱き上げた。
めったなことを言いなさんな。転んだのは運が悪かっただけだろう、なんで他人のせいにするのさ?
 ばあちゃんはおばさんをがつんと一喝すると、子どもたちにもひとこと言うのを忘れなかった。
何を面白がって見てるんだ? ろくでもないガキどもだ
 みんなとかなり離れてから、ばあちゃんの顔を見上げた。怒りが収まらないのか、きゅっと閉じた口がぐっと前に突き出ていた。
ぱあちゃん、どうしてみんな僕のこと変だって言うの?
 ばあちゃんは、突き出た口を引っ込めた。
おまえが特別だからだろ。人っていうのは、自分たちと違う人間がいるのが許せないもんなんだよ。よしよし、うちのかわいい怪物や」
 ばあちゃんが、砕けてしまうんじゃないかと思うほど僕を強く抱きしめるので、あばら骨が痛かった。


「知りませんでした、僕がおじさんと親しいって」
「ハハ、違うって言わないでくれよ。まあ、陳腐な表現だけど、出会うべき人には出会うっていうからな。あの子が君とそんな関係になるかどうかは、時間が教えてくれるだろう
おじさんがなんでゴニと付き合うなと言わないのか、聞いてもいいですか?」
私は、人を安易に決めてかからないようにしてるんだ。人はみんな違うから。君たちの年頃には特にね」


 博士が過去形で話していることに気が付いた。
「会いに行かれたんですか、病院に?」
 シム博士がうなずいた。口元がちょっと下がっていた。母さんのことを悲しんでいるのだとしたら、母さんもきっと嬉しく思うだろう。それは母さんが教えてくれた。“チップ”だった。思いがけないご褒美みたいなもの。自分の悲しみを人が一緒に悲しんでくれるのは嬉しいことだと。マイナス×マイナス=プラスの原理だと言っていた。


  『 アーモンド/ソン・ウォンピョン/矢島暁子訳/祥伝社 』


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終わりなき夜に少女は/クリス・ウィタカー

2024年08月19日 | もう一冊読んでみた
終わりなき夜に少女は 240819

クリス・ウィタカー『終わりなき夜に少女は』を読みました。

ぼくには、面白いミステリというより、青春小説でした。
文学が人生を語るものとすれば、p293 「32 グレイスの美少女」は、人生を語る素敵な章でした。
一読に値しました。
クリス・ウィタカーの作品を読むのは二冊目。初は、『われら闇より天を見る』。

 この世からあの世まで毎日毎晩つづくような心労。子供なんて、最良の場合は自慢の種になるけれど、聖書にもあるとおり、“誇る心は躓きにいたる” から、どっちにしても親はクソ溜めに落ちる。

 ルーメン牧師が電動車椅子で会堂内にはいってくると、会衆はルーメンがもはやここの牧師ではないにもかかわらず起立した。最初の発作は軽いもので、舌がもつれるようになったのと、一方の肩が下がったぐらいだった。けれども二度目は危うく死ぬところだった。医者は見放したが、一年後、牧師は電動車椅子で町を走りまわっていた。車体はまっ白で、片面にミケランジェロの〈アダムの創造〉が美しく細密に描かれている。グレイスの人々から町の救い主への贈り物だった。
 ノアの聞いたところでは、その支払いのために教会の基金が取り崩されたという。
 車椅子に乗ってはいたし、背中か少々丸まってもいたが、ルーメン牧師はあいかわらずその潤んだ灰色の目で会堂内を沈黙させた。牧師は長年のあいだ聖ルカ教会とその会衆に強権をふるってきたのだ。それが自分の務めだといわんばかりに厳しい裁きをくだし、寛大な裁きは自分に深く頭を垂れる人々に限定して。


 レインはフロントガラスのむこうを見つめたが、見えるのは切れ目のない夜の闇ばかりだった。
「不思議だよね、グレイスってさ」とノアは言った。「不思議な町だよ。日曜日になるとみんな教会へ行ってさ。酒と週末の罪のにおいをぷんぷんさせながら、それを赦してくださいと祈ったあと、また同じことをするんだから。毎週毎週。きょうはパーヴの親父さんも来てたよ。エンジェルの座ってる後ろのほうに隠れてた。教会なんかになんの用があるってんだ、あんな男が?」
自分のろくでなしぶりが恥ずかしくなったんじやない?
「そうかもしれないけど。だからなんだっての? あんな悪党は天国になんか絶対はいれないはずなんだから。だって、あんなやつがはいれるなら、神様なんてなんの意味があるのさ
 レインはドアをあけて車からおりた。


「自分がここにいないみたいに感じることはあるか?」ブラックは訊いた。
「あたしは人生のほとんどを、どこか別の場所にいられたらと思いなから生きてきたけどね。それがあんたの言ってることなら」
「おれが言ってるのは、ときどき自分が部屋にいないみたいな気がするってことだ。外を漂ってるのかもしれんが、自分で自分は見えない。自分の体は、この世界の一部じゃないんだ。ほかの人間が住んでる世界の一部じゃ…………ミルクやラスティと馬鹿話をして、悪いやつらを追いかけいても」ブラックは目をこすった。
 ピーチは顔をあげて頬をブラックの頬にこすりつけ、耳元に口を寄せた。「なぜと訊いたら、なんて答える?」
「そのyの字の尻尾はくるんと巻いてる」
 ピーチはにっこりした。 「罪悪感ね
自分がしてきたことと、するべきだったことへのな。そんなに見え見えか?
 ピーチは激しくキスをした。


 レインはカットオフのジーンズで手を拭い、藍色の生地に涙の筋を残した。ふたたび天井を見あげ、いったいどのくらいの人がこれまでここにひざまずいて泣いたのだろうと考えた。教会とは、うれしいにつけ悲しいにつけ涙を流す場所だ。希望と絶望の場所、最初に相談する場所であり、最後に頼る場所でもある。そんな両極端にボビーはどうやって耐えているのだろう。きっと信仰心と関係があるにちがいない。レインは信仰心というものの自分なりの理解と格闘した。何がそれを駆りたて、何が
それを失わせるのか。そして、人生の基盤にするほど信仰にしがみつくなんて、どうすればできるのだろうと不思議に思った。


「ときどきあたし、小さかったころのことを忘れちゃう。人生かいまとは全然ちがったころのことを。
それはいい日々だってことになってる。楽な時代だってことに。もしそれが事実だったら、この先どんな悲惨な人生が待ってるのかなって思っちゃう」
「きみはだいじょうぶだよ、レイン」
「なんにも知らないくせに」
「それはそうだけど、たださ、目に浮かぶんだ----」
「何が? 何が目に浮かぶわけよ」。レインは問いつめた。
 ノアはじっと下を向いていた。「小ぎれいな家がさ。ヘルズゲートのむこう側に建ちならんでるやつみたいな。ブルックテールの小ぎれいな地区に。ペンキを塗った柵があって。子供がふたり見える。たぶん双子だな----どっちも男の子だけど。きみはケーキなんかを焼くのが得意になってるかもしれない
 顔を上げたとき、ノアは笑みの尻尾をつかまえたような気がしたが、レインはすぐ顔をそむけてしまった。


 ブラックはビュイックからおりた。
「ブラック」とノアは言った。
 ブラックはふり返った。
考えてたんだけどさ、こんなことがあったから。あんたがあれを……親父の件を、自分のせいだと思ってるのは知ってるよ。でもさ、お袋が病気になったとき、最後におれ、お袋に言われたんだ。あんたについていけって。あんたほどいい人は世の中にいないって
 ブラックは外の嵐を見つめた。
人はいったん道を見失ったからって、もう一度見つけられないわけじゃないんだな
 ブラックは手を伸ばしてノアの肩をぎゅっとつかむと、身をひるがえしてパトロールカーのほうへ走っていった。


  『 終わりなき夜に少女は/クリス・ウィタカー/鈴木恵訳/早川書房 』


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ポケミス読者よ信ずるなかれ/ダン・マクドーマン

2024年08月12日 | もう一冊読んでみた
ポケミス読者よ信ずるなかれ 240812

ダン・マクドーマンの『ポケミス読者よ信ずるなかれ』を読みました。

ぼくにとっては、「面白いミステリというより、面白いミステリ読本」でした。
面白い挿話が、てんこ盛りに満載です。

「ぼくはつねに最善を尽くしています。いいセリフがあります。“このような卑しい街を、卑しくない男が歩いていかねばならない”」
「なんです、それは」
レイモンド・チャンドラー。私立探偵は高潔な人間でなければならないと言っているんです。もっとも、本人はそのような人物ではなかったけど。ダシール・ハメットはそのような人物だった。考え方も大きくちがっていた。


 先ほどは押しが強すぎたのではないか、余計なことを話しすぎたのではないかと自問自答している。自分が答えられない質問をするのを控える弁護士とちがって、探偵というのはその職業上の特性と必要性からときには推測したり挑発したりしなければならない。マカニスはときおり思う。自分はどんな獣か潜んでいるかわからない巣穴を俸切れで突つく愚かな子供のようなものではないかと。
 あなたは主人公の今朝の自己憐憫ぶりに少し驚いていて、じつのところ彼の二日酔いは肉体的なものであると同時に精神的なものでもあるのではないかと思っている。弱みにつけこみ、信頼を裏切り、秘密をあばきたて、裸で淫らに身悶えする姿を人前にさらすための行為が晴神的な重荷になっているのではないだろうか。さらに言うなら、計算ずくの不貞を働いたことに対しても心穏やかならぬものがあるかもしれない。この時代、死罪に値するようなことではないにせよ、自責の念に駆られることがあったとしても不思議ではない。


アガサ・クリスティーの『秘密ノート』には、殺人事件のさまざまな法医学的解釈が多様な手口とともに俎上に載せられ、その斬新さと有効性が検討されたあと、いくつかは小説のなかで採用され、いくつかは破棄されている。クリスティーはいっとき薬剤師の助手として働いていたことがある。とすれば、毒殺が彼女のお気にいりの手口のひとつになるのはさほど驚くべきことではない。アメリカではFBIが殺人の手口に関する報告書を定期的に作成していて、そこには残虐行為のカタログではないかと思うくらいのおぞましい犯行例か列挙されている(それ以外は、人間に対する憎悪ゆえに創意工夫に満ちた犯罪の数々。クリスティーか直感的に見抜いていたように、毒薬が女性がよく使う殺害の手口であることは、FBIの統計によっても裏づけられている。逆に、女性を殺害する(加害者はたいてい夫か恋人)方法としては絞殺が一般的であることも、同じ統計によってあきらかになっている。これらふたつの客感的事実の相違が示唆しているのは、家庭内でのジェンダーや権限や暴力に関する荒々しい現実であり。男たちが何世紀にもわたって女たちを愛し、憎み、殺してきたドアの後ろの秘密である。
 探偵小説のなかでもっとも詩的な殺人はドロシイ・セイヤーズによってもたらされたといっていいだろう。
鐘の音だけを使って、ひとを殺す方法を見つけだしたのだ。


  『 ポケミス読者よ信ずるなかれ/ダン・マクドーマン/田村義道訳/ハヤカワ・ミステリ 』

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すべての罪は血を流す/S・A・コスビー

2024年07月22日 | もう一冊読んでみた
すべての罪は血を流す 240722

S・A・コスビーの『すべての罪は血を流す』を読みました。

コスビーの作品は、これまで邦訳されている2冊を読みました。

 『黒き荒野の果て
 (強盗の走り屋稼業から足を洗った男がふたたび犯罪に巻きこまれていく話)

 『頬に哀しみを刻め
 (ゲイのカップルが殺され、その父親ふたりが復讐のために犯人捜しに乗り出して、
  息子の性的指向を受け入れられなかった自分とも向き合っていく。)
 ()内は「役者あとがき」より引用。

二つの作品とも面白かったので、今回も期待して読んだのですが、ぼくには今一でした。
聖書からの引用(なぜか文語訳)、人種差別、そして、アメリカ南部で黒人の保安官としては働く特殊な状況など重たい話の連続でした。

 だが、あんたはどんな秘密を隠していた。ジェフ? SUVのエンジンをかけながらタイタスは思った。
 人には自分の秘密をすべて話す人などいないとダーリーンに言う勇気はなかった。愛し合う者たちでさえ、自分の一部を光の当たらないところの隠しておく。


 FBI捜査官として働いた十二年間で、おぞましいことはたくさん見てきた。人ひとりがほかの人間に邪悪な行為を次々と続ける能力は海のように果てしなく、浜辺の砂の粒のように多様だ。

 「そんなことが頭のなかにあって、どうして平気なんです?」カーラは訊いた。
 「夢を見ないようにしている」と言って、家のなかに入った。


 書類に記入してもらっているとき、彼女が旧姓に戻っていることに気がついた。そのことについては訊ねはしなかったが、タイタスが気づいたことに彼女も気づいた。
 「聞くのもつらいの。パッカー----その名前を聞くたびにボビーを思い出すから。そう……きついわ」キャシーは言った。タイタスにはその深い悲しみが理解できた。子供のころ、ギリシャ神話を読むのが好きで、とりわけトロイア戦争を描いた『イーリアス』に夢中だった。ところが、母親が死んでからは読めなくなった。読み古した本のページに、“ヘレン”ということばが何度も出てくるのに耐えられなかったのだ。
結局、本は薪ストーブで燃やした。旧姓に戻った背景をキャシーから聞かされたとき、胸が締めつけられるほど深い悲しみに襲われた。悲しみはことばにされない愛であり、肉体を持った後悔でもある。


  『 すべての罪は血を流す/S・A・コスビー/加賀山卓朗訳/ハーパーBOOKS 』


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実は、拙者は。/白蔵盈太

2024年07月15日 | もう一冊読んでみた
長屋のお節介焼きは、事件を解決する 240715

白蔵盈太さんの『実は、拙者は。』を読みました。
久しぶりに面白い小説です。堪能しました。


 江戸の町は、決して人に知られてはならぬ裏の顔であふれている。

 棒手振りの八五郎 犬
 市蔵店に住む浪人雲井源次郎 鳴かせの一柳斎
 常廻り同心村上典膳 隠密影同心
 長屋の人気者浜乃 公儀御庭番夕凪の真砂

 八五郎は深川佐賀町の裏店、市蔵店に独りで住んでいる。
 八五郎の隣の部屋に住んでいるのが雲井源次郎である。


 市蔵店に越してきた頃の源次郎は、目が虚ろで生気がなく、まるで死神のようにげっそりと痩せこけていた。最初のうちこそ月代も剃っていて身なりも小ぎれいにしていたが、口がな一日部屋に龍もりきりで世捨て人のように人を避けているうちに、髪も髭もあっという間に伸びてしまった。
 当時の源次郎は、いつも眉間に皺を寄せて決して笑おうとはせず、近所の者にろくに挨拶もしなかった。だが、根っからのお節介焼きで、人は持ちつ持たれつが当たり前だと信じて疑わない深川の連中を相手に、そんなよそよそしい態度が通用するわけがなかった。
 源次郎がどれだけ迷惑そうな顔をしようが、八五郎や近所の連中は、やれ夕餉を作りすぎたからどうぞだとか、あぶく銭が入ったからみんなでパアつと飲みに行くぞとか、戸も叩かずにずかずかと部屋に乗り込んできては、源次郎を勝手に仲間に加えている。
 源次郎は最初の頃、心底迷惑そうな顔をして、
「それがしは道を外れたはぐれ者。長屋の方々にご迷惑をおかけするわけにはまいらぬゆえ、そのようなお気遣いは無用にござる」
 と言ってその余計なお世話を頑なに拒んだものだが、そんな態度は半年も持たなかった。
 人は人に頼るもの、近くに人がいたら誘って一緒に楽しむもの、というのが深川の流儀である。


 実は八五郎は、その「犬」の一人だった。
 犬は普段、町中で普通に暮らしている。そして、犯罪に関する噂や、幕府のご政道批判や打ち毀しの相談といった、世間を騒がせるような不隠な動きを聞きつけたら同心に密告するのだ。

 間者であることが周囲に知られてしまったら役に立だなくなるので、犬と同心との接点は必要最小限に抑えられ、普段はこうして岡っ引きの甚助を介して、長屋から少し離れたところでこっそりと連絡を取り合っている。
「村上様が直々に俺と会うって? 珍しいこともあるもんだな」
 八五郎の「飼い主」は南町奉行所定廻り同心の村上典膳だが、ただの町人にすぎない八五郎が典膳と会って話をすることなどめったにない。
「てめえだけじやねえよ。この界隈の『犬』全員に呼び出しがかかった」
「なんでえそれは。大捕物でもおっぱじめようってのかい、お奉行は」
 八五郎が驚いた顔でそう言うと、甚助は黙ったままこくりと頷いた。


 「皆の者、ご苦労であった。本日こうしておぬしらに集まってもらったのは、南町奉行、大岡越前守様からのお達しを皆に伝えるためである」
 挨拶もそこそこに、やたらと堅苦しい口調で用件を語りはじめたこの侍こそ、八五郎を犬として飼っている定廻り同心、村上典膳である。
 歳の頃は三十半ば、真一文字に伸びた太い眉に、きつく結んだ口とがっしりした顎。月代はきれいに剃られ、きっちりと整えられた髪には一分の乱れもない。
くそ真面目な性格が見た目にそのまま溶み出たかのごとき、堅苦しい男だった。

 定廻り同心の仕事は、犯罪の取り締まりと治安維持である。
 その役目はなにも、人殺しや盗人の捕縛だけとは限らない。市中で起こる様々な揉めごとを、あらゆる方面の顔を立て、ときには多少の悪事にも目をつぶったりしながら、全員に角が立たぬよう丸く収めるのも同心の腕の見せ所である。
 ところが、生真面目で融通が利かぬ典膳は、いつも奉行所のお達しや公儀の触れを馬鹿正直に執行しようとするものだから、管轄する地域の町人たちからは「話の通じねえお方だ」「お奉行様の腰巾着」と評判はあまりよろしくない。


 「最近じゃ蓼井様は、囲っている娘たちを出世の道具にしているらしいの」
 「蓼井様以外にも、色好みだけど悪所に大っぴらに通うのは憚られるような立場の方はいっぱいいる------ご公儀のお偉方であるとか、大藩のお大名とか。蓼井様はそういうお方を自分の隠し屋敷にお招きして、一緒に遊ばせてるのよ」
 やりたい放題じゃねえか、と八五郎は思わず呻いた。
「そうすれば、そういうお偉方の覚えもめでたくなって、ますます蓼井様の出世につながる。いまじゃそのお屋敷は『黒吉原』って呼ばれて、その筋では有名になりつつあるんだって
 黒吉原。なんという醜悪な名前であろうか。
 人目を避けた秘密の廓にあえて「黒」と名付けたところに、悪を悪だと知ったうえで、己であればそれも当然許されると信じて疑わぬ増上慢の響きがある。
 「ちょ……ちょっと待て、浜乃ちゃん。それじゃ浜乃ちゃんは……」
 「でもね、八五郎さん。私ここに連れてこられてからずっと考えてたんだけど、どうせ売られるなら、蓼井様の屋敷でやんごとない方々の慰みものになるほうが、吉原よりずっとましだと思うの。だって、それで運良く見初められたりしたら、どこぞのお大名の妾になれるかもしれないんだし」
 「お、おい。何を言って------」


 八五郎が必死に食い下がっても、典膳は目を逸らして取り合おうとしない。その腰の引けた態度はまさに、上役に媚びへつらう気骨のない小役人そのものだ。
だが、八五郎は典膳の瞳の奥に潜んだ、力強い眼光を見て確信していた。
------大丈夫だ。このお方は間違いなく動いてくれる。情けないふりをしてるのは、ただの表の顔。隠密影同心としての裏の顔は、いますぐにでも蓼井に天誅を下してやろうって、腸が煮えくり返ってるといった表情をしてるぜ……。
 「八五郎とやら、決して望みを捨てるな。捨てる神あれば拾う神ありという言葉もある。拙者は手助けできぬが、天網恢恢疎にして漏らさずじゃ。悪は決して栄えぬ。くれぐれも神仏をよく敬って、信じて待つがよい」
 その言葉は、普通に聞いたら無責任極まりないものだ。
 だが、典膳の裏の顔を知る八五郎にとっては、隠密影同心が間違いなく動いてくれるという確約に近い、とても心強いものとして響いた。


 「公儀御庭番には、いかなる敵の攻撃も力を逃がして静かに止めてしまうという、凄腕の忍びがいるとの噂がある。それでついた名が、『夕凪』」
「それが、この女だというのか」
「ああ。こうして実物を見るまで、拙者も半信半疑だったがな……しかし、あの夕凪の真砂が、まさか女だったとは」
 典膳の言葉に、真砂は挑発的な口調で噛みついた。
 「女だとわかったから何だ? 何なら、いますぐ闘って本当に強いかどうかを試してやってもいいんだぞ」
 そう言って睨みつけてくる真砂に対し、典膳はやれやれとため息をつき、もはや闘う意思はないと示すようにゆっくりと刀を鞘に納めた。かたや、一柳斎のほうはまだ治まらぬ様子である。
 「それがしは納得しておらぬぞ、夕凪の真砂とやら。我々の誇りをかけた真剣勝負、何の義理があっておぬしは止めた」
 鼻息荒く尋ねるその態度はもはや、蓼井氏宗を警護するという本来の目的などどこかに吹き飛んでしまっている。典膳との勝負に白黒つけたいという、剣客としての本能が一柳斎にそう言わしめているのだろうか。
 そんな一柳斎を軽くあしらうように、真砂は平然と答えた。
 「そんな顔で睨むな。こんなくだらぬ闘いで、ご両人のような類まれな剣豪が共倒れになるのはいかにも惜しい。傍から見ていてそう思ったから止めた。それだけのことだ」


  『 実は、拙者は。/白蔵盈太/双葉文庫 』

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代償/悪寒

2024年07月08日 | もう一冊読んでみた
伊岡瞬 240708

続いて読んだのは、次の2冊です。
これらの作品を読むと、つくづくと「ミステリは、やっぱり、ハードボイルドだよね。」と言いたくなります。
昔懐かしい、ハードボイルドが一番。

 『 代償/伊岡瞬/角川文庫 』
 『 悪寒/伊岡瞬/集英社文庫 』



代償」の主人公、圭輔
悪寒」の主人公、賢一

二人の主人公には、イラッとさせられた。
賢一については、大企業ではあるかも知れないが、同族経営の体質。そんな雰囲気の中で内紛に巻き込まれたらろくなことはないだろうと腹を括る。
飛び出す勇気のなさと優柔不断さで明日の展望が切り開けない。
明日は、明日の風が吹くと開き直ろうよ。
米の飯とお天道様はどこへ行ってもついて回る

圭輔は、決断力に欠ける。
達也は、要領よく素早く立ち回る。
達也のようなやつ身の回りにいるんだよな。達也ほど酷くないけど。似たり寄ったりのやつ。
同級生だったり、同じ職場だったり。
他人の評価も高く、えらく出世したりして。
でも、達也のような怪物でもなければ、彼らも彼らなりに努力もし苦労もしていると思いたいね。
よく言うではないか。
天網恢々疎にして漏らさず

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本性/痣

2024年07月01日 | もう一冊読んでみた
伊岡瞬 240701

2024年版 このミステリーがすごい!』 国内編第2位は、京極夏彦さんの「ぬえの碑」でした。
p822大部のミステリです。
ぼくには、いまいちの長いながい読書になってしまいました。
そこで、もっと肩の凝らないものを、と思い見つけたのは、「いつか、虹の向こうへ」でした。
意外におもしろかったのと、今まで読んだことのない作家でしたので、まとめて読んでみようという気持ちになりました。

 『 本性/伊岡瞬/角川文庫 』
 『 痣/伊岡瞬/徳間文庫  』



」では、一匹狼の個性的な刑事、真壁修が。
本性」では、一匹狼の個性的で、自己破壊的な傾向のある安井隆三が活躍します。
二人の刑事には、それぞれそうなるだけの訳があるのですが、それが切ない。
二人の刑事の脇役として仕え支えるのが、刑事の宮下直人。
二人にこき使われ、しごかれながら成長していきます。

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