■三時間の導線(上・下)/アンデシュ・ルースルンド 2021.12.27
アンデシュ・ルースルンドの 『 三時間の導線 』 を読みました。
面白かった。
内容は、「国際社会の難民問題」。
難しい内容の話を、単なる社会批判としてではなくミステリとして大いに楽しめる優れた作品に仕上がっている。
皆、理解していた。現代社会における最も凶悪な犯罪。人間から金を搾り取り、生きるか死ぬかもおかまいなしに閉じこめて運ぶ。彼らがそれだけの存在だから。単なる金づる。ジャガイモと変わらない。もっぱら利益を得るための道具。
政府代表は完全に振りかえり、、真剣な灰色の目を向けた。
「このビジネスで、何千億ドルもの金が動いています----貧しい人々を豊かな国に密入国させて。よりよい生活を夢見る人々を。いわば新手の観光事業だ。 “誰でもチャンスをつかめる地へ行こう” と勧誘しているんですから」
「もっとひどい光景も見てきました。一度、輸送に同行して下さい。休暇が終わったら、二週間後に案内しますよ。飢えや暴力で命を落とす人が、至るところにいます。この国全体が、ひとつの大きな墓地なんです。」
難民の危機に終わりはない。それどころか、ますます悪化の一途をたどるだろう。
ルースルンド&ヘルストレムにとって犯罪とは隠れた問題が垣間見える社会の裂け目なのだ。(巻末解説:若林踏)
社会批判として機能する小説の力を利用する。
犯罪小説は最上のエンターテインメントであると同時に、社会の鏡でもある。
話は、逸れますが、難民問題の難しさは、NHKの特集で放送されたメルケルの特集番組でも取りあげていました。
メルケルは、なぜ求心力を失ったのか。
2015年 “難民受け入れ”で求心力失う
2015年に中東のシリアなどからの難民を受け入れた決断は、その後メルケル首相の求心力を失わせていくことになります。
メルケル首相は当初、「助けを求める人たちを保護するのは当然だ」として、難民の受け入れに寛容な姿勢を示し、100万人を超える難民がドイツに到着しました。
www3.nhk.or.jp/news
潜入捜査員ホフマン・コズロウは、危機に直面する時、自らに強く言い聞かせる。
“おまえか、俺か。
俺は、おまえよりも自分自身のほうが好きだ。だから、自分自身を選ぶ”
“つねに、ひとりきり”
“自分だけを信じろ”
コロンビアでは、グレーンスを信じることにした。そしていま、またしてもその信念が変わった。いまは、彼を信じるほかはない。
エーヴェルト・グレーンスの内面。心の動きが徐々に明かされていく。
「これまでにも、おおぜいの人に愛する者の死を伝えてきた----そして学んだ。事実を知るよりもつらいことがあると。知らないままでいることだ」
「前回、お話したときには、あなたは十二週間続けて月曜日の朝に彼女の窓の外に坐っていた。私は放っておくことにしました。だけど、あれから・・・・・・四年になりますか? なのに、まだここに坐ってらしゃるんですね」
「ときどき立ちあがっていた」
「前回、私が言ったことを覚えてますか? あなたはご自分を傷つけている、悲しみのために時間を作って、悲しみのために生きている。悲しみとともにではなくて。あなたが恐れていることは、すでに起きてしまった」
「覚えている。 一言一句。」
「なんとも思ってらっしゃらないようですね」
「ホフマン、俺はな、一週間に一度、リディンゲ橋を渡って、かつて妻が暮らしていた介護ホームに来る。そして、気が済むまで外に座っている。この場所につながりを感じているからだ----彼女に。おまえはいまの家につながりを感じるか? 俺は昔持っていた唯一のものにしがみつことしている。ところがおまえは、いま持ってるすべてのものから逃げている。どっちが間抜けか、俺にはわからない」
エーヴェルト・グレーンスは、自分が六十四歳で、とっくに全盛期を過ぎたことは無視しようと懸命に務めていた。......だが、犬たちの単調な吠え声を耳にするすちに、新たな地下道に入るたび、ますます背を丸めることがどんなに辛くても、どんなに悪臭がひどくとも、ネズミが周囲のコンクリート管を逃げまわる音がどんなに不気味でも、まず他人の命を、次に死を奪った人物を突き止めるために、ひたすら前へ、前へと進みつづけなければならないことを思い知らされた。
「大丈夫ですか、警部?」
「自分の心配をしろ」
「直接は関係ない。だが、前に進むばかりが捜査ではない。この大量殺人の犯人は、彼らの命を奪っただけではなく、死も奪った。それを取り戻すのも俺の仕事だ」
エーヴェルト・グレーンス警部。
いかつい顔の裏に、温かくて孤独な心を隠した年配の男性。子どもたちでさえ、スウェーデンに帰る前に、勇気を出して空港で会った人物。
スヴェンは死を恐れていて、いつも法医学者のところへ行くのは勘弁してほしいと懇願し、最後の呼吸を終えた人間の身体以外の捜査のためなら喜んで出かけていく。親しい同僚については、そういうことが自然とわかってくる。個性。それを尊重すれば、自分も尊敬と忠誠を受けるだろう。
エーヴェルト・グレーンスはハンモックが大好きだった。昔からずっと。
さようならは、単なる別れの言葉にすぎないこともある。
若林踏は、巻末の解説でこう述べている。
本書を傑作たらしめている三つの要素の二つ目。それは、シリーズ中これまでになかった犯罪者像を描いていることだ。
こうした地下道を動きまわるコツをつかんでいるのは、ほんのひと握りの人間だけだ----いかなる理由であれ、地下で生きることを選んだ人物、地上の社会に背を向け、地下の世界とのつながりを手に入れた人物。
欠点はひとつしか見当たらなかった。金に執着しすぎるのだ。がめついと言えるほど。がめつい人間は愚かになる。彼はがめつさと倹約の境界線を理解していなかった。あるいは、がめついせいで、ときには損をするするということも。たとえ値段が高くても最上のものを買うほうが結果的に賢いということも。
『 三時間の導線(上・下)/アンデシュ・ルースルンド/清水由貴子・喜多代恵理子訳 /ハヤカワ・ミステリ文庫 』
アンデシュ・ルースルンドの 『 三時間の導線 』 を読みました。
面白かった。
内容は、「国際社会の難民問題」。
難しい内容の話を、単なる社会批判としてではなくミステリとして大いに楽しめる優れた作品に仕上がっている。
皆、理解していた。現代社会における最も凶悪な犯罪。人間から金を搾り取り、生きるか死ぬかもおかまいなしに閉じこめて運ぶ。彼らがそれだけの存在だから。単なる金づる。ジャガイモと変わらない。もっぱら利益を得るための道具。
政府代表は完全に振りかえり、、真剣な灰色の目を向けた。
「このビジネスで、何千億ドルもの金が動いています----貧しい人々を豊かな国に密入国させて。よりよい生活を夢見る人々を。いわば新手の観光事業だ。 “誰でもチャンスをつかめる地へ行こう” と勧誘しているんですから」
「もっとひどい光景も見てきました。一度、輸送に同行して下さい。休暇が終わったら、二週間後に案内しますよ。飢えや暴力で命を落とす人が、至るところにいます。この国全体が、ひとつの大きな墓地なんです。」
難民の危機に終わりはない。それどころか、ますます悪化の一途をたどるだろう。
ルースルンド&ヘルストレムにとって犯罪とは隠れた問題が垣間見える社会の裂け目なのだ。(巻末解説:若林踏)
社会批判として機能する小説の力を利用する。
犯罪小説は最上のエンターテインメントであると同時に、社会の鏡でもある。
話は、逸れますが、難民問題の難しさは、NHKの特集で放送されたメルケルの特集番組でも取りあげていました。
メルケルは、なぜ求心力を失ったのか。
2015年 “難民受け入れ”で求心力失う
2015年に中東のシリアなどからの難民を受け入れた決断は、その後メルケル首相の求心力を失わせていくことになります。
メルケル首相は当初、「助けを求める人たちを保護するのは当然だ」として、難民の受け入れに寛容な姿勢を示し、100万人を超える難民がドイツに到着しました。
www3.nhk.or.jp/news
潜入捜査員ホフマン・コズロウは、危機に直面する時、自らに強く言い聞かせる。
“おまえか、俺か。
俺は、おまえよりも自分自身のほうが好きだ。だから、自分自身を選ぶ”
“つねに、ひとりきり”
“自分だけを信じろ”
コロンビアでは、グレーンスを信じることにした。そしていま、またしてもその信念が変わった。いまは、彼を信じるほかはない。
エーヴェルト・グレーンスの内面。心の動きが徐々に明かされていく。
「これまでにも、おおぜいの人に愛する者の死を伝えてきた----そして学んだ。事実を知るよりもつらいことがあると。知らないままでいることだ」
「前回、お話したときには、あなたは十二週間続けて月曜日の朝に彼女の窓の外に坐っていた。私は放っておくことにしました。だけど、あれから・・・・・・四年になりますか? なのに、まだここに坐ってらしゃるんですね」
「ときどき立ちあがっていた」
「前回、私が言ったことを覚えてますか? あなたはご自分を傷つけている、悲しみのために時間を作って、悲しみのために生きている。悲しみとともにではなくて。あなたが恐れていることは、すでに起きてしまった」
「覚えている。 一言一句。」
「なんとも思ってらっしゃらないようですね」
「ホフマン、俺はな、一週間に一度、リディンゲ橋を渡って、かつて妻が暮らしていた介護ホームに来る。そして、気が済むまで外に座っている。この場所につながりを感じているからだ----彼女に。おまえはいまの家につながりを感じるか? 俺は昔持っていた唯一のものにしがみつことしている。ところがおまえは、いま持ってるすべてのものから逃げている。どっちが間抜けか、俺にはわからない」
エーヴェルト・グレーンスは、自分が六十四歳で、とっくに全盛期を過ぎたことは無視しようと懸命に務めていた。......だが、犬たちの単調な吠え声を耳にするすちに、新たな地下道に入るたび、ますます背を丸めることがどんなに辛くても、どんなに悪臭がひどくとも、ネズミが周囲のコンクリート管を逃げまわる音がどんなに不気味でも、まず他人の命を、次に死を奪った人物を突き止めるために、ひたすら前へ、前へと進みつづけなければならないことを思い知らされた。
「大丈夫ですか、警部?」
「自分の心配をしろ」
「直接は関係ない。だが、前に進むばかりが捜査ではない。この大量殺人の犯人は、彼らの命を奪っただけではなく、死も奪った。それを取り戻すのも俺の仕事だ」
エーヴェルト・グレーンス警部。
いかつい顔の裏に、温かくて孤独な心を隠した年配の男性。子どもたちでさえ、スウェーデンに帰る前に、勇気を出して空港で会った人物。
スヴェンは死を恐れていて、いつも法医学者のところへ行くのは勘弁してほしいと懇願し、最後の呼吸を終えた人間の身体以外の捜査のためなら喜んで出かけていく。親しい同僚については、そういうことが自然とわかってくる。個性。それを尊重すれば、自分も尊敬と忠誠を受けるだろう。
エーヴェルト・グレーンスはハンモックが大好きだった。昔からずっと。
さようならは、単なる別れの言葉にすぎないこともある。
若林踏は、巻末の解説でこう述べている。
本書を傑作たらしめている三つの要素の二つ目。それは、シリーズ中これまでになかった犯罪者像を描いていることだ。
こうした地下道を動きまわるコツをつかんでいるのは、ほんのひと握りの人間だけだ----いかなる理由であれ、地下で生きることを選んだ人物、地上の社会に背を向け、地下の世界とのつながりを手に入れた人物。
欠点はひとつしか見当たらなかった。金に執着しすぎるのだ。がめついと言えるほど。がめつい人間は愚かになる。彼はがめつさと倹約の境界線を理解していなかった。あるいは、がめついせいで、ときには損をするするということも。たとえ値段が高くても最上のものを買うほうが結果的に賢いということも。
『 三時間の導線(上・下)/アンデシュ・ルースルンド/清水由貴子・喜多代恵理子訳 /ハヤカワ・ミステリ文庫 』
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