Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

銀座のカレー店主ノエルさん 「インド人から見た日本」

2016-12-30 | 水圏環境教育


ノエルさんにお会いした。岩手文化大使の集いにて。ノエルさんは銀様の有名なカレー屋の店主である。具材はほぼ100パーセント岩手産を使っている。岩手の具材は本物だよ。私の父親はインド人だ。昭和8年にインドから京都大学に留学した。その当時のインドはまだインドではなかった。父は何とか連動独立させようと考えていた。その時に自分の息子を出したいと願った。そこで選んだのが日本である。なぜ日本なのか。当時は欧米列強に唯一勝った国が日本だった。203高地では乃木希典将軍がロシアを倒した。バルチック艦隊に東郷平八郎が勝利した。欧米に勝ったのは唯一日本だけだったのである。そこで留学先として選んだのが日本であった。父親は京都大学を終えた後に満州の建国大学の教授となった。東大と同じで帝国大学だ。自分は新京で生まれた。終戦の日に満州は日本でなくなるとのことで日本へ急いで戻った。ホントは新京で新生活をしたかった。その父も願っていた。そしていつかはインドの独立のために戦おうと機会を見計らっていた。そして自分の息子私の兄そして私を日本の農業水産業を学ばせ本国インドへ戻りたかった。兄は東京水産大学卒業し、国連大学の教授として、私は父親の後を継いで店主となった。政治情勢が変化しとうとう戻ることができなかった。
父親の故郷は、カタール州という南のほうの海のそばである。なのでよく帰っていた。将来はカタールに戻って自分の子供を活躍させたかったと。東京裁判を唯一批判したのはインドのパール先生である。パール先生に教えたのが父だ。確かに日本には罪があったかもしれないが、裁判のやり方は本当におかしかった。日本の軍隊は海軍があってそこに参謀本部その上に統合本部があった。その仕組みが良くなかったのである。今でも日本はアジアの誇りだと思っている。