
またひとりまともな人が逝ってしまった。朝ジャとか愛読していた私としては筑紫さんのぶれのないジャーナリズムが大好きでした。田原総一郎が彼を座標軸と読んでいましたが、プチな右傾化する日本にとってとても重要な座標軸を失った感じです。宮崎哲弥とかが批判するその中庸的なアプローチは誤解もいいとこで、そこが言ったもの勝ちの無責任評論家との大きな違いだと思う。ちっと話しはそれるかもしれないがPaul Wellerがメロディアスな曲にストレートな政治的な詞を載せるアプローチに似ていると思う。いづれにしろアベチャン、アソーに代表されるアホな日教組コンプレックスなおじいちゃん子を一国の長に置き続ける国にとっては大きな痛手です。
そんな格好にちょっと憧れてたね。
えせ左翼少年にはその象徴のような人でした。