Hello、皆さんーーコロナウイルス蔓延のクラスター都市の真ん中である水道橋で、
明日、㈱ワンダーアイズ主催の FACT 講演が行われる模様です。
僕もこれに関しては「どうせ自粛で中止だろう」と思っていたんですよ。
ただ、やっぱりなんか気になってね、
今朝方、会場貸与者である会議室「内海」さんに電話入れたのよ。
2020-09:08 のことーー社長である内海さんが直接出られてね、
講演者サイドのほうから自粛等の連絡は今だきてないって確かにおっしゃられた。
えっ!? と意表突かれて、つい黙っちゃったな。
どう考えても自粛だとばかり思いこんでいたからね。
で、僕、さっそくワンダーアイズの社長である大塚さんの携帯にこうメール入れたのよーー
2020 04/06 09:08 大塚浩一
お久しぶりです。リチャードコシミズ査問委員会のマイケルです。
高野 VS リチャードコシミズ裁判の決着も迫ってまいりました昨今、大塚さまはいかがお過ごしでしょうか。
さて、巷ではコロナウイルスが蔓延し、特に都におきましては、連日の自粛要請が繰り返し出されております。
むりに開催したK―1において、観客中に感染者が出てしまう危険があるじゃないか、と世論の非難が集中したことは、同様なイベントの主催者として、大塚さまの記憶にも強く刻まれていることかと存じます。
今後、こうした主催者サイドの姿勢や思想といった要素は、より一層厳しく世論の審判を受けることになっていくことは自明です。
そこで大塚さまに質問です。
御社の「FACT2020/4月」(4/7)は、予定通り開催されるのでしょうか?
たったいま会議室内海の内海さまとTELでお話しましたが、ワンダーサイドからの自粛面における連絡は入ってきていないと聞きました。
だとすると、延期だとか中止とかの、自粛行動に近似する選択肢は、大塚さまの御判断のなかにはないのでしょうか。
無論のこと、自粛というのはあくまで要請ですので、むりに守らなければいけないというものではありません。
しかし、日本中がこれだけクラスター対策に明け暮れ、世情も騒然としているなかで、あくまでこの種のクラスターの発信源となりかねないイベントを強硬するという姿勢は、主催者としていかがなものでしょうか。
大塚さまのお考えをお聞かせください。
さらには youtube からも顰蹙認定を受けつつあるリチャードコシミズというキャストを、いまだ使い続けている御社の言い分も御教授頂ければ幸甚です。
2020年4月6日 リチャードコシミズ査問委員会 マイケル
冗談抜きに、僕は、明日のこの講演を敢行するかどうかでリチャードコシミズを含む、㈱ワンダーアイズさんの企業姿勢自体が、世論において決定されるだろうって思ってる。
無理矢理興業を敢行した「K-1」が、格闘技界の威信まで結局傷つける羽目になっちゃったことは、もう日本人なら誰しも周知の事実です。
天下の大相撲が観客なしの場所開きをし、プロ野球もJリーグも開幕日を伸ばし、さらにはあのオリンピックでさえ延期の道を選んだというのに……。
興業をする側の苦悶も、僕は分かるつもりです。
背に腹は変えられない、資金繰りの苦しみや興業を手伝ってくれた多くの人に対する義理立てやそれらも色々とあるでしょう。
しかし、いまのこの時期に、この種の講演を敢行するのは得策でしょうか?
TVでは今朝より国家による非常事態宣言がいよいよ出されることになった、という報道を繰り返し放映しつづけています。
この水道橋講演を行ったら、世間の目は、貴社を「真相を追及する会社」としてではなく「興業による利潤を追求するだけの会社」だと見做すようになると僕は思う。
万が一、コロナの陽性者なんかが出たら、その瞬間、会社自体が翔ぶことになるのは自明でしょう。
まして、いまのこのクラスター拡散状態の都内においては、その可能性を絶対にゼロにはできない。
僕の住む横浜もクラスター爆発が凄まじいーー報道はまだされていないものの、コロナ陽性者の発見情報があちこちの病院や施設から聴こえてきます。
非常にシンプルな考えですが、東京をローマやNYのようなクラスター都市にしてはいけない、と僕は思います。
そのような杞憂から、今回のような記事をあえてしたためさせていただきました。
いま現在ーー16:55。大塚さんからの返信はありません。
明日、水道橋でリチャードコシミズとベンジャミンフルフォード氏の出演する FACT 講演が開かれるのかどうか、僕は知らない。
僕の今日の記事は以上ですーーお休みなさい。
ーー光る眼、煙る眼、沈む眼、弾く眼、笑う眼、餓鬼の眼、阿修羅の眼…、眼にもいろいろある。
リチャードさんを初めて見たとき、あっ、このひと逃げる眼をしているな、と思った。
その後独立党に入っていくらか親しくなると、ああ、あれは錯覚で、いろんな意味での彼の警戒心がそう見せていたんだな、と思いなおした。
でも、最近になってまた思う。ああ、これは、初対面のあのときの眼、視線の交わりからするりと逃げた眼だ、と。(了)