現在、日本の宗教は単なる「不安ビジネス」に成り下がっています。
私の近所の家でも、身内の不幸があってから、御岳教というものにはまって、実家の増築をする際に1000万円あればできるのに、3000万円もかけて増築をしたり、「四足のものは家の中でかってはいけない」と教祖から言われ、それまで室内で飼育していた小型犬を真夏に自宅の車庫で飼い始め、殺したりと傍から見れば狂った行動をされています。
こういった、「病気になるのは先祖供養がたりないからだ」など、不安ビジネスにはまらないように、少しでもカルト宗教について知り、ひっかかって、大金をぼったくられないよう、意味のあるお金の使い方ができるような、幸せな人生を送りたいものですね。
フヨウサキナと天理教1)化粧品ビジネス奥村久雄と宗教
では、フヨウサキナで調べてきて出てきた、巨大カルト宗教団体の「天理教」について見ていきましょう。
・・・・・・・(天理教wiki)
(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した新宗教の一つ。中山みきを教祖[注 2]とする宗教団体である。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)およびその傘下の被包括宗教法人(教会本部及び一般教会)を指すが、広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合があり、信仰する単立の宗教法人もある。本稿では、狭義の天理教を中心に述べる。
・・・・・・・(転載ここまで)
ここで、家紋が梅鉢と出てきました・
・・・・・・(天理教家紋)
天理教の紋(中山家の家紋、梅鉢を象ったもの)
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教会本部。正面が南礼拝場、右手が東礼拝場、左手が西礼拝場
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設立年 | 1838年 |
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設立者 | 中山みき |
種類 | 宗教法人 |
法人番号 | 6150005003176 |
本部 | 日本 奈良県天理市三島町1-1[1][注 1] |
公用語 | 日本語 |
ウェブサイト | TENRIKYO |
・・・・・・・(転載ここまで)
「梅鉢の家紋」出調べてみると、菅原道真が代表で出てきます。
・・・・・・・(こんなにあるよ!梅の紋章(家紋))
古来から清雅な姿と香りで、日本人に愛された「梅」。
天平時代に既に使われていた「梅紋」は非常に種類が多く、
写実的に梅の花を表現した『梅花紋』
より幾何学的に図案化した『梅鉢紋』に大別され、
現在でも100種以上の紋がある。
「梅」と言えば「天神様」と、関わりが深い。
天神様には、ご存じのように菅原道真(すがわらみちざね)が祀られている。
この道真が「こよなく梅を愛した」のが、その縁起のようだ。
- 福岡・太宰府天満宮「梅花」
- 東京・湯島天神「梅鉢」
- 京都・北野天満宮「星梅鉢」
菅原道真が梅紋を使用したという記録は残っていないが、
梅の名所として有名な、各地の天神様の「社紋」には、
現在も梅に関係した紋が使われている。
今も昔も、天神様の信仰者は多い。
多くの家が「梅紋」を用いたため、
菅原道真の子孫を称した加賀の前田家では、
特に区別をした「加賀梅鉢」を用いた。
梅紋は、天神信仰の広まっている近畿、
北九州地方に多く分布している。
・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
梅鉢紋の歴史について見てみましょう。
・・・・・・・(梅紋は菅原道真の象徴である。)
平安時代、右大臣にまで上り詰めた道真は、藤原時平の讒言のせいで大宰府に左遷され、そこで亡くなった。
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
かの地で詠んだ有名なこの歌の力で、梅が京都から飛んできたという。
しかし、道真の死後、都では落雷や相次ぐ不幸が重なり、それが道真の怨霊による祟りということになった。
そこで、道真は北野天満宮に「天神様」として奉られ、商売繁盛の神様、学問の神様として現在まで篤い信仰の対象となっている。
したがって、梅紋あるいは、梅鉢紋は、天神信仰と関係があるか、菅原氏の流れを汲む氏族が後に家紋として採用した。
有名なのは加賀の前田の梅鉢紋。元々は利仁流藤原氏の一族とされていたが、後に菅原氏の子孫と自称。
天神信仰が盛んだった加賀地方を治めるために、梅鉢紋を利用したとの見方もある。
優雅なデザインの底に怨霊の魂が眠っている奥深い紋である。
全国では7位。多い地域では、山口県と鹿児島県が3位。広島県、佐賀県、熊本県が4位。
逆に、江戸時代に前田氏が統治した石川県、富山県では少ない。庶民が藩主の紋をはばかったためとのこと。
芸術家が多いのが目立つ。武将としてもどちらかと言えば文化の香りが高い人々が名を連ねている。これは菅原道真とのつながりを意識した振る舞いがあるのか??
梅紋・梅鉢紋の有名人は以下。
前田利家 。1539年1月15日 - 1599年4月27日、 武将、大名。
尾張国海東郡荒子村の荒子城主前田利昌の四男として生まれる。小姓として織田信長に仕え「槍の又左」の異名をもって怖れられた。信長の死後、秀吉に臣従。豊臣政権の五大老の一人となる。家紋は梅鉢。画像は、文京区吉祥寺の前田家の墓所にて撮影。
中山みき 。1798年6月2日 - 1887年2月18日、 宗教家。
大和国山辺郡三昧田村の前川半七の家に生まれる。中山善兵衞に嫁ぐ。親神・天理王命が乗移り天理教を開く。天理教教会本部では、「教祖」と書いて「おやさま」と呼称させている。家紋の丸に梅鉢はアレンジされ、現在の天理教のマークとなっている。
前田多門 。1884年5月11日 - 1962年6月4日、 政治家、実業家。
大阪府出身。読みは、まえだたもん。次女の前夫は井深大。東久邇宮内閣の文相に就任、教育改革を推進した。東京通信工業(後のソニー)社長に就任。また日本育英会会長、日本ユネスコ国内委員会会長等を歴任。家紋は梅鉢紋。画像は多磨霊園にて撮影。
池田勇人 。1899年12月3日 - 1965年8月13日、 政治家。
広島県吉名村に造り酒屋を営む池田吾一郎の子として出生。内閣総理大臣時に所得倍増計画を打ち出して、日本の高度経済成長の進展に大きな役割を果たした。「私はウソは申しません」などの発言を残している。画像は青山霊園の墓所にて撮影。
石川さゆり 。1958年1月30日 -、 演歌歌手。
熊本県飽託郡飽田村出身。本名は、石川絹代。1977年に「津軽海峡・冬景色」が大ヒットとなる。代表ヒット作は、「波止場しぐれ」「天城越え」「夫婦善哉」等。家紋の梅鉢紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。
菅直人 。1946年10月10日 - 、 政治家。
山口県宇部市に出生(本籍地は岡山県御津郡)。菅原道真の子孫の一派、美作菅家党の流れを汲む。厚生大臣、新党さきがけ副代表、民主党代表、副総理、財務大臣を経て、第94代内閣総理大臣に就任。2011年3月11日の東日本大震災の対応にあたった。
........(転載ここまで)
こちらのサイトには家紋関係が充実していますので、一読の価値があります。
梅鉢の家紋は、天神信仰、つまり菅原道真が関わっており、そしてそれが加賀前田家と関わりがありますね。
加賀前田家を調べると、天理教と遠田家というのが関わりがあることがわかりました。
・・・・・・・・・・(遠田家掲示板)
初めまして。 投稿者:遠田香織 投稿日:2007/08/12(Sun) 12:51 No.99
こんにちは。初めまして。とおだかおり、千葉県在住です。
実家には古い家系図があり、加賀の前田家の家臣であったことがわかっています。ちなみに、実家は今東京渋谷にある天理教の教会です。過去ログで奈良県天理市に遠田町があることを知り、何か関係があるのかな、と思っています。
今、定年した父が、遠田家のルーツを探すべく金沢へ行ったりしています。途中でうやむやになった家系図を完成させたいようなことを行っていました。金沢の図書館で当時の生活の詳細を綴った「遠田日記」なるものを見つけ、コピーをとってきました。古文書解読入門の本を買ってきて何が書いてあるのか調べるつもりのようです。
父はもともと歴史とか大好きなんですが、私はあまり自分のルーツとか、考えたことありませんでした。でも、全国の遠田さんが盛り上がっていて楽しそうなので思わず投稿しました。よろしくおねがいしまーす。
とおだかおりさん、どもども 投稿者:遠田幹雄@管理人は石川県 投稿日:2007/08/12(Sun) 14:39
<Home> No.100
とおだかおりさん、どもども
加賀藩前田家家臣に縁があるとのこと。
石川県の遠田姓はなにがしか加賀前田家家臣に縁があるとのうわさもあります。
私(遠田幹雄/とおだみきお)の実家はあいにく家系図などはありませんが、なにがしかの縁があったかもしれぬとも…このあたりはナゾです。(^^;
ひょっとしたら、ご縁があったかもしれませんね。
また情報がありましたらよろしくおねがいします。
・・・・・・(転載ここまで)
加賀前田家と奈良県遠田町、関係がありそうですね!
・・・・・・(遠田家掲示板)
金沢遠田家略歴 投稿者:遠田 弘 投稿日:2009/01/15(Thu) 19:18 No.162
始めて投稿します。
現在新発田市に在住していますが本籍は東京千代田区です。
2007.7月に娘の香織が投稿した様ですので少し長いけれど私の家系を書いて見ます。
先祖は遠田勘右衛門重次、丸に二引が家紋です。
現在明治元年に遠田誠摩自哲(当時25才)千三百五十石の記した家系図があります。少し詳しく記します。
初代遠田勘右衛門重次73才
二代遠田又右衛門38才
三代遠田勘右衛門重員85才350石 前田吉德候御抱傳役、85才
四代遠田勘右衛門自省81才
原文五年500石加増1050石となり人持組御近習組を勤める。
五代遠田三郎大夫自而65才、1050石御算用場奉行他各奉行職歴任。
六代遠田誠摩自久78才寺社奉行他歴任寛政五年1350石拝領
七代遠田誠摩自延60才各奉行歴任、
八代遠田誠摩自哲25才1350石相続本多播磨守組に指加。
九代遠田 寛76才 維新後三菱入社後第74銀行台湾摠支店長で退官、天理教に入信 本道分教会を拝命、
遠田 亮、
遠田 実、
遠田道一
と続き現在に至る。
ちなみに本年11月教会設立100周年を迎えます。
家系についてもっと詳しく知りたいと思いますので、差し支え無ければご連絡ください。
Re: 金沢遠田家略歴 投稿者:遠田 修 投稿日:2010/08/06(Fri) 17:06 No.273
私は遠田澄庵の子孫の一人です。
平成6年に"遠田澄庵とその子孫"と題して私本を作成し、
国会図書館、千葉県佐倉の図書館などに納本しました。
現在残りの本はありません。FD版はあります。
以上お知らせまで。
・・・・・・・・(転載ここまで)
こうやって見ると、明治元年に遠田誠摩自哲(当時25才)が記した家計図では、
三代遠田勘右衛門重員85才350石 前田吉德候御抱傳役、85才が、前田家の家臣として仕えており、
「九代 遠田 寛76才 明治維新の後、三菱に入社後、第74銀行台湾摠支店長で退官、天理教に入信 本道分教会を拝命」し「2009年に遠田道一さんが天理教本道教会100周年を迎える」とあるように、前田家と遠田家、そして天理教と関わりがあることがわかります。
北海道函館市の歴史のサイトで、天理教の布教活動について記述があります。
・・・・・・・(天理教にみる「自宗教」としての「新宗教」 P768-P773)
この「新宗教」の中で、本道のみならず函館の信仰世界にも、多大な影響を与えたのは、前の『北海道ニ於ケル宗教』の中でも、「其勢力ノ大ナルハ天理教ニシテ教会百七十ヲ有ス、之ニ亜クヲ神道ノ二十七、金光教ノ十八」と、教勢的にみても、天理教と金光教の布教伝道であった。よって、この2つの新宗教に少しく焦点を当てて、眺めてみることにしよう。
まず天理教について。これは本来的には、教祖の中山みき(寛政10-明治20年)が幕末社会崩壊期の社会的矛盾を鋭く反映して、理想世界の実現を求め、天保9(1838)年に創唱した民衆的な「新宗教」である。
その意味で、当初は「自宗教」とは言っても体制的では決してなかった。
既述した如く、明治26年、都市型布教を画して函館に進出してきた時にはもうすでに、既成の神社・仏教寺院と同じく「自宗教」であり「体制宗教」であったが、そこに至るには、天理教独自の教義的変遷があったのである。その教義的変遷とは、こうである。
教祖みきは、慶応3(1867)年、親神「てんりんおう」を祭る「天輪王明神」として吉田家の公認を得て布教を合法化し、最初の教典「みかぐらうた」を作成した。
維新後に至って、さらに教典「おふでさき」を作って自らの教義を展開したものの、当時の神道国教化政策により禁圧を余儀なくされた。
が、教祖みきは、それに抗すべく、人間が幸福な生涯を送ることこそ、神意であるとする人間本位の創造神話たる「こふき」を体系化した。
天理教の教義的特質は、親神である天理王命を一神教的な創造主・救済者とし、人間世界の創造の聖地を中山家の地(ぢば)であると説く点にあり、被救済者たる人間は、その神への奉仕(ひのきしん)に励めば幸福になるという。
このように、明治政府の神道国教政策とは相反する一神教的な教義を展開する天理教であったが、明治10年代後半からは、国家神道に従属して活動を合法化し、独自の「こふき」神話を隠ぺいする形で、国家神道に服すようになり、明治41年、教派神道の一派として独立を公認されるに至った。つまり、天理教も、国家神道に従属する教義として「明治教典」を作って、公認の道をとったのである(前掲『新宗教』)。
前掲の大正5年における『北海道ニ於ケル宗教』が、「天理教」の項で、教典と祭神について、次のように伝えている。
教典ハ敬神・尊皇・愛国・明倫・修徳・祓除・立教・神恩・神楽・安心ノ十章ヨリ成ル、祭神ハ国常立尊・国狭槌尊・豊斟淳尊・大苫辺尊・面足尊・惟根尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊・大日霊尊・月夜見尊ノ十神ナリ。信徒ハ日ノ寄進ヲ以テ罪障消滅・福徳増進ノ功力トス
・・・・・・・(転載ここまで)
天輪王命とありますが、これは「天理王命(テンリオウノミコト)」だそうで、これが親神様と呼び、それ以外の神様は「十柱の神名」と呼ばれ、天理王命を守る、守護神だそうです。
・・・・・(図説こちらから転載)
「十柱の神名」は
①中北 イザナミノミコト
②中南 イザナギノミコト
③北 クニノトコタチノミコト
④北東 タイショクテンノミコト
⑤東 クモヨミノミコト
⑥南東 クニサヅチノミコト
⑦南 ヲモタリノミコト
⑧南西 カシコネノミコト
⑨西 オフトノベノミコト
⑩北西 ツクヨミノミコト
「北」の方角に「くにのとこたちのみこと」がありますね!
国常立命が天理王命を守っているのだそうです。
国常立命=バアル=ルシファーです。(くわしくはこちら)
しかし「吉田家から公認を得て、布教を開始」とありますが、この吉田家とは何でしょうか?
これが、「吉田神道」であり、麻生太郎の祖父母である吉田茂(竹内茂)の家系です。
・・・・・(吉田茂wiki生い立ち)
1878年(明治11年)9月22日、高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士で板垣退助の腹心だった竹内綱の五男として東京神田駿河台(のち東京都千代田区)[注 1]に生まれる[2]。父親が反政府陰謀に加わった科で長崎で逮捕されてからまもないことであった[1]。実母の身元はいまでもはっきりしない[1]。母親は芸者だったらしいが大室弥兵衛とハナの間の娘とする説がある。竹内の投獄後に東京へ出て竹内の親友、吉田健三の庇護のもとで茂を生んだ[1]。
吉田の実父と義父は若い武士として1868年(慶応4、明治元年)の明治維新をはさむ激動の数十年間に名を成した者たちであった[3]。その養母は徳川期儒学の誇り高い所産であった[3]。
小学時代の吉田茂
1881年(明治14年)8月に、旧福井藩士で横浜の貿易商(元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長)・吉田健三の養子となる[2]。ジョン・ダワーによると、「竹内もその家族もこの余計者の五男と親しい接触を保っていたようにはみえない」という[4]。養父・健三が40歳の若さで死去し、11歳の茂は莫大な遺産を相続した[2]。吉田はのちにふざけて「吉田財閥」などといっている[5]。
・・・・・・・(転載ここまで)
竹内綱は源綱でした。くわしくはこちらを。
・・・・・・・(竹内綱)
竹内 綱 | |
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生誕 | 1840年1月30日 土佐国 宿毛 |
死没 | 1922年1月9日(81歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 実業家 政治家 |
政党 | 自由党 |
運動・動向 | 自由民権運動 |
配偶者 | 竹内瀧子 |
子供 | 竹内明太郎(長男・政治家) 吉田茂(五男・政治家) |
親戚 | 吉田健一(孫・英文学者) 麻生太郎(曾孫・政治家) 竹内啓一(曾孫・地理学者) 竹内明(玄孫・ジャーナリスト) |
竹内 綱(たけうち(たけのうち) つな、天保10年12月26日(1840年1月30日) - 大正11年(1922年)1月9日)は、日本の武士(土佐藩士)、実業家、政治家。内閣総理大臣を務めた吉田茂は五男、麻生太郎は外曾孫。
・・・・・・・・(転載ここまで)
竹内綱は「竹内文書」の竹内家出身です。
・・・・・・・(吉田茂に関わる閨閥 2010年01月10日 11時29分28秒 | 古代史)
私が日本史を研究してきた中で一番嫌いな人を言いましょう。牧野伸顕です。もちろん書物から得られた知識からだから本当はどうだったのか・・・という気はするが、少なくとも この家系は大久保利道から吉田茂、そして麻生氏にもつながる日本で一番英国ワンワールドに近い閨閥なのである。その中心に牧野がいるから嫌いなだけで、他に理由はありません。
ところで今朝、姫から吉田茂の実家が竹内文書の竹内家から養子に入ったという事を聞き、そちらを調べる事にした。確かに吉田茂は竹内鉱業社長、竹内綱の息子で、旧福井藩士で貿易商の吉田健三へ養子に出している。この竹内家の話は結構面白い。
ここを読むと、茂の兄弟は遊泉寺銅山(石川県)、茨城無煙炭鉱(茨城県)、橋立金山(新潟県)、大夕張炭鉱(北海道)など各地の鉱山を経営し、唐津鉄工所と小松鉄工所(後の小松製作所、現在の(株)コマツ)を創業したのだという。思ったよりはるかにすごい新興財閥ではないか。・・・・茂の兄弟は五男、五女もいて、父、綱が高知の大獄事件に連座し、刑務所に入れられていたため資産家吉田家へ養子になったとなっているが、本当のところはよく分からない。しかし、牧野の娘を貰ってから実家の竹内家は鉱山を中心に大いに繁栄して行く。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
加賀前田家⇒遠田家(天理教 大道教会教主)
↓
中山みき⇒吉田神道からおすみつき⇒吉田茂⇒麻生太郎(現財務大臣)
となります。
天理教は天輪王命を「十柱の神名」が守護しています。
アマテラスオオミカミが出てきていませんが、神話を読むと天理教の「十柱の神名」に出てきます。
・・・・・・(天照大神)
天照大神はイザナギの神から生まれました。この話はイザナギの神の所にも出ましたが、イザナギ神が亡き妻イザナミ神を慕って黄泉の国に行くも、結局逃げ帰り、その時戻ってから川でみそぎをするのですが、その時に左目を洗ったときに天照大神、右目を洗った時に月読尊(つくよみのみこと)、鼻を洗った時に須左之男命(すさのおのみこと)が生まれたとされます。この三柱の神を三貴子といいます。
そしてイザナギ神の指示で天照大神は高天原を治め、月読尊は夜の世界を治め、須左之男命は海を治めることになります。しかし須左之男命は泣いてばかりいて全く仕事をせず、イザナギ神に自分はイザナミ神のいる根の国に行きたいといいます。イザナギ神が呆れて須左之男命を海から追放すると、須左之男命は姉に別れを告げてから根の国に行くと行って高天原におもむきます。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
天照大神はイザナギの神から生またので、「十柱の神名」に名を連ねています。
つまりは、天理教もまともな神様を拝んでいないことがわかりますね。
続いて、天理教に入信すると金ばかりむしりとられるというお話です。
・・・・・(天理教の彼と結婚するということ 教えてgoo)
元天理教徒です。子どもの頃、よく天理に行かされていました。父の実家が教会だったので。
うちは普通の一般信者ですから、月一度の神様への踊り(ハッピを着て、結構長時間踊ります。雅楽の楽器のようなもので音を出すのでかなりうるさいです。自宅へ教会長さんが来て、家族全員で踊ります。
子どもはもう生まれついてからの信者ですね。母も父の実家のことはあまり知らず嫁に来たので、最初は驚いたそうです。毎月教会へのお供え(お金。これがかなりの出費です。病気になったりするとものすごい金額になります)、教会の信徒の集まりに行って、みんなで踊り。(この時はキモノを着ます。天理教のキモノで、天理のマークが家紋みたいについたキモノを買わされます)そのあとお話(仏教の法話みたいの?)して、みんなでこさえた食事を食べます。
年一度は天理へ行きます。行けない人は近くの大教会へ行きます。大教会の下に教会がありまして、彼氏さんの家がもし大教会なら跡取りは天理教の娘と決められていて、まず家から息子を出したりしません。
出すなら大教会の息子はたいてい天理大学へ進学するはずです。
彼氏さんは大教会でなく教会の息子さんなのかな?と思いました。
家族でだれか病気になると、本部(天理)に送るお金が必要になります。
天理教は勧誘はあまりしませんが、入ってしまうとお金を出せ出せ言われます。
もしがんなどにかかれば、百万単位のお供えを要求されます。それから、天理に3か月行って天理教のすべてを学び、天理本部の仕事(掃除とか)をする修養科というのに行かされます。
うちは家族にがん患者が出て、大教会のほうから、私を天理に修養科と、3百万のお供えを要求されました。それで父が怒り、(お金はがんの治療に使いたかったから)天理教を辞めました。
大教会からは来世まで悪いことが起こるとかさんざんおどされましたが、父の意志は固く、天理の道具、キモノ、家に置く神様などすべてを大教会に返しました。けっこう拍子抜けするほど簡単に辞められました。
お金も取られませんでした。
今はなにもなく楽です。ほかの宗教が勧誘に来たとき、天理のお経をとなえれば逃げますし。
教会のご長男さんなので、ご両親の考え方しだいですね。最近は信者も減って、天理本部も必死でしょうから、ご両親は教会を継がせ、お嫁さんは信徒にしようと考えているかもしれませんね。
母も、信徒になって、なにやら信徒の勉強があり、天理に何回も行って、ハンコを押してもらって、全部にハンコがたまると信徒のしるしみたいのをもらってきました。
私も高校生のとき天理青年部に入っていて(本人の知らないうちに)3回天理に行き、そのころは天理大学に行きたいとか、天理教の人と結婚したいとか、洗脳されまくりでした。
何回も天理の教本を読んでいましたし、今の私の人格に天理教はまだ入り込んだままです。怖い宗教ではありませんが、とにかくお金を要求されるのでそこがきついですね。だいたい月のお供えが給料の10%くらいですよ。
病気になれば天井知らずです。
彼氏さんの考え方しだいですが、ひと騒動ありそうですね。質問者様のご両親には早めに言っておいたほうがいいかもしれません。
うまく書けませんでしたが、天理教の信者の生活、少しおわかりになりましたでしょうか。
・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
病気になったら、がんになったら300万寄付しろとは、、まさにぼったくりですね。
がん治療で死ぬ前に金をむしりとろうという魂胆でしょうか?
そして集金しすてむもヤクザ以上にアコギなやり方をしています。
・・・・・・・(信者の自主性を偽装した集金方法を今も採用している搾取の天理教)
天理教を知っている人からも、まったく天理教を知らない人からも「天理教の金の動き」について問い合わせがある。その度に説明するのは骨が折れるので、図を書いてみた。
天理教の収入の多くを占める「お供え金」について。
天理教は「天理教教会本部」を頂点としたピラミッドになっている。
本部ー大教会ー分教会ー布教所 という流れである。大教会は約160箇所、分教会は約1万6千箇所となる。
教会、大教会、本部それぞれの段階でオリジナルな信者を抱えている。各教会や教会本部の神殿(参拝場)には賽銭箱が供えられており、神社と同様にお賽銭を入れる。しかしこれらは一人あたり数円から数百円が多く、収入としては大きくはないと聞いたことがある。実際に教会の賽銭箱を覗いてみればわかる。
天理教の集金で最も大きな比重を占めるものは毎月の月次祭(つきなみさい)で集められる「お供え金」である。各教会には必ず決められた日に月次祭がある。信者はその日(もしくは前後)に教会にのし袋に入れてお供えする。のし袋には上に「御供」と書き、下にお供えした者の名前を書く(下記資料写真、名前は仮名)。それを月次祭の際に教会の人に手渡す。教会で集めらえたお金は、集計され一括して上級教会の月次祭に持っていかれて「お供え金」として上納されるのである。最終的には奈良県天理市の教会本部の毎月26日の月次祭に集められることになる。
天理教本部のお供え金は2013年は約120億円であることは既報の通りである。各教会は、全国に1万6000箇所ある。つまり各教会は、年間約70万円余りを上納していることになる。しかし、事情教会と言われる機能不全な教会も多く、各教会でのお供え金のバラツキは非常に大きい。また集金したお金の全額を上納していることはなく、集金した中から教会家族の生活費などが抜かれているようである。
信者にとっては毎月の「お供え金」は署名入りなので、非常に心理的・経済的な強制になっていることは言うまでもない。「お供え金は気持ちでいい」という天理教人がいたら気をつけるべきである。
お供えの袋は署名入りのため、教会の人間には誰がいくらお供えしたのかは明白である。そして金額が高いと「いい信者」で、低いと「頑張っていない信者」となることは当然の帰結である。天理教がヤクザやネズミ講と例えられるのは、こういったピラミッドの上下システムにあることは間違いない。天理教は別名「搾取の天理教」と昔から言われているのはこういったシステムが原因であろう。おつとめの歌の一節である「悪しきを払うて助けたまえ」を「屋敷を払おうて田売りたまえ」と変換され、屋敷や田んぼを売ってでも金を作ってお供えしろという天理教を揶揄する言葉が昔からある。しかし署名入りのお供えなど、こういったシステムが今も残っている以上、現在も「搾取の天理教」に対して反論はできない。「お供えは強制ではない」という天理教の人間がいたら、その教会のお供え金システムに匿名性が保証されているかをきちんと確認した方がよいだろう。
私はこうした半強制的な集金システムが天理教の害悪(衰退)の根源であると考えている。信教の自由の下で、自由意志であるべきはずのお供え金に署名を求めるというのは、解釈によっては信教の自由を侵害するような人権侵害になるとも考えている。
今年の6月に暴力団の上納金は所得税として扱われ、工藤会トップが脱税で検挙される事件があった。暴力団と宗教法人の天理教を同列に扱うことはフェアではないが、天理教の莫大な金額の不透明さを考えると、天理教内の本部への上納金に対しても贈与税や所得税をかけるべきであると私は考えている。宗教法人への課税は、本来であれば私は反対派であるが、賛成派にならざるを得ないほど天理教のお金の流れは不透明であると考えている。(参考:天理教の財政に関する記事)
高校生を対象に合宿を開催して「天理教大好き」「天理教素晴らしい」と、自己判断ができない未成年を短期間で洗脳のように意識変化させるのは結構だが、天理教の権力と金の暗部をひた隠しにしていてはカルトと何が違うのか私には判断できない。
少なくとも、この署名入りのお供え金システムを採用している教会には決して近づくべきではない。初めてこの封筒を見せられたとき、私は「天理教は恐ろしい。しんどなるわ」と思った。こういった感覚は天理教人にはないのだろう。改めて宗教は怖いと思う。
この袋がなくても天理教の教えを信仰することはできるはずである。
・・・・・・・・(転載ここまで)
いかがでしょうか?
天理教の教会は大都市のど真ん中に聳え立っています。
梅鉢⇒菅原道真⇒前田家や吉田茂、麻生太郎などの権力を傘に拡大していった経緯があるとおわかりになったでしょうか?
当然彼らのバックには暴力団がいます。
町井久之 。1923年 - 2002年9月18日、 ヤクザ、実業家。
東京生まれ。本名は鄭建永。東声会会長。東亜相互企業株式会社社長。釜関フェリー株式会社会長。在日本大韓民国民団中央本部顧問。若い頃は、「銀座の虎」「雄牛」と呼ばれた。家紋は丸に梅鉢紋。画像は池上本門寺の墓所にて撮影。
その立地、建物から、まさに、「創価学会か天理教か?」というくらい金と権力を牛耳っています。
関連企業、有名人の信者と噂されているのはは、「竹中工務店」
「中島みゆき」「伊藤美咲」「小林真央」「小栗旬」「加護愛」「渡辺徹」「ガレッジセール川田」
がネット検索で出てきます。
カルトに入っても、その組織の中で偉くなることばかりを求めるだけで人間性は成長しないと思います。
お金や権力や地位でなく、徳が高められるのが宗教の本質であり、救いなのかもしれませんね。
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