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歌舞伎役者とやくざの歴史的繋がりについて)市川海老蔵「成田屋」不動明王、空海、嵯峨天皇との関係

2018年04月21日 | 世の中はヤクザ、暴力団が牛耳っている

今回の記事は歌舞伎の勉強をさわりだけする内容となります。

結論として、

市川海老蔵は千葉県の成田山新勝寺にお参りに行きます。

このお寺には、真言密教の不動明王が本尊として祭られており、不動明王を中国から日本にもたらしたのは、空海でした。

(歌舞伎の演目にと「空海」「橘逸勢(たちばなのはやなり)」が出てきます。)

空海は、嵯峨天皇から見初められ、真言宗のお寺は現在でも仏教の中でもあがめられています。

海老蔵の先祖の、市川團十郎は歌舞伎十八番で「助六」という「荒事」で「任侠=ヤクザ」演目を行いますが、これが現在の「ヤクザ」演目に繋がりがあり、大うけしたそうです。(当時の任侠とは表向きは「強気をくじき、弱きを助ける」という痛快なキャラらしいですが…) 

彼らが使う「歌舞伎十八番」とは何でしょうか?

・・・・・(歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)

天保年間に七代目市川團十郎(当時五代目市川海老蔵)が市川宗家のお家芸として選定した、18番の歌舞伎演目。当初は歌舞妓狂言組十八番(かぶき きょうげん くみ じゅうはちばん)といい、それを略して歌舞伎十八番といったが、後代になると略称の方がより広く一般に普及した。

十八番の演目は、いずれもかつて初代團十郎・二代目團十郎・四代目團十郎が特に得意とした荒事ということになっているが、そのなかには、すでに撰者の七代目團十郎の時代には内容がよくわからなくなってしまっていたものも含まれている。そうした演目は、いずれも明治以降に大幅な創作が加えられた上で「復活上演」されている。

十八番のなかで最も人気が高い(=上演回数が多い)のは『助六』『勧進帳』『暫』の三番。『助六』は原型となった演目の初演から100年近くも経った七代目團十郎の時代に現行の体裁に落ち着いたもの、『勧進帳』はその七代目自身が数年の歳月をかけて新たに書き下ろしたもの、『暫』に至っては明治の中頃になって九代目團十郎が現行の型を完成させたもので、これらはいずれも初代や二代目の團十郎とは関連性が希薄な、当時における事実上の新作といえるものである。

・・・・・・・(転載ここまで)

我々が普段何気なく使う「おはこ=十八番」はここから来ているのでしょうか?

18=6+6+6「悪魔の数字666」ですね…。

知っていたら使わないのにと思います。

それで、荒事の原型が「助六」となっています。

<荒事>

歌舞伎演目の助六とは何でしょうか?


・・・・・(助六)

京坂の助六はというと、江戸の幡随院長兵衛と並び称されるほどの侠客だったという。これが総角(あげまき)という名の京・嶋原傾城と果たせぬ恋仲になり、大坂の千日寺心中したのが延宝年間のことであるという。ただし詳細は伝わらず、したがって異説も多く、助六は侠客ではなく大坂の大店・萬屋(よろずや)の若旦那だったとする説、総角は大坂・新町太夫だったとする説、そして事件も心中などではなく喧嘩で殺された助六の仇を気丈な総角が討ったものだとする説など、さまざまである。

助六寿司
稲荷寿司と海苔巻きを折り詰めた寿司のことを「助六寿司」という。これは助六の愛人・揚巻の名が稲荷の「油揚」と「巻寿司」に通じることを洒落た命名である。

・・・・・・(転載ここまで)

助六寿司のルーツも荒事にあるとは、、、、。


「京坂の助六はというと、江戸の幡随院長兵衛と並び称されるほどの侠客だったという。」とあります。

 

・・・・・・(幡随院長兵衛ばんずいいん ちょうべえ)

 
 
江戸時代後期に描かれた幡随院長兵衛のイメージ。歌川国芳「国芳もやう正札附現金男・幡随長兵衛」
 
幡随院長兵衛夫妻の墓 (源空寺)

幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ、元和8年(1622年) - 慶安3年4月13日(1650年5月13日)あるいは、明暦3年7月18日(1657年8月27日)とも)は、江戸時代前期の町人。町奴の頭領で、日本の侠客の元祖ともいわれる。『極付幡随長兵衛』など歌舞伎や講談の題材となった。本名は塚本 伊太郎(つかもと いたろう)。妻は口入れ屋の娘・きん。

元和8年(1622年)、誕生。唐津藩の武士・塚本伊織の一子とされているが諸説あり、滅亡した波多氏の旧家臣の子であるとする説[1]や、幡随院(京都の知恩院の末寺)の住職・向導の実弟または幡随院の門守の子という説[2]もある。

父の死後、向導を頼って江戸に来て、浅草花川戸で口入れ屋を営んでいたとされる。旗本奴と男伊達を競いあう町奴の頭領として名を売るが、若い者の揉め事の手打ちを口実に、旗本奴の頭領・水野十郎左衛門(水野成之)に呼び出され殺害されたという。

芝居『極付幡随長兵衛』の筋書きでは、長兵衛はこれが罠であることを勘づいていたが、引きとめる周囲の者たちを「怖がって逃げたとあっちゃあ名折れになる、人は一代、名は末代」の啖呵を切って振り切り、殺されるのを承知で一人で水野の屋敷に乗り込む。果たして酒宴でわざと衣服を汚されて入浴を勧められ、湯殿で裸でいるところを水野に襲われ殺されたとしている

・・・・・・・・・(転載ここまで)

いかがでしょうか?

幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)といい助六といい、暴力団の元祖(任侠)の古典だと言ってしまっても過言ではありません。

ヤクザの元祖を礼賛をした「成田屋」の市川團十郎が現在でも格付けが高い、芸能界でもチヤホヤされていると考えられるというのは、芸能界を取り仕切る暴力団としては、当たり前のことですよね?

つまり、「伝統芸能」とは「暴力団の歴史を語り継ぐひとたち」のことだと解釈できます。

それでは、市川海老蔵と成田山新勝寺について見ていきましょう。

・・・・・・・・(2018.4.20 22:54 海老蔵さん親子お練り、成田山1080年記念)

 成田山(千葉県成田市)の開山1080年を記念して、「成田屋」の屋号を名乗る歌舞伎俳優、市川海老蔵さん(40)が20日、長男の勸玄(かんげん)ちゃん(5)と新勝寺の参道でお練り行列をした。

 海老蔵さんは約2万人の見物客に手を振って応え、「新勝寺と成田屋は350年の付き合いだが、父、私、せがれの代まで末永く応援よろしくお願いします」とあいさつ。勸玄ちゃんは「歌舞伎の道に進みたいと思います」と元気に話した。

 また、海老蔵さんは昨年6月に乳がんのため34歳で亡くなった妻でフリーアナウンサー、小林麻央さんのお別れの会を、非公開で開く意向を明らかにした。

・・・・・・・・(転載ここまで)

「350年の付き合い」と発言していますね。

では、成田山新勝寺を見てみましょう。

・・・・・・・(成田山新勝寺(なりたさん しんしょうじ)

、日本の千葉県成田市にある真言宗智山派の寺院であり、同派の大本山のひとつである。山号を成田山、寺号を新勝寺というが、山号を省略せずに呼ぶのが通常で、寺号のみで呼ぶことは少なく、むしろ山号のみで呼ぶことが珍しくない。本尊は不動明王で、当寺は不動明王信仰の一大中心地である。そのため、成田不動、お不動さまなどといった通称でも広く親しまれてきた。開山は平安時代中期にあたる天慶3年(940年)と伝えられる。寺紋は葉牡丹。

参詣者数において関東地方屈指の寺である。初詣の参拝客数は、2006年に約275万人、2007年に約290万人を数えており、神社仏閣としては、明治神宮に次ぐ全国第2位(千葉県内第1位)、仏閣に限れば全国第1位である。現在ではおおむねこの順位を維持しているが、以前は神社仏閣として川崎大師に次ぐ全国第3位、仏閣に限れば全国第2位であった。今も昔も加持祈祷のために訪れる人が多いことでも知られる。



歴史
成田山新勝寺の縁起は、平安時代中期、東国で起こった平将門の乱が朝廷を悩ませていた最中の天慶2年(939年)、将門調伏祈願の密勅を朱雀天皇より賜った寛朝僧正が総国へ下向したことに始まる。寛朝は、京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて総国へ下り、明くる天慶3年(940年)、難波津から海路で上総国に入って尾垂浜から上陸すると、陸路で下総国公津ヶ原へ入り、この地にて朝敵調伏を旨とする不動護摩供を奉修した。ややあって、寒の戻りの風に乗った一本の流れ矢が将門を射て乱を見事に“鎮めた”のは歴史の知るところである。

(※ これが春一番というやつです)

天皇は、不動明王の法力と勲業いさおしに歓喜した。また、摩訶不思議なことに寛朝が帰京しようとしても不動明王像が現地を動こうとしないとの報せを受けて感動し、彼の地にて東国鎮護の霊場を拓くべきとの考えのもと、寛朝に開山せしめ、神護新勝寺の寺号を下賜したという。

永禄年間(永禄9年〈1566年頃〉と考えられるが未詳)に成田村一七軒党代表の名主が不動明王像を背負って遷座されて伽藍を建立された場所が、現在の成田市並木町にある「不動塚」周辺と伝えられ、成田山発祥の地といわれている。その後、新勝寺は戦国期の混乱の中で荒廃し、江戸時代までは寂れ寺となっていた。

江戸時代には、江戸(征夷大将軍の城下)でたびたび成田不動の「出開帳」(現代の語感でいえば、「秘宝特別出張公開」)が行われた。元禄16年(1703年)、深川永代寺(富岡八幡宮の別当寺で、廃仏毀釈により廃寺となったが、塔頭寺院が1896年〈明治29年〉名跡を再興した)で行われたのが初めで、江戸時代を通じて12回の出開帳が行われた記録がある。

歌舞伎役者の初代市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなどもあいまって、成田不動は庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んとなる

(※ 初代市川團十郎がお祈りしたら、子どもが授かったというエピソードがあります)

明治維新以降、新勝寺はお札を通じて、戦時下の人々の精神的な助けとなった。当寺の「身代わり札」は「鉄砲玉から身を守る札」として日清戦争当時から軍人らに深く信仰されていた。満州事変から1945年(昭和20年)の敗戦に至るまで、「成田市史年表」から拾い出すだけでも、1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)までの間に、歩兵第57連隊の兵士や近衛兵たちが10回以上も参拝し、武運長久を祈願、お札を身につけている。 第18世住職・荒木照定は1928年(昭和3年)に新更会を設立、「成田町報」などを通じて、地域の民衆に対して、日本古来の伝統的思想の教化に積極的に努めた。1938年(昭和13年)には陸海軍に「新勝号」「成田山号」と名づけた戦闘機を献納している。また、真珠湾攻撃の翌日にはそれぞれに10万円を献納するなど、新勝寺は積極的に協力した。

(※明治時代は戦争神社でもあったのですね!)

・・・・・・・(転載ここまで)

開山は寛朝僧正がしたと書いてあります。

念仏の力で、当時関東一体で猛威を振るっていた平将門を神風(春一番)で討ち取ったというエピソードが、成田山新勝寺の創設の理由のようですね。

寛朝僧正は天皇家から出家した真言宗東密声明中興の祖です。

空海も「東密始祖」といわれています。

・・・・・(寛朝僧正)

寛朝(かんちょう、かんじょう[1]、916年(延喜16年) - 998年7月13日(長徳4年6月12日))は、平安時代中期の真言宗の僧。父は宇多天皇の皇子敦実親王。真言声明の第一人者でもあった。洛外・広沢池ほとりの遍照寺の住持であったことから「広沢僧正」「遍照寺僧正」とも呼ばれた。

926年(延長4年)祖父宇多法皇の下で出家し、948年(天暦2年)寛空から灌頂を受けた。967年(康保4年)仁和寺別当を経て、貞元2年(977年)6月権律師、同10月権少僧都・法務、11月東寺三長者・西寺別当に補任、加えて広沢房を御願寺として別当に補せられたため、年に六度の賀ありと言われ、986年(寛和2年)真言宗では初めて、また、日本では三番目の大僧正に至った。この間、円融天皇が受戒する際の戒和尚を勤めている。989年(永祚元年)10月26日円融天皇の命により広沢湖畔に遍照寺を建立した。この際の供養の記事が藤原実資の日記小右記に載っており、円融法皇を始めとして多くの公卿が参列したことが分かる。密教の事相・教相に詳しく「金剛界次第」「不動次第」などを著している。また「理趣経」読誦の音調を整備するなど声明に通じ、東密声明中興の祖とされる。

平将門が関東で反乱を起こした際には自ら関東に下向し祈祷をした。その時に祈祷した不動明王を本尊として創建されたのが「成田不動」で有名な成田山新勝寺である。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

初代団十郎と成田山の不動明王とのエピソードは以下の通りです。

 

・・・・・・・・・(江戸歌舞伎の第一人者である初代團十郎の願い)

歌舞伎の舞台に暫や鳴神に代表される荒事を取り入れ、人気を博した初代團十郎。しかし、跡継ぎに恵まれず、成田山の当時の本堂である薬師堂で一心に子授けを祈願します。すると見事、待望の長男を授かったのです。

お不動さまの御 利益りやくにむくいる父子で演じる「兵根元曽我(つわものこんげんそが)」
初代團十郎が中村座で親子共演した「兵根元曽我」は、お不動さまへの祈願が成就して長男を得たことに感謝をあらわした舞台で、不動明王をテーマにした初めての歌舞伎でした。この舞台が大当たりしたことに感謝し、成田山に大神鏡を奉納しました。また、この共演を機に市川家は、「成田屋」の屋号を使うようになったのです。

成田山の江戸出開帳の始まり、喝采を浴びた「分身不動」
成田山が江戸深川で行った最初の出開帳と同時期に、初代が胎蔵界不動、二代目が金剛界不動を演じた「成田山分身不動」という歌舞伎が大変な人気となります。成田屋市川團十郎の深い帰依と、お不動さまの御霊験が江戸中に知れ渡った瞬間でありました。 「成田不動の申し子」と言われた二代目
二代目團十郎が、10歳で初舞台を踏み、子役の礎を作ります。父の死により、17歳の若さで團十郎を襲名。荒事から、助六のような和事まで見事に演じ、「成田不動の申し子」と賞賛されました。

成田山のお不動さまへ祈り、病の平癒を得る
父に劣らず深い不動尊信仰を持つ二代目は、團十郎を襲名した同年、成田山で断食修行をして芸の上達を祈願しました。また、眼病や難病にかかった時も、御本尊への祈願により平癒するという御霊験談が多くあります。

・・・・・・・・・(転載ここまで)

ここでやたらと出てくる「不動明王」について見ていきましょう。

簡単に説明すると、不動明王は、空海が唐(中国)から持ち込んだ神様です。

そのルーツはインドのシヴァ神です。(詳細はこちら

では、彼が持ちこみ、現在でも真言宗で拝まれている「シヴァ神」とは一体どんな存在なのでしょうか?

・・・・・・(魔術のいけにえで5歳男児を斬首したインドの事件は、我々日本人と全く縁のない事件ではありませんでした。)

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今の今まで、私は世界の支配者たちが陰でこそこそと悪魔崇拝を行っているというお話をしてきましたが、それは何も支配者層だけに限られた話ではないということをはっきりと示すような事件が先月末に起こりました。
 
それが以下の事件です。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
【5月30日 AFP】インド北東部アッサム(Assam)州のソニトプル(Sonitpur)地区で、5歳男児が魔術を信仰するとされる男にいけにえとして首を斬られて殺害された。地元警察などが29日、明らかにした。男は怒った村人たちによる私刑で殺されたという。
 
殺された男児の父親は地元テレビに対し、男はチョコレートをあげると言って男児を自宅へ誘い、ヒンズー教の女神カリ(Kali)へのいけにえとして簡素な祭壇の前で男児の首を斬って殺害したと話した。
 
地元警察によると28日夜、血まみれになった男児の遺体が見つかり、男は激怒した村人たちに殺された。警察では事件が魔術信仰によるものか、それとも背景にもめ事があったのか捜査しているという。(c)AFP
 
----------------
 
この事件はたまたま表沙汰になったというだけで、我々の知らないところでこういったことが日常的に行われている可能性があります。
 
しかも、この犯人が男児を捧げようとした神様は、その名を「女神カリ(最上の画像)」というそうですが、この「女神カリ」は決して我々日本人と縁の遠いものではありません。実は、我々日本人ととても縁の近いものです。今日はそのお話をしたいと思います。
 
先ず、この「女神カリ」は、ヒンズー教のシヴァ神と呼ばれる神の一つです。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
カーリーは、インド神話の女神。その名は「黒き者」の意。血と殺戮を好む戦いの女神。シヴァの妻の一柱であり、カーリー・マー(黒い母)とも呼ばれ、シヴァの神妃パールヴァティーの憤怒相とされる。仏教名(漢訳名)は迦利、迦哩。
 
----------------(転載ここまで)
 
さらに詳しい解説が以下になります。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
インドには恐ろしい神様が少なくない。とくにいわゆるシヴァファミリーと呼ばれる一団は普通ではない。神様というより悪鬼の集団だ。親分格のシヴァからして、すごいものがある。
 
インドでよく見かけるポスターを見れば、その姿は、青い体に虎の皮で作った衣装、あるいはふんどし、無造作に巻き上げた長髪、首にはコブラ、手には三叉の槍、そして弁弁太鼓…。
 
何も知らない人が見れば、これは性質(たち)のよくない何かの宗教と考えるかもしれない。事実、シヴァ信仰というのは、インドにおける異端宗教であった時代もあった。
 
インドのおもしろいのは、結局、こうした異端の神々がメジャーとなってヒンドゥー世界を牛耳っているところだ。
 
そして、異端の神々の魅力というのは、人間の本音の部分がより強く表現されているところである。インドにももちろん建前があるが、それを超えるほどの本音が神々によって語られていることは非常に興味深い。
 
さて、本題に入ろう。カーリー女神である。インドでもっとも恐ろしく、そして醜悪でもあり、それでいながら、人気もあり信者数も多いメジャーな神様である。特にベンガル地方で人気がある。
 
その姿を描写してみると、…がりがりに痩せた真っ黒(または青)な体、上半身は裸で、時にはしおれた乳房をむき出しにしている。首には、生首、あるいは髑髏を数珠繋ぎにして作られた首飾り、時には腰にもいくつもの生首が揺れている。
 
顔も異様だ。目は血に飢えて血走り、まるで蛇のようにちろちろと舌を出す。そして、たいていはシヴァを踏みつける形をとる。まさに鬼婆、いや、そんな生易しいものではない。
 
ベンガルの首都カルカッタ(コルカタ)には有名なカーリー寺院があり、多くの信者で賑わっているが、この地を訪れれば、カーリーがどんな神様であるのかを、少し理解できるかもしれない。
 
場所は中心街のやや南、ガンジス川の支流、フーグリー川のそのまた支流のどぶ川が淀んだ場所に、カーリーガートという薄汚い沐浴場がある。
 
寺院はこのガートより5分内陸に歩いた場所にある。この界隈には、あのマザーテレサの施設もあるが、その目の前の路地は完全に売春地帯と化している。
 
通り沿いに、濃い化粧の女たちがうろうろしているので、すぐにそれと分かるほどだ。カーリー寺院はまさにその一角にあるといってもいいのだ。
 
寺院はそれほど大きくないが、いつも多くの信者たちで賑わっている。ちょっとした行事があるたびに、寺院前に長蛇の列が作られる。カーリー寺院の見ものは山羊の首切りである。これはもちろん、カーリー女神へささげられるものだ。
 
次々と殺される山羊の血がなんとも生臭い。ベジタリアンも多く、平和思想が強いインドにあって、カーリー寺院界隈はかなり特殊な場所だといってよい。
 
何かの本で、カーリー自身はそれほど古い神様ではない、と書かれていたが、これは単なる勘違いだろう。確かに、カーリーの存在は、古い文献には載っていないのかもしれない。
 
しかし、それは単にカーリー女神がなかなかヒンドゥー主流派に認められなかったためであり、ある一部の人々に熱狂的に信仰されていたことは間違いない。
 
現在のデカン高原を中心に、タッグあるいはサギーという殺し屋集団がいたことは有名な話だ。彼らが500年以上にわたって殺しまくった人の数は何と百万人以上にも及ぶという。
 
英国統治時代に一応滅んだとされているが、広いインドのことだから分からない。それはともかく、彼ら殺し屋たちによって殺された死体は、やはりカーリーにささげられていたというのだ。
 
カーリーの姿を眺めていて感じるのは、その信仰の原点にあるのは人食いの風習であるのでは、ということだ。
 
人食いの風習は、インド、ミャンマー国境付近のナガ高地では、つい最近まで普通に行われていたが、インド中央部でもあるいは似たようなことはあったと想像される。古い神話にも、それを想起させる記述もある。
 
先日この地域を旅したときも、数十年前まで人食いをやっていた村があるんだが、とガイドに誘われたことがある。その時は時間がとれず断ったが、気分は微妙である。おまけに、その道中は虎が出るということで、時間がなくてよかった、と胸をなでおろしたものだ。
 
あるサドゥー(修行者)からも奇妙な話を聞いたことがある。彼は数十年前に裸の部族民につかまり、あと一歩で食べられるところを、何とか許してもらって開放されたという。やはり、デカン高原奥地の、ジャングルでの話である。
 
カーリー信仰がヒンドゥーの世界でなかなか承認されなかった理由は、その初期の信者たちが、普通のインド人とは一線を画した部族民であったためではないだろうか。
 
サンタル族という部族民のための紙芝居を見たときも、カーリーそっくりの絵があった(彼らはカーリーではない、と言い張った…)。サンタル族はベンガルからデカン高原東部一帯に住む巨大な部族集団だが、こうしたいくつもの部族に伝えられた鬼女の伝説が、いつかカーリーへと進化したのかもしれない。
 
そんな怪しげな神様が人々から広く信仰され、愛されるというのがまた、インドの不思議なところでもあり、心惹かれるところでもある。
 
(追記)
カーリーの語源はカーラからきている。カーラは黒、そして時間を意味する。そういえば、シヴァもまたマハーカーラという別名を持つ。マハーは「偉大なる」の意味だ。日本では大黒天の名前で知られる。いずれにしろ、カーラというのは最高の尊称であることは間違いない。
 
----------------(転載ここまで)
 
と、このように「女神カリ」が殺人儀式や人食いとかなり関係が深いことが分かります。そして、このような神様がインドでは未だに広く信仰されているというのですから、なんとも恐ろしい話です。
 
そのため、この事件が報道された直後、「インドはなんて時代遅れな国なのだ」「なんて野蛮な国なのだ」といった書き込みが「2ちゃんねる」などで数多く見られたわけですが、何もこの神様が崇められているのはインドだけではありません。
 
上の転載記事にもある通り、実はこの「カリ」は日本でも有名なあの「大黒天」と同じ神様なのです。
 
そう言われても、いまいちピンと来ないという方もいらっしゃるでしょうから、なぜこの「女神カリ」が「大黒天」と同じだと言えるのか、その理由を簡単にご説明しましょう。
 
先ほども言いました通り、この「女神カリ」はシヴァ神の一種です。
 
シヴァ – Wikipedia
 
で、このウィキペディアの「シヴァ」についての記事を見てみると、以下のような記述があります。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
シヴァは教学上は破壊神であるが、民間信仰ではそれにとどまらない様々な性格を持ち、それに従って様々な異名を持つ。
 
マハーカーラ(大いなる暗黒)とも呼ばれ、世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れるという。
 
マハーカーラは漢訳仏典では「大黒天」と意訳される。
 
日本では神道の大国主の「大国」が「ダイコク」とも読める事から同一視され、七福神の1人として、シヴァの名前を使っていないが日本ではなじみ深い神である。 
 
----------------(転載ここまで)
 
出ましたね。「大国主」と「大黒天」。「大国主」とは「スサノオ」の息子のことです。で、「スサノオ」とは古代メソポタミア地方で信仰された「バアル」という神様のことでしたよね。
 
空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。
 
で、この「バアル」を拝んでいるのが創価学会であり、密教であり、チベット仏教であり、大本教であり、ワールドメイトであり、というわけですが、これ以外にも「大黒天」や「大国主」「スサノオ」を祀った神社仏閣や宗教団体は、どれも「女神カリ」を祀っている、と言えるわけです。
 
なので、「女神カリ」に子供の命を捧げようとしたインド人のことを、時代遅れだとか野蛮だとか非難する権利など我々日本人にはありません。我々日本人も、インド人と同じ神様をずっと昔から拝んできたわけですから……。
 
しかも、このインドの「シヴァ神」は、もとを辿ると「性器崇拝」にその根源があるそうです。というのも、インドでは「男性器」をかたどった彫像が「シヴァ神」の象徴として崇拝されているからです。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
特にインドでは男性器をかたどった彫像は、シヴァ神や、シヴァ神の持つエネルギーの象徴と考えられ人々に崇拝されている。
 
リンガ像の原型は、インダス文明の遺跡から出土されているが、当時から性器崇拝が存在したか否かは判然とはしないものの、リンガ像の原型になったという考え方は正しいと考えられている。
 
「マハーバーラタ」には、豊穣多産のシンボルとしてのリンガの崇拝が記録されているが、後世にシヴァ信仰の広まりとともにより鮮明になり、大小さまざまなリンガ像が彫像され、多くのヒンズー教寺院に祀られるようになった。
 
通常、リンガの下にはヨーニ(女陰)が現され、人々はこの2つを祀り、白いミルクで2つの性器を清め、シヴァの精液とパールヴァティーの愛液として崇める習慣がある。
 
シヴァの主要な性格は、サマディで、これは日本語の「三昧」に相当する。日本では、「博打三昧」「ゴルフ三昧」というような、悪習慣の意味で使われることが多いが、本来はシヴァ神の本質を意味するものであり、シヴァ神とは極度の偏執的な凝り性を表している。
 
このために、性交であれ瞑想であれ、シヴァは何億年もの時をかけてひとつのことに没頭するのである。
 
(註 : こんな性格をもったものを神様として崇めたくはないですね。)
 
さらにそのような姿がリンガに例えられ、尽きることなく生命を生み、さらに破壊するという原理や現世の本質をあらわしている。すなわちシヴァは、この世の万物を生み出し続ける性器そのものという位置づけがなされる。
 
シヴァは多数の別名を有するが、その一つが「マハーカーラ」で「時間を超越する者」、「時間を創出する者」という意味を持ち、すなわち「永遠」を意味する。人知を超えた存在に対する恐れの感情がと、自然のメカニズムを具現化したものがシヴァである。
 
(註 : 単に「性器」を崇めるだけだと変人と思われるので、「永遠」とか「超越」とか「創出」とか、そういった観念的な言葉を使ってその本質をぼやかせるわけですね。)
 
日本でもかつて性器崇拝が見られた。(神戸市西区・裸石神社)中国の陰陽思想もタントラ思想の影響下にある。
 
(註 : 陰陽道もやはり結局のところは「性器崇拝」ということですかね。)
 
また、かつて日本にも道祖神という形で男根崇拝の時代があったが、インドにおいてはそれをさらに発展させ、性魔術であるタントラ思想に至った。
 
(註 : 道祖神も「性器崇拝」であるということです。)
 
今でもインド北部のカジュラホーには、ミトゥナという男女の性交場面を現した彫刻があるが、これはタントラ思想を具現化したものと言われる。
 
タントラ思想は仏教との融合から密教が派生し、現在でもチベットや日本に今なお強く息づいている。
 
新宗教であり、後にテロ集団となったオウム真理教もタントラ思想をその基盤に置いていた。
 
日本ではタントラの流れをひく密教の聖地として比叡山、高野山などが有名だが、全国の身近にある稲荷もタントラの影響から発生したものである。
 
(註 : 比叡山は「天台宗」で、高野山は「真言宗」。どちらも密教ですね。密教とはつまりは「性器崇拝」だということです。詳しくはこちら。)
 
(しかも、「女神カリ」と空海のつくった最古の仏像も似ていますね。その仏像はこちら。)
 
----------------(転載ここまで)
 
カジュラホーにある男女の性交場面を表した彫刻については、以下のリンクをご参照ください。果たしてこんなものが神様だと言えるんでしょうかね。少なくとも、私はこんな神様は拝みたくないですね。
 
【世界遺産】インドのエロティックな彫刻”ミトゥナ像”がスゴイ【カジュラーホー寺院】 – NAVER まとめ
 
いずれにせよ、インドで崇められている神様は、実は名前を変えて日本にも入ってきていて、これまで多くの日本人から当たり前のように崇められてきたというわけです。もしかしたら、古代の日本でもこれらの神様の前で、子供たちの命が生贄として捧げられていたかも知れません。
 
いいえ、もしかしたら現代でも……。何しろ、一年に数千人という子供たちが日本でも行方不明になっているわけですから。(詳しくはこちら。)
 
しかしながら、我々日本人は自分たちがどんな神様を拝んでいるのか分からないまま(知らされないまま)、その神様の前で手を合わせ、ときに巨額のお賽銭を投じながら、色々なお願い事をしているわけです。本当に「無知」とは恐ろしいものです……。
 
しかも、その願い事がたまたま叶ったりすると、人はますますその神様に入り浸り、場合によっては帰依してしまうわけですね。

・・・・・・・・・(転載ここまで)

不動明王はシヴァ神、つまり女神カリで日本名は「大黒天」、バアルだということがわかります。

要するに、人身御供を捧げなければならない、『悪魔』を拝んでいるということですね。

空海からもたらされた不動明王を祭っている成田山は、悪魔崇拝をしているということです。

平将門を討ったのも、まさに「悪魔の力」が働いたからではないかと疑いたくなります。

ちなみに空海を有名にしたのは、嵯峨天皇でした。

そして、嵯峨天皇の末裔が源氏物語の主人公、源融(みなもとのとおる)です。

源性は渡辺となり、松浦となりました。

現在、暴力団や右翼で力を持っている朝堂院大覚は嵯峨天皇の末裔だとされています。

(詳しくはこちら

暴力団の元祖の助六などの荒事でヒットした「成田屋」の市川海老蔵。

そして、彼らが拝んでいるのが、不動明王で実態は「バアル」=「生贄を捧げさせる悪魔」

当然、彼らは、悪魔的なことは平気でできると思われます。

・・・・・・・(最初から小林麻央が本当に乳癌なのかどうか疑ってます)

イルミナティに取り込まれて「富」や「名声」を得たとしても、それはあくまでほんの一時的なもので、最終的には地獄のような生活が待っているというわけです。
 
で、本当に美味しい思いができるのは、「天皇家」と限りなく血筋の近い親戚のみ、というわけでしょう。
 
例えば、以下のサイトに出てくるような文化人や芸能人はかなり怪しいと考えられます。
 
学界・文化界・芸能界一覧 « 天皇陛下御即位二十年奉祝委員会
 
また、ここ最近、奥さんの「乳がん」報道で人気急上昇の「市川海老蔵」も天皇家とはかなり近い親戚です。
 
だからこそ、奥さんを「乳がん」に仕立て上げ、さらに人気を獲得できるように誘導してもらっているわけでしょう。(クリックで拡大します。)
 
20151009194919310
 
そもそも、「歌舞伎」というのは一部のマニアしか興味を持たないマイナーな伝統芸能です。
 
しかし、テレビが「歌舞伎」役者たちをことさら大々的に番組やCMに取り上げるので、「市川海老蔵」は今や国民的大スターとなり、さらには奥さんの「小林麻央」を「乳がん」ということにすることで、国民から大いなる同情を買ってさらなる人気を獲得しています。
 
しかし、このように多くの「富」と「名誉」を授与される見返りとして、これまで多くの「歌舞伎」役者たちが短命で死んでいきました。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
10月31日ハロウィンの日に起きたロシア機エアバスA321墜落事件と、異常に増えつづける有名人の死亡者数について。
 
まあ、「歌舞伎」ような伝統芸能は、命と引き換えに有名にさせてもらう、というのが昔からの伝統になっているのでしょう。
 
今回の「小林麻央」の「乳がん」騒動も、「市川海老蔵」を有名にする見返りとして、奥さんの命を生贄として差し出した、ということかも知れません。
 
あるいは、「小林麻央」が高額な抗がん剤「オプジーボ」を投与するという話にもなっているらしいので、「オプジーボ」で癌が治ったと言って、「オプジーボ」を大々的に宣伝する目論見かもしれません。
 
以下、ある読者の方からのコメントです。
 
---------------------
 
現在発売している女性週刊誌で
 
小林麻央の乳癌にオプシーボが使用されるか?
 
という記事があります。
 
私は最初から小林麻央が本当に乳癌なのかどうか疑ってます。
 
ステージ4の乳癌がオプシーボの使用により乳癌完治、という筋書きなのではないか?
 
そう考えています。わかりやす過ぎ、出来過ぎです。女性はただでさえメディアに洗脳されやすい傾向があるし、事実、北斗晶が乳癌を公表したころ乳癌検診を受けた女性が激増しています。
 
これに味をしめた連中が今度は小林麻央を使った。北斗晶も小林麻央も乳癌なんて大嘘だと思ってます。
 
そして最近、乳癌は3大療法が終わった後、経過監察が5年から10年に伸びています。
 
さらに詐欺師・竹中平蔵の運営する派遣会社「パソナ」はなぜかピンクリボン運動に参加。
 
乳癌を煽ることで医療利権に携わる連中(おそらく厚生労働省、公立病院の理事長など)、そして竹中平蔵のように詐欺師に金が降ってきます。
 
それも確実に。
 
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「オプジーボ」の値段は年間「3500万円」です。詳細は以下のリンクをご参照ください。
 
RAPT×読者対談〈第115弾〉癌という病気は存在しない。(後編)
 
こんな高額な抗がん剤が飛ぶように売れるようになれば、製薬会社(小野薬品工業)はボロ儲けです。
 
しかも、この「オプジーボ」を作った「小野薬品工業」のホームページも、ご多分に漏れず「青」でした。
 
小野薬品工業株式会社
 
しかし、この「オプジーボ」も他の抗がん剤と同様、恐ろしい副作用を併発してしまうようで、早くも一人の死亡者が出てしまったようです。
 
オプジーボ 心筋炎で一人死亡。副作用が心配。小林麻央さんは大丈夫?心も体もメタボ解消!
 
抗がん剤は、どんなものであれ、投与してはいけないということです。
 
いずれにせよ、今回の「小林麻央」の乳がん騒動は、完全に天皇家一族である「市川海老蔵」を出世させるための捏造報道に違いありません。
 
しかも、「小林麻央」の癌が治れば、彼女自身もまた一躍、国民的な大スターになれます。
 
では、この「小林麻央」の一連のガン騒動について、私が怪しいと思う部分を簡単にお話します。
 
「小林麻央」の「乳がん」は、その後、「肺」「骨」にまで転移してしまったそうです。
 
---------------------(以下、こちらから転載)
 
■乳がん闘病中の小林麻央が明かした「骨に転移」の意味
 
乳がんで闘病中のフリーアナウンサー、小林麻央(34)が自身のブログで「肺や骨にも転移」していることを明かして、芸能界ばかりか社会全体が騒然となっている。
 
特に注目されているのは「骨」の部分で、一般的に「骨に転移したら、かなり危ない状況」などと言われているだけに、ネットなどでは「もう助からないのか」「末期に近いのか」といった書き込みが相次いでいる。
 
実際のところはどうなのか。医学博士の米山公啓氏に聞いた。
 
「骨に転移したとなると、『ステージⅣ』ということでしょう。常識的に見れば手術はもはや難しい段階です。
 
転移した骨として考えられるのは脊椎や肋骨辺りでしょうか。これによって痛みが伴いますが、転移した骨周辺ばかりでなく、全身にも広がりますので、つらいところですね」
 
今後は手術よりも痛み止めや、がん細胞の増殖を抑える放射線治療が中心になるとみられる。
 
■今年3月から新しい療法も
 
もっとも、暗い話一辺倒ではない。今年3月、新たな放射線療法が認められたのだ。
 
「『ゾーフィゴ』と呼ばれる放射線医薬品を体内に投与するもので、これまでの放射線とは比べものにならない破壊力です。現在はまだ前立腺がんへの投与が中心ですが、他のがんにも効果的かどうか研究の真っ最中なのです」(前出の米山氏)
 
そういえば、小林は「骨転移」を告白してから2時間後、同じブログに「気づいたこと」と題して、入院食の米飯が「小」にされていたことや、今後は「大」を希望すること、さらに「私の取り柄は食欲です。皆様、安心してください(*^.^*)」などを明るくつづっている。
 
---------------------(転載ここまで)
 
一体、どうやったら「乳がん」が「骨」に転移するのでしょうか。
 
一応、癌が転移する経緯については、以下のように説明されています。
 
---------------------(以下、こちらから転載)
 
■がんの転移
 
転移(てんい、metastasis)とは、がん細胞が原発病変とは違う場所に到達し、そこで増殖し、同一種類の腫瘍を二次的に生じることをいいます。
 
転移した細胞は、原発病変のものと同一種となります。
 
乳癌が肺に転移した場合、二次がんは悪性の肺細胞ではなく、悪性の乳腺細胞によって形成されます。
 
がんの転移は早期がんでも血液中にがん細胞が漏れ出ていることも確認されています。
 
◎転移の種類
 
・局所転移(local metatasis):原発巣付近に転移するもの
・領域転移(regional metatasis):局所リンパ節に転移するもの
・遠隔転移(remote metatasis):原発巣より離れた遠隔部位に転移するもの
 
◎転移の経路
 
がん細胞が原発病変と異なる場所に転移する際に通過する経路には以下のパターンがあります。
 
■リンパ行性転移
 
リンパ流に沿って移動し、転移するもの。口腔癌では顎下リンパ節、乳癌では腋下リンパ節
 
■血行性転移
 
血流に沿って移動し、転移するもの。血管壁の薄い細静脈や毛細血管に侵入し、壁の厚い動脈へは稀である。好発部位としては大量の血液が流れ込む肺や肝臓に多い。
 
■播種
 
播種(はしゅ、dissemination)は、腹腔や胸腔といった体腔へ漿膜を突き破って連絡した腫瘍から、がん細胞が体腔内に遊離して他の漿膜面に移植され転移するもの。癌性の腹膜炎や胸膜炎が発生することが多い。
 
---------------------(転載ここまで)
 
「骨」には「リンパ節」も「血管」も通っていないはずですし、まして「漿膜(しょうまく)=腹膜、胸膜、心膜などの内面や内臓器官の表面をおおう薄い半透明の膜のこと」もありません。
 
なのに、どうやって「乳がん」が「骨」に転移できるのでしょうか……???????
 
果たして工作員の皆さんは、この私の疑問に対して、どのように言い訳してくるつもりでしょうか。
 
やはり「竹中平蔵」のように小難しい専門用語をあれこれと並べながら、誰にも理解できないような複雑難解な話をして、煙に巻こうとするのでしょうか。
 
それとも、何の根拠も提示することなく、単に私のことを頭ごなしにバカにしてくるだけでしょうか。
 
とにかく、私としては、これまで何度も言ってきましたように、小学生でも分かるような簡潔な文章で、しかも誰でも腑に落ちるような理由を言ってくれないと決して納得しません。
 ・・・・・・・(転載ここまで)

海老蔵は裏の裏まで知っていそうですね。

歌舞伎とヤクザ、暴力団の関係が、悪魔崇拝からつながりました。


伝統芸能は見に行かない方が賢明だと思いませんか?


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