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「長生きすること」について、日本では良いことのようなイメージがあります。
しかし80歳を超え、何らかの理由で入院してくる高齢者たちは
生き甲斐もなく、夢や希望もなく、ただ1日が過ぎていくだけの生活をしています。
人生に意味を見いだせず、多少体が動く老人たちは、定期的にクリニック診療所に通院します。
かつて高齢者が寺や神社に通うのを日課にしていたように、現代の高齢者は病院の外来に通って「医療から人生の答えをもらおう」としているようです。
市民病院、中核病院といった急性期病院には大半が75歳以上の後期高齢者が入院をしています。
入院患者たちは、無気力に寝たきりで過ごすか、リハビリで「早期離床しましょう」と尻を叩かれると
「早く殺して欲しい」「生きることが刑罰だ」
「早くあの世からお迎えに来て欲しい」「死にたい、楽にさせて欲しい」
と言うのです。
こんな後ろ向きな内容を言われ続ければ、現場で働く医療スタッフも気が滅入ることでしょう。
その時、何も解決策を持っていない為「死にたいぐらい辛いのですね」と受け流すくらいしか対応を持っていません。
「主治医の指示だから仕方ないじゃん」と内心思っているのえしょう。
「人生の辛さ」に耳を傾ける、傾聴をして時間稼ぎをする、問題の先送りをするしかできないのです。
傾聴とは単なる時間稼ぎです。
「答え」を示していないため、「完全に苦痛を取り除くことはできない」のです。
看護師の離職率が高いのは、長時間労働や変則労働なども理由にありますが、
相手のためを思ってやっているのに「死にたい」「殺してくれ」と日常的に言われ続ける「①自己矛盾」に耐えなければならないこと
「夢や希望がない人を相手にする業務」が続くことで、悪い波長を受け続け、精神的に霊的に傷つき弱ってしまい、「②気力が失われてしまうこと」も、根本的な理由にあると思います。
日本では高度延命医療があるため、簡単に死ぬことはできません。
日本では食べられなくなると、CV(中心静脈栄養)やPEG(胃瘻)という技術で人工的にかつ強制的に栄養を投与され続けます。
栄養が投与される管を自分で取り外そうとすると、家族の同意によって身体拘束をされます。
精神科病院では医療保護入院制度により、家族の同意で、一生強制入院させることが精神保健福祉法で認められています。
本人の意志を全無視して医療を続けるという非人道的な行為を精神科病院だけがしているようなイメージがあります。
しかし、それ以外の一般病院でも家族の同意によって、身体拘束が許されている実態があります。
この同意のない医療行為は不文律であり、法に明記されていません!欧米では老人虐待と言われていますが、日本では立派な延命行為、人道的な行為の一部としの認識があります。
「栄養カテーテルを抜かないように」「ベッドから勝手に立ち上がって転落しないように」
という安全管理のために「離床センサー」「ミトン」「胴抑制」という非人道的な拷問に近い、身体拘束が行われているのです。
「身体に入れられた管を抜いたり、自分の意志で歩いて移動しよう」という、個人の自由や意志が認められないのです。
なぜ家族はこのような非人道的行為を許してしまうのでしょうか?
過度な医療安全管理はどこから生まれるのでしょうか?
その根本の理由は無神論にあります。
日本人は、宗教を毛嫌いし、神の存在を知ろうとしません。
神様の話をする、宗教の話をすると「思想が強い」「偏った考えの人だ」と拒否反応を示したりレッテル貼りをします。
「宗教=悪」という固定概念があるのです。
「人間とは何か?」「人生とはどう生きるべきか?」を深く考えずに生活しており
「死んだら負け」「死んだら終わり」という短絡的な考えで生活しているため、自分の家族や自分が急変し、いざ死に近づいた時に「思考停止」してしまい、病院に判断を丸投げします。
「死を否定する」「死を遠ざける信念」が日本の医療の役割であるため、病院は「延命の選択」を家族に勧めるざるを得ません。
日本社会は人間の幸せの定義が曖昧なため「人の幸せのために医学でできることは、1日でも長生きさせることだ」という結論にしか及ばないのです。
まるで『古いスマホを捨てるわけにもいかず、充電だけしている状態』のようです。
人間の知恵や科学によって人生の問題、社会の問題は解決できません。
人類の知の結集である現代医療も、コロナパンデミックの前になすすべものなく惨敗でした。
医学ですら、実際これらの問題を目の前にすると歯が立たないのです。
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