四清運動(しせいうんどう)※または社会主義教育運動(しゃかいしゅぎきょういくうんどう)
1963年に毛沢東が中華人民共和国で開始した運動である。毛沢東は「統治は社会主義教育の過程でもある」と述べ、中国共産党の官僚機構の中から反動的な人たちを、少なくとも77,560人が死亡し、5,327,350人が迫害された。
この運動で、中国第2代国家主席であり、毛沢東の後継者候補であった劉少奇と毛沢東との関係が悪化した。
四清運動は文化大革命の前兆と見なされており、劉は毛沢東の追い落としにより「裏切り者」「走資派」とされて、迫害の中で非業の死を遂げることとなる
この運動の目標は人民公社(小農民を集団農業. に「封じ込めた」体制のこと)の①帳簿・②倉庫・③財産・④労働点数の4点を清浄化することとされ、汚職や官僚主義を追放する運動であった。
しかし、毛沢東は共産主義への反乱分子を粛清する活動へと飛躍していった。
【要点】
四清運動により、後の文化大革命に繋がっていきます。
マルクスから始まった共産主義思想自体、悪魔崇拝から生まれたものですから、「清める」などと言っても、清めることなどできません。
権力者に都合が悪い要素は排除するくらいしかできなかったのです。
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