私たち人間が生きるということに、意味や目的があるのでしょうか?
私は20代後半の時、仕事ばかりして、溜まったストレスを、外食やアルコール、バイクを購入してツーリングしたりして紛らわしていましたが、「もし、明日事故にあったり、怪我して働けなくなったら、お酒やたばこ、外食、ツーリングもできなくなってしまう、だとしたらそんな人生に楽しみや喜び、生き甲斐なんてあるのだろうか?そもそも人間の一生に意味があるのだろうか」とふとした瞬間に悩み苦しんでいました。
両親に相談しても職場の先輩に相談しても答えはみつかりませんでした。
仕事を辞め、大学に再入学したのですが、そこではまったのは「宗教学と哲学」でした。
哲学は徹底的に学びました。
しかし、その結論は「人生に意味はない」とう結果でした。
プラトンは「人生は死ぬためのリハーサルの場所である」と述べています。
<洞窟の例え:私たちには霊という存在があることを支配者(サタニスト)が隠しているということ>
意味が全くわかりませんし、ここでもやはり「人生に意味がない」と言っているようなものでした。
「人間理解のためには文化風習を理解しなければならない。その文化風習の基礎となるのが宗教だ」
と言われ、宗教学をとりました。
宗教の成り立ちを学び、現在、パレスチナで起きている宗教戦争、民族間との争いについて学びましたが、これでは単なる「池上彰のニュースがわかるシリーズ」に書いてあることを学んだだけに過ぎません。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が同じ旧約聖書から生まれたものであるという上辺だけの宗教史を学んだだけです。
そして、宗教学の教授自体が「聖書」をまともに読んだことがないのですから、これでは何もわかるわけありません。
ここでも、「人間を知りたい」「人間が分かれば、自分のの生きる目的や人生の意味がわかるかもしれない」と思いひたすら勉強しましたが、結局結論は、「宗教とは多様性であり、人間が神様や絶対的な存在を創っただけだ」とか「自然という得体のしれないものを、知恵ある当時の支配層が統治するために人格化、さらに神格化させただけだ」という論調で終わってしまいました。
結局大学の教養で学んだことは、「人生に生きる意味はない」ということでした。
では意味がないことをなぜ人間は必至に頑張るのか?なぜ人間は生まれてくるのか?というと
「自由に生きることが幸せだ」とか「欲を満たすことが幸せだ」「子孫を絶やすことなく継承することが目的だ」
となってしまうのです。
「死後の世界がない」「あの世がない」
のであれば、肉体のある100年という寿命は頑張る理由がない。
なぜなら、「死んだら人生は終わりだからである」ということが結論になってしまうからです。
「善良に生きる意味もない」「楽して儲けるのがいい」となってしまうのです。
しかし、悪を行って、楽して一時的に儲けることができたとしても、心が荒んでくるのです。
確かに唯物論の人は、「死後の世界はない。あるなら見せてみろよ、証明してみろよ」とばかり目に見えるものを信じず、目に見えるものだけに頼って生きているように装います。
しかし、目に見えない、スマホや携帯電話から恩恵は受けているわけだし、夜の暗闇に不安を覚えるかもしれない、動機がはっきりしない無差別殺人を恐れるわけです。
ましてや、目に見えない、「放射能」の存在を信じていたりもしているのだから、徹底した唯物論ではないとは思います。
唯物論というのでなく、物質主義、快楽主義だと思います。
「欲望を満たすこと」が人生の目的であり、「より多くの欲望や願いをかなえた人」が幸せな生き方だとするのであれば、晩年老人となり歳を重ねて、目も見えなくなり、耳も聞こえなくなり、体も動かなくなってしまった人は、「欲が叶えられなくなる」状態になります。
人間は単純に「歳をとれば欲がなくなる」というわけではありません。
歳をとっても欲望にまみれた人は沢山いますし、逆に年を取ればとるほど、生理的欲求が強くなるようにも見えます。
「欲望が叶えられない人は人生に価値がない存在になってしまう」
これが現在の常識になってしまっています。
「欲望を叶えるために、必死にお金を稼ぎ、他人がうらやむような生活を手に入れようとする。
他人より贅沢をし、他人よりも高価なものを所有する、、、、、、。」
お金は確かに便利です。
今の日本では金がないと生活していけない仕組みになっています。
「富むものはさらに富み、貧しいものはさらに貧しくなる世の中」において私たちはどのように生きていけばよいのでしょうか?
「善良に生きていく」「真面目に生きていく」ことに本当に価値がない時代なのでしょうか?
私は違うと思います。
私たち一人ひとり個性をもって、そして使命をもって生まれてきています。
しかし、その使命や個性を知ることなく、寿命が終わってしまう世の中にいます。
こちらの記事を読んでみて、ぜひ人生を意味のあるものに塗り替えてください。
そして、この世の真理に触れて、生まれてきた喜び、歓喜に打ち震える日が来ることを願うばかりです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます